精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

【いじめ】と藤田ニコル 罪悪感なんてクソなのに。

藤田さんの

「いじめた子が心配」という発言が

どの様な文脈で発せられたのかが分からないので

この記事書くの迷ったのですが。

 

バッシングが凄いので。

 

「こいつ、いじめる側の人間だな」

「それだけのことをしでかしたんだから当然だろ
加害者を心配するとかキチガイかよ」

「犯罪者の人権とかどうでもいい」

「いや、背負えよ
後日和解したならともかく、人殺しやぞ」

「アホか、人殺しといて心配もクソもあるか
刑務所はいれや、あと賠償もはらえ」

 

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1927726.html

 

等の名無しコメント。

 

「何の罪も無い(死ぬほど悪いことをしていない)人が死んだ」こと

に対するやるせ無い気持ちは分かります。

 

「自殺」を「殺人」にむすびつけたい気持ちも分かります。

 

しかし、です。

 

「自殺」に至るストレスの一要因として

「いじめ」があった。

ということは事実でも

死ぬという決断をしたのは当人です。

 

直接手を下した「殺人者」がいないのに、

いじめた子供達を「人殺し」と言う程の、

豊かな想像力があるのなら…

もう一歩踏み込んで、

子供達の「いじめたい」気持ちを

想像することはできないのでしょうか。

 

いじめられた子供が何故、

誰にも助けを求められなかったのか…

 

「誰も信頼できない」

「死ぬことが一番ラク

 という絶望感は一体どこからくるのか…

 

想像し始めたら、

絶望感は実は

「いじめられる」

ずっと以前から潜んでいたことに

気付くはずです。

 

いじめがあったのに

「気付かなかった」り、

見て見ぬ振りをした周囲の人間は、

如何でしょうか?

 

彼等も「殺人犯」ですか?

 

 

「犯罪者の人権とかどうでもいい」

 

という人は、世の中の不条理を全く理解していません。

 

現実は、善悪がはっきりした、

水戸黄門の世界ではありません。

 

ふとした間違いから

自分が犯罪者というレッテルを張られて

吊るされる可能性は

ざらざら転がっているのです。

 

匿名で言葉の暴力を振るう人達は

自分が

如何に破壊的で残虐なモノでありえるのか

考えてみた事は

あるのだろうか

と心配になります。

 

自分を省みることは、

他者の気持ちを理解する初めの一歩でもあります。

 

被害者意識に突き動かされる

無自覚な「暴力」が

他者に及ぼし得る影響を考えようとしない人達は、

何があっても自分の在り方を変えることをしません。

 

自分は、常に「善良」な被害者だからです。

 

匿名で無責任に言葉の暴力を垂れ流す人は、

自分ではいじめられて自殺した子供や、

その親の為に、という名目で

正義感に溢れているつもりかもしれません。

が、被害者に共感する自分達は

実は日常の鬱憤を晴らす為に

「いじめたい」

気持ちを制御しない子供達と

一緒だということに気付いていません。

 

二コルさんは、きっと誤解される隙を見せたのでしょう。

若いとはいえ、有名人で影響力もありながら

無思慮だったという批判は仕方ないにせよ、

「あほか」

キチガイか」

等と罵倒される筋合いは全くありません。

 

本当の問題は、アンミカさんの言う、

「いじめがなかった前提で動いていたことで、

実は加害者の子たちの更生の機会も奪っている」

という点だと思います。

 

西川史子さんの

「いじめた側は、一生贖罪として残していかなきゃいけない」

という発言が、唯一正当な意見というコメントをみました。

 

又しても、文脈が分からないし、

大変失礼とは存じますが、

私にしてみれば、

情に流されているだけで、

建設的でないこの方の意見の方が、

「ばっかじゃねぇかー」

という印象です。

 

いじめた側に贖罪させるという大義名分は

いじめそのものです。

バッシングで負の連鎖を存続させるより、

いじめが起きないように、

「無邪気」な「いじり」が行き過ぎないようにするには

如何したら良いか

ということを考えるべきです。

 

