精神分析のススメ

しがないメンヘル職人です。70年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざしております。

【資生堂のダルちゃん】ダルダルな自分を受け入れるということ

ダルちゃん、終わってしまいました…

 

がっかり…というか…寂しいというか…

 

微妙なトコロですが

 

ああ、やっぱりそこに落としたか…

 

って感じです。

 

ダルちゃんシリーズの最初の記事で、

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

ダルちゃんは自己肯定感のない人説

を説きましたが…

この記事で

【資生堂のダルちゃん】 愛し 愛される幸せの 奇跡 - 精神分析のススメ

あ、やっぱ、ちょっと違ったかな(*ノω・*)テヘ

と撤回致しました…

 

ダルダル星人の比喩は実は

「ふつーじゃない」自分に対する

自己否定感を表すモノではなく

母なるモノから分離し自我を確立し得なかった

「未分化な自我」

を表していたのでは…

 

というコトで落ち着いていたのですが

 

最終回に至る流れからは…

 

父なる理想を自らの内に見出し

母なるものから「分離」することを拒み

「未分化」なまま「母」となることを成し遂げる

自我のお話

 

って感じでしょうか。

 

この回で

「ダルちゃん」第44話 | ダルちゃん | 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂

ダルちゃんは

サトウさんの彼が「堂々と」ダルダル星人でいるトコロを見て

「だってそんなの普通じゃない」

と激昂します。

 

普通じゃないから

いつも何かになりきらなきゃ

と感じて「頑張っている」人が

ダルダルでいられる「他者」に怒り、攻撃的になるのは

至極当然なことです。

 

だって、自分に許し得ないことを

他人が平気でしているのですから…

 

「何かに」ならなきゃ…

と頑張る人達は*1

「普通」は「自己否定感」の強さ故

忌避する「ありのままの自分」を否定するあまり

他者に「否定した自分」を「投影」し、

思う存分攻撃します。

 

45話でダルちゃんが分解してしまうのは

コウダさんは自分と「同じ」ダルダル星人で

彼を攻撃することは

自分を攻撃することでもある

というコトに気づいてしまった

ダルちゃんの

自我の崩壊

が描かれている

と感じます。

 

私にとって

ダルちゃんのお話で唯一モノ足りない

トコロがあるとすれば

ここの部分です。

 

「古い自我の崩壊」は一筋縄ではイキません

少なくとも心理療法の現場では…

 

愛するモノを守るために

攻撃性を圧し殺し

拒絶され、否定される

イタミから自分を守るため

頑張ってきた「古い自我」は強固です。

 

いままで、頑張ってきた自分を手放すのは

とてもコワイことです。

 

責めたい気持ち、

「私はあなたとは違う!」

と声を上げたい気持ち

どうしようもない怒りの感情に

どうしても翻弄されてしまうものです。

 

共感する立場のセラピストも

その怒りを前にして冷静に

「存在しないまぼろしを幸福の鍵だと思ってはいけない」

等と「解釈」できなくなってしまうことも

ママあります。

 

又、そんな「解釈」が更なる怒りを呼び起こすことも

ママあります。

 

ところが

 

場面はあっさりと変わり

46話のダルちゃんは

詩作に没頭しています

 

自己破壊のイタミを創作で昇華し

自分を刷新する

ダルちゃんは

理想的な「被分析家」と言えましょう。

 

ママ(もどきヒロセさん)から拒絶された

トラウマを克服し

「分離」を果たし、

「自我」を確立するには

外界への興味関心

「発達」の方向性を指し示す「父親的」ナニかが必要です。

 

ダルちゃんに

「普通であることは幻想でしかない」

と教示し、

ダルちゃんを「古い自分」の価値観から解き放つモノが

もう一人の「母」的存在であるサトウさんの恋人である

定石ならば、

抗い難い魅力を感じるか

徹底的に憎む対象となる筈なのですが

ダルちゃんにとっては「母」にくっついてる付属品にすぎない

扱いなのは

「父親不在」と言われる日本人の内的世界を象徴する

という点から大変興味深いトコロです。

 

女児にとって「父」なるものは

「母」に属し

自分には手に入らないモノである

 

そのことの絶望感を象徴するかのように

ダルちゃんは

理想の「父」になりえない

ヒロセさんと決別する決心を固め

サトウさんを心から祝福し

コウダさんを(母なるモノの)パートナーとして

無条件に受け入れます。

 

「理想」としての「父」を「求めない」選択は

「自我」を確立することを放棄することでもあるハズなのに…

 

ダルちゃんのお話は

喪失感に充足を見出し

終わりのない鬱に安寧を求める

「諦観」で終わりを迎えた

と私には感じられます。

 

それは期待することを諦め

裏切られることを拒否し

心穏やかに

ダルダルと、フルフルと

生きる決意なのかもしれません。

 

このお話に共感する皆様には

例えば…

 

精神分析で「理想の父」を回復することによって

ウィニコット様の言われる

【資生堂のダルちゃん】 母親に否定されるということ - 精神分析のススメ

アドレナリンがんがん

多幸感の高揚に浸る「本当の自分」を回復して

自己実現を果たす

という「もう一つのハッピーエンド」の可能性も見出だせます…

 

と申し上げたいトコロです。

 

ダルちゃんシリーズ、これで10記事にもなりました…

楽しみにしていた連載が終わってしまって

寂しい…

*1:杉田水脈氏とか、そんな感じですね

自覚なく破壊力ありすぎな言葉の暴力を振るうトコロが…