精神分析のススメ

しがないメンヘル職人です。70年代のNYCを風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざしております。

【いじめ】と藤田ニコル 罪悪感なんてクソなのに。

藤田さんの発言が、どの様な文脈で発せられたのかが分からないのでこの記事書くの迷ったのですが。

 

バッシングが凄いので。

 

「こいつ、いじめる側の人間だな」

「それだけのことをしでかしたんだから当然だろ
加害者を心配するとかキチガイかよ」

「犯罪者の人権とかどうでもいい」

「いや、背負えよ
後日和解したならともかく、人殺しやぞ」

「アホか、人殺しといて心配もクソもあるか
刑務所はいれや、あと賠償もはらえ」

 

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1927726.html

 

等の名無しコメント。

 

「何の罪も無い(死ぬほど悪いことをしていない)人が死んだ」こと

に対するやるせ無い気持ちは分かります。

 

「自殺」を「殺人」にむすびつけたい気持ちも分かります。

 

しかし、です。

 

「自殺」に至るストレスの要因として、「いじめ」があった。

ということは事実でも

死ぬという決断をしたのは当人です。

 

直接手を下した「殺人者」がいないのに、いじめた子供達を「人殺し」と言う程の、豊かな想像力があるのなら、もう一歩踏み込んで、子供達の「いじめたい」気持ちを想像することはできないのでしょうか。

 

いじめられた子供が何故、誰にも助けを求められなかったのか…

 

「誰も信頼できない」

「死ぬことが一番ラク」

 

という絶望感は一体どこからくるのか…

 

想像し始めたら、

絶望感は実は

「いじめられる」

ずっと以前から潜んでいたことに気付くはずです。

 

いじめがあったのに

「気付かなかった」り、

見て見ぬ振りをした周囲の人間は、

如何でしょうか?

 

彼等も「殺人犯」ですか?

 

 

「犯罪者の人権とかどうでもいい」

 

という人は、世の中の不条理を全く理解していません。

 

現実は、善悪がはっきりした、水戸黄門の世界ではありません。

 

ふとした間違いから

自分が犯罪者というレッテルを張られて

吊るされる可能性はざらざら転がっているのです。

 

自分が振るっている可能性のある暴力について…

自分が匿名で振るう言葉の暴力が

何に起因するのか

考えてみた事がありますか?

 

自分を省みることは、

他者の気持ちを理解する初めの一歩でもあります。

 

無自覚な「暴力」が他者に及ぼし得る影響を考えようとしない人達は、

何があっても自分の在り方を変えることをしません。

 

自分は、常に「善良」な被害者だからです。

 

匿名で無責任に言葉の暴力を垂れ流す人は、

自分ではいじめられて自殺した子供や、

その親の為に、という名目で

正義感に溢れているつもりかもしれません。

が、実は日常の鬱憤を晴らす為に

「いじめたい」

気持ちを制御しない子供達と

自分も一緒だということに気付いていません。

 

二コルさんは、きっと誤解される隙を見せたのでしょう。

若いとはいえ、有名人で影響力もありながら無思慮だったという批判は仕方ないにせよ、

「あほか」

キチガイか」

等と罵倒される筋合いは全くありません。

 

本当の問題は、アンミカさんの言う、

「いじめがなかった前提で動いていたことで、

実は加害者の子たちの更生の機会も奪っている」

という点だと思います。

 

西川史子さんの

「いじめた側は、一生贖罪として残していかなきゃいけない」

という発言が、唯一正当な意見というコメントをみました。

 

又しても、文脈が分からないし、大変失礼とは存じますが、私にしてみれば、情に流されているだけで、建設的でないこの方の意見の方が、

「ばっかじゃねぇかー」

という印象です。

 

いじめた側に贖罪させるという大義名分は

いじめそのものです。

バッシングで負の連鎖を存続させるより、

いじめが起きないように、

「無邪気」な「いじり」が行き過ぎないようにするには

如何したら良いか、ということを考えるべきです。

そのことについて、

オープンに対話できないのであれば、

いじめはなくならないでしょうし、

加害者達の真の悔悛は得られません。

 

罪悪感なんか背負って生きる事なんて、はっきり言って無意味です。

 

罪悪感に苛まれて生きる人達は、

「自分は悪いことしたって

分かってて苦しんでるんだから、もう赦してーやー」

とばかりに、

自分を見据えたり

変えようとすることは決してしないからです。

 

クソみたいな罪悪感を感じたり、

植え付けるくらいなら、

自分の中に潜む「無自覚な残虐さ」に

真正面から向き合う方が、

余程問題解決の道に繋がります。