シリーズ3作目です。
周り周って吉本ばななのトコロにまで飛び火している。
ゲスなので
— neofreudian@はてなブログ (@neokleinian) June 6, 2022
こーゆーオトナの事情がボロボロ出てくるツイッタ
やめられない
下手な週刊誌読むよりも愉しい https://t.co/biUrfef0uJ
らしい。
陰謀論も渦巻いていたが
結局は
カネと権力と名声のおこぼれを頂く
「恩」に忠実な犬共の
妙な「善意」が
どんどん物事を歪めている
というのが事の真相だった。
らしい。
しらんけど。
誰も自分が「悪人」にはなりたくない。
罪悪感に駆られる人達こそ
殊更に「頑張ったね」
「よくやったね」
「素晴らしい」
と褒めてくれる人の言葉だけを聞いていたい。
誰も
自分が「毒親」だった
とは思いたくない。
が
「毎日かあさん」には
「欲しいモノ」を「与えられなかった娘」が
長じて
「与えられない母」になる「悲劇」が
如実に描かれている。
と私は感じる。
マフィンを焼いて
浴衣を着せられる「素敵な母」に憧れても
塩辛の瓶詰めしか作ってあげられない母の
絶望と怨嗟と罪悪感を
オモシロオカシク描くことができる
西原理恵子の才能は壮絶だ。
と思う。
「与えたい」のに
与えてしまうと
羨望と後悔に駆られて
暴力的衝動を抑え込めないのが
「与えられない」モノの
狂気(負の連鎖)だ。
子供が「欲しいモノ」と
親が「与えたいモノ」が一致していたら
「感謝」と「修復」の働きで
「与えられる子供」への「羨望」や加虐衝動も
比較的簡単に克服できる。
が
子供の「欲しいモノ」が
親の「与えたいモノ」と食い違うと
「せっかく与えたのに感謝がない💢」
と増悪と怨嗟だけが募る。
立ち読み部分だけでもトラウマてんこ盛りな
「毎日かあさん」だが
…
私がツラくなったのは
「白いスカート」の話だ。
「汚い兄」の吐瀉物を必死にキレイにしようとした
娘の愛を踏みにじった母は
後悔に駆られて
娘が「欲しい」白いスカートを買ってやる。
が
せっかくの白いスカートも
兄の「汚さ」でダメにしてしまう娘。
汚物も厭わない「愛」がゆえ
ゲロやドロまみれになる「娘」は
アル中の旦那を愛して
自分もゲロにまみれる「母」と重なる。
「せっかく」買った白いスカートが「汚れる」エピソードは*1
「せっかく与えた愛がクソになる」
傷を描いている。
と感じた。
羨望と怨嗟で
与えるモノを「毒」にしてしまうのは
「母」に限らない。
「誰のおかげでメシが喰えると思っている」
とちゃぶ台ひっくり返す
昭和の「強い父」の
「暴力の肯定」という「狂気」も
「毒親」のモノだ。
「暴力」や「逸脱」の罪悪感と羞恥を
「なかったこと」にするための「善意」は
悲劇的な結末にしか至らない。
田中圭一が見た
【田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-】第五話:西原理恵子と鶏の唐揚げ - ぐるなび みんなのごはん
「幸せな家族」が「再帰」するよう
「汚れ」をキレイにする慈愛が
「逸脱」を「なかったこと」にして
クソにクソを上塗りする地獄への道を舗装する「善意」に屈する事なく
「傷の修復」を可能にすることを切に祈る。
*1:「ドロだらけの白いスカート」には性的トラウマも感じるけど…「夢」じゃないのでそーゆー「解釈」は回避します