そのことについて、

オープンに対話できないのであれば、

いじめはなくならないでしょうし、

加害者達の真の悔悛は得られません。

 

罪悪感なんか背負って生きる事なんて、

はっきり言って無意味です。

 

罪悪感に苛まれて生きる人達は、

「自分は悪いことしたって

分かってて苦しんでるんだから、

もう赦してーやー」

とばかり、

自分を見据えたり

変えようとすることは決してしないからです。

 

クソみたいな罪悪感を感じたり、

植え付けるくらいなら、

自分の中に潜む「無自覚な残虐さ」に

真正面から向き合う方が、

余程問題解決の道に繋がります。

暇な女子大生と、騙されたい人々

暇な女子大生というツイッターがいることを、5歳さんの記事を読んで知りました。

(追記:5歳さんの記事がgoogleからの勧告で消去されたそうです。立派に言論の自由の冒涜です。日本のgoogleは、何故そんな権限を持っているのでしょう。抗議できないんですかね?)

 

2月くらいまで遡って読んでみましたが、老人(禿げ)嫌いで、親の金で適当に私大に入ってリア充しているイケメンが羨ましい東大の男子(達)の妄想キャラ臭がプンプンします。

 

皆きっとそんなのウスウス感じ取っているんでしょうけど、エンタメ性が高すぎるため、「中の人」あばきが無粋とされるのでしょう。

 

電車男」をちょっと前に読みましたが、あれも、お話としては楽しいけど、実話としては信憑性に欠ける話でした。

 

彼女(?)の魅力、文章力やエンタメ性の高さについては、5歳さんや、以下の記事で、充分に考察されています。

エリート男喰い日記「暇な女子大生」がバカ受けする訳 | 社会貢献でメシを食う。NEXT 竹井善昭 | ダイヤモンド・オンライン

 

ので、私は不信感を棚上げにして幻想に浸りたい、現実逃避な日本の若者の妄想を考察してみたいと思います。

 

暇女が東大生に受けるのは当然です。エリート嗜好のやりマン。という設定では、エリート以外の男性は楽しめない筈。なのに、何故ここまで拡散したのか。

 

私は、この原因が暇女さんの単純明快なエリートの定義にあると見ております。東大学部生、又は卒業生。「センター試験で800以上とれる」賢さ。偏差値70の賢さ。

 

知能テストの開発にも携わった、ピアジェというフランスの心理学者は子供の知的発達について研究しました。ピアジェは小学校高学年以降は、「抽象概念および仮説上の出来事に関して合理的、系統的に考える」能力を有する(ウィキ参照)。としています。

 

中学、高校と、本来ならば倫理観や、哲学といった抽象概念が発達する時期に、偏差値と言う絶対的な価値観を押し付けられる子供たちは、テストで100点取れさえすれば、成功者。勝ち組。幸せになれる。というシェマ、「外界の認知に関する基本的な枠組み」をがっつり叩き込まれるワケです。

 

ピアジェについては、この方のサイトも参照しました。

http://psychjapan.com/276.html

 

暇女さんに話を戻します。

 

彼女の男性選択の基準には、はっきり言って創造性のかけらもありません。

 

しかし、それが彼女の魅力でもあるのです。男を狩り、破天荒にセックスを楽しみながらも、絶対的安定感をもたらす。

 

白黒はっきりつけられる。良し悪し、善悪のくぎりが明快。水戸黄門の世界観と一緒です。分かり易い正義が勝つ世界です。

 

偏差値高くても、お金をひけらかしてはイケません。というのも、偏差値低くても、お金は儲けられるという不条理に対する反感が表れているといえましょう。

 

(偏差値高くても)社会に適合できない男の子達は、これ(お勉強)さえ出来れば、何があっても(コミュ障でも、キモくても)女の子は受け入れてくれる、という幻想に浸りたいのです。

 

偏差値=脳力で、女の子が膣ピクしてくれる、と信じたいのです。

 

