精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

うつな夢

久しぶりに夢をみた。

 

一人で車運転してる夢だった。

 

高速道路を降りる瞬間

あ、降りた先の終着点ナビに入ってない

となって焦る。

 

降りてすぐ三叉路が。

 

まあとりあえず左に行って

車停めてナビに行き先入れよう。

 

とは思うが

後続車が気になって都合良さそうな路肩が見つからない。

 

そうこうするうちにどんどん辺鄙な1本道になり

真っ暗で後続車もいつの間にかいない。

 

原っぱみたいなトコロに車停めて地図確認しようと思うが

急に

こんな明るい車の中で地図なんて見てるトコロ誰かに襲われたら…

と恐くなる。

いや、誰も居ないから大丈夫。

と恐怖を打ち消しながら尿意で目が醒めた。

 

なんとなく

「衰退する日本」の不安を打ち消せない人の「うつ」に感化されたのだろうか

ってなった。

 

滅多に夢みない

私のデフォルト「不安夢」は

 

迷子になって帰れない

テストで忘れもの

カバンがない(忘れる、盗まれる)

エスカレーターやエレベーターが暴走

壁や服がない(見られて困る)

系なのだが

 

車運転する「不安夢」で印象深いのは

 

デカいバスを運転してて

ただでさえどっかぶつけないか恐いのに

下り坂でブレーキが効かない。

 

というヤツだ。

 

当時は

200kg以上のバスの運転手の減量ケアしていたので

彼に感化されたな…

ってなった。

 

「帰る手段がない」

から

「行き先が分からない」

不安に移行した

ってことは

私もなりに死の不安と恐怖に近づいてる

ってことなのだろうか

ってなった。

【毎日かあさん】自分も毒親になるかもしれない…と慄く人達へ

シリーズ3作目です。

 

neofreudian.hatenablog.com

 

 

neofreudian.hatenablog.com

 

西原理恵子毒親嫌疑炎上が

周り周って吉本ばななのトコロにまで飛び火している。

 

 

らしい。

 

陰謀論も渦巻いていたが

結局は

カネと権力と名声のおこぼれを頂く

「恩」に忠実な犬共の

妙な「善意」が

どんどん物事を歪めている

というのが事の真相だった。

 

らしい。

 

しらんけど。

 

誰も自分が「悪人」にはなりたくない。

 

罪悪感に駆られる人達こそ

殊更に「頑張ったね」

「よくやったね」

「素晴らしい」

と褒めてくれる人の言葉だけを聞いていたい。

 

誰も

自分が「毒親」だった

とは思いたくない。

 

毎日かあさん」には

「欲しいモノ」を「与えられなかった娘」が

長じて

「与えられない母」になる「悲劇」が

如実に描かれている。

 

と私は感じる。

 

マフィンを焼いて

浴衣を着せられる「素敵な母」に憧れても

塩辛の瓶詰めしか作ってあげられない母の

絶望と怨嗟と罪悪感を

オモシロオカシク描くことができる

西原理恵子の才能は壮絶だ。

 

と思う。

 

「与えたい」のに

与えてしまうと

羨望と後悔に駆られて

暴力的衝動を抑え込めないのが

「与えられない」モノの

狂気(負の連鎖)だ。

 

子供が「欲しいモノ」と

親が「与えたいモノ」が一致していたら

「感謝」と「修復」の働きで

「与えられる子供」への「羨望」や加虐衝動も

比較的簡単に克服できる。

 

 

子供の「欲しいモノ」が

親の「与えたいモノ」と食い違うと

「せっかく与えたのに感謝がない💢」

と増悪と怨嗟だけが募る。

 

立ち読み部分だけでもトラウマてんこ盛りな

毎日かあさん」だが

私がツラくなったのは

「白いスカート」の話だ。

BinB Speed Reader

 

「汚い兄」の吐瀉物を必死にキレイにしようとした

娘の愛を踏みにじった母は

後悔に駆られて

娘が「欲しい」白いスカートを買ってやる。

 

せっかくの白いスカートも

兄の「汚さ」でダメにしてしまう娘。

 

