精神分析のススメ

しがないメンヘル職人です。70年代のNYCを風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざしております。

【資生堂のダルちゃん】 母親に否定されるということ

「ダルちゃん」第41話 | ダルちゃん | 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂

 

読みました。

 

数日前だったのですが…

 

久し振りにグッときました。

 

はるな檸檬さん、

ダルちゃんの表情の描写がスゴイ…

 

ダルちゃんの感想、

色々な方が書いておられますが、

読んでいると、

「なーんだ、不全感を抱く

女子をシアワセにするのは

結局オトコなのか…

(つまらん、又はがっかり)」

みたいなのがタマにあります。

 

何度も書いてますが

ヒロセさんはオトコかもしれませんが、

実は「ママ」もどきだと

私は思っています。

 

ダルちゃんの、

「やめて」

のすがり顔が…

 

母親にすがりつく

子供の顔です。

 

胸が苦しくなります。

 

この記事で書き始めた

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

「偽りの自分」

のトラウマの反復衝動が

ヒロセさんとの関係性で

ガンガン再起動してる。

 

というカンジを

胸に詰まる切迫感をもって

描けるはるなさん

凄すぎる。

 

というワケで、

上記事ではがっつりコフート先生の概念と

こんがらがっていた

ウィニコット様の「偽の自分」について、

書いてみます。

 

ウィニコットの言う

 

「本当の自分」とは

キャッキャとはしゃぎ

「興奮する赤ちゃん」が

愛情深く

「暖かく見守る母」に受け入れられた

と感じる「内的経験」に根ざすモノ

であります。

 

ウィニコットにとって、

「生きる実感」とは

息が上がって、心臓がドキドキする

まあ、

アドレナリンがガンガン出て

サイコ~!*1

って感じですかね…

 

その身体的感覚が「母」なるモノに

「受容」されている

と感じること

 

つまりは

「一緒に興奮してくれる対象」

(一緒に喜んでくれる母親)

が居ることが必要

なのだそうです。

 

ベアトリス・ビーブという

(少なくとも90年代のNYの)精神分析界隈では

神様級に崇め奉られていた研究者が

おります。

 

こんなおされな

PVまで作ってはりますねー

Mother-Infant Communication: The Research of Dr. Beatrice Beebe Promo - YouTube

びっくり。

 

彼女の研究は

赤ちゃんとママのやり取りを

ビデオで分析するというヤツで

クソ退屈…)

 

幼児の情動発達を

周囲の大人が如何に

サポートできるか

 

ということを明らかにしておられました。*2

 

中でも皆が

「スンバラシイ!」

とベタ褒めだったのは

 

赤ちゃんの真似を

「上手に」できるママは

赤ちゃんが興奮して

ウッキーとなってきても

ちゃんと落ち着かせることができる

 

という研究結果です。

 

まあ、

 

大人が赤ちゃんと対面して

赤ちゃんが口を開けるタイミングで

自分も口を開けると

赤ちゃんヨロコブ

 

みたいなのは

70年代からずっとやってたのですが…

 

ビーブさんの研究は

一言で言うと

 

赤ちゃんをあやすのが

上手なのは

どんなママ?

 

みたいなヤツで…

 

ママが赤ちゃんと一緒に

声の抑揚を「調節」することで

赤ちゃんを「必要以上に」

興奮させることなく

落ち着かせることができる

 

みたいなことを

ビデオを分析して証明されております。

 

「欲動」の「対象」が

如何に「自我」を「コントロール」し得るのか…

 

みたいな精神分析的理論を考えている

人達には非常にウケてるワケです。

 

心臓バクバク、息はハアハア、

アドレナリン、サイコー

な、お子様達は

一見すると楽しさ全開ですが

放っておくと

モノ壊したり、自分を壊したりして

ギャン泣き、サイテー状態と紙一重

危機的状態でも御座います。

 

この様な「危機的状態」にある、

赤ちゃんが

「破滅」を経験することなく、

たとえ自滅してギャン泣きになっても

その「興奮」状態から

自分を落ち着かせられる能力を

Self-regulation(自己調整) とか 

Self-soothing ability(自慰能力)

とか言うので

この記事でも書きましたが

【性依存症】 カエデさん その2.メンヘラと自慰力の欠如 - 精神分析のススメ

私は「自慰力」と呼ぶことにしています。

 

ママが一緒に興奮して

一緒に落ち着かせてくれる

その経験がないと

自慰力も発達せず

人は「欲動」のコントロールができず

「本当の自分」が破壊される

恐怖に慄きます。

 

 

「偽の自分」について書く

と言っておきながら

思い切り話が逸れてしまいました

が、

 

興奮して生き生きしてる「本当の自分」が

ママに「うるさいわね!」とか

「あーもー鬱陶しいなー」

等と言われたり

冷たく

ガン無視されたりすると

さり気にトラウマになってしまい

常にイライラして(=他人をイライラさせる)

落ち着きのない

自慰力に欠けた

ADDなお子様達や

生きる力に欠けた(=退屈な)

ダルダル無気力なお子様達を

創り出してしまう

というのは

何となく

お分かり頂けましたでしょうか…

 

ダルちゃんの、

生まれたばかりの赤ちゃんの様に無邪気な

「私の言葉が、私の声が、

ちゃんと皆に届いたの!