暇女さんの関白宣言には、是非とも(内田)春菊さんや、西原(理恵子)さんを踏まえて「チンかす洗って」を入れて貰いたかったです。でも、「爪切って」だからこそ、男性諸氏の幻想として成り立つので、まあ、仕方ないですかね。

 

因みに、男性諸氏には、ちんを大切にして頂きたい、と言う趣旨の記事はこちらになっております。

EDと、父親不在と、村上春樹 - 精神分析のススメ

続 ED: 去勢 と 回帰願望 - 精神分析のススメ

neofreudian.hatenablog.com

私とそれ 日本人の「自我とエス」

5歳さんの記事に触発されて考察しました。(追記。GOOGLEから警告受けて、削除されたそうです。何てことでしょう。抗議できないんですかね。言論の自由は何処だって。まったく。)

www.machikado-creative.jp

「頭はいつも知性的で理性的。それに引き換え〇んこ脳は常にエロい事を考えている。この二つの脳みそは一応いつも戦って、せめぎ合っているものの、圧倒的な力でいつもちん〇脳の方が勝つ。

(中略)

そして、このちん〇脳が悪さをしないか、世の女の子達は日々疑い、監視し、とてつもなく膨大な時間とエネルギーを浪費している。」

 

河合隼雄先生の「自我とエス」の素晴らしい解釈、「わては それに やられましてん」を思い出します。

 

「自我」は、理性の座する「頭」、「エス」は本能、即ち、「〇んこ脳」。そして、自我を監視、本能を検閲する「超自我」は「世の女の子達」。正に、女性原理に支配される日本人の深層心理を現す素晴らしい描写です。

 

5歳さんってば、もしかして、フロイディアン?

 

ちなみに、「わて」が「それ」にやられてしまったり、「超自我」が必要以上に厳しい無慈悲な物になってしまわないように、「それ」の欲動を「わて」が汲み取り、意識的に制御できるようにするのが、精神分析のゴールでございます。

 

くどいようですが、ちん切るなんて言わないで下さいよね!

男性の「〇んこ脳」から生まれる創造性なしには「世の女の子達」も悦びを失い、日本の将来は真っ暗闇になってしまいます。

 

「否、どうしても〇んこが悪い!」と言われるのなら、切ってしまう前に、是非とも、精神分析をお試し下さい。

祝!

先日、アクセス解析見たら、いつも1-10回くらいなのに、40回超えてました。かなり嬉しいです。けど、びっくりです。ツイッターからのアクセスだったみたいです。有難う御座いました。

 

かなりコアだし、楽しいブログではないし、最後まで読んで頂けるのか、とか心配です。。

 

星を下さる、ぼっちさん、初めて見た時は、間違えて押さはったんちゃうか、と思いました。再訪問して頂けていること、とても励まされます。

 

いろいろな方のブログに触発されて、自由連想で書いておりますが、こんなに真剣に文章書くなんて、学生時代に戻った気分です。

 

アクセスあると、励みになりますが、コメントもしてもらえるともっと嬉しいです。

 

分かる、さっぱり分からん、何言うてんねんや、何でも結構です。これからもどうぞ宜しくお願い致します。

続 ED: 去勢 と 回帰願望

去勢とか、割礼とか…

もうその言葉聞くだけで

「痛っ。」

って感じなので、リサーチしたことなかったのですが

EDについて書いた

EDと、父親不在と、村上春樹 - 精神分析のススメ

後に、こんな記事を見つけて、触発されてしまいました。

www.machikado-creative.jp

 

5歳さんお勧めの

「中国王朝最後の皇帝に仕えた宦官の話、浅田次郎の『蒼穹の昴』という小説」

是非読んでみようと思います。

 

フロイト自身、男児の死の恐怖を「去勢不安」と名付けたのだし

直接「去勢」に関する幻想(ファンタシー)の事例が色々あっても良さそうなのに

あまり聞いたことないのは 私が不勉強なだけ 摩訶不可思議なのですが…

 

