精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

【性依存症】 カエデさん その3.不安と性欲の混同

前回書きましたが、

neofreudian.hatenablog.com

自慰力とは、自分を不快感から解放する能力

例えば 

嫌なことがあっても気分を紛らわせたり、

切り替えることができる能力のことです。

 

自慰=行き場のない性的欲望を解消する手段

というのは、

「不快感」に苛まれる自分を慰める手段の一つであると言えます。

 

不安や、ストレスによる不快感を解消する為に 

性的快感を。

というのは、発達した脳を持った成人に当てはめてると 

ちょっと単純すぎます。

が、

幼い子供には 

ちょっとした挫折、不安、退屈等が 

耐え難く永遠に続く様に感じられたり 

それこそ「押しつぶされて」しまう程に

強烈に感じられたりして

性的刺激を求めることが 

ままあります。

 

子供を見ていると、

生後間もない(厳密なデータはありませんが、私の感触では3-6ヶ月程の)

赤ちゃんでも、

股間をむぎゅむぎゅしたり、

お尻をもじもじさせたりして、

おや?これは、もしかしたら性器を擦って刺激してる?

という動作をする子が少なくありません。

 

保育所などでのお昼寝時間に寝られないと、

股間を毛布などに擦り付ける子供が大体1クラスに2-3人はいる、

という話を保育士さんから

聞いたこともあります。

 

私の個人的な印象ですが、

爪をかんだり、びんぼうゆすりしたりするのと、

同じくらいの割合で性器刺激を求める子供さんがいるのでは、

と思っています。

 

こういった行動を示す子供たちは 

表立って怖がりでなくても 

不安が強く、

安心できる状態を保つ自信をつけてあげられないと、

将来不安神経症に悩まされる可能性が高い 

という印象があります。

 

例えば、

友達(特に女の子)にからかわれて 

怒ると服を脱いでしまう

三才男児

 思うように物事がいかないと、

股間に手を入れてオナニーを始める

脳損傷の18歳女性の

ともすると、

性的と捉えられる行為が 

怒りや、挫折、退屈、といった

所謂「不快」な感情の表現と混合してしまうことは 

少なくありません。

 

思春期前の 

未分化な脳を持つ子供や、

事故等で脳を損傷した患者さんの 

股間を刺激する行為が、

第2次性徴を通過した 

大人のオナニーと 

同じ意味合いを持っているとは 

言えないかもしれません。

 

が、例えば 

神戸連続殺傷事件の少年の様な 

極端な攻撃性と性欲の混同の対極に

愛情と性欲の幸せな一致が 

存在するのではないか、

と私には思われます。

 

言い換えれば、

愛情と性欲の一致は、

実は当たり前の物として享受出来ない程、

幸運な出来事なのではないか、

と思ったりするのです。

 

menhera.jp

カエデさんは、

「ストレス負荷がかかると気が狂うほどの性欲に押しつぶされていました」

とおっしゃっています。

 (今気づいたのですが、てんとう虫さんが交尾してる写真ですね。)(笑)

私には、幼い頃から

「泣いているんだから!早く抱っこして!あやして!」

という要求を受け入れられなかった、

と同時に(又は)

不安が強く、抱っこしてあやしてもらっても泣き止むことができず、

股間刺激で感情の昂揚を治めようとする 

赤ちゃんを思い起こす記述です。

 

カエデさんには 

不幸なことに

自慰行為のせいで罪悪感、

自分が悪いことをした、

汚いことをした、

拒絶された、と感じた経験が 

あったのかもしれません。

 

D.W.ウィニコットという 

英国対象関係論派の精神分析家は、

欲動(リビドー)の一番最初の対象物である 

母なるモノによる「抱きしめる機能」

の重要性を説きました。

 

ブログ7日目にして 

初めて出てくる精神分析理理論です

 

精神分析のススメ って何なの? 

と思って読んでくださった方には 

前置き長すぎ(っていうか、ハズレ記事 多すぎ?)ですね。(苦笑)

 

乳が欲しくて泣き叫ぶ乳幼児は、

自分が壊れてしまう 

恐怖と絶望感を抱く

と云います。

この根源的な不安を 

乳児が克服するには、

お母さんにしっかり抱きしめられて、

授乳される経験を繰り返すことが必要である。

ウィニコットは述べました。

 

自慰力と、それに伴う安定した自我を確立するには、

この抱きしめられる経験を 

繰り返すことが不可欠だというのです。

 

カエデさんは、

自分を生物、無生物、見境なく欲情対象にできる 

「パンセクシュアリティ」 と看做しておられますが、

それは、ウィニコットの言う

「アニヒレーションの不安」 

言語獲得以前の幼児期に経験するとされる 

極限の絶望と、情動の混乱を伴う根源的不安、

いうなれば 

「誰でも、何でも良いから自分をどうにか泣き止めさせて!抱きしめて!」

という必死感を 

自分が乗り越えられた 

という実感、

この先 乗り越えて生きていけるのだ、

という確信を得られなかった故 

なのではないかと思います。

 

自慰力は、自己規制能力にもつながり、

欲動(リビドー)の対象物(母なるモノ)が抱きしめてくれることで 

満ち足り、安心した状態

(「大丈夫」と感じられることだと、私的には解釈しています)

を取り戻し、保つことによって、鍛えられます

(っていうと何だか筋トレみたいですね)。

 

自慰力が上がってくると、

お母さんに抱きしめられなくても、

そばにいてくれるだけで 

見えるだけで 

「大丈夫」な状態、

更にはお母さんが一緒にいてくれなくても 

見えなくなってしまっても 

「大丈夫」な状態に移行し、

ウィニコットの言う「一人でいられる力」が付いてきます。

 

自我確立の萌芽は 

この「一人でいられる力」に 

あるといえましょう。

 

パーソナリティ障害のB群な人々は 

この「抱きしめられる」経験が 

母親不在のせいか、

乳児期の体質・体調のせいか、

母子間の相性のせいか、

充分に得られなかった人達である

精神分析では捉えます。

 

ウィニコット大好きなので、

書きたいことが芋づる状態で噴出しました。

頑張りすぎて、ヘロヘロです。

今日はこの辺で。(嗚呼、疲れた)

 

って、こんな風に、

ことさらに疲れたと言う人はメンヘラでしたっけ?

 

確かに、かなり頑張ったので 

誰かにねぎらって貰いたい気分かも。

しかーし

勝手に好きな事書いて疲れてるんだし、

世の中そんなに甘くない。 

ので、久々に使った脳力充填にチョコ食べて寝ます。

(甘いモノ依存症…)

続きはこちらです。

neofreudian.hatenablog.com