精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

母が壊れる時

こんなRTをした後で

 

こんな記事に

anond.hatelabo.jp

 

id:yutoma233 みどりの小野さんが

「やっぱり母ちゃん可哀想」

とコメントしておられました。

 

話題のツイは突拍子もない思考の飛躍が

思わず笑いを誘うリリカルなモノで…

 

「嫁さんを焼き殺すインド人…」の流れからの

「そして北海道の米は美味い」

で終わりかと思いきや、

最後の最後に

「まだ言うんかーい!」

って感じで終わらせるトコロとか…

「あーもう、この人、言わずにおれんねんな(共感)」

となり、大変私好みです。

 

が、この一連のリリカルでシニカルなツイのクレイジーさは

日本人にアルアルな

「心穏やかではいられない」

男女の確執の真理を突いている

 

だからこそ反響を呼んだのではないか…

と思ったので

書いてみようと思います。

 

分かり難いでしょうが、RTで私が意図したトコロは

 

オッカムさんが*1

米を味わいも「感謝」もせず流し込むことで

「母」を傷つけても

「父」は「息子」の暴力を黙殺(=あってなきがモノに)する…

そのような家族関係にあって「母」の「修復」は不可能である。

 

というコトです。*2 

 

全然分かりませんかね…

 

平たく言うと…

 

親父がワガママ息子を放置する

(=コントロールできない)と

息子は「母」の「怒り」を警戒して

「大人しく」はなれども

破壊性を制御(=コントロール)できる「大人」にも

生産性のある「男」にも

なり得ません

 

という精神分析理論のお話です。

 

おっぱい理論のクライン女史曰く…

 

嬰児の内的世界では

「善い」おっぱいを提供しない母親は

「悪い」おっぱいに豹変します。

 

嬰児の脆弱な「自我」が

「善い」おっぱいと「悪い」おっぱいを

「ゼン(全)なる母」として「統合」し

「愛」するためには…

 

「悪い」おっぱい(=実は「全なる母」の一側面)

を破壊した「自我」が

 

しまったー!

つい、

うっかり

「善い」おっぱいをも壊してしもた!

 

と戦き、悔み、喪にふくすことで

自身の破壊衝動と憎悪を克服し

「善い」おっぱいでもある

「ゼンなる母」を取り戻すことが

必要である。

 

子供が「自立」し他者を「愛」し得るには

自身の破壊衝動により

壊してしまった「旧い」対象と自我を弔い

「感謝」と「謝罪」を通じて

恒常的に

自他の関係性を修復し得ることが必要である。

 

って感じでしょうか…

 

つまりは「破壊性」を制御し

「創造性」に昇華することが必要である。

ってのは如何でしょうか…

 

…(この時点で離脱率何パーセントなんだろう…)

 

オッカムさんのツイートに沿って言うなら

 

「美味い米」を提供しない「母」

「敵」

つまりは「悪いおっぱい」

ということです。

 

「息子」は

ダークサイド堕ちした「母」と戦うために

「父」との同一化を果たします。*3

彼は父親の

「白米に汁をぶっかけ」て食べる行為に*4

「母」の愛を「否定」し「拒絶」する

暴力性を見出します。

 

「息子」が「父」と同一化して

「母」を拒絶し続けたことで

「母」はキレます。

 

「泣き出した」という描写なので

「悲嘆」と「激怒」が相まられたのでしょう…

 

泣き崩れる「母」を前に

「息子」が「謝罪した」

という描写はありません。

 

彼は自分の感じた「怒り」や「破壊的衝動」を

振り落とした「憑き物」として

あたかも「自分」のモノではないかのように

(ツイートでは)振る舞います。

 

しかし…

「母」がダークサイドに堕ち

美味い米を提供できなかった理由は

一体何だったのでしょうか…

 

「息子」の繊細な感受性を

理解できない愚鈍な「母」

という解釈もアリましょうが…

 

ツイートからは

「父」に不満を抱いていた

というのが最大の要因だったことが伺われます。

 

「母」が「息子」の要求に応じられないのは

「父」の稼ぎでは無理だからなのです。

 

かくして「息子」は

ケチで口先だけで

「母」を充足させられない

「無能」な「父」に

共感し、同一化します。

 

