【資生堂のダルちゃん】 愛し 愛される幸せの 奇跡
最近のダルちゃんは、イマイチ…ピンとこない話が続いていたのですが、
「ダルちゃん」第31話 | ダルちゃん | 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂
今回のお話は、久し振りに心を揺り動かされるモノを感じてしまったので書いてみます。
常日頃、泣いてばかりで、ネズミの超娯楽大帝国作のベイマックスにもコロッと泣かされるチョロい私です。
ダルちゃんの、
「私に好きな人がいて
しかも
その人も私を好きだなんて
奇跡だ」
という言葉にグッときました。
自己否定感の強い人にとって、愛し、愛されることは本当に奇跡の様な出来事です。
いや…
まあ…
本当に想い合える相手に出会えること自体、そうそう無いことではありますが…
私の大好きな DJ あおいさんも何回か言葉を変えて書いておられます。
「自分が嫌い」な人は、
「どーしよーもない自分を愛してくれる人なんて、ろくでもないヤツに違いない」
と信じています。
自分でさえ嫌いな自分を愛してくれる人なんて、何かがオカシイとしか思えない。
と、好いてくれる人にすら、嫌悪感を抱くことになります。
ダルちゃんが、足の悪いヒロセさんを愛することができるのは、「何かが欠けた自分」への愛情(=自己愛)を忘れていなかったからでしょう。
この記事では
【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ
ダルちゃんは「異様に自己肯定感の低い人」と書きましたが…
ヒロセさんとの展開を見た限りでは、
ダルちゃんは「自分を愛してくれる他者」を愛することができるので…
「異様に自己肯定感が低い」ワケではなかったようです。
ダルちゃんが、ダルダル星人という描写に迫ってみましょう。
この記事でも書きましたが、
【資生堂のダルちゃん】トラウマ と デートレイプ - 精神分析のススメ
「ダルダル」になってしまったダルちゃんにサディスティックになれないスギタさんは、無能感を抱きます(ティンが勃たなかったのだと私は解釈します)。
ダルちゃんの「ダルダル=無力」(例えばレイプされる女性が加害者に破壊される無力感とは違って)が「本当の自分」を守る「自己防衛」として機能している
ということだと思います。
ダルちゃんの「本当の自分」は、実は、「未分化な自我」で、怖くてふるふる震えはしても引きずり続けなければならない傷は負ってはいない
ということだったのかな…
と感じるエピソードでした。
ヒロセさん、優しいようで、やっぱり本当の意味での包容力があるワケではありませんでしたね…