フロイトの居たウィーンでは当時

マスターべションはおろか

ちんをもじょもじょ触ってるだけでも

男の子は、

「そんなことしてたらおちんちん腐っておっこってしまうでっ」

とか、

「ちょん切るでっ」

って感じで(主に乳母の女性に)怒られたそうです。

 

子供騙しの脅しとはいえ、何とオソロシい。

 

更には、フロイトが診ていた由緒正しいユダヤ人の御子息方は、

割礼(ちんの先っちょをちょン切ってしまうという

想像するだに膝がガクガクになってしまう恐ろしい宗教儀式)

を物心つかない幼少のみぎりとはいえ

通過しておられるので…

さぞかしビビッドな幻想を描けたことでしょう。

 

可哀相に当時の男子はマスターべションする度に

「ちんちん無くなったらどうしよぉぉぉ」

って慄いていた、と言うことです。

 

しかし、そんな脅し文句は

「心身の健全な発育を妨げる」

ということで、

おそらく、そういう言葉は

教育熱心なブルジョワの間ではあっと言う間に使われなくなったのでしょう。

(特にミセス・クライン以降)精神分析の有名どころの事例で

「去勢不安」という言葉が出てくると

大体、身体が壊れる、死んでしまう、等の

ちんちんに限らず、身体全般広範囲を対象とした

「不安」を意味するようになりました。*1

 

ところが、少なくともアメリカンな日常会話で

(って一体どういう日常会話でしょう…?)

カストレーション、「去勢」というと、

圧倒的に女性が男性よりも優位な事を誇示して、蔑んだり、軽んじたりすること

で、男性の威厳をそこなう、という文脈で使われている気がします。

 

印象深い用例といえば

30代の不安神経症の男性の方による

母親と父親のやり取りの描写です。

感謝祭の晩餐で出される丸ごとの七面鳥は通常

家長の父親が切り分ける習慣だそうです。

が、彼の家では毎年の如く

父親が切り分けようとすると、母親が電動ナイフを持ち出してきて

「そんなん、あんたみたいにちんたら切っとったら

明日になっても、肉、食われへんわっ」

という罵詈雑言と共に、ブィーンと、スイッチオンされて、

最終的には母親が切り分けておられた

ということでした。

 

彼は、母親を「去勢」する女

父親を「男性性を剥奪された」男

と描写しておられました。

 

当然、長男の彼は父親と同一化することに強烈な抵抗を抱きつつも

母親から「男性性を剥奪された」感を拭えないまま

大人になってしまいました。

 

異文化比較論になってしまいますが、

アメリカの嫉妬深い彼女達もかなり強烈です。

 

5歳さんが描かれておられる様に、

他の女性が視界に入っただけでも嫉妬されるので、

テレビもおちおち見ていられないことも…

 

まあ、でも…

大多数は、息苦しくなるとさっさと手を切って

他の女に手を出す不義理な、アメリカン男性。

 

5歳さんの様に、ちんを切るという

服従と忠誠の誓いと覚悟の象徴」

をもって、妻の信頼を回復したい!

という斬新な発想は

えげつない下ネタ満載な

スタンダップコメディの冗談にも中々出てきません。

 

勝手ですが、5歳さんのチン切って

「一生の服従と忠誠を誓う」

なんていうのは、女皇帝様に憧れるMな日本男児の幻想

というよりは、

母子一体感への回帰願望の現われ

なのではないかと勘ぐってしまいます。

 

可愛い奥様の嫉妬心を宥めるのには

母子一体感回帰幻想に浸って

「ママ僕良い子だよ。喜んで。」

と、訴えるのではなく

大人の男として、「オンナ」を満足させることが必要

なのではないでしょうか。

ちんが無くて如何に、女を満足させられましょうか?