「父」は「無能」だ

となじる「母」は「敵」となり

「戦争」が勃発します。

 

品種改良という現実的「革命」も

無能な「父」とキレる「母」の「戦争」の火種に

油を注ぎます。

 

「北海道の米は美味しい」

と言いながらも

「息子」は既に「汁をかけて食べる米」を

「スタンダード」として受け入れ

「コメ自体の美味さを求めるのは信仰」である

と「母の愛」に幻滅し

理不尽だった自分の「攻撃性」に恥じ入るが故

「感謝」も「謝罪」も「修復」も

必要ないモノであるかのように

振る舞います…

 

勿論オッカムさんの「リアル」な親子関係に

「感謝」や「謝罪」や「修復」が見出だせない

というのは浅薄な解釈です。

 

彼のツイートの微笑ましさからは

「悪かった」とか「有難う」等、

「言わなくても分かっている」という

家族間の「信頼」が滲み出ます。*5

 

私的には

忌むべきは

素材で勝負する「美味しい北海道米」ではなく

勿論、不味い飯を美味しく頂く創意工夫=「味噌汁」でもなく

「愛」とヨロコビという

「真理」を見失い

利便と効率を妄信的に追求する

歪んだ「知性」と「技術」なのではないか

 

と思います。

 

知性が独り歩きしない為にも…

心に愛とヨロコビを取り戻す為にも

ぶっかけた「汁」の破壊性に

「父の愛」と「知性」と「技術」の融合を見出し

生産性に繋げる為にも

精神分析を御査証頂ければ幸いで御座います。

 

追記:おのしゃんから、こんなお返事を頂きました。

yutoma233.hatenablog.com

オッカムさんのツイのクレイジーさは

「イヤと大声で言っているのに食わざるを得ない」文化

つまりは #Metoo 案件多発地帯のクレイジーさでも

あるのだ!

とひらめいたので、蛇足ですが…

 

オッカムさんの(ツイで描かれた)家族は

やはり

「否」と言うべき「父」が機能しないが故

「母」が機能不全に陥ったシステム(=家庭)

とも言うべきでしょう。

 

只、好き嫌いモンスターが

絶賛肥満+糖尿病にガンガン侵される

メリケンの「イヤなら食わない文化」が

不健康な歪を生み出している。

とも感じます。

 

好き嫌いは自己実現の可能性を狭めます。

 

世のお母様方におきましては

「父の愛」に充足する「母」を心に抱くことで

「息子」は母の愛を感謝をもって享受し

イヤなモノには「否」を突きつける「力」を行使できる

強く優しく素敵な「男」になり得る…

 

ということを念頭において、

旦那様と睦まれることをオススメ致します。

合掌

 

睦みあえない男女の悲劇については

こんな記事も書いてます

 

鬼嫁に魅せられる男達 - 精神分析のススメ

拒絶しあう男女 ラブドールとセックスレス - 精神分析のススメ

*1:オッカムの刃=シンプルイズベスト、私も好みなフレーズです

因みに日本語では別名「ケチの原理」とも言うそうです…

*2:因みに「父」「母」「息子」は理論上の概念であり、

例えば母子家庭でも母親が「父」の機能を果たすとか

「息子」が実は娘であったりもします

*3:「おっぱい」問題は「口唇期」の飢餓

で、次の「肛門期固着」の症状は「ケチ」ですが…

味噌汁を「肛門期」に引っ掛けて解釈すると

ドン引きされそうなので

今回は見合わせて

「ぶっかけ」という言葉にも示唆される

その次の男根(エディパス)期

に飛ばせて頂きます

*4:ここで「母」を汚し辱める…

という解釈に走ると

肛門期固着の性愛嗜好が明らかになりますが…

自粛します

*5:実は母が一人で激オコという可能性もなきにしもあらずですが…

労働のヨロコビ と 成功の罪悪感

私が勝手に思い入れてるブロガーさん

いっしーさんへ - 精神分析のススメ

が久し振りにアツイ記事を上げられており

www.issizzz.com

イロイロと触発されてしまったので

イキオイに任せて書いてみようと思います

 

