精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

使役動詞は悩ましい

先日は、早期英語教育と、発音について書きました

8歳になる前の英会話のススメ - 精神分析のススメ

が、今日は、構文(?)について書いてみます。

 

この方の記事に触発されました。

 

tsuputon7.hatenablog.com

はぁ。Asが最強ミームねー。確かに、日本語に翻訳すると、色々な意味になって厄介、と言うのには、

 

「ふーむ、成る程―。」

 

なのですが、個人的に、そんなに苦労した覚えが全くないんですよね。「一緒」ってことで、スルーできてたんだと思います。

 

だから、Alsoが語源って、ちょっと以外でした。私の頭の中では、As は、Together に限りなく近かったので。

 

そんなこんなで、今日は、私にとって、一番やっかいだった単語、Make と Have について、書いてみます。

 

これらの、Let系、使役動詞を使いこなせるようになれば、あなたも、ネイティブ(っぽい)英語を話せる!と、言いたくなる気持ちも分かる(何かの見出しにあった記憶があります…)くらい、それはもう、「やんごとなきポテンシャル」がぎっしり詰まっている。と、私的に感じております。

 

まずは、この3文を、御覧下さい。

 

He lets me play the piano.

 

He makes me play the piano.

 

He has me play the piano.

 

という、

 

主語+使役動詞+目的語+原型動詞 という、ややこしい形で使われる、アレです。

 

どれも、

 

「彼は私にピアノを弾かせる。」

 

という日本語訳になりますが、この方の御説明の様に、

let、make、have、get~使役動詞を使いこなす | 真剣に学びたい人のための英会話学習サイト

意図(私が、ピアノを弾きたいかどうか)や、義務(誰かがピアノを弾かなければならないかどうか)、によるニュアンスの違いがあります。

 

でも…「誰かに何かをさせる」って、日本語で普通に言いますか?違和感ありません?

 

Letならば、「彼は私にピアノを弾かせてくれる」と訳したいところです。

Makeならば、「彼に言われて(命令されるからしぶしぶ)私はピアノを弾く」とか。

Haveならば、「彼に言われて、私がピアノを(そのパーツを誰かが弾かなければならないので)弾くことになる」とかいう感じでしょうか。

 

日本語に訳し難い、というのも悩ましい原因の一つではありますが、私が一番戸惑ったのは、よく見かけるわりに、自分で使役動詞を使うという発想がかなり長いこと沸かなかったことです。

 

使役動詞は頻繁に使われるので、意味は理解できるのですが、自分で使いこなすことができなかった、と、言った方が良いかもしれません。

 

Let くらいなら、相手が許可、同意してくれることを前提にしているので、命令形で、(お願いする時に)気軽に使えるのです。

 

Let me do it. (やらせてー!)

とか、

Let me know. (知らせてね)

 

は、私もかなり頻繁に使う表現です。

 

ところが、Make や Have には、誰かが誰かをコントロールしているニュアンスがあります。

 

この、強制的なニュアンスを使いこなすのが、難しい、と感じます。

 

 

アメリカに住み始めて、思ったのですが、英語で話す、ということは、自分の意思、要望を明確に伝えて、相手に納得してもらってなんぼ、という側面があります。

 

最初は、これがなかなかできなくて、大変でした。

 

I would like…

とか、

Will you…?

で、分かり易く何が欲しいか伝えるくらいは、まあまあ、できたのですが、

 

「これ、欲しい?」

と言われて、

「はい。有難う御座います!(Yes. Thank you!)」

と、答えて、「『結構です(No, thank you.)』ってこと?」と混乱されていました。

正しい答え方は、「はい、下さい。(Yes, please.)」ですね。

 

単に、「有難う」と申し出を受け入れるだけ(受身)では駄目なのです。それでは、

「お気持ちは有り難いけど、結構です」

という慣用句に限りなく近くなってしまうので。(Yes, thank you. でもちゃんと分かるよって言ってくれる人もたまにはいますが、私の知り合いだけかも...)

「お願いします。」と(能動的に)頼まなければ。

 

日本語(日本人)は、とかく受身だ、と言われますが、主体と客体を曖昧に伝える言語でもある、と言われております。

 

「甘えの構造」に関する論文(多分)で、土居健朗氏が書いておられました。

 

I love you.

を、日本語にすると、

「愛してる。」とか、「好き。」とか、「大好き。」

しかありえない。

と。 

これは、どーゆーことかと言いますと、

I love you. 

なんて言いたい気分になる時点で、既に二人はラブラブなんだから、

「私は、あなたを、愛してます。」

みたいに、人称代名詞なんかいちいち言ってらんねーよ!

「好き。」

だけで、誰が誰を好きか分かるだろー。

 

いちいち私とか、あなたとか言う必要があったら、信頼関係が出来上がっていない証拠だよ。

 

という考察をなされておられました。更には、

 

自我の確立を重んじ、自分の意思を明確に伝えるプレッシャーがかかる英語では、

「私が、あなたを、愛してます!」

と、きっちり自分と相手を分けて愛情表現をしなければなりませんが、

日本語では、

「私達、ラブラブよねー」

とばかりに、誰が誰を好きなのか、さっぱり分からない自他の区別を曖昧にする言語化(忖度ってヤツですね)で、信頼関係を確認します。

 

という日本語論を繰り広げられておりました(土居先生、こんなゆるい紹介の仕方に、お墓の中でお怒りにならないで下さい)。

 

話題がどんどんずれましたね。やや強引に、使役動詞に戻ります。

 

Make や、Haveを使うと、

Aが、BにCさせる。

という文になり、曖昧な日本人の私にとっては、

「BがCする」

の、「Bが」の部分をはっきりさせるさせるだけで、すでに負荷が掛かっている(BがDをCする。とか、Dまで考慮せなあかんこともあるし)上に、更に

「『Aのせいで』というファクターを明確にせないかん!」

というプレッシャーが重なり、ウザッとなってしまうわけです。

 

「Bも、本当はそこまでCなんてしたくないんだろうけどさ…」

 

という、日本人同士であれば、なんとなく、で分かってもらえる心情を、

「AがBを強制している」

というニュアンスを加えることで表す、迫害妄想的構文だと(かなり個人的に)思っています。

 

この構文を、無生物主語でも、自由自在に使いこなせるようになれば、あなたもネイティブ(に近い)英語を話せる!

