精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

【狂気】の定義:殺される程のことでもなければ、殺すほどのことでもなかった

Hagex氏の殺人事件について、

私が初めて聞いたのはツイッターでした。

事件のニュースに、

「Hagex氏が被害者らしい」

というツイートがついていて

最初は何かの冗談だと思いました。

 

人は「死」という

信じたくない現実に遭遇すると

まず

「否定」

します。*1

 

そして、まあ、様々な段階を経て

「受容」にたどり着けるのですが…

 

 

「受容」の前段階の「鬱」を乗り越えるには

喪に服すことで「自分をおいてけぼり」にしたモノ

が自分にとってどんな意味を持つのか

「喪失」に意味を見出すことが必要だと言います

 

故人を知り、憤りを感じられる方、

ezkay.com

自分も加害者だったかもしれない…と自戒される方、

どちらも知らないが、ショックを受ける方

… 

色々な方が書いておられるのも

この悲痛な事件を自分なりに

理解して前に進もうとする

営みの現れの様に感じます…

 

今回の記事タイトルは黄金頭さんのタイトルに触発されました

goldhead.hatenablog.com

 

精神科医として…

患者が死ぬ 又は 事件を起こす=遺族からの訴訟が来るか?!

と戦々恐々になるのがアメリカン…*2

 

精神科医程の社会的責任は負わされなくとも

メンヘル職人として

患者相手に一番心せねばならないのは

 

自殺する危険性があるか

そして

人を殺す危険性があるか

 

の査定を怠らないことです

 

のっぴきならない所にいる方は「保護」させて頂きます

 

アメリカンのメンヘル職人の留守電には

「今すぐ話を聞いてもらわないとダメなお方は

最寄りの救急病院に行ってちょー」

というお茶目なメッセージが入っていることが

多いです

がっつり訴訟対策です

 

Hagex氏を殺害したと思われる「低能先生」は

人を「自殺」か「他殺」か

「殺す」か「死ぬ」かの葛藤の狭間

(=カタトニア(不動))に追い詰める

「破壊衝動」に抗えず

犯罪者になったのだ

 

と私は思います

 

キチガイの定義は

「皆が理解できない行動をするモノ」

だと私は常々感じております。

 

「現実を認識できていない」

 と「皆」が看做す人達

とも言えましょう

 

客観性を失い

自分の視点でしか

外界を捉えられない

という「キチガイ」の特徴は

「自他の融合」である

と従来の欧米発精神医学では

言われています*3

 

「投影同一化」という概念があります

 

自分の醜悪な部分を受け入れられず

他者に投影することで

他者に自分の醜悪さを引き受けさせる

 

自他の分離が不完全な

境界例に特徴的な「防衛」です

 

「低能先生」は自己否定感の強い人だったのではないか…

というコメントをいくつか見ました

 

他者を「低能」「ゴミクズ」と罵倒することで

自己否定感を

他者に引受させようとして…

ブーメランを喰らう

 

正に「投影同一化」のなせるワザです

 

イケハヤ氏やはあちゅう氏を批判する記事に

「雑魚」というコメントをつけた

というウワサですが

彼はイケハヤ、はあちゅう信者では

決してなかったと思います

 

むしろ、彼等を嫌悪していたハズです

 

しかし「成功した彼等を嫌悪する雑魚」な自分を

受け入れられないが故

暴力的なコメントを残し続けたのでしょう

 

彼の攻撃的コメントは全て自分に対する

嫌悪や卑下

そして自我への迫害意識の現れです

 

よって、彼が「表現の場」を奪われたことに

憤り凶行に及んだ

というのは

彼の中では 

垢バン=毒を吐く場所がない=殺される=殺す

となったという意味では「当たり」ですが

歪な「表現の場」が彼を「凶行」に追いやった

のも又「当たり」だと思います

 

「表現の場」は受け入れてくれる相手を

自分で造り出すことで

初めて生まれます

 

彼は相手にとって心地よいコミュニケーションを怠り

ネットに「自分の居場所」を切実に求めながらも

その「居場所」を「剥奪される」べく

暴言を、迫害妄想をエスカレートさせてしまいました

 

迫害妄想を抱く「狂人」を

排斥し、挑発し、追い詰めることが

危険だということは

きっと今回の事件で明らかになったと思われます

 

が、彼等が

「繋がりを求める寂しい人」である

とばかりに「共感」し

優しく「受容」することにも

多大な危険がつきまといます

 

迫害妄想の根源には

おっぱい理論のクラインの言うトコロの

「悪い」おっぱいがあるからです

 

暖かくて美味しい素晴らしいハズのおっぱいが…

母の溢れる「愛情」が

嬰児にとって「不快」な経験と同時に存在する時

「口の中のおっぱい」は

「自分とは別個の存在」として認識されないまま

自我を攻撃し整合性を揺るがす脅威

として感受され

嬰児は「迫害分裂状態」に陥ります

 

実際に虐待や放置される経験がなくとも

人は根源幻想として

「母」なるモノが「自分に害をなすモノ」でもありえる

という「迫害妄想」の萌芽を抱く

 

それは一番最初に関係を持つ「対象」としての

口の中の母親=おっぱい

に端を発するからです

 

繋がりを求めながらも迫害妄想をつのらせる「狂気」とは

 

「悪い」おっぱいと「良い」おっぱいが

「愛」する母として統合されない「分裂状態」に端を発する

 

とも言えましょう

 

求めてやまない「繋がり」こそが

自我を凌駕する脅威でもあるのです

 

「迫害分裂状態」にある自我は

破壊衝動に駆られながらも

清く正しく美しい自分という「幻想」を

維持するために

常に醜悪な他者と闘い続けなければならず

安寧を得られません

 

被害妄想と言う「狂気」の根底にあるのは

自己肯定感の欠如などという

「わかりやすい」モノではなく

「欲しいモノ」=他者との繋がり

に手を伸ばすことができない

究極的葛藤です

 

