精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

注意欠陥・多動性障害 (その2)

この記事を執筆中に

痛ましい事件がツイッタであった。

 

neofreudian.hatenablog.com

 

22歳の男性はADHDの診断書の写真をツイッタにあげて

発達障害であることの

苦しみと悩みから解放されるために

自殺することを示唆して

ダムに飛び込んだ。

 

発達障害は「不治の病」だ。

精神疾患に対する偏見も根深い日本では

診断を受け入れたくない

という家族も居るかもしれない。

 

診断する

ということは治療の可能性を開く

ということだ。

 

「知る」ということが「傷」にならないように

治療の可能性に希望が抱けるような

コミュニケーションに尽力するのが医療者の責務だ。

 

と実感した。

 

小児うつに苛まれる14歳の家族が

投薬と検査を希望し

注意欠陥・多動性障害の不注意タイプだ

と判明した。

 

彼女にとっては

通院もADHDの診断も「絶望」が伴うどころか

自分が「やりたい」「知りたい」と思って始めたことだったので

むしろ「快い」体験だったのだろう。

と感じる。

 

ので日本でもこういう「精神医療」であってほしいものだ。

と思い

経緯を書いてみる。

 

不幸そうな顔で生まれた

彼女は

寝付きが悪く

昼夜を問わず数時間おきに泣き叫んだ。

 

3歳位から

「お父さんとお母さんが死んだらどうしよう」

と不穏な事を口にし

「死」の不安に苛まれる子どもだった。

 

夜泣きは8歳まで続き

親も彼女が10歳過ぎるまで

一晩寝られなかった。

 

「気持ちの切り替え」が難しく

小学校の教師をしている友人が云うトコロの

「タイミングが悪い」子どもだった。

 

「トイレに行っておこうね」

と云っても頑なに「行かない」と主張して

都合の悪い時に

「先生、トイレー」と云って

悪意なくオトナをイラつかせる

「頑固さ」があった。

 

私も

出かけるというのにナカナカ準備できない

彼女のトロさにイラついた。

 

友達の親に

「クッキーをあげる。どれがいい?」

と云われても

とっさになかなか選べず

「欲しくないの?💢」

とイラつかれてしまうこともあった。

 

小学校が始まってすぐ

自分は他の子達みたいに「できない」

と泣いて

先生や親がどんなに

「そんなことはない。みんなと同じくらいにちゃんとできてる」

と云っても

劣等感は消えなかった。

 

感受性豊かで情動の上げ下げが激しく

親と喧嘩して泣く親友に

「あなたはよいこだよ。悪い子なんかじゃない」

と慰め

ここ一番という時に

相手が必要としている言葉を発する「直感力」と「表現力」は

幼いころから抜群だった。

 

癇癪を起こして怒っても

そういう「鋭さ」で

相手のイタイところは突かない

優しい子供だった。

 

小学校3−4年生くらいの時に一緒に

教育番組の発達障害児ストーリーを観ていたら

「私は注意欠陥・多動性障害なの?」

と聞かれた。

 

「自分がADHDだと思うの?」

と聞き返したら

「そんなことないけど…」

とは云ってはいたが

教室でじっと座っていられない子供たちと

自分も「同じ」だと薄々感じていたのだろう。

 

そんな事があった頃だったと思う。

「死にたいと思う事がある。」

スクールカウンセラーに相談した際*1

校外での定期的カウンセリングを勧められ

本人の要望に応えて

週1で遊戯療法に通うことになった。

 

他の習い事は

自分から「やりたい」と云って始めたくせに

「面倒くさい」と云ってサボる事もあったが

遊戯療法だけは「休みたい」と云う事なく通った。*2

 

5−6年生で宿題が増え始めた頃から

彼女の不安は昂じた。

 

元々授業中ぼーっとしていて

時間以内に課題をこなせなかった彼女は

友達に笑われている

とか

陰口されてる

と口にするようにもなった。*3

 

親しい友達は数人居るし

イジメにあっている訳でもない。

 

にもかかわらず

コロナで一年半の遠隔自宅学習が明けてから

本格的に不登校が始まった。

 

会話が噛み合わず

誤解が生じると

そんな話は聞いていないと癇癪を起こし

誰も私を愛していない

と泣き叫ぶ事が増えた。

 

何故か分からないけど哀しい。

としくしく泣く事もしばしばあった。

 

肉が大好きで

家族ぐるみでバーベキューに誘われたのに

食べてるトコロを他人に見られたくない

とゴネて一人で留守番という事もあった。

 

摂食障害から自傷、薬物依存のドロ沼か?

