精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

【狂気】の定義:殺される程のことでもなければ、殺すほどのことでもなかった

Hagex氏の殺人事件について、

私が初めて聞いたのはツイッターでした。

事件のニュースに、

「Hagex氏が被害者らしい」

というツイートがついていて

最初は何かの冗談だと思いました。

 

人は「死」という

信じたくない現実に遭遇すると

まず

「否定」

します。*1

 

そして、まあ、様々な段階を経て

「受容」にたどり着けるのですが…

 

 

「受容」の前段階の「鬱」を乗り越えるには

喪に服すことで「自分をおいてけぼり」にしたモノ

が自分にとってどんな意味を持つのか

「喪失」に意味を見出すことが必要だと言います

 

故人を知り、憤りを感じられる方、

ezkay.com

自分も加害者だったかもしれない…と自戒される方、

どちらも知らないが、ショックを受ける方

… 

色々な方が書いておられるのも

この悲痛な事件を自分なりに

理解して前に進もうとする

営みの現れの様に感じます…

 

今回の記事タイトルは黄金頭さんのタイトルに触発されました

goldhead.hatenablog.com

 

精神科医として…

患者が死ぬ 又は 事件を起こす=遺族からの訴訟が来るか?!

と戦々恐々になるのがアメリカン…*2

 

精神科医程の社会的責任は負わされなくとも

メンヘル職人として

患者相手に一番心せねばならないのは

 

自殺する危険性があるか

そして

人を殺す危険性があるか

 

の査定を怠らないことです

 

のっぴきならない所にいる方は「保護」させて頂きます

 

アメリカンのメンヘル職人の留守電には

「今すぐ話を聞いてもらわないとダメなお方は

最寄りの救急病院に行ってちょー」

というお茶目なメッセージが入っていることが

多いです

がっつり訴訟対策です

 

Hagex氏を殺害したと思われる「低能先生」は

人を「自殺」か「他殺」か

「殺す」か「死ぬ」かの葛藤の狭間

(=カタトニア(不動))に追い詰める

「破壊衝動」に抗えず

犯罪者になったのだ

 

と私は思います

 

キチガイの定義は

「皆が理解できない行動をするモノ」

だと私は常々感じております。

 

「現実を認識できていない」

 と「皆」が看做す人達

とも言えましょう

 

客観性を失い

自分の視点でしか

外界を捉えられない

という「キチガイ」の特徴は

「自他の融合」である

と従来の欧米発精神医学では

言われています*3

 

「投影同一化」という概念があります

 

自分の醜悪な部分を受け入れられず

他者に投影することで

他者に自分の醜悪さを引き受けさせる

 

自他の分離が不完全な

境界例に特徴的な「防衛」です

 

「低能先生」は自己否定感の強い人だったのではないか…

というコメントをいくつか見ました

 

他者を「低能」「ゴミクズ」と罵倒することで

自己否定感を

他者に引受させようとして…

ブーメランを喰らう

 

正に「投影同一化」のなせるワザです

 

イケハヤ氏やはあちゅう氏を批判する記事に

「雑魚」というコメントをつけた

というウワサですが

彼はイケハヤ、はあちゅう信者では

決してなかったと思います

 

むしろ、彼等を嫌悪していたハズです

 

しかし「成功した彼等を嫌悪する雑魚」な自分を

受け入れられないが故

暴力的なコメントを残し続けたのでしょう

 

彼の攻撃的コメントは全て自分に対する

嫌悪や卑下

そして自我への迫害意識の現れです

 

よって、彼が「表現の場」を奪われたことに

憤り凶行に及んだ

というのは

彼の中では 

垢バン=毒を吐く場所がない=殺される=殺す

となったという意味では「当たり」ですが

歪な「表現の場」が彼を「凶行」に追いやった

のも又「当たり」だと思います

 

「表現の場」は受け入れてくれる相手を

自分で造り出すことで

初めて生まれます

 

彼は相手にとって心地よいコミュニケーションを怠り

ネットに「自分の居場所」を切実に求めながらも

その「居場所」を「剥奪される」べく

暴言を、迫害妄想をエスカレートさせてしまいました

 

迫害妄想を抱く「狂人」を

排斥し、挑発し、追い詰めることが

危険だということは

きっと今回の事件で明らかになったと思われます

 

