精神分析のススメ

海外在住メンヘル専門家。ヒップな精神分析をめざしております。

岸勇希 自己愛の彼岸 

はあちゅう氏のセクハラ告発でツイッターがスゴいことになってます。

全部は到底フォローできないので、どの様に論点がズレて行っているのかもよく分かって居ませんが...

セクハラもレイプも、女性対男性の力の差、という部分に焦点が当たりがちですが、私はコミュニケーションの崩壊、特に、「no」と言えなくなることが大きな要因だと思っています。

この記事でも触れましたが、

性器なんか切ったって、性犯罪をするやつは犯す - 精神分析のススメ

性交に至る「同意」は言葉でなされるモノではありません。求め、求められる実感、を通じて綿々となされるのではないでしょうか。

だから、最初は「良く」ても途中で「やっぱ、ムリ」が、男女の別なくあっても当然のことです。

 

とある男性が言っていました。

 

「男が力づくで女をレイプするなんて、考えられない。女が濡れなけりゃ、男だって痛いし、萎える」

 

アフリカ出身の彼は、家族を惨殺され、兵士になる様、強要された若者達が、割れた瓶を女性の一番柔らかな部分に突っ込むハイパー暴力レイプが近隣の国々で盛んに行われていることをガン無視しておりましたが…

戦時下でもない限り、そこまでの暴力は普通に行われたりはしません。

「女が不快なら男だって不快」

には、不快を不快と認識せず、快感と取り違えてしまうことが、レイプの病理である。という事実が隠されているのではないでしょうか。

自分の痛みを感受できない人は、他者の痛みにも鈍感にならざるを得ない。

ということでもありましょう。

 

セクハラもレイプも、「やっぱ、ムリ」が受け入れられない、「No」と言えない関係性が問題点なのだと思います。

 

「No」が言えない関係性、というのは自他の区別の出来ていない、分離不全の関係とも言えましょう。

 

分離不全の病といえば、パーソナリティ障害です。

以下、パーソナリティ障害については、wikiからの引用となります。

パーソナリティ障害 - Wikipedia

パーソナリティ障害と一口にいっても、奇異型、不安型、様々なタイプに分けられますが、今回は、パワハラ、セクハラに焦点を当てて、「ストレスに弱く、他人を巻き込む」B群の、自己愛性に、はあちゅう氏の描かれる岸勇希像がどの様に当てはまるか、パワハラや、セクハラが如何に自己愛性の症状として診なす事ができるかについて、書いてみます。

 

まず、お断りしておきますが、私は岸氏のことを全く存じ上げませんし、読んだ文章も、noteの謝罪文とその前後の数記事だけです。

あくまで、はあちゅう氏を通した岸勇希」の考察です。

岸氏が自己愛性パーソナリティ障害である、という記事ではありません。

 

専門医でもないトーシローが著名人に無闇に診断を下す事について、懸念される良識深い方々は、是非ともこちらを御参照ください。

免責事項 自己紹介に換えて - 精神分析のススメ

 

以下、引用はバズフィードの記事からです。

はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」

 

「深夜に『俺の家にこれから来い』と...突然電話がかかってきて、どこで何をしていようと、寝ていても『今から来られないのか』と言われました。『寝ていました』と言うと、行かないでも許してくれることもありましたが、翌日、『お前はこの会社には向いていない。CDC(岸氏が所属していた部署)にきたら深夜対応も当たり前だぞ』と言われました」

自己愛性の病は、孤独の病とも言えましょう。

この記事でも触れた様に、

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

自己愛が欠如し、「他者に賞賛を求め、自分が特別であろうと」する彼等は、コフートが解き明かしたように、(ウィニコットの言う)「本当の自分」が認証され、愛されている、という実感なく生きてきました。

ともすると傲慢な彼等は、表面的には自身に満ち溢れ、多くの人にとって魅力的なこともままあります。しかし、いくら周りに人が集まろうとも、「誰も本当の自分の素晴らしさを分かっていない」と、孤独感に苛まれます。

自己愛性な彼等は、寂しがりやです。孤独感に耐えきれず、見捨てられることに恐怖するあまり、他者を自分につなぎ止める為に威圧的、操作的(マニピュラティブ)な行動に出ます。

