精神分析のススメ

海外在住メンヘル専門家。ヒップな精神分析をめざしております。

自己愛性パーソナリティ障害とネットの闇 御在所岳の炎上 

使用上のご注意 

以下、ウザいと感じる方もおられるかと思います。

本文に跳んで頂いて結構です。このブログをお読みになられることで、身の危険を感じる方のみ、お読み下さい。

メンタルヘルスのプロが、面接や、問診なしに大統領に診断名を与えることは、倫理的にどうなの?という議論が、トランプ政権下のアメリカでホットです。

それを、踏まえてか、id:ss-vt さんから、「ネット上での安易な診断はお控えください」との、ご要望が御座いました。

全く、同感で御座います。

ありていに申し上げるならば、「安易な診断」そのものは、ネットに限らず、リアルでこそ、お控え頂きたく存じ上げます。

「診断」の目的は、「治療方針」を定める為に、行われるものであり、「治療」の有効性、予後を想定する為にも欠かせません。

誤診が重篤な結果に至る可能性は治療が行われるリアルでこそ高いといえましょう。

当ブログ主は、メンヘル専門家とはいえ、精神分析家という、アヤシイ肩書きを名乗る者で御座います。

公的人物の名誉毀損など、大それた危害を加えることも、してみたいのは、山々ですが、オーソリティに欠ける為、到底できっこない、と存じ上げます。

本記事に限らず、当ブログは、診断や治療が目的では御座いません。

 

私達と同様に、安易な診断に懸念を覚えられる方は、この記事を読み進められる前に、こちらをどうぞ。

neofreudian.hatenablog.com

 

以下、本文です。

 

 

フミコさん id:Delete_All  が、こんなツイートをなさったので、

 

「『御在所岳でまさかの遭難』というギャグ記事を読んでメチャクチャ笑ってしまった。ツッコミどころしかないw」

 

読んでしまいました。件の炎上記事を。

 

元の記事は削除されたのか、ブログ主さんはアカウントに鍵をおかけになられたようです。

 

でも、ブコメは残っているようです。凄絶でした。

 

ブログ主さんの迫害恐怖に慄く、内面世界を反映した内容であった。と私は解釈しております。

 

私のおぼろげな記憶を頼って書くので、誤謬もあるかもしれません。ご指摘頂ければ幸いです。

 

個人的な印象を述べさせて頂きますと、ブログ主さんは、概ね、自己愛性、もしかしたら、境界性パーソナリティ障害であろう、と思われます。

 

炎上記事からは、尊大で傲慢な行動共感の欠如、という、診断基準が見受けられますが、自己愛性に特徴的な、権力志向や、嫉妬に関する妄想が明らかではなかったように思われます。(id:Nightwings さん曰く、彼女の「クソバイス」記事中に、『てゆうか、何様?なんなの?私のことが嫌いなの?もしくは、私が幸せそうだから嫉妬してるの?。』 という記述があったそうです。はい。この様な発言は、がっつり、自己愛性の特徴と言えましょう。)

 

 多くの方が彼女のことを、中年男性だと思い違いをしていた、というのは大変興味深い点です。

 

境界性の方は、孤独を恐れ、親密な関係性を他者に求められている、と実感することで、承認欲求を充たそうとします。40代前の女性に多く診断されます。

 

自己愛性の方は、権力、成功、自己の魅力を感じることで、承認欲求を充たそうとします。男性に多く診断されます。

 

境界性と、自己愛に共通するのは、強力な劣等感、および、決して愛されないという感覚に対する防衛(境界例の方では、恋愛対象となる異性への執着。自己愛の方では、非現実的なレベルのプライド)が病的に強固である。ということです。

 

どちらにしても、ダメな自分を絶望的に感じるがため、そこからの脱却が「病的に強固」になりえざるを得ないのです。

 

