精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

【ザ・チェインスモーカーズ】The Chainsmokers 大人になれない僕達 現代アメリカの若年層 ミレニアルの闇

書き掛けた記事が、あまりにも重たくて、ポップな事が書きたくなってしまいました。

と、いう訳で、サビがくせになります。アメリカで大流行の、チェーンスモーカーズの歌を2曲紹介します。

まずは、ちょっと古いのですが、クローサー。ここ1年間、お子様ラジオでそれこそ、死ぬほど聞かされました。

digitalcast.jp

歌詞を私訳しました。

[Verse 1: Andrew Taggart]
ねえ、君に会うまではうまくやってたんだよ
ちょっと飲み過ぎかな。アル中だからね。

けど、僕は大丈夫
ねぇ、友達にあえて嬉しいって言っといてよ
本当はあいつらには二度と会いたくなんかないんだけどね

[Pre-Chorus: Andrew Taggart]
君が傷みを感じてるってこと、分かってるよ
オンボロ車で都会へ出てから
4年、電話もしなかった
今日、ホテルのバーで見かけた君は可愛くって
止められないんだ
我慢なんてできない

[Chorus: Andrew Taggart]
だからベイビー、もっと近くに抱き寄せて
君のレンジローバーの後部座席で

そんな車、自分じゃ買えっこないって知ってるよ

君の肩のタトゥーを噛もう
シーツを角っこからひっぺがして
このマットレス、ボルダー(コロラド)にいた頃、君がルームメイトから拝借したやつだよ
僕達は ちっとも変わらない

 

[Post-Chorus: Andrew Taggart – Instrumental]

あの頃のまま

僕達は 何も変わらない


[Verse 2: Halsey]
あなたは、初めてあったあの時と同じね

今も素敵なまま
何で別れちゃったんだろう、正気じゃなかったのね
ここにいてよ、あのブリンク182の曲をかけて頂戴
ツーソン(アリゾナ)で死ぬほど聴きまくったやつよ

[Pre-Chorus: Halsey]
あなたが傷みを感じてるってこと、知っているわ
オンボロ車で都会へ出てから
4年、電話もしなかった
今日、ホテルのバーで見る私は綺麗でしょう
止められないわ
我慢なんてできないのよ

(下の2サイトの訳を参考にしました)

fumhum.com

【歌詞和訳】Closer / The Chainsmokers - クローサー / ザ チェインスモーカーズ : 洋楽翻訳☆お味噌味 - オリジナル歌詞和訳の妄想旅行へ

 

そして、今年1月にリリースされた、がっつり薬物依存、BPD(境界性性格障害)な内容のパリス。

digitalcast.jp

僕たちはパリにいたんだ
君の両親から逃げるために
そして思ったんだ
「ああ、今すぐこいつをヘロインに混ぜて注射できたらな
こんなの うまくいくなんて思ってもいないよ」

 

外のテラスに出て

酷いことかもしれないけど
思ったんだ
「僕が他の子と飲んだくれてるのに

君がひとりで堕ちていくのを みすみす傍観するなんて」

 

堕ちるなら 一緒に堕ちよう
みんながきっと言うよ 君は何でもできたのにって
みんながきっと言うよ 僕は賢かったって
堕ちるなら 一緒に堕ちよう
何やったって 大丈夫
見せ付けてやるんだ 僕達の方がスゴイって

 

僕たちはパリにいた
君の両親から逃げるために
君はとても誇らしげだね
タバコを吸って顔をしかめて

自撮りを沢山インターネットに上げて

 

外のテラスに出て
この小さな町の空気を吸ったよね
僕たちだけで ただスリルを求めて授業をサボった
自分たちの過去に酔って

 

僕たちはパリにいた(堕ちるなら)

 

この2つのサイトの訳を参考にしました

【歌詞和訳】Paris/the chainsmokers(ザ・チェインスモーカーズ)|sippin-on-sunshineのブログ

The Chainsmokers – Paris 歌詞を和訳してみた – SONGTREE

 

パリスには、PVが2つあって、(私的には退屈な)延々と男女が睦み合うヴァージョンから「堕ちる」のは「恋に落ちる」という解釈もありますが、下のサイトによると、

Paris by The Chainsmokers Songfacts

パリスを歌うアンドリューが、重篤な薬物依存治療中の幼馴染とFBでやりとりしながら書いた曲、ということで…最近流行りが復活しているというヘロイン依存を念頭において私訳しました。

最後にリンクを貼りましたが、(退屈な)男女の睦み合いPVは、ツイートもされたパリスの定義で始まります。

"Paris - A sentimental yearning for a reality that isn't genuine.

2: An irrecoverable condition for fantasy that evokes nostalgia or day dreams."

ウソの現実への感傷的な憧れ、思慕、追悼

白昼夢や郷愁への立ち直れない幻想

 

ということで、チェーンスモカーズのFBには、パリスがリリースされた時期にこんな記述があったそうです。

「題名のパリスは、僕達(アメリカ人)にとって、フランスのパリが、異国のロマンチックな都市として理想化されていることを踏まえた比喩で、実在する場所ではないんだ。薬物依存と戦う友達の、みんなが心配しているって分かっていながら、何もかも上手くいっている、って信じたい心理状況、逃げ場所のことなんだ。

パリスは、『楽しいことなんて何もない現実から逃げ出して、どこかで誰かと一緒にいる』っていう幻想のことを歌っているんだよ。」

 

この歌は女性のボーカルが入ることから、彼女とのどっぷりメンヘラな恋愛関係を歌っているようにも受け取られますが、アンドリューの話からは、幼馴染の闘病*1経過を、家族や友人から聞きながらも、何も知らない振りをして、

「全ては上手くいってるよ。僕は大丈夫」

という、友達の強がりに寄り添う内容の歌だった、ということになります。

相互依存のドロドロ自殺願望恋愛歌、として聴くのと、幼馴染の闘病を支える曲、として聴くのでは、趣がガラリと変わりますよね。

とはいえ、虚構に共感するのみでは、精神衛生上決して良い結果には繫がりません。お互いの最も暗い幻想を感傷的に分かち合うことで、意図せずとも、最終的な破滅への道を手を取り合って突っ走ってしまうことになりがちです。

ちなみに、アンドリュー自身も酒呑みでニューヨーク州立シラキュース大学出なのですが、歴史的にドラッグやパーティーで有名なので薬物過剰摂取や急性アルコール中毒で毎年生徒が死んでるハズ(知らんけど)。

ヘロインは(ハマる人達曰く)最初の何回かが、えも言われぬ至福感で、最高だそうです。そこからは、はっきり言って、下り坂。正に、堕ちる一方。

それでも止められないのは、その最初の至福感が忘れられなくて、それを何とかもう一回、と思ってしまうそうです。

取り戻せない理想への郷愁、感傷的な思慕、追悼、という、チェーンスモーカーズのパリスの定義そのものです。

 

クローサーにも、パリスにも共通しているのが、「自分達は何をしても赦される」 というフレーズに集約される、ミレニアルに特徴的な、いわれのない自負心(プライド)の高さと、倫理観の欠如です。

 

他人に良く思われる為には平気で嘘をつく。

友達に会えて嬉しいって言っておいてよ

本当は二度と会いたくないけど

 

