精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

思いやりのない困ったちゃんを育てる親

先日、正義感と思いやりについて、この記事を

正義感 と 思いやり - 精神分析のススメ

書いた後で、思いやりと正義感を育てる家族とはどんな家族?という学術論文を見つけました。

https://www.niph.go.jp/wadai/mhlw/1998/h1003007.pdf

研究者の方は、きっと思ったような結果が出なくてがっかりしているのだろうなー。(お気の毒に)

という感じなのですが、私的には

「おー!成る程!」

と思う結果が出ているので、書いてみました。

 

この研究は、保育施設での子供の行動を観察して、協調性ある行動と、利己的で集団の秩序を乱す行動を記録するという、手間ヒマ掛けて行われたモノです。

が、親子関係の親密さ(共有と分離)としつけの測定がアンケートという部分が、ちょっと

「んー。残念!」

でした。

 

親子関係を実地で観察して、親密さとしつけを測定+記録するって、(親も構えちゃいますし)かなり難しいので、まあ、仕方ないのですが...

せっかく、愛着とか持ち出すのなら、古典的愛着実験のストレンジシチュエーション(子供を親としばらく離してから、再会する時の子供と親の行動を観察する)くらいすれば良いのに...とも思ってしまいます。(したけど、使い物にならなかったのかもしれない...)

 

上記の研究結果は、

1.女の子

両親が「共感」すればするほど、譲ったり、我慢したりしないワガママちゃん(例:順番を守る、友達におもちゃを譲る、素直に注意を受け入れる)

2.男の子

父親が息子を理解出来なくて、母親がしつけに厳しいほど、利己的で秩序を乱す行動が多い困ったちゃん(例:人の嫌がる事をわざとする、見られていないとズルをする、衝動的)

 

という感じで、両親からの共感やしつけが、思いやりや正義感を助長するワケではない、という結論だったのですが...

 

この、「共感」を測定する項目が、微妙なんですよねー。

 

この研究では「共感」が、「共有」と「分離」に分けて測定されているのですが、

例えば「共有」を測定する項目は、 

 

子供と気持ちが一つになっていると感じた事がある

子供の喜んでいる様子を見て、自分までウキウキしてきた事がある

子供が悲しそうにしている時、なんとかしてあげたくなったことがある

 

分離を測定する項目は、

 

子供とのやりとりが面倒になったことがある

子供が泣いていた時、その気持ちを分かろうとしたが、何故泣く程に悲しいのか理解出来なかったことがある。

 

この質問項目に見られる、「共有」も、「分離」も、子供を持つ親御さんであれば、あるあるなのでは、と思います。

 

が、「共感」の有無は、「他者と一体感を感じる(又は感じられない)」というのとは、少し違うのではないか、と思うのです。

 

他者との一体感の根源は、母子の一体感、実現する事のない胎内回帰願望にある、と精神分析では言います。

 

従来精神医学では、自他の区別がなくなるという体験は、ヤバい、迫害妄想にもつながる病的なモノと捉えられていました。

 

え?!マジですか?

 

ってなりません?

 

そう思ったのは私だけではなかったようです。

 

フロイト後、自己愛の分析家ハインツ・コフートや、英国対象関係論のマイケル・バリントは、自他の融合に、他者との繋がりや、宗教的な経験、精神の安定を取り戻す肯定的な意味合いをも見出しました。

 

とはいえ、他者に「共感」するには、「自分と一緒」という、一体感を感じなくてはならないというだけではなく、自他の分離も必要です。

相手が「自分には分かり得ない他者」である、という「人格」の認知と、そこから生まれ得る「尊重」が必要だからです。

 

自己愛性の親とは、子供は「自分と一緒」=「自分と同じでなくてはならない」又は「自分のモノ」と感じる人達のことです。

 

例えば、遊園地に子供を連れて行ったものの、自分が楽しくなりすぎて、子供が疲れてもお腹が空いてもトイレに行きたくても、気遣えないばかりか、機嫌が悪くなってきた子供に逆ギレして、仕付けたつもりになる親御さん等は、がっつり自己愛性障害と言えましょう。

 

彼等は、子供に自分とは別の欲求や、感情があることを尊重出来ず、自分の延長として扱ってしまいがちです。

 

ダルちゃんの記事でも紹介しましたが、

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

ハインツ・コフートは、そんな「本当の自分」を見ようとしてくれない親に育てられた子供は、親の愛情を得る為に、受け入れられる為に、自分を偽り続け、自分を見失うことになると、言いました。*1

 

子供が、自分と違う可能性を秘めた、決定的に異なる「他者」であることに、悦びを見出し、「コイツはスゴい!」と思えない、自己愛性の親に育てられた子供は、親からの(主に母子)分離ができません

 

「本当の自分」を見出せない子供達は、「親の望む自分」「社会に受け入れられる自分」「人様の前で恥ずかしくない自分」等に自分を擬態するようになります。

 

現代の、「何が欲しいのか、やりたいのか、分からない」病は、分離不全の病、つまりは、別離を促す筈の父性不全の病といえましょう。

 

思いやりと正義から、思いっきり話がそれてしまいましたが、力ずくで引き戻します。

 

という訳で、上述の研究結果は、もしかしたら、自他の別を尊重出来ず、「自分と同じ」子供像を無批判に受け入れ、それが食い違うとしつけと称して理不尽に怒る自己愛性障害の親が、利己的な子供を育てる、とも解釈できるのではないでしょうか。

 

この記事でも紹介した、

「人が嫌がることはしてはいけない」では何が悪い? その 2. - 精神分析のススメ

私の大好きな、「口紅とトラック」の実験結果の様に、子供のプレゼントが全く自分の欲しいモノとは食い違っていても、「嬉しい!」と言えるママ、子供の自我や欲求を見出すことに純粋な悦びを感じられる母親が、思いやりや、共感できる大人を育てるのではないでしょうか。

 

上述の研究も、親の、「分離」に対する態度が肯定的か、否定的か、という尺度を加えたら、どのような結果が出るかが興味津々です。

 

*1:厳密には「本当の自分」は、コフートに影響を及ぼしたウィニコットという分析家のアイディアです