【ゴールデンカムイ】罪悪感のないサイコパス その2 鶴見
「狂気」とは
個人の「認知の歪み」が
それに伴う「暴力」をもって
「他者」を巻き込むモノだ
と常々感じる。
ゴールデンカムイのエンタメ性が「スゴイ」所以は
史実を元に様々なエピソードを
これでもかって意気込みで
盛り込んでくるトコロでもあるが
何よりも
狂った「人殺し」達の悲哀と崇高な理念を
綿密に描写してくるトコロだと思う。
欠けた頭からドロっとした液体を垂れ流す
醜悪な鶴見ですら
目が離せない魅力を有する。
鶴見が肌見放さず身につけていた
妻子の骨よりも
アイヌの権利書を掴む
クライマックスに
鶴見は「私情」よりも「大義を選んだ」
が
私には鶴見が
「自分が愛したモノ」
を手放し
「アシリパのモノ」
に手を伸ばす「盗人」にしか見えない。
ロシアとウクライナを目の当たりにしてつくづく
戦争の「大義」とは
「盗み」と「人殺し」を正当化するモノであり
倫理が破綻したサイコパスの「嘘」でしかない。
と実感する。
妻子が殺されたのは
長谷川の「嘘」のせいだ
という「現実」を「否定」する
鶴見の「自我の脆弱さ」こそが
「邪悪」なニンゲンの悲哀であり
戦争の「狂気」の根底にある。
自責の念に苛まれ続けたソフィアを
良心の呵責なく
「ゆるす」と言い放って
殺した鶴見。
彼が憎悪するべきモノは
罪なき赤子を殺したソフィアとウィルク*2ではなく
「甘い嘘」に依存する己だ。
息を吐くように嘘をつき
「特別」になりたい
凡庸なモノ達を
喰い物にするサイコパスは
相手の罪悪感につけ込むのも上手い。
「黄金」を手にする為
無垢な少女と共に「旅」した
尾形の最期には「救い」があった
が
大義をかざして使い捨ての兵士達を消耗し
「アイヌの土地」を掴もうとする
鶴見の最期は
「約束」を「嘘」にしないように
「頑張る」ヒーローを
道連れに地獄に堕ちようとする
「救い」のないものだ。
それでも読者は
鶴見の
素顔に「悲哀」を
嘘に「大義」を
見出す。
己の「嘘」に決して向き合おうとしない
鶴見的に脆弱な「父」の
「虚構の愛」に依存するが故
頭が欠け
他人の皮をまとう
醜悪な鶴見の「甘い嘘」に「大義」を見出さざるを得ない
…
月島的に凡庸だが
真面目で常識的な
どM兵士達が
罵倒され使い捨てられる事に
ヨロコビ見出す
「美しい」ジャパンの被虐の「狂気」を再確認して
どんよりした。
罪悪感と共に「光」を見出した
尾形の「良い」最期に比べて
鶴見の最期は
「後味悪い」クライマックスだった。
私的感想です。
サイコパスの講釈
及び
尾形の最期の感想はこちらです。
ダークな私の大団円の感想はこちらです。