自分が無力で、傷ついていることや、他者を傷つけていることを認められない脆弱なエゴ

君が(あなたが)傷みを感じてるって知ってる 

I know it hurts you 無生物主語 it  が使われており、誰が傷付けたのかが分からない言い方です。あたかも弁護士のように巧妙な言い回しに加えて、責任逃れな詞が続きます。

なんで別れちゃったんだろう 正気じゃなかったのね

 

薬物に頼り、親に頼る現実から逃避しているのに、そのことが格好良いと思っている。

君の両親から逃げるために
君はとても誇らしげだね
タバコを吸って顔をしかめて

 

親が、すごいすごいと褒めちぎって育てるので、努力もしないで、自分は何でもできると思っている。

みんながきっと言うよ 君は何でもできたのにって
みんながきっと言うよ 僕は賢かったって
堕ちるなら 一緒に堕ちよう
何やったって 大丈夫
見せ付けてやるんだ 僕達の方がスゴイって

 

そこそこ裕福に育ったので、他人の物を盗んでも、しれっと、「新しいの買えばいいじゃん。ケチ。」とばかり、罪悪感が全くない

このマットレス、ボルダーにいた頃、君がルームメイトから拝借したやつだよ

 

親に金を出してもらったのか、払えないローンを組んだのか、どちらにしても、身分不相応な車に乗る

そんな車、自分じゃ買えっこないって知ってるよ

 

責任感もなく、自分で努力して何かを成し遂げることが出来ないくせに、親の庇護の下、自信だけは満々に育った、アメリカの困ったちゃん世代、ミレニアルの内面に巣食う空虚さや、閉塞感、そこから逃れる為に、表面的な人付き合いや、刹那的な楽しみ、薬物依存で紛らさせる、若者の絶望感を徹底的にロマンチックに描く歌詞と映像だと思います。

だからこそ、多くの若者の共感を得、ヒットするんでしょうね。

みんながネットでお手軽に「自分こそはみんなよりスゴイ(楽しい)」って、見せ付けられる時代なので。

 

ちなみに、ロマンチックなパリスの解釈と(私的には退屈な)映像はこちら。

[歌詞和訳] Paris / The Chainsmokers (ザ・チェインスモーカーズ) | 洋楽の歌詞をただひたすら和訳するブログ

 

そして、ちょっと古いですが、若年層の(たしか)ヘロイン依存のこわーい映画は、

レクイエム・フォー・ドリーム

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0-%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3/dp/B019ME0N1U

がお勧めです。

昔のことでよく覚えていないのですが、同ダーレン・アロノフスキー監督による、

パイ

https://www.amazon.co.jp/%CF%80-%E5%AD%97%E5%B9%95%E7%89%88-%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88/dp/B00G886L24/ref=sr_1_3?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E3%83%91%E3%82%A4&qid=1631978353&s=instant-video&sr=1-3

も、確か、分裂症患者の心境を垣間見ることのできる秀作だったと思います。

あれ?

ポップな記事書きたかったくせに、ずっしり重くてこわーいアメリカの若年層薬物依存の話になってしまったなあ。

うーん。何でだろう。

 

というワケで、リベンジしました。シェイク・イット・オフの、クセになるノリの良さをお楽しみ下さい。

neofreudian.hatenablog.com

*1:ヘロイン及びアルコール依存症の全快の可能性は20%以下とも言う

「人が嫌がることはしてはいけない」では何が悪い? その2.

前回

「自分が嫌と感じること」が何なのか

反芻することが

共感力向上に繫がる

という趣旨の記事を書きました。

 

neofreudian.hatenablog.com

共感の育成には

創造性と愛が必要だ

というデータを紹介するために

しつこいようですが

リベンジしてみます。(何のリベンジや

 

「何で、君そんなに小さいの?」

と、言ってお友達を泣かせてしまった

いじめっこのけい君は、

何故友達が泣いてしまったのか、

「分かんない

赤ちゃんみたいに泣く方がおかしい」

と言って、

お友達を余計に泣かせてしまいました。

 

確かに

泣いたお友達も

些細なことでめそめそして

鬱陶しさMAXで

いじめられるのも

まあ…分かる

って感じな子でした。

 

とはいえ…

あまりにも傍若無人

ふてぶてしいけい君を

放置するのはヤバイ

と思った私は、

ちょっとぽっちゃり…

というか、日本の感覚では

がっつり肥満体型のけい君に、

 

「じゃあ、君は

『なんでそんなに太ってるの?』

と言われたらどう感じる?」

 

と、聞いてみました。

 

ぶすっとして

黙り込んでしまった彼を見て

子供相手に大人気ないことを言ってしまった…

と反省する一方

けい君にもイラついていた自分的には

彼を「論破」して黙らせることができた

満悦を否定もできませんでした。

 

こんな

「意地悪」な私の対応で

けい君は共感を学ぶことはなかっただろうし

優しい気持ちにはなれなかったことでしょう。

 

共感の発達というと

印象に残った研究があります。

 

男の子達に、ママへのプレゼントを選ばせる実験でした。

 

おもちゃのトラックと、口紅をみせて、

「さあ、どっちをプレゼントしたら、ママ、喜ぶかなあ?」

というヤツで、

3歳くらいだと、ほぼトラック、

5歳くらいになると、口紅を選ぶ子もちらほら。

という結果だったように、うろ覚えております。*1

 

① 口紅を選べる

ということは

② ママは女性でお化粧するから、という…

他者視点でプレゼントを選べる

ということは…

③ 共感力ばっちり!

というアメリカ人お得意の3段論法です(ほんまか)。

 

ちなみに、口紅=共感 

という決め付けは

トラックより口紅好きなLGBTQの、

GT男児を考慮してないのでは?

というフェミな批判が

クラスメートからあったことを

一応付け加えておきます。

 

閑話休題

私がぐっときた結果は

ここからでございます。

 

3歳くらい時点での母子観察で

大きく分けて

「トラック、欲しかったんだ、嬉しい!」と

子供の気持ちを汲んだ反応をする母親Aと、

「ママは口紅欲しかったな」と

「真実」を告げる母親B

2つのグループに分かれました。

 

さて、5歳くらいになったとき

口紅を上げた子供の母親は

A、B, のどちらに

属していたでしょうか?

 

当然、

自分の要望を正直にきちんと伝えた母親B群

と思いません?