暴言コメントをする人を

安易に褒めて、信頼を得ようとすると

迫害妄想を募らせ

敵意をむき出しにされる危険を孕むのは

このためです

 

そんな、一般人なら

「どないしたらエエんや、そんなアブないヤツ」

となってしまう被害妄想患者さんを

華麗にあしらう熟練メンヘル職人さんは

 

「そんな(キチガイじみた)攻撃性は一体どこから来るの?」

 

と自問自答できる客観性の萌芽を植え付けるのが

大変お上手です

 

攻撃的なブコメに真摯にお相手したい

と願うのは素晴らしいのですが

彼等の批判の理不尽さを突くのも

自己弁護にまわるのも

彼等の妄想を強固にしてしまうだけなので

オススメできません

 

ではどうしたら良いのか…

 

私は、Xevra先生の事例を徹底的に研究してはどうかと思います

 

「大脳壊れた…」コメントで

一世を風靡し

垢バンを免れ

しまいには女体化を果たして

(今でも大嫌いな方、おられる様ですが…)

「瞑想、運動、野菜…」コメで

はてなの風物詩となり

最近ではすっかり丸くなった

(と私には感じられる)Xevra先生

是非とも自分語りをして頂きたいモノだ

と思うのですが

 

はてなのどこかに

彼(女)のストーリーもひっそりと

(そんなにひっそりしてないかもしれませんが)

埋もれているのでしょうか…

 

お花畑と言われるかもしれませんが…

低能先生はただ話がしたかったんだろうな

的な態度に、私は惹かれます

 

社会の構造が劇的に変わりでもしない限りは

きっと、ネットからなくなることはない

「あたまおかしいおっさん」(しかし何故おっさん?)

が風物詩として受容されるような

はてなであり続けなければ

ネットの闇と闘いながらも

その醜悪さをこよなく愛したHagex氏も

浮かばれないだろうし*4

「駆逐」することなどできやしない

「低能先生」達の救済も

不可能なのではないでしょうか…

*1:キューブラー・ロスのアレです。

孤立(否定)→怒り→取引→鬱

を経て、最終段階である「受容」に辿り着けます

*2:実際にそんなことは滅多にありませんが…

一回あると弁護費用が莫大なので

そのリスクをカバーするのが大変だそうです

*3:個人的には「自他の乖離」が

キチガイ」の最大のネック

だと思うのですが…

洋の東西における感覚の違いなのだろーなーと...

*4:あまり良く知らないのでざっくりとした印象です…

「当たり」でなくても怒らないで下さい

【インサイドヘッド】感情のパラダイムシフト

しばらく書こうと思っていて放置していたネタです。

 

かなり昔の映画ですが…

 

感情、脳神経学、児童発達の学術分野で最先端の情報を考慮して作られた

ピクサーインサイドヘッド。

 

www.youtube.com

 

 

主人公の女児

ライリーのインサイドヘッド(頭の中)の描写が

専門知識を踏まえていて

うーん、ヤルなーと思ったのですが

心理学、精神医学、文化人類学、脳神経学、ナドナドの

欧米哲学を土台とする「感情の存在意義」の大前提が

はたして

文化を超えて日本の一般民間人に伝わるモノだろうか…

と思って

日本語のまとめサイトをちら見してみましたが

やはり…

イマイチ分かって貰えてない^^;

ってなったので

書いてみます。

 

日本人的には 「感情」といえば「喜怒哀楽」と、4つですが

英語では5つの基本的感情(ベーシック・エモーション)

というのが定番です。*1

 

これが、インサイドヘッドの

「ヨロコビ」

「カナシミ」

イカリ」

「ムカムカ」(嫌悪)

「ビビリ」(恐怖)

として描かれています。

 

私のざっくりとした印象では

少なくとも「心理学」では、従来

 

「感情」= 動物的「本能」の表現

 

即ち、

生存確率を高める利益在るもの→快→接近

生存確率を低下させる不利益なモノ→不快→回避 又は 戦闘

 

させることで、個人の「生存」確立を高めるモノ

としての存在意義を確立していました

 

「怒り」(Anger)は自分に害をなすモノを排除するために(戦闘

「嫌悪」(Disgust)は毒物を回避するために

「恐怖」(Fear)は危険を回避するために

「喜び」(Joy)は生き延びるために必要なモノを得るために(接近

 

と、まあ、分かり易い「機能」が与えられているのですが…

 

ミルクをこぼしたくらいで泣くんじゃーねーぞ

(Don't cry over spilled milk)*2

ということわざからも汲み取れる

「いつも笑顔でいたい」

絶賛ポジティブなアメリカンにしてみたら

 

「生き延びるために何の役にも立ってない

『悲しみ』の「機能』って、一体何なのよ?!」

 

って事なのでしょうね…

 

もののあはれ

とか言って、喪失に美を見出す日本人とは相容れない

メリケンの合理主義的(プラグマティック)な哲学では、

いつまでもメソメソしてると

 

「悲しみ」=「メランコリー」=「鬱」

 

って感じであっという間に

「悲しみ」=「病」

にもなってしまう

 

という側面にも通じるモノがアルと思います。

 

 

日本語サイトみてたら

やはり

「悲しみがあるからこそ喜びが光り輝く…」

みたいなコトになってて…

 

おおぅ…

流石は日本人の心に響く「解釈」だが

それはちょっと「違う」んちゃうんか…?