 

と言いたいくらい、使役動詞には、自他のコントロールを重視するあまり、迫害妄想に充ち満ちた欧米文化ミームが詰まっているのではないかと、日々、感じております。

 

テイラースイフトの昔の曲を、以前、こちらで紹介しました (期間限定で公開しています)

軽薄な精神分析 2. Shake it off 不完全な自分のままで いいじゃん。 - 精神分析のススメ

が、彼女の新曲、

iflyer.tv 

Look what you made me do も、直訳すると

「あなた達が私にさせたことを、見ろ」

になります。が、雰囲気的には、

「私かて、好き好んでこんなことしてないんで!!みんなあんたらのせいやがな!」

って感じで、責任のなすり合いはしょっちゅうしてるアメリカ人にしても...まあ…メンがヘラっている(境界例状態な)歌詞とPV映像ですね。

 

私的には、(使役動詞とは全く関係ありませんが) サビが似てる?という噂の、90年代の笑える迷曲、I'm too sexy(ぼくちゃんってば、なやましすぎ)

 

www.youtube.com

の方が好みです。

 

私の思いっきり自由に連想が飛びまくってる文章に、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

8歳になる前の英会話のススメ

昨日、ぼっちさんの英語教育に関する記事を読んで言いたいことがでてきたので、書いてみます。

 

www.lonely-surfer.com

語学センスのあるなしって、やる気だけじゃなく、外国語習得に対する価値判断にも凄く関わってくると思います。

 

言いたいことが伝わらないと、フラストレーション溜まるし、へこみますよね。英語なんて話せなくても良い!ってなる人が多いのも、分かります。

 

ぼっちさんが、本気で、

 

「翻訳アプリがどんどん優秀になっていくこのご時世、役に立つかどうかも分からない、楽しくもない英語の勉強を子供に強要して、もっと有用なスキルをゲットするチャンスを逃すのはリスキーじゃない?!」

 

というお気持ちで書かれたのか、はたまた、話題を取るために極論展開されたのかは分かりませんが、言語オタクな私としては、

 

「幼少期から、外国語会話を楽しませよう!」

 

と、声を大にして主張したいところです。

 

人間は、書き言葉は教えられないと取得できないオプション仕様ですが、

 

話し言葉は本能で取得する

 

と言います。

 

赤ちゃんは、文法を教えられなくても、周囲の言語を聞くだけでしゃべり始めます。

 

生まれてから8歳くらいまでに言語に触れないと、一生言葉を話せなくなってしまう、という、言語獲得の限界期とか、クリティカル・ピリオドと言われる時期があります。

つまりは、母国語以外の言語も、周りにしゃべってくれる人がいれば8歳くらいまでは、勉強なんてしなくても理解できるようになるはずなのです。

 

最近の若い人達は、英語の発音が綺麗です。限界期以内の、早期教育のお陰様だと思います。羨ましい。

 

30代を超えた日本人にとって、英語学習の最大のネックは、

 

英語の発音ができない

=会話で分かってもらえない(相手が何言ってるかさっぱり分からん)

=不快感 (哀しい、悔しい、ムカつく、等々)

 

というのがあると思います。

 

英語の発音が上手にできないから英会話、嫌い、という方には外国語で会話する愉しさを味わうために、是非ともスペイン語をお試し頂きたく思います。理想的には、南米を御旅行されることをお勧めします。

限界期を逃してしまった私達でも、発音が似ているスペイン語なら、英語と違い、カタカナ表記の例文を棒読みするだけでも、ナリに分かってもらえる確率が高いからです(ちょっとソレらしい抑揚つけたら、もう、完璧!)。

 

8歳までは本能で言語獲得する、

 

というのには、音感が大きく関わっていると私は思います。赤ちゃんは、

1. 周りの言語を聞いて、

2. どんな音がどの様に区切られて言葉を成しているのかに注意を払い、

3. 軟語で練習し、

4. それに対する周りの反応を感じて、言語を習得します。

 

8歳以前に多くの言語に触れないと、聴かない、話されない音は習得されず、言葉として識別し、発声できる音の幅がぐっと狭くなってしまうのです。

 

だから、日本人にはRとLの区別ができなかったり、THの発音がどうしてもできなかったりするのですね。

 

大人になってからでも、努力を積むことで、イイ線行けますが、(例えば、Rは、舌を口の真ん中に置いて、Lは舌先を歯茎につけて、THは、舌先を噛んで、等)かなり意識的な努力を相当長いこと続けなければなりません。

 

8歳前に母国語以外の言語に触れる機会を作ることで、外国語習得の難度が、ぐっと下がり、少しの努力で、多国語取得できる語学センスが身に付く、とも言えるでしょう。

TOEICや、英検といった、資格取得の為の英語学習は、クソだとは思いますよ。

でも、私的には、8歳前に他国の人と触れ合い、語学センスを高める機会を子供達に与えることに、リスクなんて考えられません

 

 

翻訳アプリで会話を成立させられれば楽なのは分かりますが、自分の言葉を他人が分かってくれることの喜びを生で感じられるのは、めっちゃ楽しいです。

 

自分でも何言ってるか分からない、ほにゃらら語を、

「誰かが分かってくれたー!!!」

という赤ちゃん的興奮(=理解された!という共感原体験)を大人になってから追体験できるなんて、外国語を学ぶことなくしては、滅多にできることではありませんからね。

【ザ・コンサルタント】 高機能自閉症 と 父親機能 

発達障害と、制御不可能な破壊衝動について書いた

発達障害のメタファー 亜人 - 精神分析のススメ

直後に、寝不足で頭グルグルしながら

飛行機に10時間以上乗って、

普段は観れない (ちょっと古い)映画を

5-6本立て続けに観る機会がありました。

 

その中に高機能自閉症の主人公が出てくる*1

ザ・コンサルタント」も含まれていて…

 

うーん。

さすがは「人」(=男)が

「父」殺しの罪悪感=エディパス葛藤

に苛まれる欧米人

父親の機能や、破壊的衝動の描かれ方が

亜人」にみられる日本人の感覚とは

違うよなー

と感銘を受けたので、書いてみます。

 

原題は、「会計士(アカウンタント)」となっており

退屈で、冴えない、しみったれたイメージの会計士が

実はダークなスーパーヒーロー!(?)