 

ところがどっこい

「トラック、嬉しい!」母親A群の子供達の方が

後々「ママの欲しい物は、一体何だろう?」と考えて

口紅を選べる子供に育った。

という、ムネアツな結果でした。

 

「プレゼントしたら、ママ、喜んでくれるぞ!」

という期待感に応えられる母親は

「じゃあ、どうしたらママはもっと喜ぶんだろう?」

と子供の「プレゼントしたい」気持ちを育み

自主的に考えられる

共感力を有する子供を育てる。

という考察でした。

 

共感力は、

「相手の(本当の)気持ち」という

「正解」を求める力ではありません。

 

自分の経験に照らし合わせ

独創的に他者の内面を考察する力

想像力の賜物なのです。

 

しつこいようですが

繰り返します。

 

喜んでくれるママだから

「もっと喜ばせたい」

と、子供は欲するのです。

この、「…したい!」がなくては、

創造性は枯渇します。

相手の欲しい「正解」を求める共感は

浅薄な付け焼刃で終わります。

 

ですから…

教育者の皆様には

「他人が嫌がることはしてはいけない」

と、上から注意する前に

子供が何を感じて

思って、考えて

「非社会的行動」に至ったのか

子供目線で

思いやりを持って接することが必要だ

と感じます。

 

「思いやり」を享受し

感じ入ることのなかった者は

「思いやり」のある人には

なり得ないからです。

 

ちなみに、私がけい君に対して、

 

「この子はきっと

心無い周囲の人間に

『何で、お前そんなに食うんや』

みたいな事を言われるんだろうなあ…」

 

という、しんみりした感情を抱けたのなら

もっと素直に「ごめんね」が言える瞬間を

がっつり捉えられたのだろう…

とは思うのですが。

そこまで人間できてませんでした。

 

ごめんね。けい君。

大人気ない、いぢわるな大人で。

世界は冷酷だって

もう充分わかってたのに

傷に塩塗られてばっかりでは

そりゃ、ふてぶてしくならないと

生き延びられないわな。

*1:キリキリ調べんかい!

と、お叱りの声が上がりそうですね。

はい。その通りで御座います。

Google様にお伺いを立ててみましたが、

該当する論文が

さっぱり上がってきません。

年齢等、アヤシイ記憶を手探りにでっち上げました。

愛着研究分野の論文だったと思います。

所詮はアヤシイ狂気専門家のブログ

と生暖かく見逃してください。

「人が嫌がることはしてはいけない」では何が悪い? その1.

しばらく前のことですが…

 

子供を相手に、

「自分がされて嫌なことは他人にもしない」

「自分がされて嬉しいことを他人にする」

という指南では、限界がある

 

という主旨のツイートがまわってきました。

 

「他人と自分は違う」という認識ができない

自己中心的で

他者を尊重できないお子様に

そんなこと言っても

「私(僕)はイヤじゃないからお友達もイヤじゃないハズ」

とゴネられて面倒くさい

という保護者、及び教育者様のお気持ちは分かります

が、

フロイトの「無意識」や

ユングの「深層心理」という概念に則るならば

 

人は自分の気持ちですら十全に分かりえないモノなのです。

 

まして他者のことなど分かるワケありません。

 

「分かりえない」他者を慮る努力とは

「分かりえない」自己を理解する努力に等しい。

 

と私は信じております。

 

心の理論、という研究が心理学ではさかんに行われています。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96

 

上のウィキに経緯がまとめられていますが

元来「心の理論」とは、

「おサル様には

(他人ならぬ)他猿の頭の中がどうなっているのか

分かるのでしょうか?」

という考察に使われた用語でした。

 

様々な実験がなされ、白熱の議論が交わされましたが、

とりあえずは、

サルの他猿理解能力には限界があり

人には全くかなわん。

って感じで収まった筈です。*1

 

そして…この白熱の議論は、

何故か児童発達論に持ち越され*2

今度は似たような研究を人間の子供でやりましょう、

ということになります。

 

これって…

新薬の開発はとりあえず動物でやって、

安全だったら人間でレッツトライヽ(^o^)丿

という

自然科学の分野では、至極当然の流れです。

 

が…

 

まずは、動物でやってみて

それを人間に応用する

という、この…エゲツない発想

「人は放っとけば動物と一緒。だから教育しなくちゃね!」

という倫理感をもって搾取を正当化し

植民地政策をもって

世界を席巻した

「おおぅ、西欧人的発想...」

ってなります。 

 

閑話休題

 

この、「心の理論」*3

 究極西欧的発想なパラダイムで、

共感や、嘘、ひいては倫理観の発達

にもつながる重要な研究分野として長く注目されてきました。

 

かなり長いことやってて

「もうやりつくしちゃったんじゃないの?」感が

20余年前にもう既にあった気がしますが

今はどうなんでしょうね…

 

色々なバリエーションがありますが、一番単純なヤツを紹介します。

 

それでもややっこしいので、説明するの面倒です。

さくっと飛ばし読みしてください。

 

子供Aちゃん にお菓子の箱をみせる。(A:やったー!お菓子もらえるヽ(^o^)丿)

箱を開けて見せると、鉛筆が入っている。(A:え?!お菓子じゃないの?)

箱を閉めてから…

Aちゃんに、質問です。

「Bちゃんがこのお菓子の箱を見つけたよ。

Bちゃんは、箱の中には、何が入っていると思うかな?」

Aちゃんにしてみたら、

「なんじゃとぉ?

お菓子くれるんじゃなかったんかい?

くっそー。やってられるか💢」

って気分だと思うのですが…

 

カシコい大人の皆様には、

正解は、お分かりですね?

 

お菓子

 

です。

 

汚い大人に騙される屈辱を知らない

純真無垢なBちゃんは、

お菓子の箱の中には実は鉛筆が入っている

などと、知る由もありません。

 

が、小さなお子様達は

「自分は知ってるけど、Bちゃんは知らない」

ということが、イマイチ理解できません

ので、

実際に自分の目で見て確認した

箱の中に入っているモノ、

 

「鉛筆」

 

と答えてしまいます。

 

このバージョンは、比較的単純なので

大方、3-4歳くらいになると、

「正解」できます。

 

「Bちゃんは知らない」こと 

= お菓子の箱の中には鉛筆 

 

を、自分だけが知っている

ということが理解できると

 

「ホンマは鉛筆が入ってるけど、

Bちゃんは知らんから

『お菓子』言うやろ」

 

となるワケです。

 

発達心理学の大御所ピアジェは、この

 

自分が知っていること=他者も知っている

 

という乳幼児に特徴的な思考様式を

自我と他我、主観と客観を同一視する傾向とし、

「自己中心的思考」

と名付けました。

 

こんな研究を始めると、

どんな子供が早い時期に正解できるか

とか

どうしたらもっと早い時期に、正解できるようになるのか。

とか

間違える子供を如何に正解に導けるのか。

という(いらんで)ことを考えるのが

学者としての性です。

 

学生時代は

かったるスギー

と思いながら学んだ「心の理論」

とはいえ、心に残った研究が、一つだけありました。

 

Aちゃんが、回答する前に、ある質問を加えてみます。

「鉛筆を見る前は、何が入ってると思った?」

すると…

Aちゃんは

「そーいえば…

箱だけ見せられた時は

お菓子が入ってると思ってた(ムカッ)」

ことを思い出し、言語化することで、

「そっかー。そしたら、きっとBちゃんかて、

お菓子と思うわな」

と…

若年児の正解率が上がったという結果でした。

 

私的には

「もー、そんなんどーでもエエやんか」

と思ってしまう研究が山ほどある中

 

「自分」の思考を認識し、

言語化することで

他者の思考を憶測することが可能になる*4

 

というこの結果には胸がアツくなりました。

 

つまりは

 

言語化に伴う自己理解を深めることで他者理解も深まる。

 

という「データ」ではありませんかヽ(^o^)丿

 

前置きが大変長くなりましたが、ここからが本題です。

 