ってなりました。

 

心理ヲタク路線まっしぐらな私的には

お話のクライマックスで「ヨロコビ」が見出した

「カナシミ」の存在意義とは

(日本語サイトの売り文句のように

「あんたみたいな冴えないヤツが居るから私が光輝くのよヽ(^o^)丿」

ではなくて)

アメリカ心理学における

『感情』の存在意義のパラダイムシフトやんか!!!!!!」

と胸アツになります。

 

パラダイムシフトってどゆことかというと

 

哲学の影響色濃く

個人の精神性に注目して発達してきた心理学も

 

文化人類学(猿の行動)や

遺伝子学等(種の保存)の影響で

 

感情=個の保存

から

感情=個体間のコミュニケーション=種の保存

 

へとシフトしてきた。

ってことです。

 

「ヨロコビ」が「カナシミ」との冒険の果に得たモノは

自分たちの存在意義が

「不快(死)」を排除し「快適(生存)」を得る

功利的(プラグマティック)なモノではなく

(カナシミのお陰でヨロコビがキラリと輝くって訳でもなく)

「共感」を通じて

他者との繋がりや集団の結束を深める役割だった!

という「気付き」だった

ということで

欧米心理学の転換に思いを馳せ(ホンマか)

何回観ても涙腺が崩壊します。

 

もののあはれ」について語り

分かち合うことで

他者との繋がりを育む日本人的には

「悲しみ」の存在意義が

他者の「同情」や「支援」を誘発し

他者との結束を強める

ということや、

悲嘆に暮れる時には

友人家族の理解が必要で

悲しみを通じて絆が深まるなんて

そりゃ当然。

としかなりませんよね。

 

と、言うわけでそろそろ1,500字を超えたし

読者も離脱してるだろうし…

 

私の「考えの列車」*3も減速気味なので…

もー寝ます

お休みなさい

*1:たまに「驚き」が入ったり、異文化比較では「愛」が加わったりもしますが…

*2:おっぱい=母 をなくしたくらいで泣くな

ってコトやろ、と私は密かに思ってます

*3:これも、日本語では分かりませんが、

Train of thought 「思考の繋がり」とか「脈絡」

という慣用句で、言葉遊び大好きな私的には

たまらんワケですわ

はてなの有名人【フミコ・フミオ】さんの夢のような文章

以前にも書きましたが

ブログのススメ - 精神分析のススメ

 

私がブログにハマるのは、

書き手の自己理解が深まる過程が見えてくる

それにつれて、現実的状況も常に変わり続けるところに

ドキドキワクワクしてしまうからです。

 

いわば、秀逸な精神分析の事例(ケース)を読んでいる様な

気分になれるからです。

 

皆大好き(?)はてなの有名人、フミコさんが

先日こんな記事を

書かれました。

 

delete-all.hatenablog.com

 

泣きました。

朝と夕方、二回読んで、二回とも。*1

 

ちょっと前の映画ですが、

ピクサーの、インサイドヘッドの予告編観ただけでも

www.youtube.com

ダダ泣きできるチョロい私です。

 

この、フミコさんの亡きお父様に関するしんみりとエモい記事が、

オヤジなシモネタで始まることに意表を突かれたというブコメ

ちらほら見かけました。

 

が、私は、この始まりこそが意味深く、

正に精神分析的「自由連想」の過程を

如実に表していると感じました。

 

スーパーヴィジョン(指導面接)では

「最初の5分で一番重要な『マテリアル(素材)』が提供される」

と、折角身を粉にして書いたプロセス・ノート(逐語録)を

全く読ませてくれない大物分析家もいるくらいです。

 

私には測り知れない文学的な仕掛けなのかもしれませんが…

何はともあれ

始まりはいつも重要です。

 

フミコさんの文章はいつも

始まりと終わりが、きちんと

おフザケになっている気がします。

(給食系を除く)

 

以下、私の全く勝手な解釈です。

 

誤使用による、ダメージがあろうとも、一切責任を負いかねます。

免責事項 自己紹介に換えて - 精神分析のススメ

 

フミコさんは上述の記事でも触れておられますが、

「フザけた人生」を綴ることで

悲愴な現実に、救いや

愉しみを見出し

周囲に笑ってもらおうとすることに

自分の存在意義を見出し

体を張って生きてきた人

と言っても過言ではないでしょう。

 

それは、おそらく彼が「家族」の中で

御自身に課せられた「役割」

でもあったのでしょう。

 

恥ずかしい自分をさらけだし、

嘲笑を買うことで

重い空気を少しでも軽くしようと…

し続けてきたのではないでしょうか。

 

その「恥ずかしい自分」とは、

「ティンを持った自分」

汚い、臭い、オトナのオトコの性欲=男性性=父性

を「持てあます自分」なのだと、

私は常々感じております。*2

 

家族に見つからないよう、声をひそめてポニーテールをシュシュする悦びに浸っていたのだ。突然、理由もなくアニマルになったのではない。

(悩みが)すっきりと解決し、安心したのだ」

 

「ポニーテール」という言葉の選択の意義が

気になるトコロですが…

(歌かな?)

「家族」は、奥様だけを指すのではなく、

母親でもあり、もしかすると

父親や弟も含まれるのでしょう…

 

悩みと不安による焦燥で枯れてしまった欲動が、

安心感で蘇りかけている…

 

ということだと解釈致します。

 

一体何が彼の悩みと不安だったのでしょう?

 

「親父さんに似ている」と言われることが重荷で

「あまりにてない」

という言葉に救われた

フミコさんの悩みと不安は

 

父親との同一化

 

だと私は確信しています。

 

「僕らを待ち構えていた小さな向日葵の黄色と茶色の鮮やかな色彩には、日常に意外が差し挟まれるときに感じる、あの、小さな不吉と不安を覚えながらも、驚かされてしまったのだ。」

 

「日常に挟まれる意外」は、父親の死のトラウマを想起させる。

 

それを、「小さな」ものと受け止めることで、

長年驚かされないように努力してきた彼は

予期せぬ「救い」の可能性に驚かされてしまいます。

 

しかし、それは「不吉」と「不安」を伴います。

 

庭や動物や絵を描くことが好きだった父親を

自分は拒絶したいのか

赦し、受け入れたいのか

 

そして、危険な「外」の大人の助けを得て

息子が大人になること

(=父との同一化を果たした上で自己実現できること)

は母親にとって如何なる意味を持つのか…

 

墓に供えられた色鮮やかな花のミステリーには

何もなかったところに生命が忽然と宿る

子供にとっての最大のミステリー

 

赤ちゃんはどこから来るの?