が、彼等が

「繋がりを求める寂しい人」である

とばかりに「共感」し

優しく「受容」することにも

多大な危険がつきまといます

 

迫害妄想の根源には

おっぱい理論のクラインの言うトコロの

「悪い」おっぱいがあるからです

 

暖かくて美味しい素晴らしいハズのおっぱいが…

母の溢れる「愛情」が

嬰児にとって「不快」な経験と同時に存在する時

「口の中のおっぱい」は

「自分とは別個の存在」として認識されないまま

自我を攻撃し整合性を揺るがす脅威

として感受され

嬰児は「迫害分裂状態」に陥ります

 

実際に虐待や放置される経験がなくとも

人は根源幻想として

「母」なるモノが「自分に害をなすモノ」でもありえる

という「迫害妄想」の萌芽を抱く

 

それは一番最初に関係を持つ「対象」としての

口の中の母親=おっぱい

に端を発するからです

 

繋がりを求めながらも迫害妄想をつのらせる「狂気」とは

 

「悪い」おっぱいと「良い」おっぱいが

「愛」する母として統合されない「分裂状態」に端を発する

 

とも言えましょう

 

求めてやまない「繋がり」こそが

自我を凌駕する脅威でもあるのです

 

「迫害分裂状態」にある自我は

破壊衝動に駆られながらも

清く正しく美しい自分という「幻想」を

維持するために

常に醜悪な他者と闘い続けなければならず

安寧を得られません

 

被害妄想と言う「狂気」の根底にあるのは

自己肯定感の欠如などという

「わかりやすい」モノではなく

「欲しいモノ」=他者との繋がり

に手を伸ばすことができない

究極的葛藤です

 

暴言コメントをする人を

安易に褒めて、信頼を得ようとすると

迫害妄想を募らせ

敵意をむき出しにされる危険を孕むのは

このためです

 

そんな、一般人なら

「どないしたらエエんや、そんなアブないヤツ」

となってしまう被害妄想患者さんを

華麗にあしらう熟練メンヘル職人さんは

 

「そんな(キチガイじみた)攻撃性は一体どこから来るの?」

 

と自問自答できる客観性の萌芽を植え付けるのが

大変お上手です

 

攻撃的なブコメに真摯にお相手したい

と願うのは素晴らしいのですが

彼等の批判の理不尽さを突くのも

自己弁護にまわるのも

彼等の妄想を強固にしてしまうだけなので

オススメできません

 

ではどうしたら良いのか…

 

私は、Xevra先生の事例を徹底的に研究してはどうかと思います

 

「大脳壊れた…」コメントで

一世を風靡し

垢バンを免れ

しまいには女体化を果たして

(今でも大嫌いな方、おられる様ですが…)

「瞑想、運動、野菜…」コメで

はてなの風物詩となり

最近ではすっかり丸くなった

(と私には感じられる)Xevra先生

是非とも自分語りをして頂きたいモノだ

と思うのですが

 

はてなのどこかに

彼(女)のストーリーもひっそりと

(そんなにひっそりしてないかもしれませんが)

埋もれているのでしょうか…

 

お花畑と言われるかもしれませんが…

低能先生はただ話がしたかったんだろうな

的な態度に、私は惹かれます

 

社会の構造が劇的に変わりでもしない限りは

きっと、ネットからなくなることはない

「あたまおかしいおっさん」(しかし何故おっさん?)

が風物詩として受容されるような

はてなであり続けなければ

ネットの闇と闘いながらも

その醜悪さをこよなく愛したHagex氏も

浮かばれないだろうし*4

「駆逐」することなどできやしない

「低能先生」達の救済も

不可能なのではないでしょうか…

*1:キューブラー・ロスのアレです。

孤立(否定)→怒り→取引→鬱

を経て、最終段階である「受容」に辿り着けます

*2:実際にそんなことは滅多にありませんが…

一回あると弁護費用が莫大なので

そのリスクをカバーするのが大変だそうです

*3:個人的には「自他の乖離」が

キチガイ」の最大のネック

だと思うのですが…

洋の東西における感覚の違いなのだろーなーと...

*4:あまり良く知らないのでざっくりとした印象です…

「当たり」でなくても怒らないで下さい