汚物も厭わない「愛」がゆえ

ゲロやドロまみれになる「娘」は

アル中の旦那を愛して

自分もゲロにまみれる「母」と重なる。

 

「せっかく」買った白いスカートが「汚れる」エピソードは*1

西原理恵子

「せっかく与えた愛がクソになる」

傷を描いている。

 

と感じた。

 

羨望と怨嗟で

与えるモノを「毒」にしてしまうのは

「母」に限らない。

 

「誰のおかげでメシが喰えると思っている」

とちゃぶ台ひっくり返す

昭和の「強い父」の

「暴力の肯定」という「狂気」も

毒親」のモノだ。

 

「暴力」や「逸脱」の罪悪感と羞恥を

「なかったこと」にするための「善意」は

悲劇的な結末にしか至らない。

 

田中圭一が見た

【田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-】第五話:西原理恵子と鶏の唐揚げ - ぐるなび みんなのごはん

「幸せな家族」が「再帰」するよう

 

「汚れ」をキレイにする慈愛が

「逸脱」を「なかったこと」にして

クソにクソを上塗りする地獄への道を舗装する「善意」に屈する事なく

「傷の修復」を可能にすることを切に祈る。

 

*1:「ドロだらけの白いスカート」には性的トラウマも感じるけど…「夢」じゃないのでそーゆー「解釈」は回避します

【毎日かあさん】と 表現の自由

一応コレの続きです

 

neofreudian.hatenablog.com

 

毎日かあさんの作者が毒親

と炎上してる。

 

火種になった医者が「ぼくんち」読んで

「この内容よく連載できたよな」

ともツイっていた。

 

西原作品が積まれて焼かれそうなイキオイだ。

 

なので

表現の自由について思うトコロを書いてみる。

 

ぼくんち」のエゲツない貧困描写がヤバい

というのも分かる。

 

少年誌やAVの(性)暴力描写が(性)暴力増長する「危険性」がアル

というのも分かる。*1

 

幻想及び表現の自由は不可侵だ。

 

と私は信じている。

 

表現の自由を侵害することの「邪悪」の方が

邪悪な表現の「被害」を上まる。

 

からだ。

 

ぼくんち」の貧困描写がエゲツないからと云って

「差別的表現」云々を理由に表現規制をかけるのは

それこそ

「不愉快なモノは見たくない」

臭いモノには蓋な「お気持ち」にすぎない。

 

醜悪なモノ(感情)は見てみないフリして

生き埋めにしても

忘れた頃に襲いかかる

フロイトは云った。

 

醜悪なモノに真摯に立ち向かう「たゆまぬ努力」の欠如は

己の加害性から目を逸らす

「脆弱な自我」の倫理の破綻だ。

 

だからといって

貧困や暴力描写を

「エンタメ」として無作為に「消費」し

笑いのタネにすることが

「正しい」とも決して思わない

この「めっ」読んで

www.cmoa.jp

「イロイロありつつ楽しくハチャメチャな家族やってます!」

と「開き直る母」を観るのか

自分は怒ったつもりもないのに

扉を閉めただけで

失禁する程怯える「繊細」すぎる娘への

罪悪感と加虐衝動に「苛まれる母」を観るのかも…

 

読者の「自由」だ。

「葛藤の表現」を禁止しても決して「良い」結果は生まない。

 

と私は信じている。

 

羞恥や罪悪感を

「なかったこと」にしようとする「善意」も

「良い」結果を生まない毒親の軛だ

というお話はこちらです。

 

neofreudian.hatenablog.com

 

*1:バンデューラ先生の社会的学習理論によるとふうせん人形が殴る蹴るされる「暴力的動画」を観た子供達は暴力的な行動を「学習」する。この学習効果が「キレイ」に出るのは子供なので、オトナがレイプ動画観てレイプ学習するかどうかは疑問だが…少なくとも「AV観てレイプ欲が抑制できる」という妄言は「間違い」と見做してよいだろう。

【毎日かあさん】と 児童虐待案件について

西原理恵子が炎上しそうな予感がするので書いてみる。

 

