精神分析のススメ

海外在住メンヘル専門家。ヒップな精神分析をめざしております。

発達障害のメタファー 「亜人」

 

漫画も、若い頃は沢山(しかも同じのを何回も…)読んだのですが、日本を離れてから全く読めなくなってしまいました。ので、最近何が面白いのかさっぱり分からないのですが、ハマダさんのこの記事内のリンクを踏んで、

好きになるとは興味を持つこと - 遊びまくる!

 

潰してました。読書の秋の美しい半日を。外に出ることもなく。

 

歪んだ画面で、上下逆なページもありましたが、10巻まで、一気に読みました。こんなに集中して本(って、漫画ですが…)読んだの久しぶりで頭がクラクラします。

 

最初は、

 

平凡(?)な高校生(?)が不死の力(超人的力)を得て、自分と同じ(だけど、パワーアップした)能力を持つ悪者と戦う、という、

 

「なーんだ、寄生獣の焼きなおしかい?」

 

(全然違うって、怒らないで下さい。最近の漫画、知らないんです) と思ったのですが読んでいるうちに、何だかモヤモヤしてきてしまって。

 

ぶっちゃけて言うと、人物設定や、人間関係描写に説得力がない。とても希薄でちぐはぐな感触なのです。読んでいて、

何で、そんなにその人のこと好きなの?

何でそこで、そんなこと感じて、そんな極端な行動になるの?

え?

うっそー?

何で?

何で?

って、感じです。

 

だからといって、面白くなかった、というのでは決してありません。半日で一気に10巻読みきるくらい、緊張感もあったし、ストーリー展開にも充分惹きつけられましたので。大変おもしろう御座いました。

 

で、考えてみた結論が、

 

亜人で描かれる、人間関係の唐突さと、希薄さ、そして方向性のない破壊的衝動のあり方が、あまりにも、自閉症スペクトラムの方の内的経験に通じる物があり、それは又、現代に生きる日本人の内的経験に通じるものがあるのかも…

 

と感じてモヤる。というものでした。

他人と違うことが排除の理由になる日本では、亜人は、他人と違う能力(破壊性)を持つ主人公が人ではないモノ、として迫害される、迫害妄想に近い世界、という方向で分析もできますが、私的には今最も興味を持っている、父親不在、というテーマで攻めてみたいと思います。

 

ネタばれ注意…かな?あんまり、ちゃんとあらすじ紹介してませんが…

以下、がっつり私的、解釈です。

 

主人公の圭は、幼い頃から自分は周囲とは違う、と感じ、自分にしか見えない黒いお化けが妹を傷つけるのではないか、と怯えます。

 

黒いお化けとは、主人公の統合し得ない(方向性がなく、コントロールできない)暴力性、破壊性の象徴であることは、結構あからさまだとは思うのですが…

 

その脅威に、初めて気付くきっかけとなったエピソードに、親の愛情を奪い合う競争相手でもあり、親愛の対象でもある妹が介在していることには、うーん、成る程!と感じます。兄弟間には、殺してしまいたいけど、愛してもいる、という強い葛藤があるからです。

 

ユングフロイトに比べると日本では知名度の低い、メラニー・クラインという精神分析家は、生後まもない乳児が母親の乳を対象に、愛憎の葛藤劇を繰り広げる、という理論を提唱しました。

 

英国対象関係論の祖、とか言われておりますが、私は密かに、おっぱい理論のクライン、と呼んでいます。

 

クラインのおっぱい理論は深遠なので、ここで詳細に立ち入るのは止めておきますが、彼女の考えによると、人は皆、生後間もない頃から、おっぱいに対する欲望と破壊衝動に耐えがたい葛藤を抱きながら成長を続けます。

 

おっぱいに対する破壊衝動と言うと、

 

はあ?何で赤ちゃんがおっぱいに破壊的衝動なんて持つんですか?