嬉しい!」

という気持ちが

ヒロセさんの

「ごめん。その声は

ちょっと大きすぎで

恥ずかしいから止めて」

という拒絶に逢う…

 

そして、その瞬間の

ダルちゃんの

「あなた(=ママ)に嫌われるくらいなら

絶対に静かにするから…

もう、声なんか出さないから…」

という必死の懇願の表情が…

 

ああ…

 

突き刺さり過ぎて

胸が苦しくなります。

 

ダルちゃん、自慰力が勝ち過ぎて

「本当の自分」を殺してまで

ママを守ろうと

ずっとしてきたから

「生きてる実感」がないまま

ダルダルだったのに…

 

今更、ダルダルに戻ろうとしても…

M男のヒロセさんと一緒なら、

きっと般若化しちゃうと思うのですが…

 

それともママもどきヒロセさんを切り捨てて

女性性もかなぐり捨てて

自己表現の道を歩むのでしょうか…

 

「理想の父」と「愛する母」を再発見し

愛し愛され…「生産的」に*3

創造性を発揮する可能性は

日本人女性には

残されているのでしょうか…

*1:ウィニコット様は、決して

共依存アドレナリンジャンキー

支持者では御座いません。

「独りでいられる能力」についても考察しておられます

*2:って、今でもやってるんでしょうけど…

*3:日本のサラ・パリンとも言いたい某女性議員

の発言で燃えてる言葉ですが…

【精神分析】はイカガワシイ…?

先日

 

子供を育てる不安以前に

「自分の遺伝子がこの世に残ることが耐えられない」

 

という内容のツイートに

 

自己否定感が強すぎると、

自分の遺伝子はクソ

子供にナニも「良い」モノを与えられない

と絶望するのは当然です

…が、それを踏まえた上で

精神分析は「大好き」な自分を無意識の片隅に発見し

尊厳を回復しようとする試みです

 

というコメントをしてRTしました

 

このコメントは

「対象(=ママやパパ)」が

「大好き」な「自分」は同時に

「自分」も「大好き」という

自己肯定感のテンプレであり

「自分の(=親の)遺伝子クソ」

という痛烈な自己否定感と親への恨みツラミを

抱えた人にとっては

程遠い感触でしょうが…

 

かつて「誰か」を「大好き」だった自分は

いたはずで

今は見失ってしまっているだけで

無意識の何処かにきっとある!

と信じて一緒に自由連想していくのが

精神分析というビジネスで御座います

という意味を込めた

私的にはかなり力の入ったモノだったのですが

まあ、分からんやろな…

と思いながら寝に入って

翌朝、すっかり忘れていた

20余年前

初めて分析を受けていた時の経験を

ナマナマしく思い出してしまったので

書いてみます。

 

精神分析はけしからん

 

という人達は

アメリカの大学機関には結構沢山います。

文学、哲学系では

それ程顕著ではなさそうですが…

心理学部の教授、特に臨床の先生方には

精神分析を憎んでいる方もいる

と言ってよい程です。

 

多種多様なご批判がありますが、

根底にあるのは

イカガワシイ」

だと私は思っております。]

 

「転移」という専門用語が御座います。

 

精神分析をしていると

患者さんが医師に

あたかも恋をするかのような

情熱的な感情を抱く

という現象が起こります。

 

精神分析ではそれを「転移」と呼び

「技法」として「確立」しています。

 

患者の疑似恋愛的情熱は

親子関係における原初的な葛藤と切望が

医師との関係に「転移」されたモノである

 

とされ「自由連想」や「夢」と等しく

幻想への入り口として

自己探求を深める手段

として「使われ」ます。

 

フロイト教授のお友達の

非モテな)既婚のおっさん医師が

自由連想法を用いてみたトコロ

魅力的な若い女性患者に言い寄られて

びっくり仰天

治療を中断して

奥さんと第二の蜜月旅行に行ってしまった

などは…

分析を(フロイト教授に)丸投げした

という点においては

絶賛無責任ですが、

まだ「良い」方です。

 

患者と不倫の仲に陥る不道徳な分析家が続出し

問題になりました。*1

 

セラピストや医師が患者と、教師が教え子と

力関係が歪な恋愛するのは

アリがちな「不道徳」ですが、

その「情愛」を「技巧」の一端として

推奨するのは「精神分析」のみ

と言えましょう。

 

イカガワシイ」と思われてしまう所以はそこにある

と私は思っております。

 

 理論的には

原初的欲動(=性愛の萌芽)は

親子関係に立ち現れるので

恋愛のテンプレートは親子関系にある

といえます。

 

厳密に言えば「恋愛」自体

原初的欲動の「転移」であり、

「妄想」にしかすぎない

 

くらいなことを、どっかで

フロイト教授は言ってた気がします。*2

 

ただね、びっくりするんですよ。

こっちも。

分析受け始めて、2−3週間位でよ。

そもそも自分の性的嗜好と全く噛み合わない

精神分析家という肩書以外はナニも知らない

どこの誰かも分からんしょぼいおっさんによ。*3

いつもの自分のおかず幻想とは

全く関連性のない性的妄想が

何の脈絡もなく*4

浮かんでしまうと

こっちとしては

とうとう気が狂ったか?!

