精神分析のススメ

海外在住メンヘル専門家。ヒップな精神分析をめざしております。

性器なんか切ったって、性犯罪をするやつは犯す

「性器なんかなくったって性的虐待する奴はする。」

昔一緒に働いていた方が、言われた言葉です。

彼女は、面倒見は良いし、頭も良く、機転が利いて、仕事もそれなりにできる方でしたが、いかにもアレなおばさんで、自分が主導権を常に握っていることに強烈な拘りを持っていました。

その彼女と一緒にテレビか何か見ていたのだと思います。

「子供を性的虐待なんかする奴等は、もう2度とそんなことできないように、性器を切ってしまえ」みたいなコメントがあって、私が考えなしに、「そうだそうだ」みたいなことを言ったように思います。

冒頭の言葉を能面の様な顔で発した彼女を見て、ふと、「ああ、そんな人に性的虐待受けてたんだ」という考えが過ってぞぉっとしたのを覚えています。

 

アメリカでしばらく前に、スタンフォード大学の1年生が、意識のない女性をレイプした事件がありました。

 (事件の詳細は以下のリンクをご参照下さい)

http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/08/brock-turner_n_10349650.html

 

彼は、ゴミ箱の裏で、泥酔した女性に跨っていた所を自転車に乗って通りすがった外国人大学院生2人にみとがめられ、逃走するも、彼等に押し倒されて、そのまま通報されました。彼もラリっていたのでしょうが、捕まって薄ら笑いを浮かべていたそうです。

 

目撃者が2人もいて現行犯で逮捕されたにもかかわらず、前途有望とされた白人の彼が3ヶ月の懲役で釈放されたことに憤りを感じた被害者が、判決時に彼に対して読み上げた文章が多くの人の心に響き、全米、世界中に論議を醸しました。

 

www.buzzfeed.com

被害者の彼女は、目撃者も居る「最高のシナリオ」だから、示談で解決がつくだろう、と予測していたそうです。ところが、加害者は法廷で戦うことを選びました。彼女にその夜の記憶がない、ということを知った加害者側は当初の証言を覆し、性行為が同意の下で行われた、と主張し始めたのです。

 

法律の不十分さ、判事の情状酌量の理由付け等が政治的問題として取り上げられましたが、私が一番問題だと思ったのは、アメリカの法廷のあり方、加害者側が自己弁護の名の下に、被害者の人となりを疑う方向性で質疑応答をすることが赦されること、そして、そのことに対する批判がなかったことです。

 

被害者には「何歳ですか?」に始まる弁護側の口頭質問で、体重、その日の食事内容、何を飲んだ?水も飲まなかったの?いつ飲んだ?どれだけ飲んだ?飲み物はどの様な入れ物に入っていたの?誰に飲み物を貰った?普段はどれだけ飲む?誰にパーティーまで送ってもらった?何時に?正確にはどこで?服装は?何故そのパーティーに行ったの?パーティーに着いて最初に何をした?本当に?何時に?このラインはどういう意味?誰にラインした?いつ排尿した?どこで排尿した?外で誰と排尿した?携帯はオフだった?オフしたことは覚えてる?本当に?だけど、53ページにはオンだったって書いてあるね。大学では飲みに行った?かなり遊んでたって言ったよね?飲みすぎて記憶が飛んだことは何回あった?サークルで飲んだことは?彼氏とは真剣に付き合ってた?性交はしたの?いつから付き合い始めた?浮気を考えたことはない?浮気をしたことはある?(彼氏に)ご褒美をあげるってどういうこと?何時に起きたか覚えてる?カーディガンは着てた?そのカーディガンは何色?他に何か覚えていることはありますか?ない?

 

では、加害者の話を聞きましょう。

 

という感じの質疑応答が1年に渡って続いたそうです。

 

被害者や、目撃者の信憑性を如何に損なうか、という心理操作のプロである弁護士と、1年間、加害者側は密に連絡を取り合うのです。

 

有罪判決が出た後の声明でも、加害者の男性は被害者が指での挿入に同意した、と述べています。

 

加害者の父親は、息子が奨学金も大学も辞退し、充分社会的制裁を受け、苦しんでいる、と情状酌量を請いました。

 

性犯罪を法で裁くのが難しいのは、性行為が、双方の同意や、愛情に基づいたものでなかったこと、暴力的な行為であったことを証明することが難しいことに尽きると感じます。

 

性交中の「同意」は、理性や、言葉に因るものではありません。初めは「同意」していても、途中で「やっぱりだめ」ということは、男性、女性を問わず起こりえます。求め、求められる実感の交流があってこそ、幸せな結合を体現し得るからです。

 

濡れていない女性に挿入することにより、男性も不快や、痛みを感じます。

 

スタンフォードのケースでは、女性の膣内には泥、枯葉、と共に、裂傷があったそうです。

 

加害者は、同意があったと主張しますが、泥だらけの指を女性の内部に挿入し、傷を付けることが暴力的でなくて何なのでしょうか。

 

加害者は全く動きのない女性に跨って激しく腰を動かしていた、と目撃者の2人は語ったそうです。目撃者の男性の一人はその情景に取り乱し、泣き止むことができず、警察の事情聴取に応えられなかったそうです。

私の憶測ですが、この方達は当初、彼女に息がなかったと思ったのではないでしょうか。

 

薬物の影響とはいえ、全く反応のない相手に性的に興奮できるということは、言い換えれば、欲望や愛情で繫がるはずの性交の相手に意思がある方が邪魔ということでしょう。そう考えると、この加害者の男性自身、自分が愛され、求められることについて、恐らく恐怖心とも言える程の葛藤を抱えていたはずです。