という予想外の展開が待ち受ける

はずなのですが…

 

ザ・コンサルタント」だと

イミフな外来語効果でミステリアス

及び

ワケ分からんが、何となくカッコイイ…

印象を与えてしまい

意外性を全く狙ってない題名になっている...

 

ベン・アフレックも、

「グッド・ウィル・ハンティング」とか(若い!!!)

www.youtube.com

「ドグマ」でのマット・デーモンとの共演が、良い感じでしたが

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「あれ?いつの間に、

殺しても殺しても死なないブルース・ウィリスみたいな

役どころになっちゃったの?」

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って感じでびっくりしました。

 

助演女優のアナ・ケンドリックも、

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トロール」観てからは、

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「ポピーが何で?!」

としか思えなくなってしまったし…

 

まあ、そんなの、記事の趣旨に関係ないので、どうでも良いことなのですが。

 

半分寝ながら観たので、かなり、印象に頼って書いてます。

こちらの詳しいあらすじを大変有難く、参照させて頂きました。

blog.imalive7799.com

映画を御覧にならなかった方は、

このあらすじを読んでからでないと、

「ワケ分からーん」

ってなることでしょう。

 

最近多いのかもしれませんが

亜人」と似てる…

と思ったのが、人間関係の描写でツメが甘い…

主人公と父親(及び父親的存在)との繫がりや、

物語のカギとなる自閉症の治療施設

ハーバー神経科学研究所との繫がりが

掘り下げられておらず(「亜人」ほど説得力に欠けることはないにせよ)

謎に包まれたままなこと。

 

まあ、アクションがウリのハリウッド映画なので、

人間関係の機微をそこまで緻密に描く必要はないのかもしれません。

続編を出す予定なのかもしれません

只、発達障害系は、人との繫がりを「感じる」のが

とかく苦手なので

その辺も、もしかしたら意図的に狙った効果なのかもしれません

 

亜人」では、父親があっさり自殺していて

キャラクターの描写も

「え?何でこの人がこんなこと言う(する)の?」

という驚きでいっぱいでしたが…

ザ・コンサルタント」では、父親が

とにかく「強い」「厳しい」キャラであること

が大変印象的です。

 

父親のイメージが希薄で散漫な「亜人」の主人公は

何が何だかワケ分からんまま

全てを知っている父親的存在に

騙されたような形で

戦うことに「なってしまい」ますが

ザ・コンサルタント」の主人公は

「強く厳しい」父親的存在の指南の下

若かりし自分の無軌道な破壊衝動や

過敏な感受性に方向性を見出し

自分で決めた目的のために

「戦う」ことを意図的に選択し、

自己実現の道をたどります。

  

ベン・アフレック扮する主人公のクリスチャンは

幼少期に両親に連れられて、

ハーバー神経科学研究所で自閉症の診断を受けますが

父親は施設での治療を拒否します。

「外の世界は厳しい。

その厳しさに順応してこそ

障害を克服したことになる」

という信念に沿って、

父は、子供達を肉体的に、精神的に鍛えます。

 

自分の身を守る術を身につける為とはいえ、

「虐待かい?」

というような厳しい訓練を課す父親に

ビシビシ鍛えられて育つ、息子達…

 

クリスチャンの父親との関係には、

ちゃぶ台ひっくり返す昭和の父、

星一徹にも通じる*2

厳しい規律に準じ

肉体的、精神的強靭さにより

破壊的衝動のコントロール

ひいては建設的な自己実現を図る

という、洋の東西を問わない

普遍的「強い父」像が描かれているとも感じます。

 

そこで、ちょっと

「おや?なんで?」

と思ったのが

父親が治療を拒否したにも拘らず、

クリスチャンが特殊な治療プログラムに従い

ハーバー神経科学研究所と深い繫がりを維持していることです。

 

大人になったクリスチャンが

就寝前に、タイマーをかけて服薬し、

フラッシュライトを明滅させ、

音楽を大音量でかけながら脚をマッサージする

というシーンは、

彼が何らかの治療計画に沿っていることを示唆します。

 

自閉症児の中には、

治療や訓練によって健常者に近い機能を得る子供もいます

が…

自閉症はいかに高機能であっても

遺伝子の異常を伴う不治の病です。

 

クリスチャンの薬のラベルを読んだわけではないので

確信はありませんが…

彼が飲んでいるのは、

おそらくADD患者さんたちが

リラックスしたり集中力を維持するために欠かせない

精神刺激薬系のリタリンとかアデラル、

または神経の興奮を鎮める系のリスペリドンとかでしょうか

 

自閉症児は、光や音に過敏で、触られるのを嫌うため

刺激に慣れる様、訓練することが薦められることがあります。

こういった治療計画は

研究所が立てたものなのでしょうが

研究所の所長や、彼の娘との関係が

ごっそり物語から省かれていたので

私的には

「え?一体何があったん?」

と不満を感じました。

 

が、その部分を省くことで

お話的には主人公の父親との関係性を強調する効果がある

とも言えるかもしれません

 

主人公の実の父親は、

彼を肉体的に精神的にビシビシ鍛え

障害を持つクリスチャンが自分の身を守れるように

攻撃力をマックスに仕立て上げる

もろ「攻撃性の管理」専門という印象です。

その一方で

精神分析…てか、西欧思想に於いて

重要な「父」の機能とされております「理性」や「知性」で

主人公の鋭敏な感受性に方向性をつけ

「会計士」のクリスチャンを育てたのには

おそらく、ハーパー神経科学研究所の治療方針や

彼が獄中で出会うアブナイ会計士

フランシスの存在が大きいように感じます。

 