本来なら労働のヨロコビについて

(せっかくももはなさんからも頂いたリクエストを放置しているので)

however-down.hatenablog.com

書くべきなのでしょうが…

 

イマイチ言葉が出てこないので

いっしーさんが

「こいつだけはマジで分からん。最初から最後まで見ても、後日談を調べても意味分からん。」

 

と言われる彼について、書いてみます

 

因みに後日談は、この方のまとめを参考にしました

komatsudayohei.jp

 

いっしーさんの様に、マジメにコツコツ地道に頑張る人には

決して理解できないと思います

 

何でこんなエエかげんなヤツが

実現できそうもない荒唐無稽な計画を立てて

「絶対ヤリます!」

という無理口を叩いてアカの他人を丸め込んで

2000万円近くのカネを

正に「投げ」て貰っておいて…

 

やる気が失せてしまった

 

と、期待を裏切るようなマネができるのか…

 

話は逸れますが…

 

この「マネーの寅」って番組、面白い…

ハマりそう…

 

私はリアリティ番組あまり好みでないのですが…

 

カネ出したるで!

って感じにキップの良い(?)おやっさん(及びおっかさん)が

若き(?)才能に出資するなんて

トランプのアパレンティス(徒弟?)なんかより

ずっと崇高なテーマで好もしい

 

「投資」って、そーゆーコトだと思います

 

カネでカネを儲けるのが「投資」だなんて思ってはイケナイ

 

惚れ込んだ(=成長が見込める)相手にカネを投げ与える

 

それだけの度量と覚悟がなければやってはイケないことだと思います

 

だからこそ、堀之内氏の

「君、僕のこと好き?」

という

ビジネスマンが…訊くんかーい!?

な質問がある意味「投資」の真髄を突いている気がします*1

 

閑話休題

 

で、かいえい氏に話を戻します

(全くの自由連想で申し訳ないのですが…

彼の名字…

Jay-Z に並ぶ天下のお子様ぱっぱららっぱーの

かーにえ? に聞こえるの私だけですか?)


Kanye West - Stronger

 

編集でカットされているのか…

彼のお話は、あまりにも波乱万丈スギで

確かに理解不可能です

 

後輩の死の衝撃から逃れるために

高校もろくろくにブラジルに渡り

サッカー選手になるも

後輩を死なせた罪悪感に苛まれ

足の怪我を機に帰国

人生の目的を見失うも

結婚して子供もつくり

(車整備?の)ビジネスを始めるが…

武道館デビューしたいからって

何で会社潰してまでしてマネーの寅に出演する?

 

もう、このお話だけでも

辻褄合ってないし

わけわからんヤツ

ってなりますわ

 

な の に

2人の寅達にカネを出させる…

 

どーゆーことよ?

 

ってなりますわ

 

以下、全くの私の妄想です

誤使用の注意をお読み下さい

免責事項 自己紹介に換えて - 精神分析のススメ

 

かいえい氏の様に、

なんでもさらっとこなす

マルチに天才な方、たまにいます

 

勉強してないのに

成績が良いヤツ

 

練習しないのに

スポーツ得意なヤツ

 

ギター持ったの初めてなのに

「何となく」弾けちゃうヤツ

 

居ませんか?

 

「努力」しないでもそこそこ何でもこなせる

器用な人は

案外周りに居るはずです

 

でも…その人達が本当に名を上げることは

なかなかありません

 

「達成感」を味わう程の「努力」を費やす前に

ま、これくらいで、いっかー

と「満足」してしまうからでしょう

 

頑張って挫折するくらいなら

努力なんてしたくない

と、いうのもアリかもしれません

 

が、それらは私共、分析家としては

所詮「意識」に上がってくる「表層」の理由であり…

 

努力して本当に成功してしまうのがコワイ

エディプスコンプレックスに端を発する神経症である

 

という診立てから

被分析家の内面世界に入ってイキます

 

かいえい氏の「後輩の死への罪悪感」は

 

自分の成功(=子供の自立)の裏には

他者の敗北(=親の死)が潜んでいる

 

つまりは、エディプス神話に集約される

 

父王の死=自分が王座につくこと

=父に対する勝利=大人の男になること

 

という「自立」にまつわる両義性でもありましょう

 