事の発端は(多分)この元ツイの医者だ。

 

リプの皆様は

西原理恵子毒親っぷりにショックを受けているようだが

私的にはジャパンの精神医療の「稚拙さ」に

開いた口が塞がらなかった。

 

医者個人が稚拙なのではなく。

 

パニックと自傷で精神科に来る子供に

児相に相談しましょう

と云ってしまって

「オッケー」な「業界」の問題だ。

 

子供に「それだけはやめて」と泣かれて

イタミドメ(抗うつ薬)処方して帰す

精神医療への

日本人の「期待」と「絶望」の問題だ。

 

児相に通報される「ダメな毒親

精神科に通う「キチガイ

福祉の世話になるのは社会のお荷物「ヤクタタズ」

という「偏見」の問題だ。

 

「偏見」が

ストレスで壊れた「心」の

癒やしも回復も修復も困難にする。

 

米では

医者と教師には虐待(家庭内暴力)通報義務がアル。*1

 

いざ、

通報せねば

となった時に

当事者に情報開示することは

信頼を深めるために必須だが

児相通報の決断を開示すべき相手は子供じゃない。

 

親だ。

 

児相に通報する「義務」が

教育と医療の「プロ」に課されているのは

子供に触れる機会が多く

「虐待のサイン」を見抜く「目」がアル

とされているからだ。

 

子供の云う事を鵜呑みにする「プロ」では

意味がない。*2

 

憶測でしかないが

医者は

家族関係に危機感を感じたからこそ

児相持ち出したのだ

とは思う。

「通報なんてされたら殴られる」

と思っている子供の云う事聞いて

イイオトナが通報を断念するようでは

子供は死ぬ。

 

医者も西原と面会して

母娘関係がイケてない事が娘の精神に大きく影響している

ものの

「虐待」とは見做せないので児相介入の必要はない

くらいの「情報開示」はしたのかもしれない。

(と信じたい)

そうやって児相介入させないで

自傷行為のあった子供が

「事故死」や自殺した時に

医者として「何もしなかった」事の責を

感じないで居られるモノだろうか…

 

となった。

 

「プロ」が児相や家裁の介入の窓口になるのは

「家族の安全」を守るためだ。

 

どんなに暴力を振るわれても子供にとって

親が「取り上げ」られる事はキツイ。

 

それは親も同じだ。

 

親密さの暴力は時に

「離れる」事でしか回避できないモノだ

「離れる」事で「安全な場所」を取り戻す可能性が開かれる

という事は西原と鴨志田の関係からも伺える。

 

児相の介入は「毒親認定」でも

「加罰」でもあってはならない。

 

家族が仲良く

家が安全な場所であるための

支援であり

修復の機会を与えるモノでなければならない。

 

「繊細」な子供達にとって

愛情豊かでも「鈍感」な親の無理解無頓着は

毎日のささやかな暴力だ。

 

その「無理解」が暴力に等しい「イタミ」だと認識され

「謝罪」と「修復」がないままだと

「安心感」は欠如し

「許す」事も「不可能」になってしまう。

 

愛情に苛まれる繊細な子供達と

「毒」を与えてしまう事に慄く親が

「暴力的」なコミュニケーションに苛まれる事なく

安全に睦あえる為にも

精神医療と法が整備され

日本に家族療法が浸透することを切に願う。

 

今回の炎上は

虐待で子供が死ぬニュースが絶えないジャパンの

「何もできない」オトナ達の罪悪感が故。

と私的には考えてる。

 

西原理恵子の作品が積んで燃やされそうなイキオイなので

表現の自由について書きました。

 

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3歳の時の話とは云え

おしっこ漏らしたの暴露されるのは…

娘的にはキツイよな…

とは思うが

母娘の対話がちゃんとできていれば

ここまで拗れなかった事だろう。

 

とも思う。

 