日本と欧米の比較とも言えますが

亜人」の主人公、圭の父親と比較して面白いのは、

彼が規律に反して社会的生命を失い自殺するのに対して、

クリスチャンの実の父親や

会計士としてのノウハウを伝授したフランシスが

殺されることです。

 

この辺りに、

エディプス・コンプレックスの根強さが

窺えると思うのですが

欧米の父親は運命と戦い

暴力的に排除されるのに相対して

日本の父親は、物分り良く(?)自分から死んで

若者に活躍の場をあっさり引き渡してくれる

(無責任とも言う)のかなー

などと、考えてしまいます。

 

ここで、「悪人」のクリスチャンを

商務省局長として追う

もう一人の父親的存在である

司法に則る善玉のレイが、

物語の終わりで退職するも排除されず

生き残ることが興味深いと思います。

 

まあ、ハリウッドなので「正義が勝つ」のは当然ですが。

って書いてたら、

これまた古い映画で

(しかも字幕なしの予告編で)すみませんが、

Catch Me If You Can キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン Trailers.tv 映画予告編tv ~映画予告編動画を探して連続再生しよう~

 

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン - Wikipedia

でもトム・ハンクスが「悪いことした息子を追いかける父」を演ってたなー

と思い出してしまいました。

 

「キャッチミー」でも「コンサルタント」でも

「悪い」(=不十分)な父親を持った「悪い」放蕩息子が

抵抗しながらも

排除する事なく

求め得る「良い」「正しい」父親像が

物語に組み込まれている様に思われます。

 

「キャッチミー」も「コンサルタント」も

主人公(=息子)が司法という規律(=父親)に逆らい

追われながらも、自分のやりたい事(=正義?)

を貫くお話とも言えましょう。

 

父なるモノへの反逆と言えば、

実際、「コンサルタント」には、

(父親的)レイが、(見捨てられた息子である)クリスチャンに

殺されかける場面があります。

さあ、殺られるか、という瞬間、

クリスチャンはレイに問かけます。

レイは

「自分は完璧ではないが、良い父親である」

と応じて、見逃してもらいます。

 

このシーンが、

クリスチャン(=息子)ではなく

レイ(=父)の回想で語られることにも

意味があると私は思います。

 

父親殺しには堪え難い罪悪感や不安が伴います。

 

父なるモノとの対決の物語は、

息子の無軌道な暴力を赦し、

収束させ得た

生き延びる事ができた

父親の視点からでないと、

語り得ないのも当然のことでしょう。

 

「良い父親」がレイならば、

クリスチャンを殺そうとする

リヴィング・ロボティクス社のラマーは、

殺害し、排除すべき「悪い父親」でありましょう。

 

ここでも「亜人」の悪役、佐藤に比べると、

ラマーの極悪さは、金銭欲に駆られていると言う点で

至極明確な方向性を持っており、

理解可能、手に負える様に感じられます。

 

自分が人と違うだけで排除される

「理不尽」な社会に受け入れられる為に

その理不尽な社会の平穏を脅かす

凶悪な敵と戦う羽目になってしまう…

という「亜人」の「お話」には

「司法」や「規律」という

厳然たる正義が欠如した世界観

が反映されており…

 

「正しい」何かを求めて戦う

コンサルタント」のお話とは

全く趣が異なります。

 

欧米の

男性(man=人間)は

母親との一体感を

父親の「否」という言葉(知性や、規律の象徴)で切断されることで

男(人間)として「自立」を勝ち取る

のように、とってもラカンな解釈は

亜人」の世界観な

日本では決して通用しないのでしょう

 

何だか取りとめがなくなってしまいましたが

最後に、クリスチャンの弟との関係について、

男が大人になる意味が含まれているように感じたので、

ちょっと書かせて頂きます。

 

亜人」に描かれる

圭と同位置にある友人達との関係性は

一方的で深みを欠きます。

亜人」の圭は、他者との対立を極力回避し、

友達を独りよがりな思い込みで

「守る」ために距離を取ります。

 

対して、「コンサルタント」のクリスチャンと

弟のブラクストンは

映画の終盤で殴り合いの兄弟喧嘩を始めます。

 

ラクストンにとって、

クリスチャンは、障害を持つ「守るべき」「弱い」兄です。

父親に「家族はお互いを庇い合うものだ」

と教え込まれたブラクストンは、

兄を疎ましく思いながらも

自分が面倒を見てやらなければならない、

守らなければならない、という責任感を負って育ちます。

 

が、映画の終盤で、

守るはずのクリスチャン、弱いはずの兄に

逆に守られ、救われるという、関係の逆転が生じます。

 

この様な、面倒を見る者と見られる者との関係性の逆転というのは

 

本来守られ、与えられる存在であった子供が

成人して親の面倒を見るようになる

 

 という形で親子の間に経ち現れる瞬間でもあります。

 

それと同時に、

自分を救ってくれた研究所に対する経済的支援をする為には、

法に背き、殺人も厭わないという、

自分なりの正義を貫くヒーローでもあるクリスチャンが、

父親に培われた「力」を駆使して

闇の世界の住人となってしまった

ラクストンと和解する瞬間でもあります。

 

ハリウッド映画と漫画という全く違う

メディアで比べるのも無理があるかもしれませんが、

亜人」に比べると

より深みの在る関係性が描かれている様に思われます。 

 

亜人」に描かれている(ように私には思える)

発達障害者の

「どうしてよいか分からない、行き場のない破壊衝動」

との終わりなき戦いが

ザ・コンサルタント」では

強い父親、良い父親のお陰で、何とか治まりがついているが故、

自閉症

「親密になりたい気持ちはあれども、どうして良いか分からない」

内的経験にも、なりに焦点が当てられて、

中々面白い「お話」に仕上がっていると感じました。

 

因みに、高機能…ではありませんが、

自閉症と言えば、

かなり古い映画ですが

ダスティン・ホフマン好演の「レイン・マン」

Rain Man レインマン Trailers.tv 映画予告編tv ~映画予告編動画を探して連続再生しよう~

レインマン - Wikipedia

の方が、現実味あるかな…

って、会計士が闇のヒーローな

ザ・コンサルタント」に現実味がないのは、

当たり前ですね。

てへ。

 

崩壊した日本語で

とりとめもないお話にお付き合いくださり

最後まで読んで頂いた皆様には

感謝の念で一杯です。

*1:ベン・アフレック主演のハリウッド映画なので、

こんな子供時代で高機能って…無理ちゃう?