5歳くらいから、男児

ロマン(=決して手に入ることのない母)を求め

(父に)「勝つ」ことにこだわり始めます

 

その時期に「理想の父」を喪失すると*2

人生において「勝つ」ことに

克服し難い葛藤が生まれてしまいます

 

かいえい氏はマネー成立の為に

「仲間になって下さい。失敗はしません」

と寅達に訴えます

 

彼の「不安」は自分が敗ける(失敗する)ことではありません

 

勝って(成功して)「大切な仲間」を失うことなのです

 

故に…

「勝つ」ことが不可能な…

デキもしないような荒唐無稽な計画を

立てるのです

 

しかし、何でも器用にこなす彼は

その無謀さ故に

「もしかしたら…」

と寅達の「男のロマン」をくすぐります

 

かいえい氏は

カネを手にした時点で

「新しい仲間」を「勝ち」得てしまいました

 

それは「負けて」犬死した後輩に対する

「裏切り」でもあります

 

痛烈な罪悪感から、鬱状態に陥り

何もできなくなるのも当然です

 

かくして、彼は

「仲間を裏切る」トラウマを反復し…

「新しい仲間」を失い…

自虐のスパイラルにハマります

 

才能あふれる彼が「成功」を不可能にする

神経症の軛から逃れるには…

 

後輩の死への罪悪感から自分を解き放ち

強い「責任感」をもって仲間を育てられる大人になる為には…

 

もう皆様お分かりですね

 

精神分析で根源的幻想を探求し

喪われた「仲間」から自分を解き放ち

新しい可能性を見出すコースが

イチオシで御座います

*1:最初は

なんや、このイヤらしいおっさん?

と思って観ていたのですが…

これまた欧米人だったら絶対出資しなさそうな

マジメだけど口下手、ダサダサな

家具職人さんに一目惚れして

「口も出すが、カネも出す!」

って申し出を結局振られていて

うーん、可哀想に…ってなりました

*2:例えば…

「父」が再起不能な程ヤラれてしまう=「対象」の喪失=

理想への幻滅

真逆に「父」にこてんぱんにやっつけられてしまう=「自我」の喪失=

自己不全感

の悲劇を反復する…トラウマとなってしまいます

【逢仏殺仏】「強い」ということは…

強い自分って何だ…?私の昔語り。 - 死体を愛する小娘社長の日記

 

上の記事で、ももはなさんにご回答を頂いたので

思うトコロを書いてみます

 

ももはなさんも書かれておられますが、

「強い」定義に「正解」などありません。

 

私の見解は「自分は強い」と感じておられる

ももはなさんに対して

あたかも「本当はそーではない」と主張しているかのような

印象を与えてしまうかもしれませんが

ブログで知り得た「ももはなさん」という仮想人物に

これまた貴方の想像の産物である「私」が

全く身勝手な妄想を繰り広げているだけ。

とでも思ってお読み頂けたら幸いです。

 

とりあえず、使用上のご注意をお読み下さい

neofreudian.hatenablog.com

 

常々感じていたのですが…

醜悪で極悪非道な同業者をやっつける

漢で「強い」ももはなさんのイメージが…

上記の記事で出てくる「パパ」とか

「ネズミ」もとい「オオトカゲ」とか

この記事の

キレるという事を理解した瞬間 - 死体を愛する小娘社長の日記

ノロイ」とか…

 

ウケを狙っている…?

のか、はたまた

恐怖や、忌避感を喚起しようとしている…?

のか…

可愛さをアッピールしているのか…

うーん、微妙すぎで、ドキドキします…

 

ももはなさんが、疑いの余地もなく「自分」を

「正義の味方」

であるかのように描いていたら

私はきっと …

彼女に心動かされることはなく

そっとブラウザを閉じていたことでしょう…

 

猛女ではあるが、女傑ではない

という言葉には…

 

愛する母との同一化に葛藤を抱え

猛毒を吐き「強い」ながらも

自らを快く「傑」とは言い切れない

ももはなさんの不全感が伺えます

 

という印象から、つけたコメントだったのですが…

 

御回答、及び続記事

オオトカゲの女王様は、棺桶の中で昼寝する - 死体を愛する小娘社長の日記

からもその印象は強まるばかりでした。

 

