精神分析のススメ

しがないメンヘル職人です。70年代のNYCを風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざしております。

正義感 と 思いやり

ツイッターで、こんなんが流れて来て

 

公共トイレで先頭になった時、入って来た泣きそうな女児とその親が長い列を見て絶望的な顔になったので 『お先にどうぞ』 と譲ったら三つくらい後ろの女が 『勝手に譲るな、後ろの人のことも考えろ』 と言うので 『じゃ私が列の一番後ろに行くわ、これで貴女の順番は元通りね』 と言って並び直した→

ら、あたしの後ろの二人も次々と並び直してその女はめでたく先頭になった ブツブツ言いながら彼女は個室に入っていったけど、いつか子供連れでトイレに並んだときに、この時のことを思い出してくれたらなと思う

 

これに対して、

子連れというだけで、勝手に譲るぽんちーなさんの方が、後ろの人達の事を考えられない、無神経なヤツ

みたいなツイートがガンガンついてて、もやっとしたので、書いてみます。

 

彼女自身、

大人げない私の返しを後ろに並んだ方が救ってくれた感じです(笑)

とも言っているので、

「貴女の順番は元通りね」が、

前頭葉がどんどん破壊されている私だったら

「手前の事しか考えられねぇケツの穴の小せぇクソババァ」くらい言いそうです)

攻撃的な返しだったことも自覚しておられるのでしょう。

 

更には、

私も子連れの時に譲ってもらった事があるし、自分が子供の時に恥ずかしながら間に合わなくて出先でおもらしして母親を困らせてしまったこともあるし、静かに並んで待ってる大人だって密かに切羽詰まってたりもするかもなのでその女性を批判するわけではないんだけど、思わず言い返してしまった(;´д`

 

ぽんちーなさんは、後ろの人がもしかしたら切羽詰まっていたのかもしれない、という想像力を持ち合わせた上で、「後ろの人の事も考えろ」という正論を振りかざした女性について、

 

結果的に彼女は多分すごく恥をかいた気分になってしまったと思うので、ベストな選択だったとは思えないけれど、私の後ろに並んでくれた人のおかげで『そんな風に思う人ばかりじゃない、貴女に賛同する人もいるんだよ』って言ってもらえた気がしてちょっとほっとしました

 

と書いているにも関わらず。です。

 

私にとって、彼女が素敵だと思える部分は、

「子連れの親子を思いやった」所ではなく、

 

「後ろの人のことを考えろ」と、正論で攻撃してきた女性に対して

「恥をかかせた」と思いやれる所 

 +

「ベストな選択は他にあったのでは」と自省できる所です。

 

後ろの彼女が本当に切羽詰まっていたのであれば、

「順番を守れ、後ろの人のことを考えろ」とぽんちーなさんの好意が「まちがった」こと(で、自分が「正しい」の)だと主張するのではなく、

「体調が悪いので、待ち時間が増えると非常に困ります」と率直に言えば済む事です。

それが素直にできず、

「そっちを思いやるのなら、従順に規則を守って待っている、こっちをちゃんと思いやれ」

という思考回路は

「正しい(良い)自分はいつも損している(悪者にされてしまう)」

という、恨みツラミから解放されない人の、心の問題です。

 

規則さえ守ることが、「正しく」「良い」と信じる人達は「ちゃんと」規則を守って大量虐殺の一端を担った、ドイツ人と同じです。

「規則」や、「上官」が悪かったので、加害者である責任感は全くなく、良心の呵責はおろか、自分は常に状況の被害者です。

 

コールバーグの説く様に、

ローレンス・コールバーグ - Wikipedia

本当の思いやりや、倫理観は、

状況に応じて、理不尽な規則はクソッ食らえと思える強い信念と規則を破る状況を見極められる柔軟性があってこそ、

獲得できる、道徳性発達の最終段階なのです。

 

生理的欲求と運動会の場所取りは別問題な気もしますが、子供が絡むと特に、こーゆー事にもなるので、「正しい自分は損してる」気持ちを鬱散できない人達が、マナーや、ルールといった、正論を持ち出して攻撃的になる気持ちも良く分かりますけどね。

 

素晴らしい対応ですね。 後ろの女性の発言も正しいのと考えてるので、貴方の対応に目から鱗でした。昔、息子の幼稚園の運動会の観覧の為に並んでいたら、近所のお母様達が、"◯◯さーん、こっちに入りなさいな"と言う行動を見た時の事を思い出しました。

 

ルールを守らない人は、本当に「悪者」ですか?

 

自分の心の奥底を探って見て下さい。

 

あなたが思いやる事を拒む「悪者」の中には、必ず、寄り添われる事なく「傷ついた自分」がいるはずです。

 

フロイトは、「正当化」とは、自我が傷つき、変化しない為の、強固な「防御」(=思考停止の言い訳)の一つである、と言いました。