家族療法の導入はよ。

*1:一応子供が「親に殴られた」と言っただけでもすぐ通報。がデフォなので一般民間人でもジャンジャン通報してくれる。何なら赤ちゃんが泣いてるだけでも通報する。児相は深刻な「虐待がアルかどうか」調査して虐待がアルと発覚してもエグい性的搾取とかでない限りはすぐに子供取り上げたりはしない。「育児コーチ」やカウンセリング、発達障害検査ナドナドに繋げて「家族支援」するのだが…「おら達の教育方針に文句あるんか💢」という抵抗にあう事もアルアル。でも子供が死んで虐待発覚したら周囲の医者や教師が怠慢及び無能ではないかと責任追求されるので通報せなアカン圧はキツイ。

*2:「プロ」としてホントに第三者の介入が必要な虐待ケースかどうか見抜けない人は子供の言葉を鵜呑みにして通報する。後で面倒な事になった時の責任回避のためには「吉」だが…親や子供の「プロへの信頼」はズダボロになる。ってのも日常茶飯事(T_T) 

【ゴールデンカムイ】戦争の狂気その4:杉元の罪

無意識への王道は夢だ

 

という言葉が精神分析にはアル。

 

ユング派の夢分析では

登場人物は全て「自分」だ

と云う。

 

らしい。

 

作者の「無意識」から生まれる

「物語」の登場人物も又

オルターエゴ達だ。

と私は考える。

 

以下ネタバレバレです。

 

以前

ゴールデンカムイ」は

信用できない「父」を克服する「息子」の

エディプス譚だ

と書いた

 

neofreudian.hatenablog.com

杉元の

「エディプスの軛」については

全く掘り下げなかった。

 

ので

リベンジしてみる。

 

エディプス譚が

原初的トラウマたる所以は

息子が父を殺し

母を娶る「罪」を

「知らずに」犯してしまう

という点に尽きる。

 

だからこそ

「罪」に慄くエディプスは

己の目を潰して流浪の旅に出る。

 

杉元の戦争の「傷」は

飢餓だ。

と書いたが

家族を伝染病で失くした杉元の

故郷への愛着と思慕の対象である

初恋の相手の梅ちゃん(母)と

戦友でもあり恋敵でもある寅次(父)は

フロイト教授的には

ベタベタな「エディプスの三角」を形成する。

 

「父のモノ」である「母」への

「叶えてはならない恋」が

息子の

規制心や倫理発達の原点にアル

というのが

エディプスコンプレックスと

超自我」が紐づく所以だ。

 

フロイト教授なら

夫(寅次=父)の信頼を裏切らない

梅ちゃんは

叶えてはならない理想の愛の対象「母」である

と解釈するだろう。

 

寅次は

「目の悪いコブ付き女なんて誰ももらってくれねえ」

と杉元を「誘う」が

杉元は

梅ちゃん(母)を「自分のモノ」にしたい「欲」

大好きな寅次(父)の信頼に応えたいという

「葛藤」に苛まれる。

 

彼の「戦い」は

梅ちゃんを助けはしても

愛を成就してはならない

という神経症*1なモノである。

とも云えよう。

 

杉元の「お話」は

母を喪失し「飢餓」に苛まれる息子*2

狩りを覚えて「自立」するお話でもあり

家族と「一緒に」死ねなかった「不死身」の息子が

家を焼いて故郷を去るしかできなかった

「ヤクタタズ」の「罪悪感」と戦うお話でもある。

 

鶴見の第七師団には

「父」を殺す息子達がウヨウヨしているが

父が病に斃れた杉元がお話の「始まり」で

「殺すべきモノ」*3

「自然の摂理」に従って冬眠しそこない

子熊を喰らうオスだ。

 

襲いかかる「男」の「代わり」に羆を殺す

「始まり」は

杉元の「父」を「見殺し」にした罪悪感の象徴でもあり

「母」を喪い

オスに喰い物にされる

「子供」の反逆の象徴でもある。

 

ゴールデンカムイ」の最後で

「地獄への特急列車」に唐突に乗り込んでくる熊は

アシリパが「殺るべき」(杉元には殺せない)

「罪悪感」の象徴だ。

と私は「解釈」する。

 