 

を想起させられます。

 

両親が愛し、睦み合って

自分が生まれてきた

という「現実」は子供にとって

受け入れ難い「真実」でもあり

信じて止まない「願望」でもあります。

 

理不尽な企業の搾取から無職

というクライシス(危機)を乗り越え

自己実現の実感を手にしつつあるフミコさんなら

ED克服にも着々と王手をかけておられるのではないか…

と感じるエモく、パワフルなエントリーに、

心を揺さぶられてしまったので

遅筆な私には珍しく

結構イキオイ良く書いてしまいました。

*1:追記:今読んだら全然泣けなかった…あまりにも印象が違うので編集されたのでしょうか…

*2:これは、日本独特の感受性です。アメリカンは「オヤジ臭い」「汚い」なんて言いません

し、恐妻文化で名を知らしめるユダヤ、イタリア系でさえ

「男臭い」=「良い臭い」=セックス・アピール

の方が優勢です。あ、でも…アジア系はちょっと日本人に近い感覚かも…

【虐待死】について思うこと 子供は親が大好きです…何をされても…

headlines.yahoo.co.jp

 

この事件で、虐待する親への親権停止が即刻出来るよう、法改正を迫る動きが高まるのでしょう…

 

虐待されても「ママゆるして」に島田キャスター思わず涙 結愛ちゃんは救えた命(FNN PRIME) - Yahoo!ニュース

 

「子どもは親の持ち物ではない」 国会議員から「親権制限」訴える声(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

 

感情的には

子供を虐待する親は自分が子供にやった様な体罰を与えて◯せ

となるのも分かります…

 

私も、

「幼児性的虐待加害者のティンなんて切ってしまえ」

と思っていた時期もありましたが…

この記事に書いた様に

性器なんか切ったって、性犯罪をするやつは犯す - 精神分析のススメ

今となっては、浅はかだったと思っています。

 

タイトルにも書きましたが、

子供は親にどんなに酷い仕打ちをされても

どんなに裏切られたとしても

「大好き」

なのは中々変わらないのです。

 

例え理不尽な仕打ちを恨み、憎んでいても…

「いらん」という気持ちを抱きながらも…

 

親(愛した人)からの別離には必ず

「帰りたい」

という気持ちが掻き立てられるのです。

 

暴力は「悪い」から、法で罰すべき。

とは「分かり易い」理屈ですが…

 

「暴力」に「愛憎」という要素が加わると

限りなく「悪」に近い暴力的行為が

極限状態での「愛情表現」にもなり得るのです。

 

それは私にとっては

断固として癒されるべき

闘うべき「狂気」でこそあれ

「罰」すべき「罪」だとは思えません…

 

罰を与えれば(恐怖心から)「悪い」ことはしなくなる

 

というのは短期的には大変有効です。

 

行動療法の祖、スキナーは

 

ねずみや鳩にえさ(報酬)を与えたり

電気ショック(罰)を与えることで

自然では決して見られない「芸」を教えこみ

 

動物の行動は「報酬」と「罰」によって形成される。

 

と結論を出しました。

 

動物(や子供)に電気ショック(罰)を与えることで

好ましくない行動を消去し

餌(報酬)を与えることで

人間(大人)の思うがままに行動を規制することが可能である。

 

ということです。

 

 

確かに、罰は効率的に子供や動物の行動を規制することができます。

 

しかし、罰を与えることで不安や恐怖といったストレスが生じます。

 

抑圧され、歪められた欲望は必ず歪んだ形で発露します。

 

例え、虐待する親から親権を奪い、法で罰することで見せしめにすることで

暴力を禁止したところで

「愛する対象(=子供)を思うがままにしたい」

と思う心は消しされません…

 

思うがままにならない憤りは

身体的暴力のみならず、陰惨な心理的暴力として発露します。

 

一番最初の記事を読み進むにつれ

児相の「ケアや支援が必要」というスタンスにも関わらず

父親が児相の介入に迫害妄想を募らせていくのが手に取るように分かります…

 

http://ippjapan.org/pdf/Opinion042_KIkeda.pdf

 

上記の論文ではアメリカの児童虐待と、行政の対応の実態が良くまとまっていると感じました。

 

6ページ目でも指摘されているように、児童虐待法の充実しているハズのアメリカでは虐待が増え続けています。

 

アメリカには「通告法」というモノがあります。

 

「虐待を疑われる事態があったら、

すぐに行政機関に通告する。

それだけでなく、子どもに接することが多い

医療従事者、教育従事者、社会福祉関係職員も、

虐待の可能性があれば通告するよう求められた。

これにより通告数が激増してしまう。

中には嘘の通告もあった。」

 

眠ってしまった赤ちゃんを

「10分だけ…」

と、車に置いて買い物に出かけたお母さんが、駐車場に戻ってきたらパトカーが来ていた

とか、

庭先で幼児をオムツ一丁で遊ばせていたら(性的虐待を疑われて?)児相(?)に匿名で通報されていた

という話もあります。

 

癇癪持ちの赤ちゃんを持つご家庭では、

何をしても泣き止まない時には

「近所や通行人に通報されるのではないかと、ヒヤヒヤする」

と言う話です。

 

学童期になると、子供に「虐待されたって先生に言うからね」と、脅されて躾もママならないという冗談が、冗談にならないケースもあります。

 

だからといって、

「法規制など必要ない」

 