 

自己弁護の権利というのであれば、被害者を攻撃するのではなく、加害者が如何に他者の痛みに目を閉じる必要性を感じなければならないのか、という点に注目するべきです。加害者が如何に人として欠けた存在にならざるを得なかったのか、という点を明らかにした上で、そのような人間が今後、如何に他者の痛みを慮りえるのかを模索するべきです。

真の罪悪感や、贖罪は、自分の大切な物が失われたことから、他者を思いやり、愛する過程でのみ、派生する物なのですから。

 

自分の感情に鈍い人は、他者の感情を敏感に察知することなどできません。

 

加害者の父親の手紙は鋭い批判の対称になりましたが、

 (父親の手紙と、それに対する批判の手紙の日本語訳は以下のリンクにあります)

http://watanabe-yo.sorairoan.com/?eid=27

 

私は母親の手紙を読んで、吐き気をもよおしました。ニュースなどで話題にならなかった為、日本語訳がありませんが、びっしり3ページ半に渡って、如何に自分の息子が天使の様に、素晴らしかったか、自分達の幸せな家庭が一夜で真っ暗闇になってしまったかが、綿々と書き綴られています。

 (母親の手紙の原文のリンクです)

http://pics.mcclatchyinteractive.com/news/nation-world/national/article82960937.ece/BINARY/Letter%20from%20Brock%20Turner's%20mother

 

彼女は、息子が水泳に懸ける情熱、競争心について、こう書いています。

 

「彼を指導したコーチは口を揃えてこう言います。『指導できる子だ』って。指導に従い、常に上達しようと努力を怠りません。(中略)彼は自分にプレッシャーをかけ、神経質な胃を持っていました。競泳の前に吐いた事も何度もありましたが、吐いた後はいつも良い成績を上げることができたようです。コーチは心配しましたが、彼は(吐くことで)上手くやっていたようです。

 

(主人)も私も決して無理強いしたことなんてありませんでした。息子は水泳を情熱的に愛していたのです。」

 

加害者は「他所の人は心配してくれましたが、私にとっては吐くくらい、どうでも良いことです。息子が勝って、満足すればそれで良いじゃありませんか。」と、誇り高々に公言する母親を持っていたのです。

 

自己愛充足の為には子供の痛みを、苦しみを平気で無視できる、自己中心的な欺瞞を、愛情と思い込んで育ってきたのです。

 

(長くなってしまったので、今回は何故そんなことになってしまうのか、という精神分析的考察を思いっきり省きますが)そんな彼が、死体相手に勃起する男になってしまったのも、仕方がないと思ってしまいます。(ちなみに、弁護側からは、寒かったから勃起した、という、中々おちゃめな釈明があったそうです。)

 

彼の家庭は自己欺瞞の泥沼地帯と言って良いでしょう。家族全員が、そして彼等の友人、知人達が、彼の暴力をかたくなに否定できるのは、彼自身が振るわれてきた暴力に、そして自分達が振るい続ける暴力に決して対峙しようとしないからです。今回の様な事件があってどんなに批判を受けようとも、事件前は全てが上手くいっていた、という幻想に浸る彼等の自己欺瞞は恐らく解消されるどころか、更に磨きがかかるのではないかと思われます。

 

アメリカには、一回でも性行為の初めに同意すれば、始まってから相手が暴力的になろうが何だろうが、性犯罪として認められない、という法律もあるくらいです。

 (以下のリンクは昨日のニュースでした)

http://www.wcnc.com/news/local/nc-women-cant-back-out-of-sexual-intercourse-once-it-begins-law-states/451522770

 

女性が性的に挑発するから男性が勘違いして、性犯罪が起こる、と真剣に信じる女性もいます。

そういう人達が加害者側に共感し、彼等を支援するからです。

 

加害者が釈放された日に家の前で、「性犯罪者は射殺せよ!」というプラカードと、機関銃を持って(る人は一人だけだったそうですが)抗議する人達も含めて、とっても怖いです。

 

性犯罪の刑罰を重くすれば犯罪者たちは躊躇する、という理屈は、裏を返せば、見つからなければ(捕まらなければ)何でもやる、ということです。

 

性行為が快感である、ということは、愛し合っている、求め合っている、という高揚感があればこそ。性行為を搾取し、暴力的に行使する男性は、自らが、歪んだ愛情、壮絶な暴力の享受者でもあったということです。

そのことに目を閉じ続けることは、暴力の連鎖を続けていく選択でもあるのです。

 

ということで、性器を切り落とそうが、性犯罪者を殺してしまおうが、彼等を創り出す人間関係、ひいては社会的背景をどうにかしないと、恐怖は増すばかり、暴力もなくなるどころか、どんどん陰惨に、凄惨になるでしょう、ということが言いたくて、この記事を書きました。

 

ちなみに、この事件に私が思い入れたのは、ブロック・ターナーの家庭環境を思い巡らすうちに、何故か神戸連続殺傷事件の酒鬼薔薇聖徒君のその後が気になり、日本のネットを開くきっかけにもなったからなのです。

neofreudian.hatenablog.com

全く異なる生育環境、犯罪ではありますが、双方とも、自分のエゴを見定めることなく、子供に理不尽な要求を押し付け、自分勝手な愛情を注いだことを、自己肯定しかできない親、そしてそんな親に対して、社会が、ご近所が「何かが歪んでいる」というメッセージを、彼等に受け入れられる形で伝えられなかった、という共通点があるのではないか、と切に感じます。