みたいな、無粋なコメントは控えます

*2:巨人の星」はっきりいって

あまり覚えていないのですが…

私にとって、熱血スポーツマンで愛情深い

古典的父親像になっていると思います

【亜人】発達障害のメタファー

漫画も

若い頃は沢山(しかも同じのを何回も…)

読んだのですが

日本を離れてから

全く読めなくなってしまいました。

ので、最近何が面白いのかさっぱり分からないのですが

 

自己表現が過激すぎたせいで

はてなから追放されたと

まことしやかなウワサの

ハマダさんのオススメで

https://hamaren.com/

亜人」を一気読みしたので

色々と思うトコロを書いてみます。

 

潰れましたねー。

読書の秋の美しい半日が。

外に出ることもなく。

 

きっと違法な無料サイトだったので

歪んだ画面で

上下逆なページもあって

読み進めるのは容易ではありませんでした

 

が、10巻まで!

一気に!

読みました。

こんなに集中(?)したの

久しぶりで頭がクラクラします。

 

当初、

 

平凡(?)な高校生(?)が

不死の力(超人的力)を得て

自分と同じ(だけど、パワーアップした)能力を持つ

悪者と戦う

 

という…

 

「なーんだ、寄生獣の焼きなおしかい?」*1

 

と思ったのですが読んでいるうちに

何だかどんどん

モヤモヤが蓄積して。

 

ぶっちゃけて言うと

人物設定や

人間関係描写に説得力がない。

 

とても希薄でちぐはぐな感触なのです。

 

読んでて、15秒おきに

「何で、そんなにその人のこと好きなの?」

「何でそこで、そんなこと感じて

そんな極端な行動になる?」

「え?」

「おいおい」

「うっそー?」

「何でやねん?」

「おい、何でや?」

って、感じです。

 

だからといって

 

全く面白くなかった

 

というのでもない…

 

なんでやねん

 

半日で一気に10巻読んでしまうくらい、

ストーリー展開に緊張感があり

充分惹きつけられてしまった(不覚)。

って感じですわ。

 

で、考えてみたトコロ

 

亜人」で描かれる

人間関係の唐突さと、希薄さ

そして方向性のない破壊的衝動のあり方が、

自閉症スペクトラムの人達の

内的経験を如実に表現しているのでは…

 

そして、こんなお話がウケるということは

自閉症児の「唐突さ」と「暴力性」の克服の困難さは

現代に生きる多くの日本人に共感を呼び起こすのかもしれない…

 

と思いあたりました。

 

他人と違うことが排除の理由になる日本では、

他人と違う能力(破壊性)を持つ「亜人」達が

「人と似て非なるモノ」

として迫害される世界には

共感を禁じ得ないとしても

全く不思議ではありません

 

が、今回は

迫害妄想の探求はひとまずおいておいて

私的には今最も興味を持っている、

父親不在

というテーマで攻めてみたいと思います。

 

ネタばれ注意…かな?

あんまり、ちゃんとあらすじ紹介しませんが…

以下、がっつり私的、解釈です。

 

幼い頃から自分は周囲とは違う

と感じていた主人公の圭は

自分にしか見えない

黒いお化けが妹を傷つけるのではないか、

と怯えます。

 

黒いお化けが

方向性がなく、コントロール不可能な暴力性や

破壊衝動の象徴であることは

明らかですが…

 

その脅威に初めて気付くきっかけとなったエピソードに

親の愛情を奪い合う競争相手でもあり、

親愛の対象でもある妹が介在していることには、

「うーん、やるな!」

と感じます(何がや)。

 

兄弟間には、

殺してしまいたいけど、愛してもいる、

という強い葛藤がありますからね。

 

ユングフロイトに比べると

日本では知名度の低い

メラニー・クラインという精神分析家が居ます

彼女は

生後まもない乳児が母親の乳房を対象に、

愛憎の葛藤劇を繰り広げる、

という「おっぱい理論」を提唱しました。

 

英国対象関係論の祖、とか言われている人です。

フロイト教授と並び

私のオシな精神分析学者です。

 

クラインの深遠なおっぱい理論を

ここで詳細に解説するとエライことになるので

さくっと表面をなでてみます。

クライン曰く

未熟な自我の嬰児は

おっぱいに対する欲動と破壊衝動に

耐えがたい葛藤を抱く

そうです。

 

おっぱいに対する破壊衝動と言うと、

 

はあ?

一体何がどーなって

赤ちゃんがおっぱい壊したいなんて望むのでしょうか?

 

ということになると思うのですが、これは、

  • 「食べつくしてしまいたい」という、「貪欲」による破壊衝動
  • 「お腹が痛くなるような不味いおっぱいなんか、いらんー」という自分に危害を為すモノが存在する恐怖や怒りによる、攻撃衝動
  • 「どこにもおらんやんかー」という、一人ぼっちの恐怖や放置されることへの怒りによる、破壊衝動

 という感じにざっくり分けられます。*2

 

で、赤ちゃんの未分化な怒りだとか

破壊衝動とかには、

おっぱい吸ってる時の悦楽とも

混ざっているんで、

更に、訳分からんくなっています。

そのドロドロの混乱と葛藤に折り合いをつける為の

原始的な防衛の一つに

「投影」というものがある。

と、クラインは提唱します。

 

自分に内在する、赦せない感情や衝動を、

他人に丸投げする精神的操作とでも言いましょうか。

 

亜人の吐き出す黒い物質は、

正に、自分ではどうしようもない、

制御不可能な攻撃的衝動が

自分達にだけは見えるモノとして

体外に投影されているように私には思われます。

 

いくら、体外に排出した攻撃性とは言え

直接、母親を攻撃できません。

母子分離ができない日本人にとっては、

例え虐待を受けた恨みがあろうとも

母親に対して、憎悪や強い葛藤を抱いていることを

意識化することは、

絶対に無理…とは言わずも、

大変難しいでしょう。

 