と思うわけですわ。

理論上はそーゆーことが

あっても当然とは「理解」すれども…

「一体全体、何でこんなことが?」

って混乱するし、

クッソ恥ずかしくて

過呼吸になりそーになりながらも

「カクカク云々こんなん出てきてしもたんですけど…」

と、言ってみたトコロ

彼は

「そんな強烈なんが

こんな初期段階で出て来るのは

ちょっとヤバイですな…」

みたいなことを

モゴモゴ言わはるし…

 

今となっては分かるんですよ。

信頼関係が出来上がってもいないのに

性的幻想を抱いたって

言ってしまうとか…

境界例的な露出傾向で

「ヤバイ」言わはるのも納得ですわ。

自分でも

「いくらなんでも、この幻想はヤバイ」

とは思いましたよ。

 

けど、それと同時に

「教科書通りの展開で、自由連想的に

性的な妄想を分析家に抱いてしもただけのことやのに

何がヤバイねんや!

ちゃっちゃと『解釈』して

カタ付けてくれへんねんか!」

という、不満も出てきてしまったんですね。

 

「大体、あんたらかて、

『現実』では性的妄想を若い子らに*5

抱いてもらうような

大層な見てくれではないんやから

本当はめっちゃ嬉しいんちゃうんかいな!?」

という、まあ、被害妄想的と言えば

被害妄想的なコトまで思ってしまったり。*6

 

今となっては分かるんですよ。

 

性的幻想に限らず

他者が自分に抱く妄想について

深く探求していくことは

時に

エキサイティングで

背徳感を伴うヨロコビを

分析家にもたらすと同時に

恐怖や不安を掻き立てる

オソロシいモノでもあり得る

ということも。

 

なる程!

と、うならずを得ないような

穿った「解釈」をしてくれるだろう

という期待に反して

ふんふん聞くだけの

分析家に「幻滅」してた

 

ということも。

 

「自我」を貫き通す(男根的な)「解釈」を

期待していたのに

劇的な展開もなく

「退屈」するのがコワかった

 

ということも。

 

そしてその「幻滅」も「退屈」も

自分の父親との関係性の追体験だった

 

ということも…

 

今となっては「分かる」のです。

 

当時私にとって人生一大の「危機的」

な状況で受けた

初めての分析は

 

劇的な展開で問題解決!

 

には至りませんでした

が…

分析の中盤…

始めてから1年程経った頃でしょうか…

 

「さよなら」も言えないまま

父親がいつの間にか

何処かへ行ってしまって

とても寂しく

がっかりした夢をみて

 

失望感と怒りとフラストレーションで

すっかり見失っていた*7

父親が「大好き」だった「その時」の自分を

思い出させてくれました。

 

ということで、

精神分析イカガワシイ

と思われてしまっても

仕方がない

キワドいビジネスですが

そんじょそこらの

チープな恋愛(=妄想)なんかより

「愛し愛される」可能性を探求する

余程エキサイティングで

心愉しい過程でもある

ということが

お分かり頂けたら良いなー

と願い、

恥をしのんで

書いてみました。

*1:いや、今でもちょくちょくありますがね…

ついこないだも

スーパー著名なベテラン分析家が

患者を手篭めにするという

スキャンダルが明るみに出て

問題になりましたわ。

自己愛オーラがガッツリ出ていたので

個人的には大嫌いでしたが

年齢を重ねてから懲戒処分されて

仕事干されて、家族も失って

流石にちょっと可哀想でした。

雑魚がやってもそこまで晒されないのに

有名所がやると皆に叩かれるというのは

仕方がないとはいえ…

*2:すみません。

どの論文かは覚えてません…

ロイディアン失格なので

*3:因みに私はゲイではありません

*4:何かきっかけはあったはずなのでしょうが覚えてません

*5:私も当時は自分が「若い」と思っていました

*6:彼もゲイではなかったと思うし…

私のゲイダー(=ゲイ・レイダー=ゲイ探知能力)は

精密さに欠けているというウワサです

…が、某著名ブロガーさんと、某有名AV男優さんの結婚話

彼女がゲイで彼がバイなのを隠蔽する為じゃないか、

と思っています

*7:「昔はお父さん大好き」だった「事実」は覚えていたのですが…

【資生堂のダルちゃん】 自己表現の厳しさ

ダルちゃん40話、読みました。

 