男がシャンとしていないから、女も「規制心」を失って、

「モトカノ殺す」

とか物騒なことを言い出すに決まってます。

 

「そんなんちゃう、ちゃう、あんた何も分かってないなあ」

というのであれば、是非とも反論を聞きたいものです。

 

「破壊衝動」を上手く「規制」した上での「革新」や

「創造性」といった機能こそが

自己実現を果たした、あるべき姿の「父性」であり

「男性」像でもあります。

可愛い男の子が二人もいらっしゃるのに

5歳さんがちんをちょん切って

「お母さん」に「服従」してしまっては

母親が2人になってしまい

彼らは同一化すべき「強い」「格好良い」父親

を失ってしまいます。

 

更に、中国について言えば

本読んでもいないし、史実全く無知で、思いっきり勝手なこと言いますが

チンを切ってまで「一生の服従」を誓った宦官がざらざら居ても

「男」たるモノが孕む新しい可能性を犠牲にしては

如何に4000年の歴史があろうとも

没滅を防ぐことが出来なかったのも当然至極でしょう。

 

日本の男性諸氏に、もう一回。言わせて貰います。

 

ちんをくれぐれも大切になさって下さい。

 

只でさえ「父性欠如」とか言ってるんだから

ちん、ちょん切ってしまわれては

日本の明るい未来はありえません。

 

日本の「男は辛いよ」シリーズに、興味のある方は、こちらもどうぞ。

EDと、父親不在と、村上春樹 - 精神分析のススメ

ハゲもヒゲも駄目ってどういうことよ? - 精神分析のススメ

*1:って、「ホンマかー。」と突っ込まれると困ります。推測入りまくったイイ加減な歴史解釈です。

EDと、父親不在と、村上春樹

最初にお断りしておきますが…

村上春樹氏がEDという話では決してありません。

 

「父親」、「母親」、というのは便宜的に使っているだけで、実際の両親ではなく、象徴的な言語だとご理解下さい。

 

性依存の話が終わったところで、EDっていうのは、

ちょっと野心的すぎ?

ですが、精神分析のススメですからね。

 

性(生)エネルギーに直接関係したトピックが求められているかな…

という理由は全くの後付で

最近、村上春樹氏の「パンや再襲撃」を読んだのと

皆が大好きEDを公言して憚らないはてなの有名人

id:Delete_All フミコさんに

触発されました。

 

自己実現できた大人になるって実はとても大変な事です。

と、最近特に感じます。

色々な方のブログを読むにつけ

日本人の男性には日本特有の困難が付きまとっていると感じます。

 

EDや、EDを含む性機能障害(インポテンツ)は

 

心理的に男として機能できていない

ということが肉体的に表現された心身症である

 

といえましょう。

 

たまに立たないのは、当たり前ですが…

勃たないことがショックで後を引く

勃たないかもしれないから…お薬に頼る

というのは、立派に心の病です。

 

大人の男になる、ということは

子供を持つ持たないに関わらず

「父」との同一化を果たすということでもあります。

 

「日本には父親がいない」

と言う話が鈴木晶氏と内田樹氏の対談本にありました。

(大人は愉しい ちくま文庫

 

全く同感です。

 

更に、日本の男性は大人の男として自我を確立する上で

「母」という女性原理に同一化しなければならない…

現代日本の社会問題は

父親不在の問題ではなく、母親機能不全の問題だ

ということで

「ふぉー。上手にまとめはるなあ」

と感心させられました。

 

お二方は離婚されておられるので

特に「母」を満足させられない

「父」の不能感も痛感されておられることでしょう。

私のような若輩者が言うのはまことに不遜ですが

痛々しいことです。

 

ブログで様々な男性の

職場での不満や父親との戦い(又は全く触れていない)を

読むに付け

男性原理の欠如、女性原理の機能不全が

如実に浮き上がってくるように思います。

 

私がブログに惹き込まれる理由の一つには、

 

読んでいると、現実と幻想の錯綜を感じるからです。

 

ネットでは現実で他人に吐くには躊躇するような

言葉の暴力が頻繁に起こりえます。

 

慮りだらけでがんじがらめになっているかと思えば

このような、破壊衝動の無法地帯が発生してしまうのは

職場での上司とのやり取りや

面接の描写を読んでいると顕著な

他人の「上に立つ立場」に在る男性の不全性、

ひいては「父の不在」に端を発しているように感じます。

 