 

ということになると思うのですが、これは、

  • 「食べつくしてしまいたい」という、「貪欲」による破壊衝動
  • 「お腹が痛くなるような不味いおっぱいなんか、いらんー」という自分に危害を為すモノに対する恐怖、怒りによる、攻撃衝動
  • 「どこにもおらんやんかー」という、一人きりで放置されることに対する恐怖、怒りによる、破壊衝動

 

という感じにざっくり分けられますが、赤ちゃんの内的経験ですので、無理やり言語化して、分けてみた、という感じでお願いします。

 

で、赤ちゃんの未分化な怒りとか、破壊衝動とかは、おっぱいの悦楽とも混ざっているんで、更に、もー訳分からんくなっています。その葛藤に折り合いをつける為の、原始的な防衛の一つに、「投影」というものがある、と、クラインは提唱します。

 

自分に内在する、赦せない感情や衝動を、他人に丸投げする精神的操作とでも言いましょうか。

 

亜人の吐き出す、黒い物質は、正に、自分ではどうしようもない、制御不可能な攻撃的衝動が物質として体外に投影されているように私には思われます。

 

いくら、体外に排出した攻撃性とは言え、直接、母親を相手にはできません。母子分離ができない日本人にとっては、虐待とか受けた恨みがない限り、母親に対して、こうした強い葛藤を抱いていることを意識化することは、絶対に無理…とは言わずも、大変難しいでしょう。どんなに酷い仕打ちを受けても、自分の親は良い親だった(=どんなに冷酷な仕打ちを他人にしても、自分は良い人間だった)と、信じたいのが人の常でもあります…

 

ところが、兄弟姉妹に対しては、憎しみに対するガードが断然下がります。ということで、黒いお化けから妹を守ろうとする、圭の努力は、母親に対する葛藤の代換でもある、と言えましょう。

 

最近の精神分析では、父親こそが、その攻撃衝動を制御し、方向付ける手助けをすることで比較的葛藤の少ない母親からの分離、つまりは自己実現の可能性が生まれる、とも言われております。

 

私にとって、亜人は、父親のいない主人公が自分の攻撃衝動を如何に手なずけ自己実現できるのか、という物語のように思われます。

 

ちょっと話は飛びますが、圭の母性薄い母親との関係性は、神戸連続殺傷事件の少年Aの母親を思わせます(根拠を突き詰めないで下さい。全て印象です)。

 

母親に対する葛藤が、思慕の対象であると同時に、同一化の対象でもある(自分の薄情で利己的な「ゲス」な性格の根源でもある)から、という大変大雑把な理由ですが、後に圭が逃走中に出会う、老婆への愛着も、少年Aの祖母への愛着に似通ったものの様に感じられます。

 

圭の父親は、優しく、情に溢れた母性的な存在という設定ですが、存在が希薄…というより、本当に存在したの?という印象を持ちます。

 

圭の父親は、患者に感情移入し過ぎて規律を破る等、西欧の規律や、理性といった父性的機能からは、かけ離れたイメージですが、死んでしまったのを良いことに、都合よく母性化(理想化)されている様に感じます。

 

自閉症スペクトラムなのかい?という感じに描写されている母親が、母性発揮しないので、父親が情緒的にどうにか補おう、とはするものの破綻する、という、前にも書きましたが、日本の父性欠如は、母性の機能不全に因る、という解釈に近い象徴的設定ではないでしょうか。

 

私的には、年長の男性キャラ(戸崎、佐藤、オグラ、佐藤対策班の男達)は、全て不在な父親を補う、父親的存在と、ざっくり括ってしまいたい所です(大雑把すぎ?)。

 

飽く事のない暴力と破壊の衝動を、ゲーム感覚で全開にする佐藤は、(歴史的に日本に大きな影響を及ぼした強国でもある)アメリカ人と中国人のハーフという設定ですが、実は、方向性を失った日本という国のあり方、現代日本の破綻した父親像(=破綻した男性像)なのではないかと思うと、背筋がぞっとします。

 

無軌道な破壊衝動の象徴でもある佐藤を排除することで、自らの暴力性をも収束し、乗り越える少年が男になるストーリーなのでしょうが、同一化できる父親のイメージが、あまりにも散漫なので、不安になります。更には、数ある父親的イメージとの繫がりも、突発的に発生しては、抹殺されてしまうので、飽和状態にある破壊衝動を如何に制御し、統合し得るのでしょう?と、疑問に感じます。

 

誰とでも仲良くできる、言わば理想の自分像でもある、カイや、中野との繫がりも、シンデレラの魔法使いに出してもらったんかい?と言いたくなるくらい、説得力に欠け、現実感がありません(すみません。前世紀の遺物の感受性です。「何言うてんねん!めっちゃ心に来るもんあるわ!」という若者の皆様とは感性が違うのかもしれません)。

 

他者との繫がりを切に求めはするものの、諦めや、恐怖の方が先に立ち、何回死んでも又すぐ始められる、暴力的なゲームに没頭する、人間関係の希薄な現代人の内的現実に即した物語なのかな、と考えると、哀しくも、恐ろしくも感じてしまいます。