精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

上野千寿子氏の【東大祝辞】に思うこと

「なくもんか!」と歯を食いしばりながらも

毎回まんまとネズミ帝国の策謀にダダ泣きする

涙もろい私は

実は上野氏の祝辞を読んで涙腺がゆるみました

 

上野氏の祝辞については色々な方がもう既に書かれているので

書かなくてもいっかー

とも思っていたのですが…

 

フェミニズムについてはどーしても引っかかるモノがあるので

書いてみます

 

否定的な反応

https://note.mu/hirotakai/n/n7e4d16fb2257

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64173

もありますが

私は上野氏の

「好奇心と、社会の不公正に対する怒り」

という「欲動」を見据えた上での

「規制心」に心打たれました*1

女子生徒が目の前の入学生の2割に充たない

という「厳然たる事実」を前に

そりゃあ怒りもこみ上げるだろう

にもかかわらず

よくぞ「怨念」に負けることなく「理念」を語られた

と当初は感銘を受けました

ものの

彼女のスピーチで

ずっと心に引っかかった言葉があったことは

否めません

 

「弱者が弱者のままで尊重される」

と云う言葉には

弱いモノは守られて当たり前

という「甘え」が

どうしても見え隠れしてしまいます

 

以前、Yahoo知恵袋で

「何故弱者を抹殺してはいけないのか?」

という質問への秀悦な回答がありました

https://virates.com/society/52130965

今現在の状況では「弱者」でも

予想不可能な未来は種としての

生存確率を引き上げる「多様性」を

遺伝子プールに提供する個体を

内包できる集団は存続の可能性が高まります

 

フェミニズムは男性優位な「強弱」という

一元的かつ短絡的な価値基準を覆し

全ての人に

「適者生存」できる場所を見出すための

学問であるべきではないでしょうか

 

私が女性学の矛盾と自己欺瞞を感じたのは

アメリカで知り合った女友達の経験を

通じてです

 

彼女が男友達を自宅に招いて

夕飯を振る舞ったところ

「失礼を承知で云うけど

聡明で自立した君が料理好きで 

Domestic(家庭的)だなんて意外だったよ」

と言われてショックをうけたそうです。

 

彼女は

「自分が Domestic であることも

女性的であることも

褒め言葉でありえない

という「常識」がまかり通ることに

怒りを感じる」

と女性学の授業で独白したトコロ

「家庭的で女性的であることに価値を見出す女性は

フェミニズムの敵!」とばかり

スケープゴートにされたそうです。

男友達の心無い言葉よりも

女性学のクラスメイトに傷つけられた彼女は

後にMITの博士号を取り

情報なんとかコミュニケーションなんちゃらの授業を受け持つ

IT学の教授になりました…

 

東大に女子学生が二割しか居ないのは

女性に知性よりも「可愛さ」を求める環境

「女子の頑張る意欲をくじく」環境のせいだ

と信じることは

東大を受験しなかった女子は

羽をもがれた「弱い」女子である

と信じることです

 

そこには

できるだけ高い偏差値を

できるだけ「良い」大学を

できるだけ多くのカネを

全ての人が求めて然るべき

という一元的な価値基準が潜んでいます

 

「勉強」は精神を開放し「選択肢」を増やすはずが…

偏差値で序列化されたより「良い」大学を目指す

視野狭窄を産み

心に叶わない「目標」を

盲目的に目指す子供達を量産しているでは…

と私は感じます

 

高校時代

偏差値がもっと「上」のランクの大学を狙え

と先生に言われた女友達がいました

 

彼女は旅行関係の仕事がしたいからと

先生的には

「ワケの分からん私立大のワケ分からん学部」

に願書を出し

「受験勉強」をする必要もなく

東京でJDデビューを果たしました

 

又、地元の国立大では勿体無いから

と諭されて無理をして共通一次試験に失敗し

浪人して某外語大に入った男子は

堪能な語学力を買われ

外務省での将来も有望とされながらも

自分には都会も国家公務員も向いていない

と地元の県庁に就職しました

 

偏差値に見合う大学の名声を求めなかった

彼女の「翼」はもがれたのでしょうか

 

「もったいない」から

と安全圏外の都会の大学を受けることをススメられて

一年浪人して行きたくもなかった東京で

見たくもなかった世界をみて

やっぱり地元が一番…

と帰郷した彼は

本当に「翼」を与えられたのでしょうか

 

上野氏は祝辞で

「正解のない問いに満ちた世界」について語っています

 

正解のない問に答えられる子供を育てるのであれば…

誰もが性別に関係なく

偏差値に関係なく

自分の欲するモノは何かということを

見つめられる環境

そのために必要な道を模索できる教育環境が

必要なのではないでしょうか

 

「彼女は頭が悪いから」

と自分の暴力を正当化しようとする人間は

「頭さえ良ければ何をしてもよい」

という画一的な価値基準の産物です

 

めいろまさんの

https://cakes.mu/posts/25347

「女性はなぜか広報やコミュニケーション、

文学、文化人類学など

卒業しても仕事がない分野を勉強したがります」

という指摘は

女性でも「収入の高い将来性のある仕事」を求めるべきだ

という極めて現実的な結論に到達しますが

私的には

その解決策に「不公正」の是正は期待できない

と感じます

 

「不公正」とは

掃除、洗濯、子育てといった

「母親の役割」が

生きていく上で必要不可欠な家事労働が

「無資格」で「無教育」な

末端労働者に委ねられることであり

「需要と供給」の法則とは別のトコロで

「能力の高低」による職業の貴賎が

存在する社会が生み出すモノだと

欧米の奴隷制度を見るにつけ

家事労働はカネを払って済ませよう

という日本のインフルエンサーを見るにつけ感じます

 

理想論的には

キツイ、汚い、危険な仕事、

「広報や出版、美容、保育、販売、一般事務やコールセンターなど

元々賃金が低く、昇進が難しい」ものの

「需要」のある仕事に付加価値を見出すのが

公正な社会なのではないでしょうか

 

偏差値という単一的な価値判断基準の

最高峰に座する東大生

及びその価値観の下で子育てしてきた親に

「多様性」を突きつけるということは

彼らの存在意義を脅かすことでもあるので…

上野氏のスピーチを不快と感じる参列者がいたのは

まあ、当然でしょうね

*1:今読み返してみたら

「あれ?何で泣けたんだろ?」

って感じですが…

16日に入った訂正のせいでしょうか…