大人:「自分が嫌なことは他の人にやっちゃダメ」

子供:「僕(私)は全然平気。だから、他人にしてもオッケーだよね!」

 

のように

自己中心性思考に囚われた分離不全

クソガキ系屁理屈をこねる人は

お子様に限らず少なからずいらっしゃる

と常々感じます。

 

かく云う私も

クソガキ系屁理屈に囚われて

大切な人を傷つけるオトナでした。

 

自分のイタミに鈍感な人は

他者のイタミを慮れません。

 

人は傷つけられると

次は傷つかないように「防衛機能」を働かせます。

 

鋭敏な感受性が鈍麻になり

「痛い傷(嫌なこと)」が

徐々に「平気」になっていくことが

「大人」になるということでもありましょう。

 

新しい「傷」に順応するのは

健全な反応である

とも、いえましょう。

 

他者(親)の「善意」を守るためであれ

傷ついた己の脆弱な自我を守るためであれ

「本当は自分も嫌だった」

という「モヤり」を

「否定」する「防衛機能」が強固になると

他者に共感する「余裕」などなくなってしまいます。

 

自他のイタミを無視して

現状維持する方がラクだからです。

 

フロイト教授は「健全」な精神とは

愛と労働にヨロコビを見出せるモノだ

と云ってたそうです*5

 

降りかかる理不尽で不愉快な「嫌な事」を

「イタミ」を伴って感受した上で

「乗り越えられた」と感じられる

自我のしなやかさがなければ

自分は平気でも相手にとっては辛い事かもしれない

という豊かな想像力は得られない

ということだ。

と私は信じます。

 

実際に

最近の精神分析では

しなやかに狂人…じゃなくて…

強靭な自我を育成する為には、

日常的に看過する「傷」を反芻し

言語化することで

「他者(分析家)」と共有し一緒に乗り越えた

という修復的経験が繰り返される事が必要である。

 

みたいなことも云ってます。

 

「嫌なこと」を克服し

本当の意味で、そこから自由になる為にも…

 

「自分にされて嫌な云々…」

という指南をクソガキ系なお子様達に与える以前に、

この「言語化」の過程を

「大人」や「仲間」が手助けし

「寄り添う」ことが必要なのかもしれません。

 

周囲がイライラすることを

やり続ける人は

 

自分がイライラしています。

 

そして、その原因がよく分からない

ということがほとんどです。

 

子供に限らず

喧嘩は

大抵、小さなことから始まります。

 

例えば…

みいちゃんが持っているぬいぐるみを

ゆうちゃんがつっつきます。

みいちゃんが怒って

「触らないで」

と叫んでも

ゆうちゃんは、ひるみません。

 

ここで、大人が

「大切なおもちゃに触られたら、嫌でしょう?」

とゆうちゃんに言ってみたところで、

「ボクは、別に触られても平気だよ」

とか、下手すると、

「先生(ママでも良いのですが)は

『いつも仲良くしてね』

って言うのに…

ぬいぐるみ触ったくらいで怒るみいちゃんの方が悪い」

とか言われたりするので、*6

「みいちゃんは嫌だと言っているのだからやめなさい」

と言って止める方が簡単だ。

と言いたくなるのも当然でしょう。

 

「問題行動」を減らすのであれば

有無を言わさずに

ダメなモノはダメ

と禁止したり、

罰を与えるのが一番てっとり早いでしょう。

 

けれども、それでは共感できる大人は育ちません。

 

このシナリオで、

ゆうちゃんが、みいちゃんにちょっかい出すのは、

嫌がられているのを承知な上でのことです。

 

問題は、

「何で、嫌がられているのに、触りたいの?」

「何で、触ってはいけないモノを触りたいの?」

ということです。

 

自分が何をしたいのか

自分は何に嫌と感じるのか

 

気付けないまま

 

周囲をイラつかせ、

罰の恐怖がないと

暴力的な衝動を抑えられない子供達が

ウヨウヨするジャパンにならないためにも

子供達のイタミを無視することなく

「寄り添う」大人が必要だ

 

と切実に感じます。

 

ウザい出来上がり…かな?と気になったので、リベンジしました

「人が嫌がることはしてはいけない」では何が悪い? その 2. - 精神分析のススメ

*1:いや、それがどの領域でどの程度理解してるのか、どうしたらニンゲンに近い能力を獲得するのか、について白熱の議論が今なおどっかでなされてるハズですが…

*2:これも

Development recapitulates evolution「発達は進化の過程を総括する」

ってアレなんですけどね…

*3:「心の理論」ちなみに英語では、Theory of mind です。

Mind やで?「心」って…ニュアンス、ちゃうやろ…?とは思うのですが…

*4:実はこの研究結果

言語化そのものが正解率に影響するのか

記憶を掘り起こす努力が影響してるのか

解釈は微妙なトコロですが…

*5:真偽は不明ですがアイデンティティ(同一性)の概念で有名なエリクソン先生いわく。

*6:昭和のオトナは、みいちゃんの方に「そんなことで怒るな」と言う確立の方が高かった気がしますが…今はどうなっすかね

性欲オンリーなチャラ男には理性がない?

先日、こんな記事をみつけました。

 

 http://otokatsu.jp/love/cheat-reason-psychology/

 

笑わせていただきました。大変面白かったのですが、ちょっと引っかかることがあったので、書いてみます。

 

この桜庭さんという方、ヒトデさんの「何故浮気をするの?」という質問に、気持ちの良いくらい、一貫して、「ヤリたいから。」というお答えをなさっておられます。

 

「でも、そんなことしてたら皆を不幸にするのに」という主旨のヒトデさんつっこみには、「バレなきゃ誰も傷つかない。」「その時はその時。」と返答。

 

ヒトデさんは、「チャラ男はくず。ひっかからないようにしましょう。」と締めておられます。

 

至極、御尤もで御座います。

 

が、彼にはどういう訳か女性がガンガン寄って来る。それは何故?

という問題に今日は取り組んでみたいと思います。

 

この桜庭さん、自覚があるかどうかは別として、かーなーり、女性を憎んでおられます。

 

と言ってしまうと、身もふたもないので、女性に対して非常に両義的立場(求めて止まないけれど、恨み、憎んでる)におられます。とでも言っておきましょう。

 

彼が女性に求めて止まないモノは何か、と申しますと、体の関係「のみ」だと言えるでしょう。しかし、それを事前に明らかにしないで女性を誑かす彼には、もう一つの動機があります。

 

女性を拒絶すること。

女性に求められた上で拒絶できる立場に常に自分を置いておくこと。

 

だから、女性に求められる努力を精一杯にする。

 

脱がせて「騙された!」と、キレそうになっても、コトに及ぶ。

デリケートゾーンが臭くても、舐めようとする。(舐めるのは諦められたそうですが)息を止めてまでコトを達成なされる。

そこには、並大抵ではない御覚悟を感じられます。(いや、膣さえあれば、そんなの余裕!なのかもしれませんが)

 

自分がそこまで頑張って相手を悦ばせているのだから、女性が性行為に同意するのは当然。自分にとってヨクなければ一夜限りで切っても(相手を悦ばせたのだから)罪悪感なんて沸きません。

