精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

「人が嫌がることはしてはいけない」では何が悪い? その2.

前回

「自分が嫌と感じること」が何なのか

反芻することが

共感力向上に繫がる

という趣旨の記事を書きました。

 

neofreudian.hatenablog.com

共感の育成には

創造性と愛が必要だ

というデータを紹介するために

しつこいようですが

リベンジしてみます。(何のリベンジや

 

「何で、君そんなに小さいの?」

と、言ってお友達を泣かせてしまった

いじめっこのけい君は、

何故友達が泣いてしまったのか、

「分かんない

赤ちゃんみたいに泣く方がおかしい」

と言って、

お友達を余計に泣かせてしまいました。

 

確かに

泣いたお友達も

些細なことでめそめそして

鬱陶しさMAXで

いじめられるのも

まあ…分かる

って感じな子でした。

 

とはいえ…

あまりにも傍若無人

ふてぶてしいけい君を

放置するのはヤバイ

と思った私は、

ちょっとぽっちゃり…

というか、日本の感覚では

がっつり肥満体型のけい君に、

 

「じゃあ、君は

『なんでそんなに太ってるの?』

と言われたらどう感じる?」

 

と、聞いてみました。

 

ぶすっとして

黙り込んでしまった彼を見て

子供相手に大人気ないことを言ってしまった…

と反省する一方

けい君にもイラついていた自分的には

彼を「論破」して黙らせることができた

満悦を否定もできませんでした。

 

こんな

「意地悪」な私の対応で

けい君は共感を学ぶことはなかっただろうし

優しい気持ちにはなれなかったことでしょう。

 

共感の発達というと

印象に残った研究があります。

 

男の子達に、ママへのプレゼントを選ばせる実験でした。

 

おもちゃのトラックと、口紅をみせて、

「さあ、どっちをプレゼントしたら、ママ、喜ぶかなあ?」

というヤツで、

3歳くらいだと、ほぼトラック、

5歳くらいになると、口紅を選ぶ子もちらほら。

という結果だったように、うろ覚えております。*1

 

① 口紅を選べる

ということは

② ママは女性でお化粧するから、という…

他者視点でプレゼントを選べる

ということは…

③ 共感力ばっちり!

というアメリカ人お得意の3段論法です(ほんまか)。

 

ちなみに、口紅=共感 

という決め付けは

トラックより口紅好きなLGBTQの、

GT男児を考慮してないのでは?

というフェミな批判が

クラスメートからあったことを

一応付け加えておきます。

 

閑話休題

私がぐっときた結果は

ここからでございます。

 

3歳くらい時点での母子観察で

大きく分けて

「トラック、欲しかったんだ、嬉しい!」と

子供の気持ちを汲んだ反応をする母親Aと、

「ママは口紅欲しかったな」と

「真実」を告げる母親B

2つのグループに分かれました。

 

さて、5歳くらいになったとき

口紅を上げた子供の母親は

A、B, のどちらに

属していたでしょうか?

 

当然、

自分の要望を正直にきちんと伝えた母親B群

と思いません?

 

ところがどっこい

「トラック、嬉しい!」母親A群の子供達の方が

後々「ママの欲しい物は、一体何だろう?」と考えて

口紅を選べる子供に育った。

という、ムネアツな結果でした。

 

「プレゼントしたら、ママ、喜んでくれるぞ!」

という期待感に応えられる母親は

「じゃあ、どうしたらママはもっと喜ぶんだろう?」

と子供の「プレゼントしたい」気持ちを育み

自主的に考えられる

共感力を有する子供を育てる。

という考察でした。

 

共感力は、

「相手の(本当の)気持ち」という

「正解」を求める力ではありません。

 

自分の経験に照らし合わせ

独創的に他者の内面を考察する力

想像力の賜物なのです。

 

しつこいようですが

繰り返します。

 

喜んでくれるママだから

「もっと喜ばせたい」

と、子供は欲するのです。

この、「…したい!」がなくては、

創造性は枯渇します。

相手の欲しい「正解」を求める共感は

浅薄な付け焼刃で終わります。

 

ですから…

教育者の皆様には

「他人が嫌がることはしてはいけない」

と、上から注意する前に

子供が何を感じて

思って、考えて

「非社会的行動」に至ったのか

子供目線で

思いやりを持って接することが必要だ

と感じます。

 

「思いやり」を享受し

感じ入ることのなかった者は

「思いやり」のある人には

なり得ないからです。

 

ちなみに、私がけい君に対して、

 

「この子はきっと

心無い周囲の人間に

『何で、お前そんなに食うんや』

みたいな事を言われるんだろうなあ…」

 

という、しんみりした感情を抱けたのなら

もっと素直に「ごめんね」が言える瞬間を

がっつり捉えられたのだろう…

とは思うのですが。

そこまで人間できてませんでした。

 

ごめんね。けい君。

大人気ない、いぢわるな大人で。

世界は冷酷だって

もう充分わかってたのに

傷に塩塗られてばっかりでは

そりゃ、ふてぶてしくならないと

生き延びられないわな。

*1:キリキリ調べんかい!

と、お叱りの声が上がりそうですね。

はい。その通りで御座います。

Google様にお伺いを立ててみましたが、

該当する論文が

さっぱり上がってきません。

年齢等、アヤシイ記憶を手探りにでっち上げました。

愛着研究分野の論文だったと思います。

所詮はアヤシイ狂気専門家のブログ

と生暖かく見逃してください。