【狂気】の定義:殺される程のことでもなければ、殺すほどのことでもなかった
Hagex氏の殺人事件について、
私が初めて聞いたのはツイッターでした。
事件のニュースに、
「Hagex氏が被害者らしい」
というツイートがついていて
最初は何かの冗談だと思いました。
人は「死」という
信じたくない現実に遭遇すると
まず
「否定」
します。*1
そして、まあ、様々な段階を経て
「受容」にたどり着けるのですが…
「受容」の前段階の「鬱」を乗り越えるには
喪に服すことで「自分をおいてけぼり」にしたモノ
が自分にとってどんな意味を持つのか
「喪失」に意味を見出すことが必要だと言います
故人を知り、憤りを感じられる方、
自分も加害者だったかもしれない…と自戒される方、
どちらも知らないが、ショックを受ける方
…
色々な方が書いておられるのも
この悲痛な事件を自分なりに
理解して前に進もうとする
営みの現れの様に感じます…
今回の記事タイトルは黄金頭さんのタイトルに触発されました
精神科医として…
患者が死ぬ 又は 事件を起こす=遺族からの訴訟が来るか?!
精神科医程の社会的責任は負わされなくとも
メンヘル職人として
患者相手に一番心せねばならないのは
自殺する危険性があるか
そして
人を殺す危険性があるか
の査定を怠らないことです
のっぴきならない所にいる方は「保護」させて頂きます
「今すぐ話を聞いてもらわないとダメなお方は
最寄りの救急病院に行ってちょー」
というお茶目なメッセージが入っていることが
多いです
がっつり訴訟対策です
Hagex氏を殺害したと思われる「低能先生」は
人を「自殺」か「他殺」か
「殺す」か「死ぬ」かの葛藤の狭間
(=カタトニア(不動))に追い詰める
「破壊衝動」に抗えず
犯罪者になったのだ
と私は思います
キチガイの定義は
「皆が理解できない行動をするモノ」
だと私は常々感じております。
「現実を認識できていない」
と「皆」が看做す人達
とも言えましょう
客観性を失い
自分の視点でしか
外界を捉えられない
という「キチガイ」の特徴は
「自他の融合」である
と従来の欧米発精神医学では
言われています*3
「投影同一化」という概念があります
自分の醜悪な部分を受け入れられず
他者に投影することで
他者に自分の醜悪さを引き受けさせる
自他の分離が不完全な
境界例に特徴的な「防衛」です
「低能先生」は自己否定感の強い人だったのではないか…
というコメントをいくつか見ました
他者を「低能」「ゴミクズ」と罵倒することで
自己否定感を
他者に引受させようとして…
ブーメランを喰らう
正に「投影同一化」のなせるワザです
イケハヤ氏やはあちゅう氏を批判する記事に
「雑魚」というコメントをつけた
というウワサですが
彼はイケハヤ、はあちゅう信者では
決してなかったと思います
むしろ、彼等を嫌悪していたハズです
しかし「成功した彼等を嫌悪する雑魚」な自分を
受け入れられないが故
暴力的なコメントを残し続けたのでしょう
彼の攻撃的コメントは全て自分に対する
嫌悪や卑下
そして自我への迫害意識の現れです
よって、彼が「表現の場」を奪われたことに
憤り凶行に及んだ
というのは
彼の中では
垢バン=毒を吐く場所がない=殺される=殺す
となったという意味では「当たり」ですが
…
歪な「表現の場」が彼を「凶行」に追いやった
のも又「当たり」だと思います
「表現の場」は受け入れてくれる相手を
自分で造り出すことで
初めて生まれます
彼は相手にとって心地よいコミュニケーションを怠り
ネットに「自分の居場所」を切実に求めながらも
その「居場所」を「剥奪される」べく
暴言を、迫害妄想をエスカレートさせてしまいました
迫害妄想を抱く「狂人」を
排斥し、挑発し、追い詰めることが
危険だということは
きっと今回の事件で明らかになったと思われます
が、彼等が
「繋がりを求める寂しい人」である
とばかりに「共感」し
優しく「受容」することにも
多大な危険がつきまといます
迫害妄想の根源には
おっぱい理論のクラインの言うトコロの
「悪い」おっぱいがあるからです
暖かくて美味しい素晴らしいハズのおっぱいが…
母の溢れる「愛情」が
嬰児にとって「不快」な経験と同時に存在する時
…
「口の中のおっぱい」は
「自分とは別個の存在」として認識されないまま
自我を攻撃し整合性を揺るがす脅威
として感受され
嬰児は「迫害分裂状態」に陥ります
実際に虐待や放置される経験がなくとも
人は根源幻想として
「母」なるモノが「自分に害をなすモノ」でもありえる
という「迫害妄想」の萌芽を抱く
それは一番最初に関係を持つ「対象」としての
口の中の母親=おっぱい
に端を発するからです
繋がりを求めながらも迫害妄想をつのらせる「狂気」とは
「悪い」おっぱいと「良い」おっぱいが
「愛」する母として統合されない「分裂状態」に端を発する
とも言えましょう
求めてやまない「繋がり」こそが
自我を凌駕する脅威でもあるのです
「迫害分裂状態」にある自我は
破壊衝動に駆られながらも
清く正しく美しい自分という「幻想」を
維持するために
常に醜悪な他者と闘い続けなければならず
安寧を得られません
被害妄想と言う「狂気」の根底にあるのは
自己肯定感の欠如などという
「わかりやすい」モノではなく
「欲しいモノ」=他者との繋がり
に手を伸ばすことができない
究極的葛藤です
暴言コメントをする人を
安易に褒めて、信頼を得ようとすると
迫害妄想を募らせ
敵意をむき出しにされる危険を孕むのは
このためです
そんな、一般人なら
「どないしたらエエんや、そんなアブないヤツ」
となってしまう被害妄想患者さんを
華麗にあしらう熟練メンヘル職人さんは
「そんな(キチガイじみた)攻撃性は一体どこから来るの?」
と自問自答できる客観性の萌芽を植え付けるのが
大変お上手です
攻撃的なブコメに真摯にお相手したい
と願うのは素晴らしいのですが
…
彼等の批判の理不尽さを突くのも
自己弁護にまわるのも
彼等の妄想を強固にしてしまうだけなので
オススメできません
ではどうしたら良いのか…
私は、Xevra先生の事例を徹底的に研究してはどうかと思います
「大脳壊れた…」コメントで
一世を風靡し
垢バンを免れ
しまいには女体化を果たして
(今でも大嫌いな方、おられる様ですが…)
「瞑想、運動、野菜…」コメで
はてなの風物詩となり
最近ではすっかり丸くなった
(と私には感じられる)Xevra先生
…
是非とも自分語りをして頂きたいモノだ
と思うのですが
はてなのどこかに
彼(女)のストーリーもひっそりと
(そんなにひっそりしてないかもしれませんが)
埋もれているのでしょうか…
お花畑と言われるかもしれませんが…
的な態度に、私は惹かれます
社会の構造が劇的に変わりでもしない限りは
きっと、ネットからなくなることはない
「あたまおかしいおっさん」(しかし何故おっさん?)
が風物詩として受容されるような
はてなであり続けなければ
…
ネットの闇と闘いながらも
その醜悪さをこよなく愛したHagex氏も
浮かばれないだろうし*4
「駆逐」することなどできやしない
「低能先生」達の救済も
不可能なのではないでしょうか…