 

桜庭さんの様な方は、女性に限らず、とりあえずその場かぎりでも、他人をヨロコバせるのが得意です。というか、それだけしか考えられないし、できません。

「こんなに無責任にその場限りのことをしていては、他人が傷つく」という「近い将来」など、自分では全く意識していないこともままあります。

 

その為、浮気がバレたら大変、とか考えない、という「先のことは考えない」思考パターンが、異性に限らず、人間関係全般、行動一般に及ぶ方が多いです。

損得を勘定するのに長けており、自分の「得」になると判断した相手には無責任に都合の良い事を言い続け、それなりの信頼を得ることもできますが、状況が変われば平気で陥れたりもします。

 

長期間、真剣に付き合うと、天真爛漫な裏切りのオンパレードですが、その場限りのお付き合いですますには、それなりの気遣いをしてくれるし、一緒にいるのが楽しい、大変魅力的な人物でもありましょう。

 

理性が性欲に敗北している訳では決してありません。

彼等は(無意識的に、かもしれませんが)常に裏切りを予期し、裏切られる前に裏切る、使われる前に使う、をモットーに生きています。

 

こんな桜庭さんに、誰がした?

 

幼児期に信頼できる、頼れる大人が周囲にいなかった。ということだと思います。

 

大人を信頼できない子供はマシュマロをちょっと頑張って、今なら1個、もうちょっと頑張って、明日なら2個上げる、と言われると、迷わず、今、1個もらって帰ってしまいます。

 

明日、本当に2個貰えるという信頼感がないのに頑張るなんて、馬鹿のやることだ、という、潜在意識が、がっつりあるはずです。

 

父親が浮気をしていたのかもしれません。母親が自分勝手な愛情を注いだのかもしれません。

 

長期間に渡って、お互いを思いやる関係性など、想像もできないはずです。

 

只、こういうことを申し上げますと必ず、自分だって毒親や、壊れた家庭で育ったけど、まっとうに生きている、という反論をされる方がおられます。

 

確かに、過酷な生育歴にも関わらず、健全な生活を営んでおられる方も大勢おられます。

 

そのような方には、過酷な現実にも関わらず、明日2個貰えるマシュマロを信じる想像力があったからこそ、頑張れたのではないか、と申し上げるしか御座いません。

 

そのような逞しい想像力を有する方々には、是非とも、今、目の前にある、マシュマロに縋るしかない方々の、絶望的な気持ちを想像して頂けたら、と切に願います。

 

私にとって、桜庭さんは、性欲に勝てないコワイ男、ではありません。

 

刹那的に皆をヨロコバセることでしか、生存価値を見出せない、明日のマシュマロを信じられない切羽詰った人です。

 

こういう男に引っかからないためには、「今が楽しければ良い」「騙されたい」自分をきっちり見据えることが最も必要だと思います。

 

それにしても、ヒトデさん、

「皆さんはこういう悪い男に引っかからないようにしてください」

と、良識的に締め括っておられますが、育乳マッサージとか、デリケートゾーン石鹸のリンクがこのタイミングで入ってくると、チャラ男にディスられない為にも女性の皆さん、精進しましょうね、っていう裏メッセージなのかと勘ぐってしまいまう、疑心暗鬼な私です。

バカボンのパパなのだー の ススメ

私には、ツイッターでフォローしており、勝手にトレンドセッターと呼ばせて頂いている方が数人おります。このブログを書くインスピレーションを頂いている方々です。

 

5歳さんもその内の一人なのですが、先日、コラムのネタ、リクエストありますか?というツイートがあり、速攻で、リクエストさせて頂いた所、「私の希望にお答え頂いたのでは!」(狂喜!)という記事が上がっておりました。

 http://www.machikado-creative.jp/planning/58040/

嬉しいのと、成る程!と思ったので、(またかよ)他に書こうと思って(全然進まないで)いるネタを後回しにして、書きました。

 

リクエスト要望のあった数日前に、5歳さんが、「やばい、やばすぎ、あ、楽しくなってきちゃった、って思うことがある」って感じのツイートをなさっていたので、私がこの「『やばすぎ、楽しい』に至る過程をつぶさに分析して下さい」みたいなお願いをしたのです。

 

がっつり要望にお応え頂き、まことに有難うございました。

 

しかも、2回に渡って!

 

http://www.machikado-creative.jp/planning/57665/2/

 

ポジティブ馬鹿と…の記事を5歳さんは、こうはじめられます。

「ある著名な哲学者はこう言った。

『絶望的な状況で人が前向きに、楽観的に考えだすのは、言わば生存本能と言えよう、でなければ人は自ら死を選ぶだろう』と。」

そして、ポジティブシンキングを、3種類に分けておられます。(5歳さんとは違う名前つけてますが)

1.まあ、なんとかなるよ型

悪いことがあっても、終わりよければすべて良し、と信じて絶望的な今を頑張ろう、という生存本能に従う正統派、ポジティブ。

2.芸人型

「芸人でもないのに人を笑わせたい、ウケたいという思いが強くて、自分のピンチをネタと思ってしまうタイプ。このタイプはポジティブ馬鹿とも言う。」

 

そして、これは、ちょっと、私的にはポジティブに入れたくなかったのですが、

3.危険が楽しいアドレナリン中毒型

怖いけどやめられない、絶叫マシン(スキーでキリマンジャロ降下、崖のぼり、パイクでグランキャニオンジャンプ、などなど)を楽しむタイプ。

 

しかし、2.ピンチが楽しい芸人タイプ からの延長とすると、ふむふむ、納得!させられてしまう。

 

そして、5歳さんは世に蔓延するポジティブブームに警鐘を発します。

 

「ポジティブも限度が必要。用法用量を守るべき。」

 

失敗から学べ。馬鹿(ポジティブ)が過ぎると、死ぬぞ。と。

 

ここで、私は5歳さんのもう一つの記事、「馬鹿のススメ」の一節、5歳さんのご友人のお言葉に立ち戻りたいと思います。

 

「(俺、今めっちゃ馬鹿だなー)って。でも、その馬鹿な感じが馬鹿過ぎてめちゃくちゃ楽しくなってくるんだよね」

 

上述、2.芸人型 に相通じるのですが、この描写には、3.アドレナリンジャンキー型にはとーてーありえないプロセスが見られます(イーヴル・クニ-ヴルみたいな、バイク?でグランドキャニオンジャンプしようとした芸人アドレナリンタイプみたいな人もいますが)。

もう一人の自分が冷静に、馬鹿な自分を「馬鹿だ」と認識した上で、その冷静な自分をも笑わせよう、とする、3段階構造とでも言いましょうか、そこには、

1.馬鹿やってる自分 と、

2.馬鹿な自分を見つめる自分、に加えて、

3.観客とも言うべき、楽しむ他者

を介在する、コムズカシク言うならば、弁証的ハイパー「客観」が存在しています。

 

そして、この記事の締めを5歳さんは、こうなさっています。

 

「普通はしない馬鹿みたいな選択が、日常を非日常へと変えて人生を豊かにするのではないかと僕は考えている。」

 

この、「人生を豊かにする」馬鹿さ、とは、ハイパー客観とでも言いたい、弁証的プロセスを伴う、「物語る馬鹿」さなのではないでしょうか。

 

