精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

【亜人】発達障害のメタファー

漫画も

若い頃は沢山(しかも同じのを何回も…)

読んだのですが

日本を離れてから

全く読めなくなってしまいました。

ので、最近何が面白いのかさっぱり分からないのですが

 

自己表現が過激すぎたせいで

はてなから追放されたと

まことしやかなウワサの

ハマダさんのオススメで

https://hamaren.com/

亜人」を一気読みしたので

色々と思うトコロを書いてみます。

 

潰れましたねー。

読書の秋の美しい半日が。

外に出ることもなく。

 

きっと違法な無料サイトだったので

歪んだ画面で

上下逆なページもあって

読み進めるのは容易ではありませんでした

 

が、10巻まで!

一気に!

読みました。

こんなに集中(?)したの

久しぶりで頭がクラクラします。

 

当初、

 

平凡(?)な高校生(?)が

不死の力(超人的力)を得て

自分と同じ(だけど、パワーアップした)能力を持つ

悪者と戦う

 

という…

 

「なーんだ、寄生獣の焼きなおしかい?」*1

 

と思ったのですが読んでいるうちに

何だかどんどん

モヤモヤが蓄積して。

 

ぶっちゃけて言うと

人物設定や

人間関係描写に説得力がない。

 

とても希薄でちぐはぐな感触なのです。

 

読んでて、15秒おきに

「何で、そんなにその人のこと好きなの?」

「何でそこで、そんなこと感じて

そんな極端な行動になる?」

「え?」

「おいおい」

「うっそー?」

「何でやねん?」

「おい、何でや?」

って、感じです。

 

だからといって

 

全く面白くなかった

 

というのでもない…

 

なんでやねん

 

半日で一気に10巻読んでしまうくらい、

ストーリー展開に緊張感があり

充分惹きつけられてしまった(不覚)。

って感じですわ。

 

で、考えてみたトコロ

 

亜人」で描かれる

人間関係の唐突さと、希薄さ

そして方向性のない破壊的衝動のあり方が、

自閉症スペクトラムの人達の

内的経験を如実に表現しているのでは…

 

そして、こんなお話がウケるということは

自閉症児の「唐突さ」と「暴力性」の克服の困難さは

現代に生きる多くの日本人に共感を呼び起こすのかもしれない…

 

と思いあたりました。

 

他人と違うことが排除の理由になる日本では、

他人と違う能力(破壊性)を持つ「亜人」達が

「人と似て非なるモノ」

として迫害される世界には

共感を禁じ得ないとしても

全く不思議ではありません

 

が、今回は

迫害妄想の探求はひとまずおいておいて

私的には今最も興味を持っている、

父親不在

というテーマで攻めてみたいと思います。

 

ネタばれ注意…かな?

あんまり、ちゃんとあらすじ紹介しませんが…

以下、がっつり私的、解釈です。

 

幼い頃から自分は周囲とは違う

と感じていた主人公の圭は

自分にしか見えない

黒いお化けが妹を傷つけるのではないか、

と怯えます。

 

黒いお化けが

方向性がなく、コントロール不可能な暴力性や

破壊衝動の象徴であることは

明らかですが…

 

その脅威に初めて気付くきっかけとなったエピソードに

親の愛情を奪い合う競争相手でもあり、

親愛の対象でもある妹が介在していることには、

「うーん、やるな!」

と感じます(何がや)。

 

兄弟間には、

殺してしまいたいけど、愛してもいる、

という強い葛藤がありますからね。

 

ユングフロイトに比べると

日本では知名度の低い

メラニー・クラインという精神分析家が居ます

彼女は

生後まもない乳児が母親の乳房を対象に、

愛憎の葛藤劇を繰り広げる、

という「おっぱい理論」を提唱しました。

 

英国対象関係論の祖、とか言われている人です。

フロイト教授と並び

私のオシな精神分析学者です。

 

クラインの深遠なおっぱい理論を

ここで詳細に解説するとエライことになるので

さくっと表面をなでてみます。

クライン曰く

未熟な自我の嬰児は

おっぱいに対する欲動と破壊衝動に

耐えがたい葛藤を抱く

そうです。

 

おっぱいに対する破壊衝動と言うと、

 

はあ?

一体何がどーなって

赤ちゃんがおっぱい壊したいなんて望むのでしょうか?