熊(罪悪感)はアシリパに殺られるが

杉元は

「殺るべき」尾形も鶴見も殺らないで

「大団円」に至る

というのも

杉元が「理想のヒーロー」だから

なのか…

 

哀しいサイコパス達に共感し

「理想化」し

彼らの「罪」を「水に流して」しまうジャパンだからなのか…*4

 

杉元がアシリパを「助け」役目を果たした報酬で

「花屋」を営む*5梅ちゃん(母)への「罪悪感」と「愛着」から

開放される。

というハッピーエンドは「辻褄」が合っていて

大変良かった。

 

なんぼなんでも都合良すぎやろ

と思ってしまう

ダークな私の率直な感想はこちらです。

 

 

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*1:「充足」を知らない「我慢」はすべからくヨロコビを「否定」する神経症的なモノだ

*2:そういう意味では「邪悪」な尾形は「善良」な杉元のオルターエゴ(影)だ。し「当然」のようにアシリパ(母)から愛される杉元は尾形の「理想の弟」でもある。実際話中、杉元は東京で尾形の弟になっている。熊が鶴見ではなく尾形との死闘の間に現れる事からも(ストーリーに登場しないものの)杉元に襲いかかるのは「愛されない兄弟」を殺して生き残った罪悪感だとも解釈できる。

*3:「生き残りたければ殺せ」と云うのが「父」ではなく少女アシリパなのが興味深い

*4:実際鶴見は罪を贖う事なく「水」に流されてしまった

*5:売春窟の「置き換え」だとすると…身体を売って子供を養う「母」への息子の罪悪感とも読める。放置しておけば目が見えなくなってしまう「病」も身体を売って罹った「梅」の毒か…?ともなる。梅ちゃんに「待って」もらえなかった杉元は芸者だった母に愛されなかった尾形のオルターエゴだ。

【ゴールデンカムイ】戦争の狂気その3:杉元

ゴールデンカムイが終って…

大団円で「良かった」とは思うものの

ダークな私的には

無理くりハッピーエンドにしたな…

ってなった。

 

ネタばればれなのでそれがイヤなら閉じて下さい。

 

杉元がアシリパと北海道の大自然の中

仲睦まじく暮らす

というクライマックスは

お姫様と王子様が結ばれて「めでたし」な

べた王道ハッピーエンドで

流石は水戸黄門的に「定番」が大好きな日本人だ。

ってなった。

 

個人的に「よかった」のは

無節操で多淫だけど「殺さない」ウケ狙いキャラの白石が

己の目的の為には殺人も厭わない(=サイコパス

「強い父」ウィルクのオルターエゴだった

という意外性と

「常識的」な月島が

どこまでもクレイジーな上司に

怒鳴られ虐げられながら

滅私奉公するどMっぷりと

ロシア人スナイパーの芸術的探求が

後世高評価された事だ。

 

エゲツない「美化」だ

と思ったのは

梅ちゃんが

「花屋(女郎屋)」切り盛りしてるトコロと

アイヌの土地は国立公園になり

大自然の中でカムイは豊かに生き続けている」

ってトコロだった。

 

物語の始まりで

杉元の「戦争の傷」は

母子分離の「傷」(=飢餓)である

と解釈した

 

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アシリパの)

「父」を救えなかった

息子の傷が露呈する「物語の展開」は

修悦すぎる。

とも思った。

 

獲物を狩って「飢餓」を癒やす事を

愛するモノ(自然に生きるアイヌの少女)から学び

東京で「花屋(売春窟)」を営む梅ちゃん(母)を

「助ける役目」を

果たして自分が「割と好き」になれた杉元だが

鶴見のように

戦いで「脳が欠けた」モノに

愛するモノを守る

自己規制が可能だとは信じ難い。

 

殺戮の高揚と性愛のヨロコビを錯誤し

最後の狼は自分が殺すと息巻く

オンナが恐い「犯罪者」

二瓶のようになってしまうのが「現実的」だ。

 

ゴールデンカムイ

杉元(和人)とアシリパアイヌ)の微笑ましい結末は

新選組の土方が生き延びて無双するくらい

荒唐無稽なファンタジー

という事を踏まえられる

読解力なんてなくてもイイ。

 

二瓶や鶴見の「邪悪」に

「悲哀」は見出しても

漢と取り違えて「理想化」したりしない

「倫理」アル若モノ達が

土方の様に死に場を失い

美しいジャパンを「取り戻そう」とウヨウヨする

亡霊達の憐れな魂を供養できる事を

切に願う。

 

大団円スゴイ!