2.「物語る馬鹿」は、1.正統的、生存本能に従い、ピンチを乗り切る楽天家、や、3.アドレナリンに翻弄され、客観性を失ったジャンキー馬鹿

とは一線を画します。

 

前置きがすっかり長くなりましたが、ここからが本題です。

 

いきなり精神分析論に突入します。

私の大好きなD.W.ウィニコットの最も価値ある貢献の一つとして(他にも色々ありますが)「分析における『遊び』の必要性を明確にした」、ということが言われています。

 

下のリンクでまとめられている論文で、彼は、幼児のおしゃぶりというモノとの関わりに、「遊び」の原点を見出しており、おしゃぶりは、キラキラ「光る対象、主体の貪欲さを刺激するモノ」という描写をしております。

 

http://yokopsy.com/2014/20140413setting.pdf

 

おしゃぶりで「遊ぶ」ということは、乳(母親)からの分離を「楽しむ」ことであると思われます。

 

おしゃぶりは、「乳」の代替物、つまりは「母」の代替物、「自」(今、変換見ていて「児」の方が良いかも、と思ってしまいました。漢字の同音意義って素敵ですね)と「母」との間に存在するモノ、即ち「セルフオブジェクト(自己対象?)」であると通常は捉えられます。

が、ジム・ハーザックという分析家が「ファザーハンガー(父渇望)」という著書で主張された様に、私的には、母親からの分離こそ父親の助けで成されるべき、と信仰しているので、「乳」ならず、「父」との間に形成されるモノでもある。と、言わせて頂きたいところです。

この「乳」と「父」も同音異義で、良い感じ(漢字)。って、すっかりオヤジギャグですね。すんません。

つまり、 おしゃぶりは、対象である、「父」と、「乳」、と、自己を確立しつつある、「児」の狭間に立ち現れるモノ(セルフオブジェクト)であるといえましょう。

 

そして更に、何故か話は進化論へ。

男性を男性ならしめる性染色体の一つ、Y染色体はXよりも短い、つまりは遺伝情報の量でいうと、男性は女性に劣るのです。という論を聞いたことがあります。

「劣る」というと、語弊がありますね。

女性は性染色体をコピーする際に「失敗」があっても、もう一個あるから大丈夫。ですが、男性は、コピーに「失敗」すると、後がない、ということだそうです。だから、男性にしかない遺伝病が存在する。男の方が、幼児生存確率、寿命共に低い、確か、そんな話だったと思います。

 

そんなXがちょん切られただけ、みたいな「弱い」Y染色体を持つ男の存在意義は一体何なのか。それは、「進化の促進」である。

私のすっかり文系な頭でざっくり簡単に言うと、弱いやつはあっというまに淘汰されてしまう男達だからこそ、環境の変化に応じた個体のみ生き残る、という、「自然の選択」の「圧力」がかかり易い、ということだそうです。

 

つまり、種の保存を考えると、(イキナリ5歳さんに戻りますが)ポジティブ馬鹿な男達は、個体の保存という点では、理不尽な選択をしているように見えても、将来の状況がどう変わるか分からないという現実を踏まえると、「次世代の生存の可能性」を広げる上で必要不可欠な存在である。ということに、私の頭の中では、なっております。

 

長くなってきたので、締めに入ります。

 

このブログでは何回か、日本における父親の不在という問題に触れてきましたが、ここにきて、私は日本の理想の父親像を見出だしたように思います。

 

日本の乳、じゃなかった、父は、ずばり、バカぼんのパパなのだ!

 

http://www.dailymotion.com/video/xxsyaf

 

幼い頃、私はとても不思議でした。何故、あんなにどうしようもないバカぼんのパパに、あんなにきれいで常識的で、優しいママがついているのか。

 

バカボンのパパはふざけてばかりいますが、実は天才的植木職人さんで、ママはそこにほれ込んだ。というお話だったような気がします。が、ぜんっぜん納得いきませんでした。

 

が、この「種の保存」観点から捉えると納得です。バカボンのママは、先見の明あり、包容力豊かな素晴らしい女性。男のバカを許容しつつ、駄目なことは駄目と厳しく諭し、(死ぬほどの)無茶はさせない良識ある女性なのです。

 

そして、バカボンのパパは表向きは思いっきり役立たずに見えても、実は手に職ある、いざとなったら頼りになる男のみならず、子供に夢を見させる遊びの天才。母親喪失感なんか子供に感じさせません。

 

ポジティブ馬鹿は、個体としては死ぬ可能性を高めているだけかもしれませんが、馬鹿話を子供達と共有することで、母子分離を楽しみ、自立した次世代を育てるのには欠かせない、つまりは、種の存続の為には欠かせない存在であると言えましょう。

 

なんて。突拍子もない連想にまかせて徒然考えてばっかいるから、まぢめな論文書けなくて、うだつが上がらないんですよね。私ってば。(泣)

父親不在の記事はこちらでございます。

 EDと、父親不在と、村上春樹 - 精神分析のススメ

ハゲもヒゲも駄目ってどういうことよ?

日本の男性は、母親回帰願望が過ぎて大人の男になれない、と言う話を何回かしてきましたが、この男性全身脱毛の話、怖すぎです。

 

https://gorilla.clinic/cms/informationnews/horie_shibata_taidan/

 

スポーツ選手がつるつるだと効率良い、とか、芸人が話題をとるために、とか、堀江さんが髭そる時間も惜しい、って言うのなら納得できますが、美意識、となるとちょっと怖い。日本男子の草食化とか言ってますが、それって結局は髪の毛ふさふさ、ほっぺはつるつる男の子回帰願望ってことじゃあないですか?全くもって恐ろしい。し、哀しくなってしまいます。

 

学生時代、ギリシャ人の友達が、20台前半という若さでカッパ禿げてて、てっきり30過ぎていると思い込んだ私がとても失礼な発言をしたら、「僕は頭をいつも使ってるから、早く禿げたんだ」と、堂々とおっしゃりました。

 

(ちなみに、彼は、現在世界で理解できる人が20人くらいしかいない、と言われている「ひも理論」を説く最先端の理論物理学者として活躍しておられます。私のような、下々の者とは比べ物にならないくらい頭を酷使しておられます。が、相変わらずカッパさんで、つるつるにはならないようです。ということは、どれだけ頭を使っているかは、禿げ度には関係ないのでは、という疑惑に駆られますが流石に深く追求することは避けております。)

 

自分のハゲに対する偏見を恥じ入ると共に、彼の禿げている事に対する卑屈感がまるでないことに、格好良すぎる、と感服したのですが、今回の某政治家の「ハゲ」暴言といい、日本人のハゲに対する否定的感情っていったい何なんでしょう。

 

www.ikumou-life.jp

宗教(坊さん)に対する嫌悪感なんでしょうかねえ。

 

ちなみに、欧米でもハゲ防止薬、みたいなのは人気です。トランプ大統領も、ハゲ隠しているだろう、指が小さいのはちんも小さい証拠だろう、と揶揄されていますし。ハゲが、「男性性の欠如」と看做されていることは事実です。

 

が、日本のように、子供同士でハゲをネタにいじめる、というのは、聞いたことがありません。

 

www.ikumou-life.jp

やはり、「汚い大人」になってはいけない、という幻想が背後にあるように感じます。(ちょっと気になったのですが、マルコメ味噌の宣伝は今でも坊主頭の少年たちなのでしょうか?)