どんなに酷い仕打ちを受けても、

自分の親は良い親だった(=自分は良い人間)と、

信じたいのが人の常でもあります…

 

が、兄弟姉妹に対しては、

憎しみの閾値が断然下がります。

 

ということで、

黒いお化けから妹を守ろうとする

圭の努力は、母親への葛藤の代換でもある、と言えましょう。

 

最近の精神分析では、

父親こそが、息子の攻撃衝動を制御し、

方向付ける手助けをし

母子分離の葛藤を軽減することで

自己実現の可能性を高める機能を有する、

とも言われております。

 

私にとって「亜人」は

父親のいない主人公が

自分の攻撃衝動を如何に手なずけ

自己実現できるのか

という物語のように思われます。

 

ちょっと話は飛びますが

圭の母性薄い母親との関係性は、

神戸連続殺傷事件の少年Aの母親を思わせます

(根拠を突き詰めないで下さい。全て印象です)。

 

母親に対する葛藤が

思慕の対象であると同時に、

同一化の対象でもある

(自分の薄情で利己的な「ゲス」な性格の根源でもある)から

という大変大雑把な理由ですが、

後に圭が逃走中に出会う老婆への愛着も、

少年Aの祖母への愛着に似通ったものの様に感じられます。

 

圭の父親は、

優しく、情に溢れた母性的な存在

という設定ですが…

存在が希薄…というより、

「本当に存在したの?」

という印象です。

 

圭の父親は、

患者に感情移入し過ぎて規律を破る等…

「規律」や「理性」といった西欧の父性的機能からは

かけ離れたイメージですが

死んでしまったのを良いことに

都合よく母親化(理想化)されている様に感じます。

 

自閉症スペクトラムかい?

という感じに描写されている母親が、

母性発揮しないので、

父親が情緒的にどうにか補おう

とはするものの破綻する。

という、以前もこの記事で触れた様に

EDと、父親不在と、村上春樹 - 精神分析のススメ

日本の父性欠如は、母性の機能不全と表裏一体

という解釈に近い設定ではないでしょうか。

 

大雑把ではありますが、

私的には、

年長の男性キャラ(戸崎、佐藤、オグラ、佐藤対策班の男達)は、

全て不在な父親を補う父親的存在

と、ざっくり括ってしまいたい所です。

 

飽く事のない暴力と破壊の衝動を、

ゲーム感覚で全開にする佐藤は、

歴史的に日本に大きな影響を及ぼした「強い国」でもある

アメリカ人と中国人のハーフという設定ですが

実は、方向性を失った日本という国のあり方

現代日本の破綻した父親像(=破綻した男性像)なのではないか

と思うと、背筋がぞっとします。

 

無軌道な破壊衝動の象徴でもある

佐藤を排除することで、

自らの暴力性をも収束し、乗り越える

少年が男になるストーリーなのでしょうが、

同一化できる父親のイメージが、

あまりにも散漫なので、不安になります。

 

更には、数ある父親的イメージとの繫がりも、

突発的に発生しては、抹殺されてしまうので

飽和状態にある破壊衝動を

如何に制御し、統合し得るのでしょう?

と、疑問に感じます。

 

誰とでも仲良くできる、言わば理想の自分像でもある、

カイや、中野との繫がりも、

シンデレラの魔法使いさんにでも出してもらったんかい?

と言いたくなるくらい、

私的には説得力に欠け、現実感がありません。

 

他者との繫がりを切に求めはするものの、

拒絶される恐怖や諦めが先に立ち、

何回死んでも又すぐ始められる

暴力的なゲームに没頭する

人間関係の希薄な現代人の内的現実に即した物語なのかな、

と考えると、哀しくも、恐ろしくも感じてしまいます。

 

日本の漫画「亜人」とハリウッド映画の「コンサルタント」を

何故か比較してみた続編(?)も宜しく

https://neofreudian.hatenablog.com/entry/2017/10/24/155704?_ga=2.225144986.1091024579.1573429413-699501326.1533073212

*1:最近の漫画知らんので…

*2:何分赤ちゃんの内的経験ですので、

無理やり言語化して、分けてみた、

という感じでお願いします。

【マザー!】みたことも無い映画のススメ

先日も書いた、エミネム

狂気 と 自己表現としての芸術 エミネム A.k.a スリムシェイディ - 精神分析のススメ

については、書きたいと思うことが沢山あったので、エディプスコンプレックスに引っ掛けて書こうとしたのですが、無理でした。

 

父親不在、暴力、性的虐待、と、どんどんとりとめがなくなってしまって。

 

頑張って、精神分析の論理を説明しようと思うと、ダメな私なのです。

書きたいことが整理できなくなって、自分でも

「何じゃ?こりゃ?」

な出来になっていく。ぐがー。

 

なので、先日読んだニューヨークタイムスの映画評論 

Making ‘Mother!,’ the Year’s Most Divisive Film - The New York Times

 について書いてみます。日本ではまだ封切りされていないばかりか、自分でも観ていません。が、興味が赴いてしまったので。

 

この記事 

neofreudian.hatenablog.com

の最後でさくっと紹介したダーレン・アロノフスキー監督の新作です。

 

封切り先行公開した、映画祭でのあんまりにも酷い評価と無理解に、監督の彼女でもあり、主演女優のジェニファー・ローレンスさんが、ネタバレ覚悟で映画の寓話的意味を明かします。という趣旨の記事でした。

 

以下、ニューヨークタイムスによると…

 

推定40億円(くらいか?3000万ドルって。)の予算を費やした、パラマウント大博打。封切り1週間の興行収益はイマイチで、「大嫌い!」から、「素晴らしい!」と、評価が分かれる、2017年、一番ホットな会話の種になる映画、と評される心理サスペンスなのに、何故かワーナーブラザーズのホラー映画と比較されている…

 

表面的には、田舎の旧いお屋敷に住むカップルのお話。旦那は一発ヒット作を出したものの、スランプに陥る詩人。妻は、家の改修に余念がない。

 