「父親の機能」とは、簡単に言うなら

「破壊性の制御」による「創造性の実現」を図ること

に尽きると思います。

 

先輩分析家の言葉を借りると

「ペニスの扱い方を教える」

と言えましょう。

 

ここからは、あくまで象徴的言語です

ので、本気で子育ての知恵にされると困ります

 

念のために誤使用の注意を貼っておきます

免責事項 自己紹介に換えて - 精神分析のススメ

 

フロイトの心理発達理論に沿うと

男児の発育に於いて「ペニスの扱い」が課題となる時期は

2回訪れると言えましょう。

 

まずは名前からも明らかですが、

3-6歳頃の、男根期(エディプス期とも言います)です。

 

具体的に言いますと…

この時期に、男子は立ちションを覚えます。

おしっこするときに、

トイレを汚さないように、

いかにおちんちんを支え、標的を定めるか…

 

母親からの分離に際し(父親の)助けが必要

と同時に、

対抗心の芽生えとともに、勝負に勝つ為には、

攻撃衝動に明確な方向性や、計画性、戦術を与える

という、(父親からの)教唆が必要になる時期でもあります。

 

この時期は「遊び」も「真剣勝負」ですが、

父親が大人気なく徹底的にやり込めてしまっては大変困ります。

 

大人に「勝てない」絶望感を克服できないと

鬱な男性の自己不全感や

自己愛な男性の「羨望」として

後々の「神経症」の核となってしまうからです。

 

かと言って「父」が安易に敗北してしまうのも問題です。

「勝利」にまつわる「父」の壊滅に対する「罪悪感」に苛まれ

「成功」しそうになると

わざと失敗したり、鬱でやる気を失う

といった古典的どMな「神経症」になってしまいます。

 

フロイトは、性器期(9-12歳)の親との関係については

あまり述べていませんが

この時期には心身(=ペニス)に大きな変動が起きます。

 

可愛い男の子から、魅力的な男性に

スムーズに移行するためには

更なる母親との「断絶」と、自己の「革新」

といった「父親の機能」の働きが必要です。

 

男根期に尿の処理に助けが必要であったように、

性器期においては精液の処理にも(父親の)助けが必要です。

 

ペニスから出てくる尿と精液を適切に処理し

男性の「身体」に対する清潔感や、自信感を育む為には

「父の機能」が不可欠です。

 

母親がいつまでもおちんちんの世話をしていては

「母子分離」が不可能なばかりか…

 

過剰な性的興奮に苛まれ

近親相姦に対する不安が昂じて

性的興奮への葛藤が耐え難く感じる

という由々しき事態へと発展します。

 

(母親がいない)「世界は楽しい感」、

(母親がいなくても)「自分は大丈夫、できる!」

という自信と達成感

を抱かせるという重要な機能は

「母子」という二者間の繋がりに割って入る

「第三者」である

「父」が果たさねばならないモノなのです。

  

前置きが長くなりましたが、

ここからが村上春樹氏の「パンや再襲撃」の感想(?)です。

 

「パンや再襲撃」は

正に父親不在のトラウマを

女性(=母親)の助けを借りて克服しようとする

日本男児の話のように思われます。

 

結婚したカップルが、ある晩耐え難い飢餓感に襲われ、

妻の主導権の下、二人で

(深夜開いているパン屋がないので仕方なく)

マクドナルドを襲撃する話です。

 

二人の飢餓感を満たすには、

10余年前に尻すぼみに終わった夫の「犯罪」

パン屋襲撃を敢行し、

成功させなければならない。

と妻が信じるが故、二人は犯行に及ぶ。

というのが大変興味深い点です。

 

若き日の夫は働くことを拒否し

パン屋を襲撃することで

その日を食いつなごうとします。

 

働き、社会に迎合することを拒否する、

と言うのは成人する前に通過する

「父なるモノ」への反逆である

といえましょう。

 

若い彼らの反逆の試みが、

「父性なき父」である

パン屋の主人*1

非暴力的な申し出によって方向性を失ってしまう。

 