身体イメージが悪くならないよう

否定的なコメントは徹底的に避けて育てたつもりでも

毒親」対応だったのだろうか?

と焦ったりもした。

 

抗精神剤を使う友達やネットの「相互フォロー」との交流もあり

愉しい気持ちになるおクスリについて

遊戯療法の医師に訊ねた事をきっかけに

SSRI投薬を13歳9ヶ月で開始した。

 

錠剤が呑めず液状のレキシプロから始めた。

 

余程「哀しい気持ち」になるのが辛かったのだろう。

 

不味さに耐えきれず吐き出す事があっても

飲み続けた。

 

レキシプロで

イライラはなくなり家族との衝突は減った

哀しさは継続し

家庭内で無闇やたらとスキンシップを求めるようになった。

 

睡眠を必要としないかのように夜更しばかりしていた彼女が

2−3時間昼寝するようになった。

 

こんなに眠いと何もできない。

同じSSRIだが

20mgカプセルのプロザックをのむようになった。*4

 

家庭内での衝突も減り

哀しい気持ちで泣く事は減ったものの

相変わらず

TikTokびたりで宿題に手をつけられず

学校にも半分行けたらバンザイ

行っても1/4は保健室で寝るという感じで

夏休みを迎えた。

 

親は

遊戯療法を始めた当初から

学習障害及び注意障害を疑っていたが

医師からは

宿題提出できなくても

テストで落第にならないのなら

境界例発達障害が分かっても支援は受けられない。

若年児童の検査はカネがかかるだけで

正確な結果は期待できず意味がない。

と云われた。

 

その医師から夏休み前に

検査してみますか?

と打診があった。

 

何故今更…とも思ったが

MBTI筆頭に自己診断テストにハマっている

本人が発達障害検査にも興味を示したらしい。

 

彼女は

勉強に著しい遅れがアル訳でもないし

「宿題が終らない。もう死にたい」

みたいな事を頻繁に云っては周囲をやきもきさせても

自傷や自殺未遂をする訳でもない。

 

医師いわく

投薬も検査も

「よい」効果を得るには

当人の「やる気」が必要という事だった。

 

オススメの検査士は予約が一杯で

3ヶ月待った。

 

3時間の予約か

1時間半の予約2回か

というオプションがあったが

本人の要望で3時間のアポを取った。

 

本人が待合室で質問紙に回答する15分程の間

親は検査士との面接で

愁訴と発育歴を伝えた。

 

親も5ページの

自閉、反社会性、多動、思考障害、

注意障害、不安、感情障害の傾向を査定する質問紙に答えたが

見事に

注意障害の項目に「頻繁」と「いつも」がついた。

 

検査の結果は2週間後にEメールで届いた。

 

続きです。

 

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*1:米のスクールカウンセラーは特殊教育だけでなく児相や精神医療、福祉、司法との連携もする。はず。

*2:キャンセルのポリシーは1週間前なので休みたい時は事前に医者と話し合うように。とは伝えた

*3:友達に限らず両親が彼女に関係ない話していても「私のこと話してるの💢?」と唐突に攻撃的な事もあった。痴呆老人みたいだな…となった。その昔「統合失調症」が「プレコックス痴呆」と云われていたのもナルホド…となった

*4:処方開始から半年で「哀しさ」が戻ってきた。プロザックアルアルの事だ。10mg処方増加してとりあえず「哀しさ」とパニックは治まった。らしい。