精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

【安楽死】について思ったこと

ツイッター

 

「夫が10年前に多系統萎縮症を宣告された

現在は

清明な意識を保ちながら

筋肉を動かすこともできず

意思伝達もできない。

 

彼の意思を確認することはできないが

彼が

『もう殺してくれ』

と思っているとは決して思えない」

 

という「呟き」を見た。

 

安楽死などと軽々しく云うのはやめて欲しい」

 

というメッセージだった。

 

「発症後徐々に身体の自由が利かなくなり

杖から車椅子、寝たきり

食事も流動食から胃瘻へ

呼吸も気管切開から人工呼吸器へと

段々降りてきて

最後は死を待つだけ

ということは分かっている」

不治の病。

 

ツイ主は

云う。

 

「おそらく誰も自分がそんな目に遭うことを考えたら

絶対死んだほうがまし

と思うでしょう

 

私もそう思います

 

でも本人は決してそうではない

 

この今を少しでも続けたい

 

きっと本人はそう思っている」

 

私はここまで読んで

この「きっと」に盛大に引っかかってしまった。

 

管だらけになっても

今を「生きたい」と思う人も

いるかも知れない

 

生き延びるために全ての手立てを尽くして

生き続けたい

と思う人もいるかもしれない

 

私が「きっと」にひっかかるのは

治る見込みのない病と戦う彼が

どのように死にたいのか

話し合った上での

ツイなのだろうか

 

と考えてしまうからだ

 

「地獄のような毎日でも

今まだ生きている

という事実は尊い

 

その上で

 

自分がどのように死にたいのか

 

そして

どのように葬られ

悼まれたいのか

 

彼は彼女と話し合い

伝えられたのだろうか

と部外者ながら

気にかかった