精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

【毎日かあさん】と 表現の自由

一応コレの続きです

 

neofreudian.hatenablog.com

 

毎日かあさんの作者が毒親

と炎上してる。

 

火種になった医者が「ぼくんち」読んで

「この内容よく連載できたよな」

ともツイっていた。

 

西原作品が積まれて焼かれそうなイキオイだ。

 

なので

表現の自由について思うトコロを書いてみる。

 

ぼくんち」のエゲツない貧困描写がヤバい

というのも分かる。

 

少年誌やAVの(性)暴力描写が(性)暴力増長する「危険性」がアル

というのも分かる。*1

 

幻想及び表現の自由は不可侵だ。

 

と私は信じている。

 

表現の自由を侵害することの「邪悪」の方が

邪悪な表現の「被害」を上まる。

 

からだ。

 

ぼくんち」の貧困描写がエゲツないからと云って

「差別的表現」云々を理由に表現規制をかけるのは

それこそ

「不愉快なモノは見たくない」

臭いモノには蓋な「お気持ち」にすぎない。

 

醜悪なモノ(感情)は見てみないフリして

生き埋めにしても

忘れた頃に襲いかかる

フロイトは云った。

 

醜悪なモノに真摯に立ち向かう「たゆまぬ努力」の欠如は

己の加害性から目を逸らす

「脆弱な自我」の倫理の破綻だ。

 

だからといって

貧困や暴力描写を

「エンタメ」として無作為に「消費」し

笑いのタネにすることが

「正しい」とも決して思わない

この「めっ」読んで

www.cmoa.jp

「イロイロありつつ楽しくハチャメチャな家族やってます!」

と「開き直る母」を観るのか

自分は怒ったつもりもないのに

扉を閉めただけで

失禁する程怯える「繊細」すぎる娘への

罪悪感と加虐衝動に「苛まれる母」を観るのかも…

 

読者の「自由」だ。

「葛藤の表現」を禁止しても決して「良い」結果は生まない。

 

と私は信じている。

 

羞恥や罪悪感を

「なかったこと」にしようとする「善意」も

「良い」結果を生まない毒親の軛だ

というお話はこちらです。

 

neofreudian.hatenablog.com

 

*1:バンデューラ先生の社会的学習理論によるとふうせん人形が殴る蹴るされる「暴力的動画」を観た子供達は暴力的な行動を「学習」する。この学習効果が「キレイ」に出るのは子供なので、オトナがレイプ動画観てレイプ学習するかどうかは疑問だが…少なくとも「AV観てレイプ欲が抑制できる」という妄言は「間違い」と見做してよいだろう。