自己愛性の「素晴らしい自分」が、往々にして、短期間は周囲に受け入れられても、すぐに剥がれてしまう「薄いメッキ」と、称されるのは、その対極である「糞な自分」が芯にある為なのです。彼らには、「ダメなところはあるけれど、改善しようする自分」、という、グレーゾーンが存在しません。

 

自己イメージが、この様に引き裂かれている(分裂症の迫害妄想にも繫がる概念で、スプリッティングと、業界用語では言います)自己愛性の方々には、他者のイメージも「素晴らしい」か、「糞」にしかなりえません。

 

ブコメからの情報ですが、FBには激励コメントも付いていたのに、ツイートとブコメは大炎上。

 

記事上ではロープウェイの職員の方はベタ褒めで、警察官の方は、若造呼ばわり。

 

このような、非現実的な「分裂(スプリッティング)」が、日常茶飯に起こる、些細なことから、同人物が「素晴らしい」から、「糞」に転落するのが、自己愛性と、境界例に見られる波乱万丈な人間関係の原因でもあります。

 

PD(パーソナリティ障害)な方々に、少しでも批判的な意見を述べることは、無意味です。

 

絶望的な劣等感に苛まれ、自殺願望が生じるか、暴力的に攻撃してくるかのどちらかだからです。

 

ブログ主さんが、炎上のストレスで、2歳の息子さんにイライラがつのり、暴力的になったり、自殺したりしていないかが、懸念されます。

 

1400近く付いたブコメの多くは、「生きて帰れて、良かったね」という比較的クールであったり、「クレイマークライマー」的、ウィットに富んだメッセージなのですが、かなり攻撃的な内容(「死ねば?」等)も3割くらい(...かな?)見受けられました(炎上の定義でもありますが…)。でも、1000もブコメつくと、3割でも、300個は、言葉の暴力。

しかも、彼女には、比較的非暴力的コメント全てが、「私なんか死んで当然」という、絶対に聞きたくない、けれど、常に頭の中にある、言葉として感受されるのです。

激励メッセージしか、受けとめられないのです。

 

PDな方々は、内面の荒廃を外界に投影し、理不尽な(キチガイじみた、と言っても良いです)暴力を他者に振るうと同時に、等しく理不尽な暴力が自分に振るわれる状況にも自分を陥れがちです。

 

ネットコミュニティが批判的に、炎上主を追い詰めることは、個々人の鬱屈の現れ、ひいては社会の荒廃の表れでもありましょう。

 

個人個人が自制心を持ってコメントすることは、炎上主を甘やかし、学びの機会を与えない、というワケでは決してありません。

 

ムカつくからといって、無闇に「死ね!」と、言葉の暴力を吐くのではなく、一呼吸おいて、共感に欠ける彼らが、いかに、他者からの共感を享受することなく、荒廃した人生を歩んできたのかに思いを馳せて頂けたら、ネットももっと安全な、楽しい場所になるのでは。

という願いを込めて、もう読むことはかなわない、炎上記事について、書いてみました。

 

逆に、自我の確立した、大人なブログ主の皆様は、自分にとって不愉快なコメントが付いたときには、氷太さんのように、

ブログが炎上したらどうするべきなのか - もう勝負ついてるから。

「人の否定的な意見は、自分への最大のアドバイスだよ。

ある意味、無償の愛に近い。」

という、心穏やか(限りなくMに近いか?)な態度で、怖れることなく受け入れ、自己表現を更に奥深いものにしてみる、というのは、如何でしょうか。

 

かく言う私も、アドラー心理学のセミナーについて、炎上ブログ主に、

「興味沸きました!でも、難しすぎて、私には無理かな?」

みたいな軽い記事を書かれると、

「学べや、おらぁ!」

って、思っちゃいました。てへっ。

 

「その解釈は、(刺さりすぎて)発狂するから、止めとけ」

と、スーパーバイザーに、言葉で羽交い絞めされた、(自分的には)青い正義感に燃える、(患者目線では)Sな心理療法士やってた時期もありましたからねー。

「本当に今は違うの?」という鋭い突っ込みは、華麗にスルーさせて頂きます。