 

ということになると思うのですが、これは、

  • 「食べつくしてしまいたい」という、「貪欲」による破壊衝動
  • 「お腹が痛くなるような不味いおっぱいなんか、いらんー」という自分に危害を為すモノが存在する恐怖や怒りによる、攻撃衝動
  • 「どこにもおらんやんかー」という、一人ぼっちの恐怖や放置されることへの怒りによる、破壊衝動

 という感じにざっくり分けられます。*2

 

で、赤ちゃんの未分化な怒りだとか

破壊衝動とかには、

おっぱい吸ってる時の悦楽とも

混ざっているんで、

更に、訳分からんくなっています。

そのドロドロの混乱と葛藤に折り合いをつける為の

原始的な防衛の一つに

「投影」というものがある。

と、クラインは提唱します。

 

自分に内在する、赦せない感情や衝動を、

他人に丸投げする精神的操作とでも言いましょうか。

 

亜人の吐き出す黒い物質は、

正に、自分ではどうしようもない、

制御不可能な攻撃的衝動が

自分達にだけは見えるモノとして

体外に投影されているように私には思われます。

 

いくら、体外に排出した攻撃性とは言え

直接、母親を攻撃できません。

母子分離ができない日本人にとっては、

例え虐待を受けた恨みがあろうとも

母親に対して、憎悪や強い葛藤を抱いていることを

意識化することは、

絶対に無理…とは言わずも、

大変難しいでしょう。

 

どんなに酷い仕打ちを受けても、

自分の親は良い親だった(=自分は良い人間)と、

信じたいのが人の常でもあります…

 

が、兄弟姉妹に対しては、

憎しみの閾値が断然下がります。

 

ということで、

黒いお化けから妹を守ろうとする

圭の努力は、母親への葛藤の代換でもある、と言えましょう。

 

最近の精神分析では、

父親こそが、息子の攻撃衝動を制御し、

方向付ける手助けをし

母子分離の葛藤を軽減することで

自己実現の可能性を高める機能を有する、

とも言われております。

 

私にとって「亜人」は

父親のいない主人公が

自分の攻撃衝動を如何に手なずけ

自己実現できるのか

という物語のように思われます。

 

ちょっと話は飛びますが

圭の母性薄い母親との関係性は、

神戸連続殺傷事件の少年Aの母親を思わせます

(根拠を突き詰めないで下さい。全て印象です)。

 

母親に対する葛藤が

思慕の対象であると同時に、

同一化の対象でもある

(自分の薄情で利己的な「ゲス」な性格の根源でもある)から

という大変大雑把な理由ですが、

後に圭が逃走中に出会う老婆への愛着も、

少年Aの祖母への愛着に似通ったものの様に感じられます。

 

圭の父親は、

優しく、情に溢れた母性的な存在

という設定ですが…

存在が希薄…というより、

「本当に存在したの?」

という印象です。

 

圭の父親は、

患者に感情移入し過ぎて規律を破る等…

「規律」や「理性」といった西欧の父性的機能からは

かけ離れたイメージですが

死んでしまったのを良いことに

都合よく母親化(理想化)されている様に感じます。

 

自閉症スペクトラムかい?

という感じに描写されている母親が、

母性発揮しないので、

父親が情緒的にどうにか補おう

とはするものの破綻する。

という、以前もこの記事で触れた様に

EDと、父親不在と、村上春樹 - 精神分析のススメ

日本の父性欠如は、母性の機能不全と表裏一体

という解釈に近い設定ではないでしょうか。

 

大雑把ではありますが、

私的には、

年長の男性キャラ(戸崎、佐藤、オグラ、佐藤対策班の男達)は、

全て不在な父親を補う父親的存在

と、ざっくり括ってしまいたい所です。

 

飽く事のない暴力と破壊の衝動を、

ゲーム感覚で全開にする佐藤は、

歴史的に日本に大きな影響を及ぼした「強い国」でもある

アメリカ人と中国人のハーフという設定ですが

実は、方向性を失った日本という国のあり方

現代日本の破綻した父親像(=破綻した男性像)なのではないか

と思うと、背筋がぞっとします。

 

無軌道な破壊衝動の象徴でもある

佐藤を排除することで、

自らの暴力性をも収束し、乗り越える

少年が男になるストーリーなのでしょうが、

同一化できる父親のイメージが、

あまりにも散漫なので、不安になります。

 

更には、数ある父親的イメージとの繫がりも、

突発的に発生しては、抹殺されてしまうので

飽和状態にある破壊衝動を

如何に制御し、統合し得るのでしょう?

と、疑問に感じます。

 

誰とでも仲良くできる、言わば理想の自分像でもある、

カイや、中野との繫がりも、

シンデレラの魔法使いさんにでも出してもらったんかい?

と言いたくなるくらい、

私的には説得力に欠け、現実感がありません。

 

他者との繫がりを切に求めはするものの、

拒絶される恐怖や諦めが先に立ち、

何回死んでも又すぐ始められる

暴力的なゲームに没頭する

人間関係の希薄な現代人の内的現実に即した物語なのかな、

と考えると、哀しくも、恐ろしくも感じてしまいます。

 

日本の漫画「亜人」とハリウッド映画の「コンサルタント」を

何故か比較してみた続編(?)も宜しく

https://neofreudian.hatenablog.com/entry/2017/10/24/155704?_ga=2.225144986.1091024579.1573429413-699501326.1533073212

*1:最近の漫画知らんので…

*2:何分赤ちゃんの内的経験ですので、

無理やり言語化して、分けてみた、

という感じでお願いします。