 

夜を共に過ごす事はムリ、と断られた翌日に、「深夜対応も当たり前」と、「当たり前」のことを拒否した、はあちゅう氏をやんわり責める、というのは、威圧的で操作的(次回は「no」と言えなくさせる)な行為と言えるでしょう。

 

「自宅にいくと、黙って正座をさせられて、彼が作業をしているのを延々と横で見させられるか、彼の仕事の功績を聞いて、それを褒め続けたり、岸氏の嫌っている人を一緒にけなすなどさせられたりしました」

 

自己愛性の人々は、他者に自分とは異なる、別人格を認めることができません。

招いておいて、もてなすわけでもなく、自慢話ばかりする。自分の嫌いなモノは嫌悪し、好きなモノは褒めちぎる事を強いる。

自他の区別がつかない彼等の特徴です。

相手を自分のモノと看做してしまった彼等に、意見を率直に述べる事は危険です。自分との意見の相違を、「他人には他人の意見がある」と受け入れられず、自分自身の人格を否定されたかの様に感じる為、理不尽な激昂を招く可能性があるからです。

 

「岸氏は私の友人と付き合っていたのですが、『こうやってこの時間にお前が俺の家にいることを言ったらどう思うかな。お前が誘ってきたことにもできるからな』などと言われました」

 

深夜に女性を自宅に招く事の不自然さをどこかで感じとっておられたのでしょう。

交際相手の彼女にバレた時には、

「自分が悪くない」

という言い訳がちゃんと出来る事を自分に確認しておきたい。

に加えて、

彼女に捨てられるのは困るので、はあちゅう氏がいらない事を言わない様に口止めしておく。

これも、又、「操作的」な行為です。

 

「『俺に気に入られる絶好のチャンスなのに体も使えないわけ? その程度の覚悟でうちの会社入ったの? お前にそれだけの特技あるの? お前の特技が何か言ってみろ』と性的な関係を要求されました。」

 

これが、性的関係の要求かどうかというと、まあ...微妙なトコロだとは思うのですが。

 

こんなに素晴らしい、パワフルなオレ様に色目も使えないとは、けしからん!

 

と、受け取れますが

...

本気ですかね?

ウケ狙っている様にも聞こえるのですが...

 

「特技は?」と詰め寄る所は、パワハラモラハラ入っていますかねー。ここも、微妙なトコロだと思います。

冗談のつもりでそーゆー事言う人、いますよね。それが、皆、自己愛でハラスメントをしているか、というと、究極的には、その言葉を受け止める側が、

「そーゆーことを冗談でも言われるのは不愉快

という意思表示をして、ちゃんと聞き入れてもらえるのかどうか、という部分に掛かって来ると思います。

 

只、その後の、

「お前みたいな顔も体もタイプじゃない。胸がない、色気がない。俺のつきあってきた女に比べると、お前の顔面は著しく劣っているが、俺に気に入れられているだけで幸運だと思え」

 

これが、性的関係を強要するセクハラかどうかは微妙なものの、「胸」や「顔」に女性としての魅力がない、という卑下の仕方は

「は?お前に言われる筋はないやろ?」

という、パワハラであることは明確です。

岸氏自身、「友達の様に」思っていた、と言っているし、百歩譲って「タイプじゃない」という意思表示が、

「深夜に呼出したりしたけど、襲ったりしないよ」

と安心感を持って欲しいが故の言葉とも取れます。

が、「劣ってる」と相手を卑下した上で、

「俺に愛されて幸運だと思え」

というのは、相手に

「お前にそんなこと言われる筋はない」

と、はっきり言わせないイビツな関係性を既に構築した上で、相手を自分に繋ぎ止めておく為の「操作的」なパワハラ行為です。

 

「岸氏からのハラスメントから逃れたいと思ったはあちゅうさんは、岸氏の要求通り数名の友人を紹介した。」

 

これについては、物議を醸している様ですが、

「仕方ないじゃーん」

と、ユルーイ私は思います。

「こんなに独りで居られないウザい人なんだから、もっと他に時間を共にできる人が出来たら自分の事は放っておいてくれるかもしれない。友達だって、岸さんと仲良く収まってくれたら一石二鳥!」