 

髭について言うならば、欧米人は体毛ふさふさ、ヒゲもじゃもじゃですから、髭の手入れを入念にする方も沢山おられます。紳士の為のおしゃれな髭剃りサロンも見かけます。が、あんまりお手入れされた髭はナルシシズムが滲み出て私は見ていて時折、恥ずかしくなります。

 

アメリカの女性は、無駄毛の処理に余念がありません。糸で眉毛や口ひげを取り除くサロンがあちこちにあります。

 

とはいえ、口元や、脇の下がふさふさしている女性もたまにはおられます。そういう場合は、ヨーロッパの方か、フェミニストオーラががんがん出ているか、で、後者の場合はちょっと引いてしまいますが、基本的には男性も女性も自然体が一番だと思っております。

ので、無駄毛を美しくない、とか、ハゲをみっともない、と決め付けるのは、男女の健全な自己イメージの育成を損なうもの、ひいては、人間性を損なうものとして、恐るべき現象ではないか、と思ってしまうのです。

男はつらいよ、関連の記事(か?)は、下のリンクをどうぞ。

私とそれ 日本人の「自我とエス」 - 精神分析のススメ

EDと、父親不在と、村上春樹 - 精神分析のススメ

続 ED: 去勢 と 回帰願望 - 精神分析のススメ

【性犯罪】をするヤツは性器を切り取っても犯す…

「ティンなんかなくったって性的虐待する奴はする。」

昔一緒に働いていた方が、言われた言葉です。

彼女は、面倒見は良いし、

頭も良く、機転が利いて、仕事もそれなりにできる方でした…

が、いかにもアレなおばさんで、

自分が主導権を常に握っていることに強烈な拘りを持っていました。

その彼女と一緒にテレビか何か見ていたのだと思います。

「子供を性的虐待なんかする奴等は、

もう2度とそんなことできないように、

性器を切ってしまえ」

みたいなコメントがあって…

私が考えなしに、

「そうだそうだ」

みたいなことを言ったように思います。

 

冒頭の言葉を

能面の様な顔で発した彼女を見て、

ふと、

「ああ、そんな人に性的虐待受けてたんだ」

という考えが過ってぞぉっとしたのを覚えています。

 

アメリカでしばらく前に、

スタンフォード大学の1年生が、

意識のない女性をレイプした事件がありました。

(事件の詳細は以下のリンクをご参照下さい)

http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/08/brock-turner_n_10349650.html

 

犯人は、ゴミ箱の裏で、泥酔した女性に跨っていた所を

自転車に乗って通りすがった外国人大学院生2人に

みとがめられ、逃走するも、

彼等に押し倒されて、そのまま通報されました。

犯人もラリっていたのでしょう…

取り押さえられて

薄ら笑いを浮かべていたそうです。

 

目撃者が2人もいて現行犯で逮捕されたにもかかわらず、

前途有望とされた白人のスタンフォード大学水泳選手でもある犯人が

3ヶ月の懲役で釈放されたことに憤りを感じた被害者の女性が

判決時に彼に対して読み上げた文章が

多くの人の心に響き、全米、世界中に論議を醸しました。

 

www.buzzfeed.com

被害者の彼女は、

目撃者も居る「最高のシナリオ」だから

示談で解決がつくだろう、

と予測していたそうです。

 

ところが、犯人は有能な弁護士を雇い

法廷で戦うことを選びました。

 

彼女にその夜の記憶がない、

ということを知った犯人は

当初の証言を覆し、

「性行為が同意の下で行われた」

と主張し始めたのです。

 

法律の不十分さ、

判事の情状酌量の理由付け等が

政治的問題として取り上げられましたが、

私が一番問題だと思ったのは、

アメリカの法廷のあり方、

加害者側が自己弁護の名の下に、

被害者の人となりを疑う方向性で

質疑応答をすることが赦されること…

 

そして、そのことに対する批判がなかったことです。

 

被害者には

「何歳ですか?」

に始まる加害者の弁護側の口頭質問で、

体重、

その日の食事内容、

何を飲んだ?

水も飲まなかったの?

いつ飲んだ?

どれだけ飲んだ?

飲み物はどの様な入れ物に入っていたの?

誰に飲み物を貰った?

普段はどれだけ飲む?

誰にパーティーまで送ってもらった?

何時に?

正確にはどこで?

服装は?

何故そのパーティーに行ったの?

パーティーに着いて最初に何をした?

本当に?

何時に?

このラインはどういう意味?

誰にラインした?

いつ排尿した?

どこで排尿した?

外で誰と排尿した?

携帯はオフだった?

電源切ったことは覚えてる?

本当に?

だけど、53ページにはオンだったって書いてあるね。

大学では飲みに行った?

かなり遊んでたって言ったよね?

飲みすぎて記憶が飛んだことは何回あった?

サークルで飲んだことは?

彼氏とは真剣に付き合ってた?

性交はしたの?

いつから付き合い始めた?

浮気を考えたことはない?

浮気をしたことはある?

(彼氏に)ご褒美をあげるってどういうこと?

何時に起きたか覚えてる?

カーディガンは着てた?

そのカーディガンは何色?

他に何か覚えていることはありますか?

ない?

… 

では、被告(=犯人)の話を聞きましょう。

 

という感じの質疑応答が1年に渡って続いたそうです。

 

被害者や、目撃者の信憑性を如何に損なうか、

という心理操作のプロである弁護士と、

1年間、犯人側は密に連絡を取り合うのです。

 

有罪判決が出た後の声明でも、

犯人は指での挿入に被害者の女性が言葉で同意した

と述べています。*1

 

犯人の父親は、

息子が一時の気の迷いのせいで

奨学金も辞退し

スタンフォードも自主退学

水泳選手としても二度と活動できず

充分社会的制裁を受けて

苦しんでいる

情状酌量を請いました。

 

この父親の手紙も又

 

無抵抗な女性を傷つける罪を犯した

という意識が見られるどころか

自分達が被害者面*2

 

と、批判の的となり炎上していましたが…

 

性犯罪を法で裁くのが難しいのは、

性行為が、双方の同意や、愛情に基づいたものでなかったこと、

暴力的な行為であったことを証明することが難しいこと

に尽きると感じます。

 

性交中の「同意」は、

理性や、言葉に因るものではありません。

初めは「同意」していても、

途中で「やっぱりだめ」ということは、

男性、女性を問わず起こりえます。

求め、求められる実感の交流があってこそ、

幸せな結合を体現し得るからです。

 

濡れていない女性に挿入することにより、

男性も不快や、痛みを感じます。

 

スタンフォードのケースでは、

女性の膣内には泥、枯葉、と共に、

裂傷があったそうです。

 

犯人は、同意があったと主張しますが、

泥だらけの指を女性の内部に挿入し、

傷を付けることが暴力的でなくて何なのでしょうか。

 