ああ、ヒロセさんのダメ男さは、ここでしたかぁー…

と思う展開でした。

 

ヒロセさんは、ダルちゃんの自己表現を

彼女の「創作」と受け取れず

「自分」を切り売りされた

と感じてしまいます。

 

そこには

自分の声で自由に自己表現をし始めた

ダルちゃんへの「妬み」も

もしかしたら

あるのかもしれません。

 

「男」として

社会に迎合し

会社で生き延びる為に…

日本人男性に、

自分の声を上げる「自由」は

ありません。

 

ダルちゃんとヒロセさんの

ほのぼのした関係性とは

全く趣が異なりますが、

白人貧困層のトラウマを謳うラッパー、

エミネムの奥さん、キムの反応を

ちょっと思い出しました。

 

この記事でもさくっと触れましたが

【エミネム】やっぱり痛々しい River - 精神分析のススメ

エミネムとキムは暴力的な愛情炸裂、

境界例ガッツリな関係性を修復しきれず

離婚、再婚を繰り返していますが

彼女は自分とエミネムの結婚生活で立ち上がる

数々の問題を

彼に詠われることに耐えらなかった

とインタビューで独白しています。

 

芸術家のパートナーとして

彼等の作品に取り込まれることは

「本当の自分」が「芸術家」の目を通して

歪めて描かれることへの恐怖と

耐え難い羞恥心を

時に伴います。

 

彼等の「作品」を

完全に受容し

盲目的に愛することなく

お付き合いできるモノではない。

 

ということでもありましょう。

 

ダルちゃんの「怒り」や「攻撃性」を

報復することなく

「優しく」受け止めた(どMな)ヒロセさんが

彼女の「攻撃性の昇華」である

自己表現=詩作

に耐え難い屈辱を感じてしまうのは

彼の「男」としての脆弱さを*1

哀しい程

冷徹に描いたエピソードだと

私には思われました。

*1:「父性」とは「攻撃性」をコントロール

「昇華」するモノである

と私は考えています。

ヒロセさんはその観点からも

父性が欠如した、

オンナの攻撃性を受け止める(=どMな)だけの

なりそこないの「オトコ」である

と言えましょう。

【死刑】とトラウマ:【アンダーグラウンド】を読んで

神戸の震災、そして地下鉄サリン事件が起こった1995年、私は丁度、東京に住んでいました。

 

とはいえ、事件のあった都心からは離れた場所で

家にはテレビもなく、

ああ、そんな事件があったのか…

という「他人事」な印象しかありませんでした。

 

震災もサリン事件も、

しばらくは被害の甚大さも把握できなかったし

実感もわかなかったことをぼんやりと覚えています。

 

911の同時テロの時にも

NYCで学生をしていましたが

学校が休みになり

事件の実感がないまま

テレビのない家に引き篭り

プエルトリコの旗があちこちに翻る

スパニッシュハーレムと呼ばれる

ご近所一帯が

一夜明けたら

星条旗を掲げているのを

「他人事」ながら

「何かがオカシイ」という違和感と

恐怖を覚えて見ていた感じに

少し似ているかもしれません。

 

重大な事態に面して

どうやら私は

「ウソみたい」と非現実感や

「自分には関係ない…」と疎外感で

反応する傾向が有るようです。

 

オウムについてはバラエティ番組で興味をソソる

集団として取り上げられていたようですが

家にテレビがなかったので

ほとんど何も知りませんでした。

 

サリン事件のちょっと前、

スーパー高学歴なお友達一家と

連絡が取れなくなった親が

「あそこの家族はハイスペックだから

オウムに拉致されたんじゃないか…」

と、おちゃめな心配をしていたことから

オウム=優秀な民間人を拉致する白い服着た不気味な団体

という印象はあった様に思います。

 

1995年の夏に渡米する予定だった私は

オウム事件に無関心なまま

日本を去りました。

 

が、去年の12月頃でしょうか

図書館で

村上春樹の「アンダーグラウンド」を見つけて

読了した3月頃にこの記事を読みました

麻原彰晃死刑囚の三女・"アーチャリー"松本麗華さんが父の治療を訴え続ける理由 | AbemaTIMES

 

麻原彰晃心神喪失状態で裁判が行われ

刑事責任を問われたこと

 

呼びかけに反応せず、排泄物垂れ流し状態で

被告人質問があったこと

 

日本は法治国家ではない

と私は思いました。

 

精神科で入院の決め手になるのは

「自分、又は他人に害を及ぼす危険性があるかどうか」

です。

 

言い換えれば、自殺も殺人も「精神疾患」の症状である。

ということです。

 

「犯罪」はトラウマです。

「腑に落ちる」「真実」の究明がなされないままでは

「暴力」を乗り越えた実感がないままでは

「反復」の衝動に駆られ

同じトラウマが繰り返されます。

 