と、思ったトコロで彼女に罪はないのでは。

はあちゅう氏も、以下の記事に書かれている様に、出会った当初は岸氏のことを先生と呼び、(混乱はあれども)敬愛もしていたのですから、

はあちゅう 公式ブログ - 劇的クリエイティブ講座とか岸さんのこととか。 - Powered by LINE

純粋に自分の利益の為に、パワハラクソ野郎に友達を売ったというのは、一面的な見方ではないでしょうか。

はあちゅう氏の置かれた状況ではムリでも、異なる環境で、別の人とならば、岸氏が相手の「嫌」なら「嫌」を(いくら不本意でも)受け入れざるを得ない関係を作る可能性は、常にあるのです。

はあちゅう氏がご友人に岸氏を紹介する時点で、岸氏に「No」と言えないようにご友人を「操作」したのであれば、彼女にも罪はありましょうが、それは、彼女の友人関係が歪んでいた、ということで、彼女が職権を乱用したわけではありません。

ご友人がはあちゅうさんの「友達」ではなく「部下」だったら話は別ですが、ハラスメントの文脈で外部の人間が断罪するのは全くのオカド違いでしょう。

 

パワハラや、セクハラをする人が、全て、誰彼構わず、言葉の暴力や、性的暴力を振るうクズカス野郎ではありません。

 

自己愛の病と同じく、ハラスメントも関係性の歪みが問題なので、「してはいけない、言ってはイケナイことリスト」を作って、個人を「悪者」にして裁くだけでは、ハラスメントの問題は決して解決しないでしょう。

 

個人間の問題のみならず、そのような歪んだ「愛情」や、関係を「当たり前」と容認し続ける組織の問題、ひいてはその様な歪んだ組織を容認する社会全体の問題とも言えるのです。(システム理論と言うヤツです。)

 

はあちゅうさんも言っておられる様に、セクハラ危険語彙、行為がセクハラになるかどうかは、「誰が」「どのように」言い、行うか、という文脈によって変わるものです。

 

そして、それは「否」が暴力や、拒絶に繋がらず、率直に受け入れられる関係性かどうか、という部分に掛かってくるのです。

 

はあちゅう氏が離れた後の、岸氏の激昂と怨恨は、

置いてけぼりにされる=愛されない

ことを恐れ、怒る、究極的に寂しがりやな自己愛性の特徴と言えましょう。

 

この記事にも書きましたが、

思いやりのない困ったちゃんを育てる親 - 精神分析のススメ

子供が親から分離したモノであることを受け入れられない、自己愛性な親は、自己愛に欠け、倫理観や、思いやりのない利己的な子供達を育てます。

 

というワケで、親子関係で分離が出来なかった人達は、相手の人格を尊重せず、自分のモノとして扱う、ハラスメントな関係性にハマり易いのは自明の理、とお分かり頂けたでしょうか。

 

ブコメで、岸氏だったか、はあちゅう氏だったかの謝罪は自己弁明に過ぎない。本当に謝る気持ちがあれば「ごめんなさい」で止めとけ、というのがありましたが、そこで止まるのは問題だと思います。

 

「ごめんなさい」しか聞きたくない時期、というのは、傷が深ければ深い程長続きしますが、お互いの言い分を受け入れ合う、というのが真の謝罪、そして、赦しの意味ではないですか?

 

そういう意味では、岸氏の謝罪は、自己愛を乗り越えようとする、至極全うなモノだったと、私は感じます。

 

本格的に自己愛ガッツリな人は、相手の痛みを否定し、自己正当化することしかできず、

「オレ様が絶対正しい!オレ様を非難するとは何事だ!『ごめんなさい』なんて、死んでも言うものか!お前の方こそ、オレ様の権威を失墜させたのだから、謝れ!」

とばかりに、逆ギレするか*1

「オレ様はもうダメだ」

と、自殺するのがオチです。

*1:はあちゅうさんのちょっと前に話題になったケースの告発相手がそんな感じで、身内の病気を持ち出す所など、なんとも…まあ…「お前本当にチンついてるか?」としか言えない