と言うつもりはありません

し、自分の子供を殺害したり怪我をさせたり性的に搾取したら、

赤の他人に危害を加えたと同様に、然るべき「罰」が下されることは当然です。

 

 

が、今回の事件に対する

「資格のない親からは親権を剥奪すべき」

という反応には

やはり

「ちょっと待て、よく考えてみそ」

と感じます。

 

アメリカにおける児童虐待への対応は…

虐待があった家庭に対して、一貫して、

できる限り家族を修復し、親に立ち直ってもらい、

その元に子どもを戻して再統合するという制度」

が中心に据えられています。

 

親へのケアをおろそかにして強制的に親権を剥奪することで、

子供の心に残る別離の傷や罪悪感を考慮すると

自明の理といえましょう。

 

下の発表にもあるように

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ainote/siryou/hamo-ozaki-1.html

里親や、受け入れ機関、システムの充実*1

加害者の親へのケアや支援をおろそかにしては、

児童虐待は隠蔽され、陰惨になるばかりでしょう…

 

虐待(やひきこもり)を予防するには

「子育ては親がするもの」から、「子育ては地域住民でするもの」

へのシフトで「家族」を開かれたモノにすることが必要だと感じます。

 

 

「あそび」は「あほみたい」

だから

「やめる」とおやくそくした5歳児…

 

父親が厳しい躾をしたとありましたが…

 

子供はあそぶことが「仕事」です。

 

昨今の「歪んだ親」はおそらく

天真爛漫な子供ではいられなかった

あそべなかった子供達なのではないでしょうか…

*1:ほとんどの里親はこの発表にもあるように真摯に児童の受け入れや、家族の修復に取り組んでおられますが、稀に受け入れた子供を次々に殺害したり性的虐待をしたり、という凄惨なケースもあります

【資生堂のダルちゃん】 愛し 愛される幸せの 奇跡

最近のダルちゃんは、イマイチ…ピンとこない話が続いていたのですが、

 

「ダルちゃん」第31話 | ダルちゃん | 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂

 

今回のお話は、久し振りに心を揺り動かされるモノを感じてしまったので書いてみます。

 

常日頃、泣いてばかりで、ネズミの超娯楽大帝国作のベイマックスにもコロッと泣かされるチョロい私です。

 

ダルちゃんの、

 

「私に好きな人がいて

しかも

その人も私を好きだなんて

奇跡だ」

 

という言葉にグッときました。

 

自己否定感の強い人にとって、愛し、愛されることは本当に奇跡の様な出来事です。

 

いや…

 

まあ…

 

本当に想い合える相手に出会えること自体、そうそう無いことではありますが…

 

私の大好きな DJ あおいさんも何回か言葉を変えて書いておられます。

 

「自分が嫌い」な人は、

「どーしよーもない自分を愛してくれる人なんて、ろくでもないヤツに違いない」

と信じています。

 

自分でさえ嫌いな自分を愛してくれる人なんて、何かがオカシイとしか思えない。

 

と、好いてくれる人にすら、嫌悪感を抱くことになります。

 

ダルちゃんが、足の悪いヒロセさんを愛することができるのは、「何かが欠けた自分」への愛情(=自己愛)を忘れていなかったからでしょう。

 

この記事では

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

ダルちゃんは「異様に自己肯定感の低い人」と書きましたが…

 

ヒロセさんとの展開を見た限りでは、

ダルちゃんは「自分を愛してくれる他者」を愛することができるので…

「異様に自己肯定感が低い」ワケではなかったようです。

 

 ダルちゃんが、ダルダル星人という描写に迫ってみましょう。

 

この記事でも書きましたが、

【資生堂のダルちゃん】トラウマ と デートレイプ - 精神分析のススメ

「ダルダル」になってしまったダルちゃんにサディスティックになれないスギタさんは、無能感を抱きます(ティンが勃たなかったのだと私は解釈します)。

 

ダルちゃんの「ダルダル=無力」(例えばレイプされる女性が加害者に破壊される無力感とは違って)が「本当の自分」を守る「自己防衛」として機能している

ということだと思います。

 

ダルちゃんの「本当の自分」は、実は、「未分化な自我」で、怖くてふるふる震えはしても引きずり続けなければならない傷は負ってはいない

 

ということだったのかな…

 

と感じるエピソードでした。

 

ヒロセさん、優しいようで、やっぱり本当の意味での包容力があるワケではありませんでしたね…

【資生堂のダルちゃん】 自己表現の厳しさ - 精神分析のススメ

【資生堂のダルちゃん】 母親に否定されるということ - 精神分析のススメ

フロイディアン失格 な 【エディプス・コンプレックス】論

 

というツイートを先日したのですが…

 

よくよく考えてみると、

精神分析や、フロイトの理論に

拒否反応を示す方々は、

上記でRTしたツイートのように

 

とりま

精神的苦痛、及び、狂気は

何でもかんでも

エディプス期、

肛門期、

口唇期固着のせいにすれば

話は納まる。

 

ですとか…

 

大野左紀子氏が引用されている

女をモノ扱いするのは男の仕様、あるいは男の性の脆弱性と所有欲について - Ohnoblog 2

斎藤環氏の様に

 

フロイトの提唱する欲望(リビドー)とは、

根源的には「『支配するモノ(男)』と

『従属するモノ(女)』の間に否めない

『差異』を求めるモノである。」*1

 

という、

 

欧米の植民地支配政策や、

男女の歪な関係性を、

欲動っちゅうもんはそんなもんやがなー*2

とばかりにあたかも「自明の理」として

受け入れてしまう「危険」な理論である。

 

と言う印象を持っているのではないか。

 

 

とまあ、こういう印象も、

あながち「間違い」ではありませんが…*3

 

私、ネオ・フロイディアンを名乗ってはいるものの

実は

カプセル・ホテル大好きで、

日本に惚れ込んだ行動療法の祖、

スキナーから、

おっぱい理論のミセス・クラインまで、

何でもアリな「折衷主義」で御座います。

 