犯罪者が如何に罪を犯すに至ったのかを

「理解」する努力を怠り

罪人を「倫理観の欠如したキチガイ」として処刑することは

新たなる「キチガイ」を生み出すことにしか

繋がりません。

 

「気持ち悪い」オウムの事件に無関心だった私は

日本の「気持ち悪い」部分から逃げ出すことで

トラウマの反復に貢献する

一員となったのです。

 

前置きが長くなりましたが、ここからが感想文(?)になります。

 

アンダーグラウンド」の序文を村上氏は

夫がサリン事件の後遺症で職を失った妻の手紙

との邂逅で始めています。

 

彼はその手紙の文章を

「どちらかといえば物静かで、むしろ『愚痴っぽい』…かもしれない」

と感じつつ、疑問を抱きます。

 

「不運にもサリン事件に遭遇した純粋な『被害者』が、事件そのものによる痛みだけでは足りず、何故そのような酷い『二次災害』まで(それは言い換えれば、私達のまわりのどこにでもある平常な社会が生み出す暴力だ)受けなくてはならないのか?」

という疑問は彼の頭に消し去ることの出来ない「大きなクエスチョンマーク」を残し、

「かくのごとき二重の激しい傷を生み出す我々の社会の成り立ちについて、より深く知りたいと思うように」なります。

 

トラウマ=傷 を理解する為に村上氏は被害者へのインタビューを決心します。

 

サリン事件は『キチガイ』の犯行であった」

という「解説」で片付け

オウムの幹部を処刑することでは

「傷」が癒やされないことを

彼は知っています。

 

彼のインタビューは、各々は短いながらも62人という多人数に及び、

インタビュイーの描写といい、質問の仕方といい、

あたかもトラウマに対処するメンヘル職人の様な緻密さを

呈します。

 

この記事にあるように

「他人のトラウマ」で相撲をとるということ (4/5) | プレジデントオンライン

「被害者にあくまで寄り添いながら、ひとりひとりの人間性の可能性と限界を非情なまでに浮き彫りに」

しており、読むのに大変時間がかかりました。

 

村上氏はあとがきで

サリン事件時の行政の混乱と過失の原因を

「閉塞的、責任回避型の社会体質」にあるとし

戦時中の帝国陸軍のあり方に重ね合わせて

無意味な愚行と悲劇が歴史の中でむなしく看過されてしまう原因

としています。

 

それと同時に、彼は

サリン事件が投げかける後味の悪い黒い影」を

地底の深い闇に住みつく、おぞましく邪悪な生き物から逃れる「物語」になぞらえ、

解き放ってはいけない邪悪なモノ=許容不可能な暴力性

としています。

 

ここ2−3日のツイッターを見ていると

(私のTLは恐らく「日本」の反応とは言い難いのでしょうが…)

「後味の悪い黒い影」は

村上氏が思うような

私達に内在する許容不可能な暴力性というよりは

その存在に対する私達の恐怖と嫌悪感なのではないか

と切に感じます。

 

オウムを生み出したのも

被害者への二重の暴力を振るっているのも

社会不適合な「キチガイ」を排斥し、

恐怖し

嫌悪し、

放置する

不寛容な私達なのではないでしょうか…

 

オウム信者が如何に

麻原の「粗暴で滑稽な物語」に執心し

心を歪めざるを得なかったのかを

「理解」しえないまま

死刑が執行されてしまった今

「めじるしのない悪夢」から抜け出す為にも

各々が、喪失を受け止め

失われたモノの存在意義を確かめ

「喪」に服すことで

「赦し」と「再生」が得られることを

祈るしかできないのでしょう

【マザー!】観ました…

しばらく前になりますが

【マザー!】みたことも無い映画のススメ - 精神分析のススメ

観てもいない映画をオススメしてみました

(無責任…)。

 

今更ですが…

観ました。

ので、感想を書いてみます。

 

見どころは何と言っても

詩人(神様)のハビエル・バルデム

監督の恋人だった母(なる大地)役のジェニファー・ローレンス

そして(アダムとイブの)

エド・ハリスミシェル・ファイファー

迫真の演技だったと思います。

 

映像も象徴満載で大変興味深いです…

 

が…全体的には

「んー…微妙…」

でしたね

 

ダロノフスキー監督と言えば

統合失調症の「パイ」

薬物依存の「レクイエム・フォー・ドリーム

強迫観念→統合失調?な「ブラック・スワン

からの流れで

「元々ちょっとアブない人が

徐々に精神のバランスを失う過程を

緻密に耽美に描く」

のかと期待していたら

あれ?

ってちょっと拍子抜けました…

 

マザー!」は私が期待していた

自己愛性人格障害の描写というよりは

聖書を下敷きにした寓話色が濃くて

お話の意図を理解したり

楽しもうとすると

聖書を「読解」しようとするくらい

頭がウニになります

 

寓話的な作品というと

ピーター・グリーナウェイ

英国式庭園殺人事件 - Wikipediaとか、

セルゲイ・パラジャーノフ - Wikipediaの「ざくろの色」とか

ヴェラ・ヒティロヴァのひなぎく (映画) - Wikipedia

等はお話ワケわかめでも

映像が私の好みにハマるので

是非とも映画館で観たい!