よくぞ「収まり」つけてくれた!

素晴らしい!

という率直(?)な感想はこちらです

 

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【ゴールデンカムイ】罪悪感のないサイコパス その2 鶴見

「狂気」とは

個人の「認知の歪み」が

それに伴う「暴力」をもって

「他者」を巻き込むモノだ

と常々感じる。

 

ゴールデンカムイのエンタメ性が「スゴイ」所以は

史実を元に様々なエピソードを

これでもかって意気込みで

盛り込んでくるトコロでもあるが

何よりも

狂った「人殺し」達の悲哀と崇高な理念を

綿密に描写してくるトコロだと思う。

 

欠けた頭からドロっとした液体を垂れ流す

醜悪な鶴見ですら

目が離せない魅力を有する。

 

鶴見が肌見放さず身につけていた

妻子の骨よりも

アイヌの権利書を掴む

クライマックスに

鶴見は「私情」よりも「大義を選んだ」

という「解釈」がブコメにあった。*1

 

私には鶴見が

「自分が愛したモノ」

を手放し

アシリパのモノ」

に手を伸ばす「盗人」にしか見えない。

 

ロシアとウクライナを目の当たりにしてつくづく

戦争の「大義」とは

「盗み」と「人殺し」を正当化するモノであり

倫理が破綻したサイコパスの「嘘」でしかない。

と実感する。

 

妻子が殺されたのは

長谷川の「嘘」のせいだ

という「現実」を「否定」する

鶴見の「自我の脆弱さ」こそが

「邪悪」なニンゲンの悲哀であり

戦争の「狂気」の根底にある。

 

自責の念に苛まれ続けたソフィアを

良心の呵責なく

「ゆるす」と言い放って

殺した鶴見。

 

彼が憎悪するべきモノは

罪なき赤子を殺したソフィアとウィルク*2ではなく

「甘い嘘」に依存する己だ。

 

息を吐くように嘘をつき

「特別」になりたい

凡庸なモノ達を

喰い物にするサイコパス

相手の罪悪感につけ込むのも上手い。

 

「黄金」を手にする為

無垢な少女と共に「旅」した

尾形の最期には「救い」があった

大義をかざして使い捨ての兵士達を消耗し

アイヌの土地」を掴もうとする

鶴見の最期は

「約束」を「嘘」にしないように

「頑張る」ヒーローを

道連れに地獄に堕ちようとする

「救い」のないものだ。

 

それでも読者は

鶴見の

素顔に「悲哀」を

嘘に「大義」を

見出す。

 

己の「嘘」に決して向き合おうとしない

鶴見的に脆弱な「父」の

「虚構の愛」に依存するが故

頭が欠け

他人の皮をまとう

醜悪な鶴見の「甘い嘘」に「大義」を見出さざるを得ない

月島的に凡庸だが

真面目で常識的な

どM兵士達が

罵倒され使い捨てられる事に

ヨロコビ見出す

「美しい」ジャパンの被虐の「狂気」を再確認して

どんよりした。

 

罪悪感と共に「光」を見出した

尾形の「良い」最期に比べて

鶴見の最期は

「後味悪い」クライマックスだった。

 

私的感想です。

 

サイコパスの講釈

及び

尾形の最期の感想はこちらです。

 

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ダークな私の大団円の感想はこちらです。

 

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*1:その「解釈」は鶴見を妄信する「幼稚」な鯉登少尉のモノだが

*2:父母の象徴だと私は解釈する。

日本では守るべき「良心」は「両親」だ。

「良心」が欠如したサイコパスには愛すべき「両親」が居ない。