ももはなさんに限らず

人は皆「自分」という存在に

不可避な「欲望」と

それに伴う「破壊性」が故に

葛藤を抱く

というのが精神分析の鉄板で御座います。

 

エディプスコンプレックスの元ネタである

ギリシャ神話でも

ゼウスは父のクロノスを殺し

クロノスは父のウーラノスの性器を切り取って追放した…

クロノス - Wikipedia

という…

まあ…

なんと申しましょうか…

壮絶な父殺しのドラマが

あっちでもこっちでも繰り広げられております

 

新しいモノを生み出し

真の創造性の発露を可能にする為には

「父」という既存の権威を排除しなければならない

 

旧き良きモノを失う恐れから…

「父」は時に「息子」を殺し

殺意に晒されながらも生きながらえた「子」は

「親」を殺し、血みどろの手で

新しい王国を建国します

 

創造という過程には

時に

悲劇的で

暴力的で

壊滅的なダメージを伴います

 

ということで…

 

かの岡本太郎氏のおかげで

最近流行りなのでしょうか…

自由なネコさんも書かれておられますが

臨済禅師は言った。逢仏殺仏(ブッダに会ったらブッダを殺せ)と。+追記 - 自由ネコ

ももはなさんの語られる「逢仏殺仏」には

ギリシャ神話の「親殺し」の「象徴」に通じるモノがあると感じます

 

「逢仏殺仏」は既存のシガラミからの開放を以て

「解脱」を説きますが…

 

ももはなさんの「逢仏殺仏」は

「しかして何の感情も抱かず無字の境地」

で締めくくられています

 

仏を殺しても

父母を殺しても何の感情も抱かない

… 

ももはなさんの「解脱」の比喩は限りなく

凄絶な戦場から生還した兵士の「トラウマ」に近いモノがあるように

私には思われます

 

「安心感」を得るために殺戮の高揚感を繰り返さざるを得ない

自らの「毒」を痛切に把握するももはなさんが

自社の部下たちを養い育てる為に取った選択肢が

「白米と味噌になる」

というのは彼女がたゆまず御自身の葛藤を見据え

克服する努力を続けられた所以の「真実」であり、

「自信に裏付けされた強さ」でもあると感じます

 

私がももはなさんに初めて出会ってダダ泣きした(今読んでも泣ける…ヤバい)この記事で書かれておられるように

however-down.hatenablog.com

 

「汚い」死体を「キレイ」にすることで

醜悪で忌避される「死」をも

美しい追憶の要と成し得る

慈愛あふれる「私の」ももはなさんが

自らの「毒」をも「薬」とし

「女傑」な自分を輝かしく受け入れられている

と(私が)感じられるには

やはり、破壊性を制御し、

悲劇的な壊滅を回避する「可能性」を生み出す

「理想の父」なるモノへの葛藤についても

是非とも語って頂きたい

 

というトコロで…

まあ…

「本当」には知りもしない「ももはなさん」について

勝手に色々決めつけるようなことを書いてしまいましたが

… 

こんなに色々、精神分析の現場では分析家は言いません*1

とだけ付け加えて本日のトコロは終了させて頂きます

*1:取り敢えず、被分析家に徹底的に話して頂きます。

「猛女」について。

「女傑」について。

「パパの生き様」について。

頭目(ファザー)〜!!!」について。

ノロイ」について。

「逢仏殺仏」について。

そして…「生む!」と言った母と、

困惑顔の父について。

何でもかんでも洗いざらい吐露(=自由連想)して頂きます。

そして…

「解釈」は常に被分析家の口から

ポロっと出る時が一番「効き目」がある。

というのが私の印象です。

【ダルちゃん】ダルダルな自分を受け入れるということ

ダルちゃん、終わってしまいました…

 

がっかり…というか…寂しいというか…

 

微妙なトコロですが

 

ああ、やっぱりそこに落としたか…

 

って感じです。

 

ダルちゃんシリーズの最初の記事で、

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

ダルちゃんは自己肯定感のない人説

を説きましたが…

この記事で

【資生堂のダルちゃん】 愛し 愛される幸せの 奇跡 - 精神分析のススメ

あ、やっぱ、ちょっと違ったかな(*ノω・*)テヘ

と撤回致しました…

 