となるのですが…

 

マザー!」は…まあ…

こだわって作ったのはスゴく伝わってきて

好きな人は好き

かな?くらいで、

映像美を堪能するために

2000+円払ってまで劇場で観たい!

って感じではなかったので、

日本では劇場公開しなかったのも

まあ…分かる

 

聖書と、西欧思想にがっつり食い込む「原罪」

に親しみのない日本人としては

絶賛、理解不可能

になるに違いない

と思いました

 

聖書に馴染みある欧米人にも

キツイ内容ですからね…

 

ざっくり言うと

全知全能の神は

アダムとイブがエデンの園を追われた様に

人間が罪を犯すことを

止もしないし

寧ろ容認するくせにキビシク罰する

ワケ分からんヤツ

という聖書の解釈を

環境汚染、資源の枯渇、血みどろの紛争に

罪悪感を抱きながらも

地球という生活圏を追われるべく

目の前の快楽、欲望に抗えない

現代人の姿に

重ね合わせている

ということで

そんなウザい(=見たくもない)「真実」を

カネ払ってまで誰も観たくはないだろうなー

というのが、私の率直な感想です

 

それにしても

しつこく言いますが

アロノフスキー監督「狂気」を描くのが

めちゃ上手いと思います。

 

マザー!」と一緒に

ブラック・スワン」も借りて観たのですが

強迫神経症(→境界例?)→統合失調

へと「悪化」する過程の描写が

「ピアニスト」とか、「ビューティフルマインド」より

(私にとっては)断然、説得力ありましたねー。

【狂気】の定義:殺される程のことでもなければ、殺すほどのことでもなかった

Hagex氏の殺人事件について、

私が初めて聞いたのはツイッターでした。

事件のニュースに、

「Hagex氏が被害者らしい」

というツイートがついていて

最初は何かの冗談だと思いました。

 

人は「死」という

信じたくない現実に遭遇すると

まず

「否定」

します。*1

 

そして、まあ、様々な段階を経て

「受容」にたどり着けるのですが…

 

 

「受容」の前段階の「鬱」を乗り越えるには

喪に服すことで「自分をおいてけぼり」にしたモノ

が自分にとってどんな意味を持つのか

「喪失」に意味を見出すことが必要だと言います

 

故人を知り、憤りを感じられる方、

ezkay.com

自分も加害者だったかもしれない…と自戒される方、

どちらも知らないが、ショックを受ける方

… 

色々な方が書いておられるのも

この悲痛な事件を自分なりに

理解して前に進もうとする

営みの現れの様に感じます…

 

今回の記事タイトルは黄金頭さんのタイトルに触発されました

goldhead.hatenablog.com

 

精神科医として…

患者が死ぬ 又は 事件を起こす=遺族からの訴訟が来るか?!

と戦々恐々になるのがアメリカン…*2

 

精神科医程の社会的責任は負わされなくとも

メンヘル職人として

患者相手に一番心せねばならないのは

 

自殺する危険性があるか

そして

人を殺す危険性があるか

 

の査定を怠らないことです

 

のっぴきならない所にいる方は「保護」させて頂きます

 

アメリカンのメンヘル職人の留守電には

「今すぐ話を聞いてもらわないとダメなお方は

最寄りの救急病院に行ってちょー」

というお茶目なメッセージが入っていることが

多いです

がっつり訴訟対策です

 

Hagex氏を殺害したと思われる「低能先生」は

人を「自殺」か「他殺」か

「殺す」か「死ぬ」かの葛藤の狭間

(=カタトニア(不動))に追い詰める

「破壊衝動」に抗えず

犯罪者になったのだ

 

と私は思います

 

キチガイの定義は

「皆が理解できない行動をするモノ」

だと私は常々感じております。

 

「現実を認識できていない」

 と「皆」が看做す人達

とも言えましょう

 

客観性を失い

自分の視点でしか

外界を捉えられない

という「キチガイ」の特徴は

「自他の融合」である

と従来の欧米発精神医学では

言われています*3

 

「投影同一化」という概念があります

 

自分の醜悪な部分を受け入れられず

他者に投影することで

他者に自分の醜悪さを引き受けさせる

 

自他の分離が不完全な

境界例に特徴的な「防衛」です

 

「低能先生」は自己否定感の強い人だったのではないか…

というコメントをいくつか見ました

 

他者を「低能」「ゴミクズ」と罵倒することで

自己否定感を

他者に引受させようとして…

ブーメランを喰らう

 

正に「投影同一化」のなせるワザです

 

イケハヤ氏やはあちゅう氏を批判する記事に

「雑魚」というコメントをつけた

というウワサですが

彼はイケハヤ、はあちゅう信者では

決してなかったと思います

 