大変理不尽ですが、

「父」なるものと勝負できなかったことが

トラウマになり得る

ということだと思います。

 

河合隼雄氏のいわれた

物分り良すぎる親では困る

という言葉が思い出されます。

 

パン屋の主人が

ワーグナーのレコードを持ち出すのではなく

じゃんけんで勝負でもしてくれたら

再襲撃しなくてよかったのかもしれません。

(私は平和主義ですが

マクドナルドなんか

どんどん襲撃されて結構

とおもってしまいます。)

 

村上春樹氏の描かれる世界(少なくとも長編)では

常に女性(=母)は

突然消えうせてしまう存在です。

これも、母子分離が父親の補助によって

徐々になされない為

トラウマになって残ってしまう日本人の*2

深層心理に深く訴えかける所以ではないでしょうか。

 

母親との一体感が突然失われるという幻想(内的現実)は

愛されない自分

全能感に欠ける自分

として、子供の心に

・欠乏感

・愛情飢餓

・分離不安

そして…

・全能感の欠如 (ED に如実な不能感の種) 

となって残ります。

 

そこで、日本男性諸氏にアドバイスですが、

バイアグラや、シアリスには危険な副作用がつきものです。

マスターべションで立つのに、

女性相手で立たないというのは、

身体要因ではありません。

 

100%心理的要因です。

 

女というモノに対する恨みつらみもありましょうが‥

男性を男性たらしめる「攻撃性」に対する怖れ

挫折に対する不安

羞恥心と立ち向かい

自分のモノとして受け入れ、慈しむことで

「規制心」を養うことが大切だと言わせて戴きたい所です。

 

父親不在テーマ、こんなんも書いてます。

続 ED: 去勢 と 回帰願望 - 精神分析のススメ

発達障害のメタファー 「亜人」 - 精神分析のススメ

バカボンのパパなのだー の ススメ - 精神分析のススメ

鬼嫁に魅せられる男達 - 精神分析のススメ

 

理想の父についても考察してみました

【ハロウィン】若者の暴徒化 と 「コントロール」 - 精神分析のススメ

*1:パン=乳の代わり ということで

「父」が「母」の代わりでしかあり得ないことの象徴だと思います

*2:だけじゃないから、世界各国で翻訳されるんでしょうね

【性依存症】 カエデさん その5.依存からの脱却 充足と共感

neofreudian.hatenablog.com

neofreudian.hatenablog.com

neofreudian.hatenablog.com

neofreudian.hatenablog.com

一応、これらの記事の最終回です。

今日は、アメリカが誇る分析の大家、

偉大な火星人*1

ちゃうちゃう、

コフート大先生に挑戦してみます。

 

精神分析的アプローチのみで、

境界例の治療に及ぶのは、

はっきり言って無謀だ。

 

というのが現在アメリカでは一般的な見解です。

 

が、例えば認知療法や行動療法で、

リスカ等の自傷行為や、

自殺願望、薬物依存等の症状緩和のみに

注目していると、

根源にある愛情飢餓感、

断絶不安を解消できるわけではないので 

もぐらたたき状態で、

ひとつの症状が治まると

異なる症状が出てしまうこともままあります。

 

カエデさんの、

「依存先が性行為から彼氏になっただけなのでは?とも思っている」

という懸念は、

この根底にある飢餓感、不安感を

拭い切れないからではないでしょうか。

 

カエデさんの記事はこちらです。

性依存症 気が狂うほどの性欲に押しつぶされる – メンヘラ.jp

 

彼女の記述で、グッときてしまったのが、

「相変わらず過去のトラウマ等々で

事後ヒステリーを起こしたりすることも

多々あるのですが、

隣で彼氏が一緒に泣いてくれるので、乗り切れています。

 

というクダリです。

 

最近…

と言ってもここ20年ですが…*2

心理学では、

母子関係の研究を元に、

共感力を助長する母親、

情動調整能力*3を伸ばす

母親のあり方が明らかになってきています。

 