犯人は全く動きのない女性に跨って激しく腰を動かしていた、

と目撃者の2人は語ったそうです。

目撃者の男性の一人はその情景に取り乱し、

泣き止むことができず、

警察の事情聴取に応えられなかったそうです。

 

私の憶測ですが、この方達は当初、

被害者の女性に息がなかった

と思ったのではないでしょうか。

 

薬物の影響とはいえ、

全く反応のない相手に性的に興奮できるということは、

言い換えれば、欲望や愛情で繫がるはずの性交の相手に

意思がある方が邪魔ということでしょう。

 

そう考えると、犯人の男性は

自分が愛され、求められることについて、

恐らく恐怖心とも言える程の

葛藤を抱えていたはずです。

 

自己弁護の権利というのであれば、

被害者を攻撃するのではなく、

加害者が如何に他者の痛みに目を閉じる必要性を感じなければならないのか、

という点に注目するべきです。

加害者が如何に人として欠けた存在にならざるを得なかったのか、

という点を明らかにした上で、

そのような人間が今後、

如何に他者の痛みを慮りえるのか

を模索するべきです。

 

真の罪悪感や、贖罪は、

自分の大切なモノが失われた

喪失感を乗り越え

他者を思いやり、愛する過程でのみ、

派生する物なのですから。

 

自分の感情に鈍い人は、

他者の感情を敏感に察知することなどできません。

 

犯人の父親の手紙は鋭い批判の対称になり炎上しましたが、

 (父親の手紙と、それに対する批判の手紙の日本語訳は以下のリンクにあります)

http://watanabe-yo.sorairoan.com/?eid=27

 

私は母親の手紙を読んで、吐き気をもよおしました。

ニュースなどで話題にならなかった為、

日本語訳がありませんが、

びっしり3ページ半に渡って、

如何に自分の息子が天使の様に、素晴らしかったか

自分達の幸せな家庭が一夜で真っ暗闇になってしまったかが、

綿々と書き綴られています。

 (母親の手紙の原文のリンクです)

http://pics.mcclatchyinteractive.com/news/nation-world/national/article82960937.ece/BINARY/Letter%20from%20Brock%20Turner's%20mother

 

彼女は、息子が水泳に懸ける情熱、競争心について、こう書いています。

 

「彼を指導したコーチは口を揃えてこう言います。『指導できる子だ』って。指導に従い、常に上達しようと努力を怠りません。(中略)彼は自分にプレッシャーをかけ、神経質な胃を持っていました。競泳の前に吐いた事も何度もありましたが、吐いた後はいつも良い成績を上げることができたようです。コーチは心配しましたが、彼は(吐くことで)上手くやっていたようです。

 

(主人)も私も決して無理強いしたことなんてありませんでした。息子は水泳を情熱的に愛していたのです。」

 

言い換えてみれば犯人の母親は

「息子はコーチ(親)の言う事を

よく聞く良い子です。

他人は心配しましたが、

私にとっては

(勝つためには)

息子が吐く程のプレッシャーを

自分にかけることなど

何の問題でもありません。」

と、誇り高々に公言できる母親なのです。

 

自己愛充足の為には子供の痛みや

苦しみを平気で無視できるどころか

誇らしげに自慢さえする

自己中心的な欺瞞を、

犯人も母親も「愛情」と思い込んできたのです。

 

長くなってしまったので、

何故そんなことになってしまうのか、

という精神分析的SM理論は

ざっくり省かせて頂きますが

私的には、そんな母親を持つ犯人が

死体相手に勃起する男になってしまったのも、

仕方がないと思ってしまいます。

(ちなみに、弁護側からは、

「寒かったから勃起した」

という、中々おちゃめな釈明があったそうです。)

 

犯人の家庭は自己欺瞞の泥沼地帯と言って良いでしょう。

家族全員が…

そして彼等の友人、知人達が、

彼の暴力があたかもなかったことである

かのように「否定」できるのは、

彼自身が振るわれてきた暴力に、

そして自分達が振るい続ける暴力に

決して対峙しようとしないからです。

 

今回の様な事件があってどんなに批判を受けようとも、

「事件前は全てが上手くいっていた」

という幻想に浸る彼等の自己欺瞞

恐らく解消されるどころか、

更に磨きがかかるのではないかと思われます。

 

アメリカには、

一回でも性行為の初めに同意すれば、

始まってから相手が暴力的になろうが何だろうが、

性犯罪として認められない、という法律もあるくらいです。

 (以下のリンクは昨日のニュースでした)

http://www.wcnc.com/news/local/nc-women-cant-back-out-of-sexual-intercourse-once-it-begins-law-states/451522770

 

女性が性的に挑発するから

男性が勘違いして、性犯罪が起こる、

と真剣に信じる女性もいます。

そういう人達が性犯罪加害者側に共感し、

彼等を支援するからです。

 

それとは真逆の立場には

犯人が釈放された日に家の前で、

「性犯罪者は射殺せよ!」

というプラカードと、機関銃を持って(る人は一人だけだったそうですが)抗議する人達もいたそうです

どちらも、とっても怖いです。

 

性犯罪の刑罰を重くすれば

犯罪者たちは躊躇する、

という理屈は、

裏を返せば、

見つからなければ(捕まらなければ)何でもやる、

ということです。

 

性行為が快感である、

ということは、

愛し合っている、

求め合っている、

という高揚感があればこそ…

 

性行為を搾取し、暴力的に強制する男性は、

自らが、歪んだ愛情、壮絶な暴力の享受者でもあったということです。

その暴力はしばしば「母の愛」という名前で

上書きされているのです。

 

そのことに目を閉じたまま

男女差別や性暴力について語ることは

暴力の連鎖を続けていく選択でもあるのです。

 

ということで、

性器を切り落とそうが、

性犯罪者を殺してしまおうが、

彼等を創り出す人間関係、

ひいては社会的背景をどうにかしないと、

恐怖は増すばかり、

暴力もなくなるどころか、

どんどん陰惨に、凄惨になるでしょう

ということが言いたくて、この記事を書きました。

 

ちなみに、この事件に私が思い入れたのは、

犯人のブロック・ターナーの家庭環境を思い巡らすうちに、

何故か神戸連続殺傷事件の酒鬼薔薇聖徒君のその後が気になり、

日本のネットを開くきっかけにもなったからなのです。

neofreudian.hatenablog.com

全く異なる生育環境、犯罪ではありますが、

双方とも、自分のエゴを見定めることなく、

子供に理不尽な要求を押し付け、

自分勝手な愛情を注いだことを

自己肯定しかできない親…

そしてそんな親に対して、

社会が、ご近所が

「何かが歪んでいる」

というメッセージを、

彼等に受け入れられる形で伝えられなかった、

という共通点があるのではないか…

と切に感じます。

 

性犯罪...と言うほどではないのかもしれませんが、関連記事、こんなのもあります。

性欲オンリーなチャラ男には理性がない? - 精神分析のススメ

 

*1:これに対して、被害者の女性は

手紙の中で、

挿入に言葉で同意する女がいたら会わせてみろ!

的なコト言ってますね…

全く同感です

*2:この「罪悪感どころか自分が被害者」反応は

日本の山口氏とほぼ同じ反応であると言えましょう