むしろ、彼等を嫌悪していたハズです

 

しかし「成功した彼等を嫌悪する雑魚」な自分を

受け入れられないが故

暴力的なコメントを残し続けたのでしょう

 

彼の攻撃的コメントは全て自分に対する

嫌悪や卑下

そして自我への迫害意識の現れです

 

よって、彼が「表現の場」を奪われたことに

憤り凶行に及んだ

というのは

彼の中では 

垢バン=毒を吐く場所がない=殺される=殺す

となったという意味では「当たり」ですが

歪な「表現の場」が彼を「凶行」に追いやった

のも又「当たり」だと思います

 

「表現の場」は受け入れてくれる相手を

自分で造り出すことで

初めて生まれます

 

彼は相手にとって心地よいコミュニケーションを怠り

ネットに「自分の居場所」を切実に求めながらも

その「居場所」を「剥奪される」べく

暴言を、迫害妄想をエスカレートさせてしまいました

 

迫害妄想を抱く「狂人」を

排斥し、挑発し、追い詰めることが

危険だということは

きっと今回の事件で明らかになったと思われます

 

が、彼等が

「繋がりを求める寂しい人」である

とばかりに「共感」し

優しく「受容」することにも

多大な危険がつきまといます

 

迫害妄想の根源には

おっぱい理論のクラインの言うトコロの

「悪い」おっぱいがあるからです

 

暖かくて美味しい素晴らしいハズのおっぱいが…

母の溢れる「愛情」が

嬰児にとって「不快」な経験と同時に存在する時

「口の中のおっぱい」は

「自分とは別個の存在」として認識されないまま

自我を攻撃し整合性を揺るがす脅威

として感受され

嬰児は「迫害分裂状態」に陥ります

 

実際に虐待や放置される経験がなくとも

人は根源幻想として

「母」なるモノが「自分に害をなすモノ」でもありえる

という「迫害妄想」の萌芽を抱く

 

それは一番最初に関係を持つ「対象」としての

口の中の母親=おっぱい

に端を発するからです

 

繋がりを求めながらも迫害妄想をつのらせる「狂気」とは

 

「悪い」おっぱいと「良い」おっぱいが

「愛」する母として統合されない「分裂状態」に端を発する

 

とも言えましょう

 

求めてやまない「繋がり」こそが

自我を凌駕する脅威でもあるのです

 

「迫害分裂状態」にある自我は

破壊衝動に駆られながらも

清く正しく美しい自分という「幻想」を

維持するために

常に醜悪な他者と闘い続けなければならず

安寧を得られません

 

被害妄想と言う「狂気」の根底にあるのは

自己肯定感の欠如などという

「わかりやすい」モノではなく

「欲しいモノ」=他者との繋がり

に手を伸ばすことができない

究極的葛藤です

 

暴言コメントをする人を

安易に褒めて、信頼を得ようとすると

迫害妄想を募らせ

敵意をむき出しにされる危険を孕むのは

このためです

 

そんな、一般人なら

「どないしたらエエんや、そんなアブないヤツ」

となってしまう被害妄想患者さんを

華麗にあしらう熟練メンヘル職人さんは

 

「そんな(キチガイじみた)攻撃性は一体どこから来るの?」

 

と自問自答できる客観性の萌芽を植え付けるのが

大変お上手です

 

攻撃的なブコメに真摯にお相手したい

と願うのは素晴らしいのですが

彼等の批判の理不尽さを突くのも

自己弁護にまわるのも

彼等の妄想を強固にしてしまうだけなので

オススメできません

 

ではどうしたら良いのか…

 

私は、Xevra先生の事例を徹底的に研究してはどうかと思います

 

「大脳壊れた…」コメントで

一世を風靡し

垢バンを免れ

しまいには女体化を果たして

(今でも大嫌いな方、おられる様ですが…)

「瞑想、運動、野菜…」コメで

はてなの風物詩となり

最近ではすっかり丸くなった

(と私には感じられる)Xevra先生

是非とも自分語りをして頂きたいモノだ

と思うのですが

 

はてなのどこかに

彼(女)のストーリーもひっそりと

(そんなにひっそりしてないかもしれませんが)

埋もれているのでしょうか…

 

お花畑と言われるかもしれませんが…

低能先生はただ話がしたかったんだろうな

的な態度に、私は惹かれます

 

社会の構造が劇的に変わりでもしない限りは

きっと、ネットからなくなることはない

「あたまおかしいおっさん」(しかし何故おっさん?)

が風物詩として受容されるような

はてなであり続けなければ

ネットの闇と闘いながらも

その醜悪さをこよなく愛したHagex氏も

浮かばれないだろうし*4

「駆逐」することなどできやしない

「低能先生」達の救済も

不可能なのではないでしょうか…

*1:キューブラー・ロスのアレです。

孤立(否定)→怒り→取引→鬱

を経て、最終段階である「受容」に辿り着けます

*2:実際にそんなことは滅多にありませんが…

一回あると弁護費用が莫大なので

そのリスクをカバーするのが大変だそうです

*3:個人的には「自他の乖離」が

キチガイ」の最大のネック

だと思うのですが…

洋の東西における感覚の違いなのだろーなーと...