フロイト教授の理論も、好きなトコしか取りません。

 

と、言うことで

私の納得できないフロイト教授について

 

今日は書いてみたいと思います。

 

フロイトといえば、エディプスコンプレックス。この記事

全然入門になってない… フロイト入門編 - 精神分析のススメ

でもさくっと触れましたが、

 

5歳位になると、男の子が

 

ママと結婚したい。パパはどっか行って♡

 

という、アレです。 

 

フロイト派のみならず、

精神分析界隈では発達過程で

(女児を含み)誰しも*4

必ず通過する「段階」として

根強い人気を誇っております

が、私的には

子供の内的世界で

何かが上手くイッてない、

悲劇的な(=歪んだ)原型幻想であり、

健全な幼児性欲発達の原型とは言えない。

という立ち位置で

エディプスコンプレックスに挑んでみます。

(挑んでどーするよ…って話なんですが

 

フロイト教授自身、

エディプス・コンプレックス

名付けた時点で、

「抗いがたい破壊衝動」が

「親から見捨てられた子供の悲劇」である

ことが何処かで分かっていたハズ。

と、私は信じております。

 

以下、wikiのオイディプースを参照しながら、

納得イカない点について、書いてみます。

オイディプース - Wikipedia

 

エディプスの父親であるテーバイの王

「ラーイオスは神から子供を作るべきではないとの神託を受けた。

神託によると、もし子供を作ればその子供がラーイオスを殺すというのである。

しかしラーイオスは酔ったおりに妻イオカステーと交わり、男児をもうけた。」

 

Wikiの最初の一文から、

エディプスのパパは

ダメ男だったことが分かります。

 

神様から

「やめとけ」

と言われているにも関わらず、

酔ったイキオイで子供を作る男には 

父性=自制心 

がナシナシです。

 

更に言いますと、

神様=父なるモノ です。

 

父なるモノに反抗することで、

男児は男になる。

とも云えましょう。

 

ラーイオスは一国の主です。

国を存続させる為には

「息子に殺される」

ことも厭わず、

自分の持てるもの全てを息子に与える覚悟を持って

「神のお告げ」に反抗するのが

王=男たるモノ 

でしょう。

 

それを「酒に酔ったなりゆき」で

息子をもうけてしまう。

 

更には「王国」よりも「身の安全」を優先している

父にも、王にもなる資格がナシナシです。

 

初っ端からダメダメな父王は

「息子に殺される」ことを怖れ、

生まれた赤ん坊を殺そうとするも…

 

情にほだされ、山に置き去りに…

 

隣国のコリントス王に拾われ、

すくすくと育つエディプス。

 

王者の頭角を示すも

「お前は王の実子ではない」

という周囲の中傷に心を痛め、

育ての親コリントス王に出自を問います。

 

が、はぐらかされてしまいます。

(そこで察しろよ…

 

悩んだエディプスは、

神託を請います。

 

神様も、素直に

コリントス王はおまえの実父ではない」

と言ってあげれば良いものを…

「故郷に戻ってはならない。

父を殺し、母を娶ることになるから」

という、素っ頓狂な神託を下します。

 

神様、いぢわる

としか思えません。

 

びっくり仰天したエディパスは、

育ての親を守る為、

 

故郷(コリントス)には決して戻るまい、

 

と決意し旅にでます。

 

 健気なヤツじゃぁありませんか(涙

 

旅の途中、三叉路で

実父ラーイオスの馬車に遭遇した

エディプスは、

道を譲らなかったというくだらない理由で、

ラーイオスの従者に馬車馬を殺されます。

(ドイヒー

 

激昂したエディプスは

テーバイ王ラーイオスであるとは知らないまま

実父を従者もろとも殺害します。

 

折も折、テーバイ国民は、

山頂に座し

そこを通過しようとする者に謎をかける

怪物スフィンクスに悩まされておりました。

多くの者がスフィンクスの謎を解こうとするも

殺された為、

王亡き後、スフィンクスの謎を解いた者が

未亡人イオカステーを娶り

テーバイを統治するという

おふれが出されました。

 

テーバイで、エディプスは

「朝は4つ足、昼は2本足、夜は3つ足で歩くものは何か」

というスフィンクスの謎を解き、

英雄となり、実母のイオカステーと結婚し、

4人の子供をもうけます。

 

しかし、エディプスが王になった後、

テーバイでは不作と疫病が続きます。

テーバイの天災は、

「ラーイオス殺害の穢れの為」

という神託があり、

真相を究明したイオカステーは自殺、

エディプスは自ら両目をくり抜いて

放浪の旅に出ましたとさ。*5

 

とまあ、エディプスが、めっちゃ可哀想なお話ですが…

 

この話、どこをどーみても毒親譚でしょう。

 

これを、ユニバーサル(普遍的)な

発達の基準にするって、どーゆーことよ?!

 

そもそも

神様に「やめとけ」って言われてたのに、

酔っ払ってよ?

 

可哀想だから殺せない

…って

…自分の子供捨てといてよ?

 

しかも、知らなかったとは言え

親子の涙の対面で、

道を譲るの譲らないので喧嘩売ってよ?

 

規制心ナシ、責任感ナシ、オトナ気全くナシ

な、ラ王は、父親たる資格がナシナシですが…

 

割れ鍋に綴じ蓋ってゆーんですか?

母親も、母親で…

いくら夫が

ラ:「コイツに俺は殺されるー」

って迫害妄想で錯乱してるからって、

自分が産んだ子供をよ?

ラ:「殺すのは可哀想だし、捨てるぞー」

って、言われて、

イ:「はい。そうしましょう」

って、捨てさせるか?

…普通は、怒らんか?

三行半つけたらんか?

 

せっかく自分がお腹をイタメて産んだ

カワイイ子供を捨てられても、

そんなクズ男と一緒に居たいんか?

