一応コレの続きです
と炎上してる。
火種になった医者が「ぼくんち」読んで
「この内容よく連載できたよな」
ともツイっていた。
西原作品が積まれて焼かれそうなイキオイだ。
なので
表現の自由について思うトコロを書いてみる。
「ぼくんち」のエゲツない貧困描写がヤバい
というのも分かる。
少年誌やAVの(性)暴力描写が(性)暴力増長する「危険性」がアル
というのも分かる。*1
が
幻想及び表現の自由は不可侵だ。
と私は信じている。
表現の自由を侵害することの「邪悪」の方が
邪悪な表現の「被害」を上まる。
からだ。
「ぼくんち」の貧困描写がエゲツないからと云って
「差別的表現」云々を理由に表現規制をかけるのは
それこそ
「不愉快なモノは見たくない」
臭いモノには蓋な「お気持ち」にすぎない。
醜悪なモノ(感情)は見てみないフリして
生き埋めにしても
忘れた頃に襲いかかる
とフロイトは云った。
醜悪なモノに真摯に立ち向かう「たゆまぬ努力」の欠如は
己の加害性から目を逸らす
「脆弱な自我」の倫理の破綻だ。
だからといって
貧困や暴力描写を
「エンタメ」として無作為に「消費」し
笑いのタネにすることが
「正しい」とも決して思わない
…
が
この「めっ」読んで
「イロイロありつつ楽しくハチャメチャな家族やってます!」
と「開き直る母」を観るのか
…
自分は怒ったつもりもないのに
扉を閉めただけで
失禁する程怯える「繊細」すぎる娘への
罪悪感と加虐衝動に「苛まれる母」を観るのかも…
読者の「自由」だ。
し
「葛藤の表現」を禁止しても決して「良い」結果は生まない。
と私は信じている。
羞恥や罪悪感を
「なかったこと」にしようとする「善意」も
「良い」結果を生まない毒親の軛だ
というお話はこちらです。
*1:バンデューラ先生の社会的学習理論によるとふうせん人形が殴る蹴るされる「暴力的動画」を観た子供達は暴力的な行動を「学習」する。この学習効果が「キレイ」に出るのは子供なので、オトナがレイプ動画観てレイプ学習するかどうかは疑問だが…少なくとも「AV観てレイプ欲が抑制できる」という妄言は「間違い」と見做してよいだろう。