*4:あまり良く知らないのでざっくりとした印象です…

「当たり」でなくても怒らないで下さい

【インサイドヘッド】感情のパラダイムシフト

しばらく書こうと思っていて放置していたネタです。

 

かなり昔の映画ですが…

 

感情、脳神経学、児童発達に関する最新の情報を考慮して作られた

ピクサーインサイドヘッド。

 

www.youtube.com

 

 

登場人物のインサイドヘッド(頭の中)が

専門知識を踏まえた描写になっていて

うーん、ヤルなーと思ったのですが

心理学、精神医学、文化人類学、脳神経学、ナドナドの

欧米哲学を土台とする「感情の存在意義」の大前提が

はたして一般民間人や、

文化を超えて伝わるのかな〜

とも思いながら観ていたですが、

やはり…

日本語のまとめサイトをちら見してみましたが

イマイチ分かって貰えていないようなので

書いてみます。

 

日本人的には 「感情」といえば「喜怒哀楽」と、4つだと思うのですが

(「違うやろ!」って人、いたら是非ともコメントお願い致します)

英語では5つの基本的感情(ベーシック・エモーション)

というのが定番です。*1

 

これが、インサイドヘッドの

「ヨロコビ」

「カナシミ」

イカリ」

「ムカムカ」(嫌悪)

「ビビリ」(恐怖)

として描かれているのですが…

 

私のざっくりとした印象では

少なくとも「心理学」では、従来

 

「感情」= 動物的「本能」の表現

 

即ち、

生存確率を高める利益在るもの→快→接近

生存確率を低下させる不利益なモノ→不快→回避 又は 戦闘

 

させることで、個人の「生存」確立を高めるモノ

としての存在意義を確立していました

 

「怒り」(Anger)は自分に害をなすモノを排除するために(戦闘

「嫌悪」(Disgust)は毒物を回避するために

「恐怖」(Fear)は危険を回避するために

「喜び」(Joy)は生き延びるために必要なモノを得るために(接近

 

と、まあ、分かり易い「機能」が与えられているのですが…

 

ミルクをこぼしたくらいで泣くんじゃーねーぞ

(Don't cry over spilled milk)*2

ということわざからも汲み取れる

「いつも笑顔でいたい」

絶賛ポジティブなアメリカンにしてみたら

 

「生き延びるために何の役にも立ってない

『悲しみ』の「機能』って、一体何なのよ?!」

 

って気持ちになるんでしょうね…

 

もののあはれ

とか言って、喪失に美を見出す日本人とは

相容れない

ヤツラの合理主義的(プラグマティック)な哲学では、

いつまでもメソメソしてると

 

「悲しみ」=「メランコリー」=「鬱」

 

ってな風にあっという間に

「悲しみ」=「病」

になってしまうワケです

 

日本語サイトみてたら、

やっぱり、

「悲しみがあるからこそ喜びが光り輝く…」

みたいなコトになってて…

 

まあ…

 

それはそれで日本人の心に響く「解釈」なので

良いのですが…

 

私的には

インサイドヘッドの「ヨロコビ」が見出した

「カナシミ」の存在意義には

アメリカ心理学における

『感情』の存在意義のパラダイムシフト

が反映されてるやんか!」

と、何回観ても

「ヤってくれるな…ピクサー…」

と感銘を受けるわけです。

 

心理ヲタク路線まっしぐらです。

 

哲学の影響が色濃い心理学も、

文化人類学(猿の行動)や

遺伝子学等(種の保存)の影響で

 

感情=個の保存

から

感情=個体間のコミュニケーション=種の保存

 

へとシフトしてきたってことですね。

 

イカリ」や「恐怖」や「嫌悪」が

危険回避や外敵の排除を

フループに伝達、警告する手段であると同時に、

「喜び」や「悲しみ」を含む「感情」には

「共感」を通じて

他者との繋がりや

グループの団結を深める役割があるんやで。

と。

 

「悲しみ」の存在意義が

他者の「同情」や「支援」を誘発する

ということであれば、

鬱の時には友人や家族の理解が必要なのは

そりゃ当然なワケです。

 

と、言うわけでそろそろ1,500字を超えたし

読者も離脱してるだろうし…

 

私の「考えの列車」*3も減速気味なので…

もー寝ます

お休みなさい

*1:たまに「驚き」が入ったり、異文化比較では「愛」が加わったりもしますが…

*2:おっぱい=母 をなくしたくらいで泣くな

ってコトやろ、と私は密かに思ってます

*3:これも、日本語では分かりませんが、

Train of thought 「思考の繋がり」とか「脈絡」

という慣用句で、言葉遊び大好きな私的には

たまらんワケですわ