 

母性本能は一体どーなったんよ?

 

健全な発達には、

2人で一緒に子供に愛情を注げる

健全な両親が必要じゃありませんか?

 

本当に「両親に愛されてる」という

実感のある子供は、

「パパもママも大好き♡」

となって、

「ママと一緒がいい、パパはあっち行って。」

なんて、言わないんでないかい?

 

って、フロイト入門講座で文句付けたら、

速攻で追放されました。

 

てへ。

*1:ま、そーゆー「読み」をする人も沢山いますが…

フロイト教授は

「幼児性欲は対象を選ばない」

=人間、デフォルトはバイセクシュアル 

って、立ち位置でもアリます…

*2:斎藤氏はもっとスマートに「僕達はそういう存在だから」と表現されておられます

*3:ネオ・フロイディアンを名乗りながらも、

実は「折衷主義」な私は、

こういった「防衛機能」を重視する

ガチなネオ・フロイディアン的「読み」は、好みではありません。

*4:この、女児ヴァージョンはエレクトラ・コンプレックスですが

余りにも…無理矢理じゃねか?

って感じで、フェミな分析家にはボッコボコに叩かれてます…

*5:因みに、オリジナルでは

真相が究明されても

エディプスはテーバイを

立派に治め、天寿を全うした

というバージョンもあるそうです。

そりゃ、そうだわな。

イオカステーはともかく

エディプスは「英雄」だからな

【レペゼン地球のDJ社長】と アラーキー

レペゼン地球のDJ社長に

ちょっとハマってます。

先日の記事を書いた後で、

【レペゼン地球のDJ社長】と ポール・ゴーギャン と ブルーノ・マーズ - 精神分析のススメ

更にもう少し色々な動画を観たのですが、

表面的には、明るく、朗らかに

行動力もありながら

彼(と、彼を取り巻く若者達)の闇も深そうで…

エミネムの様に

およげ!対訳くん: The Monster エミネム (Eminem ft. Rihanna)

www.youtube.com

ベッドの下のモンスターと戦っている。

と、書きました。

 

この記事では、

(おそらくは恵まれているとは言えない

家庭環境で育ったと思われる)

彼の抱えるトラウマを

エミネムになぞらえようかとも思ってたのですが、

「俺は神だぜ。クソったれ!」

と、常に怒り炸裂なエミネム

お笑い系のDJ社長を結びつけても

皆ちょっとピンとこないだろーなー

と思い悩んでいた矢先に

この記事

その知識、本当に正しいですか?|KaoRi.|note

に出会ってしまったので

予定変更で

「ぼくちゃんってば、天才だから…ガハハ」

と幸せな自己肥大感に溢れるアラーキー

荒木経惟インタビュー 77歳でなお勢いを増すアラーキーの生き方 - インタビュー : CINRA.NET

と #Metoo に引っ掛けることにしました。

 

このクリップ

(もうチャンネルがBANされて見られませんが、

題名のインパクトだけでもお分かり頂けるかと…)

 

【笑い過ぎてお腹痛いw】人のア◯ル開発してみたら腹筋崩壊したw『レペゼン地球』 - YouTube

いくら日本語で

何言ってるか分からんからって、

Youtube の検閲が

もし欧米基準だとしたら

リムられて当然でしょう。*1

あんたら、何やってんの?

ってくらい

日本のお子様達の悪フザケがすぎてましたわ。

 

まあ…日本のお笑い業界が全体的に

こんなノリなので仕方ないのかもしれませんが…

 

はっきり言って、ガッツリ 

Metoo 案件だと思います。

 

前記事の脚注でも触れましたが

DJ銀太さんがこんなことを喜んでするのは

彼の生育歴に性的虐待があるためと私には感じられます。

 

何言ってんだこいつ

とムカっと来た方は

読み進める前に

こちらをどうぞ

https://neofreudian.hatenablog.com/entry/2017/09/02/161542

 

ということで

性的虐待について

サンドール・フェレンツィという

分析家の考えを紹介しながら

掘り下げてみようと思います。

 

フェレンツィ

ユングアドラーと同じく

理論的見解の不一致で袂を分かつ

フロイトの愛弟子の一人です。

 

彼等の考え方の違いは

幼児期の性的トラウマの捉え方にも現れました。

 

フロイトは、当初、

ヒステリー(神経症)は

(現実に起こった)性的トラウマに依るものである

という見解を示したものの

世の批判を受け、後に

性的トラウマは子供の幻想に端を発する

というスタンスを取るようになりました。

 

レイプやいたずらのケースで

告発があっても

被害者(子供や女性)の証言は信用できない

と反論されるのと…まあ…

似たようなことが

19世紀終わりのヨーロッパでもあった

ということです。

 

そこそこ裕福で

世間体もある良家の子女が

そんなにしょっちゅう

性的虐待を受けてるわけがない!

と、世論に叩かれたのと

現代で言うところの

境界例患者さん達の認知の歪みにも

辟易したであろうフロイト

性的トラウマの代わりに、

幼児期の性的幻想が葛藤の根源となり

神経症を形成する

と立場を変えたワケです。

 

実母と乳母に「いたずら」された記憶を有した

フェレンツィは「言語の混乱」という論文を

発表してフロイトと決別し

翌年、59歳で亡くなります。

Ferenczi, Sandore - 裕’s Object Relational World

https://en.wikipedia.org/wiki/S%C3%A1ndor_Ferenczi

 

フェレンツィは、

神経症、性格障害、統合失調等の精神障害*2は、幼児期から継続する

慢性的なトラウマによって引き起こされる。

という見解を基に

論を繰り広げました。

 

「慢性的トラウマ」の定義は

 

過剰な刺激

欠乏状態(飢餓)

共感の欠如

 

のいずれかが

常に存在する状態です。

 

いうなれば

 