ダルダル星人の比喩は実は

「ふつーじゃない」自分に対する

自己否定感を表すモノではなく

母なるモノから分離し自我を確立し得なかった

「未分化な自我」

を表していたのでは…

 

というコトで落ち着いていたのですが

 

最終回に至る流れからは…

 

父なる理想を自らの内に見出し

母なるものから「分離」することを拒み

「未分化」なまま「母」となることを成し遂げる

自我のお話

 

って感じでしょうか。

 

サトウさんの彼に紹介されたダルちゃんは

彼が「堂々と」ダルダル星人でいるトコロを見て

「だってそんなの普通じゃない」

と激昂します。

 

普通じゃないから

いつも何かになりきらなきゃ

と感じて「頑張っている」人が

ダルダルでいられる「他者」に怒り、攻撃的になるのは

至極当然なことです。

 

だって、自分に許し得ないことを

他人が平気でしているのですから…

 

「何かに」ならなきゃ…

と頑張る人達は*1

「普通」は「自己否定感」の強さ故

忌避する「ありのままの自分」を否定するあまり

他者に「否定した自分」を「投影」し、

思う存分攻撃します。

 

コウダさんの言葉にダルちゃんが分解してしまうのは

自分と「同じ」ダルダル星人である

彼を攻撃することで

自分をも攻撃した

ダルちゃんの

自我の崩壊

が描かれている

と感じます。

 

私にとって

ダルちゃんのお話で唯一モノ足りない

トコロがあるとすれば

ここの部分です。

 

「古い自我の崩壊」は一筋縄ではイキません

少なくとも心理療法の現場では…

 

愛するモノを守るために

攻撃性を圧し殺し

拒絶され、否定される

イタミから自分を守るため

頑張ってきた「古い自我」は強固です。

 

いままで、頑張ってきた自分を手放すのは

とてもコワイことです。

 

責めたい気持ち、

「私はあなたとは違う!」

と声を上げたい気持ち

どうしようもない怒りの感情に

どうしても翻弄されてしまうものです。

 

共感する立場のセラピストも

その怒りを前にして冷静に

「存在しないまぼろしを幸福の鍵だと思ってはいけない」

等と「解釈」できなくなってしまうことも

ママあります。

 

又、そんな「解釈」が更なる怒りを呼び起こすことも

ママあります。

 

ところが

 

場面はあっさりと変わり

ダルちゃんは

詩作に没頭します

 

自己破壊のイタミを創作で昇華し

自分を刷新する

ダルちゃんは

理想的な「被分析家」と言えましょう。

 

ママ(もどきヒロセさん)から拒絶された

トラウマを克服し

「分離」を果たし、

「自我」を確立するには

外界への興味関心

「発達」の方向性を指し示す「父親的」ナニかが必要です。

 

ダルちゃんに

「普通であることは幻想でしかない」

と教示し、

ダルちゃんを「古い自分」の価値観から解き放つモノが

もう一人の「母」的存在であるサトウさんの恋人である

定石ならば、

抗い難い魅力を感じるか

徹底的に憎む対象となる筈なのですが

ダルちゃんにとっては「母」にくっついてる付属品にすぎない

扱いなのは

「父親不在」と言われる日本人の内的世界を象徴する

という点から大変興味深いトコロです。

 

女児にとって「父」なるものは

「母」に属し

自分には手に入らないモノである

 

そのことの絶望感を象徴するかのように

ダルちゃんは

理想の「父」になりえない

ヒロセさんと決別する決心を固め

サトウさんを心から祝福し

コウダさんを(母なるモノの)パートナーとして

無条件に受け入れます。

 

「理想」としての「父」を「求めない」選択は

「自我」を確立することを放棄することでもあるハズなのに…

 

ダルちゃんのお話は

喪失感に充足を見出し

終わりのない鬱に安寧を求める

「諦観」で終わりを迎えた

と私には感じられます。

 

それは期待することを諦め

裏切られることを拒否し

心穏やかに

ダルダルと、フルフルと

生きる決意なのかもしれません。

 

このお話に共感する皆様には

例えば…

 