泣いている赤ちゃんを泣き止ませたり、

泣きそうな赤ちゃんを落ち着かせることができる母親とは、

赤ちゃんの要求に、敏感かつ速やかに対応し、

「抱きしめる」母親

というのは当たり前過ぎる結論です。

が、それでは全面的に母親に頼る、非力な赤ちゃん像しか

浮かび上がってきません。

 

そこで、「理想のママは魔法使い」論に反し、

真の情動調整力は、

母親が要求に応じてくれるから伸びるのではなく、

元々赤ちゃんが持っている

という観点から

赤ちゃんの発達を助ける母親とは、

赤ちゃんの興奮状態に、自分の表情や

声の調子を合わせて同調する(歩み寄る)ことで、

赤ちゃんの情動調節をリードすることができる母親である。

ということが言われ始めています。

 

どんなママかと簡単に言うと、

興奮してキーっと叫ぶ赤ちゃんに合わせて、

自分も遊び半分で興奮する

声を一旦、一緒に上げてから*4

シーっと宥め、

自分も一緒に興奮して、落ち着けられるママって感じです。

 

この母親像に、

私はハインツ・コフートのいう、双子共感を思い起こしてしまいます。

 

コフートは、境界例と同じく

「感情の混乱が激しくストレスに脆弱な」

B群のパーソナリティ障害の

自己愛性な人々について

中々良い事言ってくれるのですが、

学生時代に読んだっきりで、

ぼんくらな私にはさっぱり訳ワカメ。でしたので、

この方の簡潔極まりない素晴らしいまとめを参照して下さい。

 

http://d.hatena.ne.jp/away_sw/20050222/1109071522

 

シカゴを拠点とし、

余所者にはとーてー理解でけへん独自の言語体系を編み出され、

理論的にはがっつりフロイト拠り、

難解度はラカン級、

まるでおフランスコフート大先生には、

コフート派(= コフーシアン)という、

まるで火星人(= マーシアン)な派閥もついておられます。

 

分析家と患者の関係性という特殊な文脈中、

立ち表れる「転移」という幻想を取り扱う上での

共感の理論を説いておられるので、

このポップな応用を知ったら

お墓の中で身もだえされること間違いなしでしょう。

それは何ぼなんでもちょっと勘違いちゃう?

という部分も無きにしも非ず、

ですが、

分かりやすいし、ま、良いか(笑)ってことで、

こんな解説もありました

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20121115/330782/?ST=p_bizboard

 

「拡大解釈するでないっ」

と、火星人(しつこいっすね)、

じゃなくって、

コフーシアンな大先生方に一喝されるのが

怖いのですが(ビクビク)。

私的には、コフートの双子共感概念は*5

自分を愛する為には、

根源的不安や、不足感を、

(母親的な?)他者から「良い物」「必要な物」を

与えられることによって

解消するだけではなく、

絶望感や、破壊衝動をも分かち合える

理解あれども、

一緒に絶望や破壊衝動に翻弄されてしまうことのない、

揺らぎない(父親的な?)誰かが存在している、

と感じることで充足、安心感を得ることが必要、

ということにも繫がっているように思えます*6

 

私の推測ですが、

カエデさんは、

きっと彼氏さんと、

お互いの双子共感幻想を充たし合う関係性を

築き上げることができたのではないでしょうか。

 

5回に渡って長々と書き綴りましたが、

お二人が、安心と充足ある関係を続けられることを、

カエデさんが働く喜びを見出せることを、

蔭ながら応援しています。

 

拙い文章に、最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。

*1:すみません

絶賛身内ジョークです

*2:ひえっ。急に老人になった気分だ。(汗)

*3:その2、その3で書いた、自慰力に繫がる力です

*4:自分が先に怒って

興奮、キーっではNGです。

赤ちゃんは

興奮 = 怒り+破壊衝動 

という繋がりを形成してしまいますから

*5:ちょっとビオンとか、

ネオ・クライニアンっぽくなりますが

*6:ちょっとDBT入ってるか…