彼等の平穏な生活は、ひっきりなしに訪れ、しかも去ろうとしない客人達によって乱される。というあらすじなのですが…

 

記者会見に遅刻して、主演女優に、

「ダーク・ロード(暗黒の主)に電話して」

と、スマホで呼び出されたアロノフスキー監督曰く、

「寓話的イメージに取り付かれ、自分には珍しく、速いペースで熱にうかされたように、5日間で書き上げた」

脚本で、自分の彼女を主役に抜擢。ワキも、ベテラン俳優で固めてあります(3億ドルはそれでかな?それとも、この記事に書いてあるように 

Darren Aronofsky on Shooting mother! on 16mm Film | Collider

こだわって16mmで撮影したは良いが、誰も編集できなくってクソ大変だったからかな?)。

 

ポスターは、こんな感じです。

f:id:neofreudian:20170929184612j:plain

ぶっちゃけてしまうと、聖書のお話。だそうです。キリスト教信仰の欧米人にとっては、とてもキワドイです。

 

旦那が神様で、妻が母なる大地。ウザイ客人達は、神様の恩恵を授かりたい不躾な人間。家は地球。物語は人間による環境汚染、気候変化について、という感じです。

比喩に満ち満ちたイメージと音が、これでもか、これでもか、と出てくるそうです。

 

観たいけど、観るのが怖い…

 

きっと、グロテスクで暴力的なシーン満載でしょうから。妻が集団レイプとかされて、内臓とか引き出されたりするの、見るのはちょっと…(本当にそんなシーンあるかどうかは知りませんが、石油資源の枯渇とか、どう映像化するんだろう、と想像したら…)

 

しかも、自分の彼女にそんな役柄振るって、どんなSなの?(だから、ダークロードって愛称で呼ばれているんでしょうけど)

 

因みに、私がアロノフスキー監督に惹かれたきっかけとなった、レクイエム・フォー・ドリームは、(10年以上前に観たのでうろ覚えなのですが)じわじわ怖くて、えげつないけど、映像的にとっても私好みでした。ジェニファー・コネリーが助演女優で、イイ感じに郷愁感が漂っていて、絶望的で。

 

薬物依存の人達の、「求めて止まない何か」が、手の届かない母親的なイメージ(モノ)であること、ソレを追い求める有様が破壊的な現実逃避でしかないこと、が確立したスタイルでとってもオシャレな映像になっていた(なんちゅう日本語や...)、という印象です。

 

パイという、同アロノフスキー監督の映画も、同じくらい昔に観たのですが、一昔前の分裂病、今の用語では統合失調患者の内的経験が、やはり、スタイリスティックに描かれていたように思います。

 

どちらも、元々、

「アレ?ちょっとヤバイ?」

って感じの人達が、徐々にキチガイ全開、現実から逸脱するに至るまでの経過が淡々と(?)描かれたコワーい出来上がりだったと思います。

 

今回の Mother! は、批評を読んでいると、自己愛性パーソナリティ障害がテーマかな?という感じです。

 

神が、自分のファンである人間の欲を肥大化させ、母なる大地を蹂躙させることも厭わない自己愛性PDって、確かに成る程―、欧米人激オコでも仕方ないかな、って設定かもしれませんね。

 

観ていないので勝手な憶測です。観て面白かったら、再更新しますね(誰も興味ないかもしれませんが…)。

 

追記 まだ、観てません…が、日本封切り1月予定だったのが、中止になるほど絶対売れない感が強いらしい。4月にDVD発売予定だそうです。アロノフスキー監督も、可哀想に…

 

追記 観ました!書きました!

【マザー!】観ました… - 精神分析のススメ

【エミネム】A.K.A. スリム・シェイディ 狂気 と 自己表現としての芸術

絵画でも、音楽でも、痛々しい作品を作る人って、たまにいます。

 

例えば、エゴン・シーレとか、

 

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闘う者 1913 48.8 x 32.2 cm 個人蔵

エゴン・シーレ (Egon Schiele) 画像と美術館のリンクから、イメージ取ってきました。

シーレのまとめは、この方のブログ

blog.livedoor.jp

が分かり易くて素晴らしいです。

 

ユニクロで、シャツにもなっている、バスキアット。

 

f:id:neofreudian:20170915233711j:plain

無題(頭骨) 1981 Wikipedia


バスキアは、映画にもなってます。

 

が、今回は、痛い音楽。

 

エミネムに挑戦します。

 

 

まずは、この曲。(古いです)

 

 

www.youtube.com

 

ざっくり言うと、

 

テレビばっかり見て、

オトナの吐く嘘を鵜呑みにしてたら

(…それとも鵜呑みにできないと…でしょうか…)

俺みたくキチガイ扱いされちまうぜ。

 

って感じのメッセージでしょうか。

 

そして、

www.youtube.com

 

ニコルソン好演の「カッコウの巣の上で」

を彷彿とさせる出来のビデオです。

 

あと、これは、閲覧注意にしたいくらい。

音楽は(エミネムにしては)ポップで、

軽いノリなのですが、このビデオ、

吐きそーになりました。

個人的にあまり見たくないビデオです。

 

www.youtube.com

 

が、これ見て、

「あ、この人、男親(叔父)だけじゃなくて、

女親(母か祖母…か両方)にも性的虐待されてたな」

と確信しました。

 

英語の歌詞を和訳すると、

基本的に著作権に触れるそうなので、

(てか、韻を踏んでなんぼの、

狂気の歌謡、ラップを日本語にしても、

意味ないし)今回はヴィジュアルから

アプローチしてみます。

 

ということで…

個人的に印象に残ったイメージについて、書いて見ます。

 

一番最初の、My name is で、

テレビを見ている男女、

私、めっちゃ怖いです。

 

彼の両親、家族のイメージではないか、

と思うのですが、

所謂、ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)

と呼ばれる、経済最下層の白人の方々です。

 

白人貧困層は、

トランプ政権を頑なに擁護し、

人種差別的活動に勤しみますが、

彼らこそが誰も擁護しようとはしない、

隠れた被差別層であり、

それ故に、解消し難い鬱憤が溜まっている、

と言われております。

 

白人として、(後述しますが)

