【ダルちゃん】母親から離別するということ
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【資生堂のダルちゃん】 母親に否定されるということ - 精神分析のススメ
以来、しばらく、ダルちゃんネタ、お休みしていましたが…
実はタイトルを決めあぐねて…
「母親を破壊するということ」にしようか…
「母親が壊れるということ」にするべきか…
と、悩んでいるうちに、もう50話が更新されてしまいますね(もうされてるか…?)
はるなさんの人物、表情の描写がめちゃくちゃ上手いと、何回でも言いたい。
49話で、ヒロセさんは別れを決意したダルちゃんの顔を
「本当に素敵だと思う」
と言っています…
キツい様ですが…
流石は、男になり切れなかったママもどき君の台詞です。
ダルちゃんの必死にすがる顔に怯(ひる)み、
ウィニコット様の仰る様にがっつり「抱きしめる」包容力もない
ママもどき君は、
ダルちゃんがはしゃぐ姿*1を見るに耐えず
罪悪感を覚え、自己嫌悪します。
「優しい」と見せかけておいて
「弱い」だけのオトコの鉄板です。
「鬱」状態で別離の痛みを「感じる」ことを拒否するダルちゃんの顔を見て
「素敵」とは、ちゃんちゃら片腹イタイです。
傷つけ、傷つけられることをオソレて
喪失のイタミを回避しようとするが故
…
人は欲しいモノに手を伸ばすことすらできず
「幸福」の萌芽を自ら破壊し、悲嘆し、絶望し、憤る
「神経症」を患う
と、言ったのはフロイト教授です(と、少なくとも私は思っております)
噛めば噛むほど味わい深いスルメの様に
何度読んでも新しい発見があるフロイト教授の「喪とメランコリー」
(私が感受性だけで読むからなのでしょうが…)
素晴らしい要約をこの方がされておられます
この論文でフロイト教授は
「メランコリー(鬱病)」とは、
失ってしまったモノから自分自身を
解き放つことができない
「明けることのない喪」であることを示唆しています。*2
フロイト教授は「対象」を無価値なモノとして放棄することに
「大切な」ヒロセさん(=愛する「対象」)を「守る」為に
彼を「放棄」したダルちゃんの「喪」が明け、
真の創造性を発揮できる日は来るのでしょうか…
明日が待ち遠しいトコロです。
なんて言ってたら、
ダルちゃん、さくっと終わってしまいましたね…
寂しい…