EDと、父親不在と、村上春樹

村上春樹氏がEDという話では決してありません。「父親」、「母親」、というのは便宜的に使っているだけで、実際の両親ではなく、象徴的な言語だとご理解下さい。

 

性依存の話が終わったところで、EDっていうのは、ちょっと野心的すぎ?ですが、精神分析のススメですからね。

 

性(生)エネルギーに直接関係したトピックが分かりやすいかな。という理由は後付で、実はある方のブログに記述があったので触発されてしまいました。

 

自己実現できた大人になるって実はとても大変な事です。と、最近特に感じます。色々な方のブログを読むにつけ、日本人の男性には日本特有の困難が付きまとっていると感じます。

 

EDや、EDを含む性機能障害 (インポテンツ) は、心理的に男として機能できていない、ということが肉体的に表現された心身症、といえるでしょう。たまに立たないのは、当たり前ですが、立たないことがショックで後を引く、立たないかもしれないからお薬に頼る、というのは、立派に心の病です。

 

大人の男になる、ということは「父親」(子供を持つ持たないに関わらず)との同一化を果たすということでもあります。

 

日本には父親がいない、と言う話が鈴木晶氏と内田樹氏の対談本にありました。(大人は愉しい ちくま文庫

 

全く同感です。

 

更に、日本の男性は大人の男として自我を確立する上で「母親」という女性原理に同一化しなければならない。現代日本の社会問題は、父親不在の問題ではなく、母親機能不全の問題だ、ということで、上手にまとめはるなあ、と感心させられました。お二方は離婚されておられるので、特に「母」を満足させられない「父」の不能感も痛感されておられることでしょう。私のような若輩者が言うのは不遜ですが、痛々しいことです。

 

ブログで様々な男性の職場での不満、父親との戦いを書いておられる(又は全く触れていない)のを読むに付け、男性原理の欠如、女性原理の機能不全が如実に浮き上がってくるように思います。

 

私がブログに惹き込まれる理由の一つには、読んでいると、現実と個人的な幻想の錯綜を感じるからです。

 

ネットでは現実で他人に吐くには躊躇するような言葉の暴力が頻繁に起こりえます。

 

このような、破壊性の無法地帯が発生してしまうのは、職場での上司とのやり取りや、面接の描写を読んでいると顕著な、他人の上に立つ立場に在る男性の不全性、「父親の不在」に端を発しているように感じます。

 

父親の機能」とは、簡単に言うなら「破壊性の規制」による「創造性の実現」を図ることに尽きると思います。先輩分析家の言葉を借りると、「ペニスの扱い方を教える」と言えましょう。

 

ここからは、あくまで象徴的言語ですので、本気で子育ての知恵にされると困るのですが、フロイトの心理発達理論に沿うと「ペニスの扱い」が課題となる時期は、2回あると言えましょう。

まずは名前からも明らかですが、3-6歳頃の、男根期(エディプス期とも言います)です。この時期に、男子は立ちションを覚えます。おしっこするときに、トイレを汚さないように、いかにおちんちんを支え、標的を定めるか。母親からの分離に際し、(父親の)助けが必要と同時に、対抗心の芽生えとともに、勝負に勝つ為には、攻撃衝動に明確な方向性や、計画性、戦術を与えるという、(父親からの)教唆が必要になる時期でもあります。この時期は、遊びでも真剣勝負ですが、父親が大人気なく徹底的にやり込めてしまっては大変困ります。

 

フロイトは、性器期(9-12歳)の親との関係についてはあまり述べていませんが、この時期にはペニスに大きな変動が起きます。可愛い男の子から、魅力的な男性に、スムーズに移行するためには、更なる母親との「断絶」と、自己の「革新」といった「父親の機能」の働きが必要です。男根期に尿の処理に助けが必要であったように、精液の処理にも(父親の)助けが必要です。ペニス(から出てくる尿と精液)、ひいては、男性の身体に対する清潔感や、自信感を育むには、父性の機能が不可欠でしょう。

 

母親がいつまでもおちんちんの世話をしていては「母子分離」の機能、(母親がいない)「世界は楽しい感」、(母親がいなくても)「自分は大丈夫、できる!」達成感を抱かせるという重要な「父親」機能が果たされません。更には、子供の性格、過敏さにもよるとは思いますが、近親相姦の不安が強まり、興奮を抑制しにくいのではないか、という懸念が残ります。

 

先日、村上春樹氏の「パンや再襲撃」を読んでいて思ったのですが、この話は正に父親不在のトラウマを母親の助けを借りて克服しようとする日本男児の話のように思われました。

 

結婚したカップルが、ある晩耐え難い飢餓感に襲われ、妻の主導権の下、二人で(深夜開いているパン屋がないので仕方なく)マクドナルドを襲撃する話です。それというのも、二人の飢餓感は、夫の10余年前に男友達と最初に行ったパン屋襲撃が尻すぼみに終わったことに起因する、と妻が判断したから、というのが大変興味深い点です。

 

若き日の夫は働くことを拒否し、パン屋を襲撃することでその日を食いつなごうとします。働き、社会に迎合することを拒否する、と言うのは成人する前に通過する「父なる者」への反逆の象徴であるといえましょう。若い彼らの反逆の試みが、「父性なき父親」であるパン屋の主人の非暴力的な申し出によって方向性を失ってしまう。理不尽ですが、父なるものと勝負できなかったことがトラウマになり得る、ということだと思います。河合隼雄氏のいわれた、物分り良すぎる親では困る、という言葉が思い出されます。パン屋の主人が、ワーグナーのレコードを持ち出すのではなく、じゃんけんで勝負でもしてくれたら再襲撃しなくてよかったのかもしれません。(私は平和主義ですが、マクドナルドなんかは、どんどん襲撃されて結構、とおもってしまいます。)

 

村上春樹氏の描かれる世界では女性(母親)は常に突然消えうせてしまう存在です。これも、母子分離が父親の補助によって徐々になされない為、トラウマになって残ってしまう日本人(だけじゃないから、世界各国で翻訳されるんでしょうね)の深層心理に深く訴えかける所以ではないでしょうか。

 

母親との一体感が突然失われるという幻想(内的現実)は、愛されない自分、全能感に欠ける自分として、子供の心に欠乏感、愛情飢餓、分離不安、そして全能感の欠如 (ED に如実な不能感の種) となって残ります。

 

そこで、男性諸氏にアドバイスですが、バイアグラや、シアリスには危険な副作用がつきものです。マスターべションで立つのに、女性相手で立たないというのは、身体要因ではありません。100%心理的要因です。女というモノに対する恨みつらみもあるかもしれませんが、男性を男性たらしめる、「攻撃性」に対する怖れ、挫折に対する不安、羞恥心と立ち向かい、自分のモノとして受け入れ、慈しむことで真の規制心を養うことが大切だと言わせて戴きたい所です。