「ゆかいなブレイディー家」のような

中流家庭を築けない人達は、

社会の落伍者として、

ある意味、黒人やヒスパニック等、

被差別人種よりも、多大な苦痛を抱えている。

といえましょう。

 

白人の自分達が、

有色人種よりも高学歴、高収入を得られるはず。

それなのに…

低学歴、低所得…

ということが、

彼らにとっては、耐え難い屈辱だからです。

 

有色人種の私としては、

触らぬ神に祟りなし。

なるべく距離を置きたい方々です。

 

My name is は

スリム・シェイディが番組ホスト、

という設定で始まります。

 

次に紹介するビデオにも出てくる、

スリム・シェイディは、

エミネムの3つの人格のうちの一つ…

とも言われています。

配役者の、マーシャル・マザーズは、

エミネムの本名です。

 

この時点で、エミネムの多重人格性、

芸能界で生きていくことのキチガイさが

示唆されていると感じます。

 

スキンヘッドや、ネオナチに代表される、

白人至上主義に流れがちな、

白人貧困層出身のエミネム

正統派被差別層の黒人文化の粋である、

ラップで名を成した、

というのは、何とも皮肉で、

彼の抱く、大きな矛盾を示唆していると思われます。

 

1:19辺りで出てくる画像は、

「ゆかいなブレイディー家」という

70年代アメリカの国民的コメディドラマの

タイトル画のパロディ、

「あやしいシェイディー家」

となっています。

本当なら、それぞれの枡に、

家族の顔が現れるのですが、

全てエミネムの顔で埋め尽くされます。

 

「ゆかいなブレイディー家」は、

双方、子持ち再婚したカップルの、

面白おかしい家族ドラマ番組です。

絵に描いたような、中流の白人の家庭、

「平均的(白い)アメリカの家族」

を描いているとも、言えましょう。

 

エミネムの母親は、

ドラッグに浸りっぱなし、

父親は現在もどこで何をしているか、

分からない。

近親に性的虐待を受けて育った彼にとっては、

家族とは、影闇(シェイディー)でしかない、

ということでしょうか。

 

1:32で、ちらっと表れるスーツ姿の白人男性。

黒人ばかりのスラムのベンチで、

横たわるエミネムの前を横切りますが、

危ないお薬を買いに来たのでしょう。

 

幼い頃は、

腹が減って死にそうだった。

母さん、乳のないあんたに、

俺を食わせることなんてできるはずねぇだろ。

 

人生の99パーセントは、嘘をつかれてきた。

 

学校では、落ちこぼれ。

唯一及第してきた英語

(好きだったのでしょう。

辞書を書き写して語彙を増やしていたそうです。)

も高校の時には素行不良で落とされた。

 

キモいおっさんに操られ、

口をパクパクさせてる人形は、自分自身。

 

トコロで親父に逢ったら、

ガキの頃の俺のケツ見つける為に

児童ポルノ買ったかどうか聞いといてくれよ

 

クリントンとモニカ・ルウィンスキーの

スキャンダルで持ちきりだった頃を髣髴とさせる、

ニュース速報。

 

クリントンさながら、

スーツを着て、胸に手を当てて、

名を名乗り、真実を誓うエミネムの講演台は、

ズボンを半分下ろした彼の下半身と、

女装した、もう一人のエミネムが、

フェラチオに興じていたことを

隠すことはできません。

 

性的虐待を家庭で受けて育つ子供達は、

嘘に心を蝕まれ、真実を憎悪します。

 

The real slim shady も又、

精神病患者とレッテルを貼られる人々が、

いかに、世の中の欺瞞と上手に付き合っていけないが為、

キチガイになっていくか、

が描写されているように感じます。

 

芸能界のシェイディーな噂についての

歌詞と画像*1で、

名誉既存訴訟とかも起こされてました。

 

性的虐待を受けて育った彼にとって、

セックスは、暴力的で汚い、屈辱的な行為。

と同時に、

暖房も食べ物もない家で得られる

唯一の暖かさでもあったのでしょう。

 

彼の歌詞は、放送禁止用語だらけなので、

大衆の反感がっつり、グラミーだって無理やろ

と言われていましたが、

「そんなん、クソっくらえだ」

と、公言することで、

自分を芸能界のキチガイにしていく、

エミネムの姿を描いているビデオなのではないでしょうか。

 

Just lose it は、

児童ポルノ所持で捕まった、

変態の定評あるピーウィーや、

児童性的虐待のウワサがつきまとうマイケル・ジャクソン

そして…

クリスマスにサンタの扮装で

ショッピング・モールに現れ、

子供を抱っこして願いを聞く男性、

いずれも、小児同性愛趣味と噂される

成人男性を髣髴とさせる出来です。

 

ちょっと、この映像について語るのも気分悪いので、

エミネムの薬物依存治療の映像がかぶる、

このビデオで終わりにします。

www.youtube.com

エミネムの自己表現を通した狂気からの回復の道のりが

険しく、空虚で、絶望的な事を示唆するビデオですが…

 

エミネムにもっと興味のある方は、こんなのも 

ラップは狂気? - 精神分析のススメ

【エミネム】やっぱり痛々しい River - 精神分析のススメ

書いているので、宜しければどうぞ。

 

洋楽や、曲中に使われる、英語の慣用句等に興味のある方には、

軽薄な精神分析シリーズもあります。

 

軽薄な精神分析 1. The Chainsmokers 大人になれない僕達 現代アメリカの若年層 ミレニアルの闇 - 精神分析のススメ

軽薄な精神分析 2. Shake it off 不完全な自分のままで いいじゃん。 - 精神分析のススメ

軽薄な精神分析 3. All about that bass 太っちょでもイイじゃん - 精神分析のススメ

*1:元AV女優のパメラ・アンダーソンのDV夫や、

クリスティーン・アギレラに二股かけられた彼氏達が、

どちらが先にフェラチオしてもらったかで喧嘩したり、

子供向け番組で人気の出た良い子の

ブリットニー・スピアースや、

お子様バンドのNSYNC達と仲良くお歌な

グラミーになんて出てらんねーや、

って感じの映像になってます

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