精神分析のススメ

海外在住メンヘル専門家。ヒップな精神分析をめざしております。

拒絶しあう男女 ラブドールとセックスレス

少し前になりますが、こんな記事が、ツイッターで流れてきました。

 

http://www.afpbb.com/articles/-/3135749?pid=19156788&page=3

 

めっちゃ怖い。というのが、当初の感想でした。

 

人形に耽る男性も、その男性が抱いている女性像も。

 

ピグマリオン幻想と、照らし合わせる方もおられましたが、

 

d.hatena.ne.jp

真逆だと思います。

 

ピグマリオンは、彫刻家が労働に没頭し、作品に精魂を込めたことに、愛の女神が感動し、無生物に、命が吹き込まれる 「お話」 です。

 

故に、教師が素晴らしい生徒を育て上げ(恋におち)る派生物語が生まれます。

 

私的解釈ですが、受身の愛(母親からの愛情)に、幻滅した少年が、仕事を通じて、与え、創造することで、能動的に愛することを知る、という、男性の成長過程を描く物語であり、労働と愛の融合の物語でもあると言えましょう。

 

ところが、ラブドールは、元々は生身の女性(母親)を、無生物にしてしまった 「お話」 です。

 

愛着理論、というのがあります。

 

母親を乳飲み子が求めるのは、おっぱいを飲むためだけではない。「愛着欲求」を充たすためだ。

 

という、ハリー・ハーローのアカゲザルと、2体の代理母人形を使った研究結果に端を発する理論です。

 

以下の2サイトのまとめが分かり易かったのですが、

 

簡単なまとめ(子供にはスキンシップが必要。どんどんじゃれあいましょう)

https://conobie.jp/article/1286

 

詳しいまとめ(愛着がきちんと形成されないと、ACな大人になってしまい、人付き合いも困難です。因みに、ACと書いてしまうと、電気の交流とか、エアコンみたいですが、アダルトチルドレンの略です。)

http://www.urraca.jp/archives/910

 

丸投げするのもあんまりなので、ざっくり説明させて頂きます。

 

母親のいない赤ちゃん猿を、2つの代理母猿人形と一緒に小屋で育てます。一体は、ぬくぬく布でできています。もう一体は針金で作られており、哺乳瓶が付いています。赤ちゃん猿は、針金のお母さんの哺乳瓶からミルクを飲みますが、一日の大半を布のお母さんにしがみついてすごしました。

 

すなわち、子猿は接触欲求を充たすことで、安心感を得、それは食欲と等しく生理的、本能的欲求なのだ。という結論になっております。

 

人はパンのみにて生きるにあらず。

 

とは、キリスト教で信仰の必要性を説く言葉ですが、

 

赤ちゃんはミルクのみにて生きるにあらず。

 

は、愛着理論を表していると、言えましょう。

 

詳しいまとめを読んで頂くとお分かり頂けますが、安定した愛着を形成できた人は、不安なく、他人と親しい関係を持ちたい、と素直に感じ、相手が心地よく受け入れられる愛情表現ができます。

 

愛着に問題があると、人付き合いを回避したり(拒絶回避型)、過度に依存したり(不安型)、波乱万丈なツンデレ(混乱型)になってしまいます。

 

この、ラブドールに真実の愛を見つけた男達にとって、生身の女性は針金の母親でしかありません。食事、洗濯はしてくれても、わがままで、冷たい。安心して癒しを求めることができない相手になってしまったのです。

 

ドールは、文句を言わないし、裏切らない。

 

ということは、生身の女性は文句を言い、怒り、裏切る。ということです。

 

この記事は、ドールを愛する男性の妻の言葉で終わっています。

 

「冒頭の尾崎さんの妻、りほ(Riho)さんにとっては、夫の寝室から無言でりほさんをあざわらうドールの存在を振り払う日々がまだ続く。

『主婦の仕事をきちんとしている。ご飯の支度や掃除、洗濯も』と、りほさんはもう諦めたように言う。『セックスより寝る方を選ぶ』」

 

「セックスより寝る方を選ぶ」と、「諦めたよう」なりほさんが「無言であざわられている」というのは、この記事の筆者の欧米的感性なのでは? 

と思われますが、

「主婦の仕事をきちんとしている。」

という言葉には、確かに、募る不満が読み取れます。

 

以前、日本には父親がいない、と言う話を鈴木晶氏と内田樹氏が、対談本でしておられました。(大人は愉しい ちくま文庫)ということを書きました。

http://neofreudian.hatenablog.com/entry/2017/05/30/184946

お二方は、現代日本の社会問題は、父親不在の問題ではなく、母親機能不全の問題だ、ということで、一致されておられました。

日本に限らず、現代社会で女性は疲弊しています。毎日ご飯を作って、掃除、洗濯、子育てをして。仕事をしていない女性は、引け目を感じ、自分の時間を欲するも、自分を充たすことを知らない。外に出る仕事なら、金銭という、見返りを期待できますが、主婦は家内で孤立し、承認欲求を充たすこともままならず。仕事に出れば、家事と仕事の両立を期待される。不平不満を解消できず、義務感で家事を続けると、愛情はどんどん欠落し、針金の母親になってしまうのも、当然でしょう。

世話をする、ということが、愛情から分断されてしまうからです。

女性の怒りは、世代を超えて受け継がれ続けてきたものでもあるのではないでしょうか。

現代の女性は、母親が、家のことは何もしない父親の面倒を見続けることに理不尽さを感じながら育ち、母親の母親も、父親の暴力や、いつでもそこに居るのが当然という、扱いをされる母親を見て育ってきたのではないでしょうか。

大戦のトラウマを抱える男達の、時に暴力的な怒りを受け止めることで、女性も苦しんできたはずです。

日本は、被爆したことに、トラウマを集約してしまったのではないでしょうか。戦後、帰還兵のトラウマを認識できず、暴力的に振舞う父親を、美化し、男らしい、強い父親と勘違いしてしまったのが、日本の悲劇に思われてなりません。そのツケが、現代の親密になれない若者世代を生んでしまったのではないでしょうか。

この、セックスレスな若者の様に。

http://news.livedoor.com/article/detail/13344258/

母親が、父親を穢い物のように扱うのを見て育った男性は、女性を怖がり、不能感(ED)に悩まされる。大きな赤ちゃんの様な父親の面倒を、甲斐甲斐しく見る母親を見て育った女性は、男性からの愛情を負担にこそ感じはすれども、悦びを見出せない。

 

女に傷つけられることを恐れる男達の脆弱さや、男に気遣うことを面倒くさがる女達の冷酷さは、戦後の歪みや、世代を超えて繰り返されてきた、父親の母親放置、ひいては、母親の父親に対する不満が凝縮したものの様に思われます。

このように考え始めると、初めは只、ひたすら怖かったラブドールの 「お話」 は、耐え難く、辛く、哀しいものとして、私の心に圧し掛かってくる様になったのです。