自閉症スペクトラムを筆頭とする

発達障害の多くの方々の内的経験は、

この3か条を満たす。

 

とも言えましょう。

 

フェレンツィは、

この「慢性的トラウマ」の概念を

性的虐待にもあてはめました。

 

幼児性的虐待

子供が親に求める愛着欲求を

大人が性欲と錯誤して

性的な対応をすることで

起こりえます。*3

 

フェレンツィの言う「言語の混乱」は

エディパス期にしばしば見られる

子供が親と結婚する「ごっこ遊び」から始まります。

 

認知が歪んだ親は

子供の無邪気な「ごっこ遊び」を

性的な意味合いを持って受け止めます。*4

 

例えば…

父親が娘と遊んでいる最中に

娘が父親と

「一緒にお布団で寝よう、

ママとパパがするみたいに。」

と提案します。

認知の歪んだ父親は

娘の提案を

性的な意味合いを持って受取り

娘の体をイヤラシく触り始めます。

ここに

子供にとっては「過剰な刺激」が生まれます。

 

父親は更に、

彼の歪んだ性愛こそ

娘が求めていたモノだ

と子供に信じ込ませます。

ここに、「共感の欠如」による

「(愛情の)欠乏状態」が生まれます。

 

かくして、性的虐待

感情的放置(ネグレクト)と同等に

境界例や自己愛性という

病理の根源となりえるのです。

 

「後輩のアナル開発したら腹筋崩壊」

に話を戻しましょう。

 

DJ銀太さんの

「ウケさえすれば、アナルを開発されても本望」

という態度は

生育過程で性的虐待を受けた子供達が

「人肌のぬくもりを得られるなら、

性的に搾取されても本望」だと

「混乱」するのと同等です。

 

DJ社長の

「カネと名声のためには

人としての尊厳などかなぐり捨てる」

という信念は

DJふぉいさんが

彼の勧誘に応じた際

パンツを下げてチンを露出した逸話にも

反映されています。

 

露出することでウケを狙う

 

自分で選んでやったことと

割り切っているつもりが

いつの間にか

「イヤ」と断れない状況に

自分を追い込んでいる。

 

「大したことない」イヤが

積もり積もって

耐え難い重荷となってのしかかってくる。

 

(自分も)相手も

今まで「イヤ」だったことに

その場その場で対応できていないので

無神経に

「そんなことで今更イヤと言われても困る」

と強硬な反応になる。

 

直接の対話が不可能になり

Metoo 案件が出来上がります。*5

 

KaoRiさんの記事から

Metoo 案件には稀な冷徹さと愛情を感じるのは

彼女が「自分がナニを求めて」

アラーキーとの歪な関係性に取り込まれてしまったか

を冷徹に分析する姿勢があったからでしょう。

 

彼女の記事が

誰を責める口調でもない

と感じられるのは

「『天才』のお人形さんになることを求めた自分」

を受容する覚悟をもって 

Metoo に挑んだからでしょう。

 

(少なくとも今の)DJふぉいさんや

銀太さんには

KaoRiさんの様な自分に対する冷徹さが

あるとは思えません。

 

アラーキー

ちゃんとKaoRiさんと著作権を折半でもすれば

男気あるぅ~!流石は、天から才能もらいすぎマン!

とも思えるのに

甲斐性もない

ケツの穴の小さい僕ちゃんで

ナサケナイ「天才」で

本当に困ったちゃんです。

 

ま、DJ社長はイェスマンらしいので

気前よく手切れ金をパァ~っと渡して

自分は一文無しから再出発。

 

という、漢な結末*6

を迎えるのかな

とも思いますが…

 

こーゆーシナリオは

欧米感覚ではガッツリ

「自虐」なんですよね…

 

因みに、この画像、

DJ社長の自虐ぶりが表れていると思います。

DJ社長 那須川天心にボコられるwwwwwwww - YouTube

こーやって、

自分を痛めつけることで

自分を囲む「友達」を悦ばせて

彼等の攻撃衝動を鎮静できるのかもしれませんが…

 

お互いの傷の痛みを、

仲良くヤッている今のうちに、

きっちり言語化して

分かち合っておくのが

破滅的な結末を避けるには

一番の良対処だと

欧米思想に毒された私は思っております。

 

何だか…最近やってたプレゼント企画も

来年(?)の幕張メッセも…

社長、トラウマの反復衝動に囚われてない…?

という懸念を綴ってみました

【レペゼン地球のDJ社長】 - 精神分析のススメ

 

もっとライトなアナル開発ハラスメント案件

(なんやねん)についても書いてます。

さりげにトラウマ - 精神分析のススメ

*1:基本的に、私は表現の自由を擁護します。この映像も、欧米基準ではリムられて当然ですが「日本の若者の間でウケている」という状況の方が危機的で、この映像を公開したレペゼン地球に一方的に非があるとは決して考えておりません。端的に言いますと、この様な映像に「イイね」する倫理観が崩壊した若者(?)が沢山いる日本社会のあり方が、余程「病的」です。

*2:統合失調症等は、遺伝と環境要素が絡んで発現することが現代では分かっていますが、何卒、1932年の論文なのでご了承。

*3:ハルオさんのマヨネーズみたいに

https://www.keikubi.com/entry/2018/10/04/074808

貧困や、薬物依存が蔓延した環境では

親が子供をカネ儲けのために性的搾取する

という凄惨なケースもありますが…

*4:フェレンツィはこのことを

大人の「情愛の言語」と

子供の「優しさの言語」の食い違い

という描写をしています。

*5:搾取感ガッツリ

人でなしサイコパス

引っかかるパターンも有りますが…

そんな関係にどっぷりハマるのは、

やはり愛憎や、カネと名声への欲望に

囚われてしまうからでしょう…

*6:逮捕されたホリエモン

ちょっとそんな感じに漢でしたね…