精神分析で「理想の父」を回復することによって

ウィニコット様の言われる

【資生堂のダルちゃん】 母親に否定されるということ - 精神分析のススメ

アドレナリンがんがん

多幸感の高揚に浸る「本当の自分」を回復して

自己実現を果たす

という「もう一つのハッピーエンド」の可能性も見出だせます…

 

と申し上げたいトコロです。

 

ダルちゃんシリーズ、これで10記事にもなりました…

楽しみにしていた連載が終わってしまって

寂しい…

と共に

私の戯言にお付き合い頂いた

皆様におかれましては

厚く御礼申し上げます

*1:杉田水脈氏とか、そんな感じですね

自覚なく破壊力ありすぎな言葉の暴力を振るうトコロが…

炎上CM と 分かりやすい「正義」の欠如

しばらく前になってしまいましたが…

この記事の著者に、めっちょこカシコイーと、シビレてしまいました

finders.me

ブコメでも書きましたが、

今まで読んだ中で一番、「アメリカで今、起こっていること」が

うーん、納得!

できる描写だと思います。

 

ナイキの宣伝はターゲット層が熟考されているため

頭の固い白人層は怒って離脱してしまったものの、

スポーツ用品を買う大多数のマイノリティ+小金持ちリベラルな若者には

受け入れられる

上手な炎上だったが

牛乳石鹸とブレンディの宣伝は

獲得ターゲット層(=男性は石鹸もミルクコーヒーも買わない?)

を誤ったが為

下手な炎上と相成り、売上が落ちた。

という主旨で

うーむ!流石はマーケティングのプロ!

 

と唸らせる明晰な分析も素晴らしい。

 

とはいえ、ナイキの炎上と日本の炎上では、

ターゲット層を超えた根本的な「倫理」の取扱が

成功と失敗の分け目になったのでは…

と感じるので、書いてみます

 

ナイキの宣伝については、上記の記事に書かれているように

 

黒人差別問題に抵抗する選手を讃えるという

 

政治的に明確で「正義感」に訴える崇高なメッセージがあります

 

牛乳石鹸も、ブレンディも

世の中の矛盾や「建前」に肉薄する内容ではありながら

そこを切り崩したからといって

「すっきり」キレイに「正義」を感じられないトコロが

強烈なインパクトは与えられたものの

広告としては失敗した所以ではないか

と私には感じられます

 

私もしばらく前に3記事(!)にも渡って書きましたが

(そこまで思い入れていたとは…自分でもびっくりです)

牛乳石鹸で、「さ、洗い流そ。」では済まされない時。 - 精神分析のススメ

牛乳石鹸を嫌悪する人々は MBTI の F (感情型)なだけ? - 精神分析のススメ

牛乳石鹸と、父親不在 - 精神分析のススメ

 

この方が秀悦な分析でまとめられておられるように、

mistclast.hatenablog.com

 

牛乳石鹸の炎上案件は

 

お父さんも思うトコロあって、

父親として頑張ることに心を注げない

という…

乗り越えがたい葛藤を抱えているんだ…

という

このポスターもそうですが、

日常のストレスから

特に(意識的に)相手を憎悪する理由もなく

理不尽に他者を傷つけてしまう罪悪感を

キレイさっぱり洗い流しましょう

 

という

まあ

そんな、石鹸なんかで

ストレス洗い流すのは良いんですが

罪悪感まで、簡単に流しちゃって良いの?

 

と、何でも水に流しちゃう日本人としては、

男女を問わず

虐める側、虐められる側を問わず

意識に浮上させたくもない罪悪感を喚起されてしまうが故

微妙に「不愉快」なテーマです

 

マクベス夫人が血みどろの手を洗い流そうとしているトコロに

キティちゃん…はオランダ人なので…ポプ子等

日本人御用達のカワイイ(?)キャラが

「はい、牛乳石鹸なら、キレイになるよ!」

と石鹸を差し出すくらいなら、

皆そこまで居心地悪くはならなかったのではないでしょうか

 

ブレンディの宣伝は

私も観てギョっとしました…

日本の広告業界、トンガッてるなー

又々、この方の

日本の若者=畜牛*1

というメタファーを使って

自社イメージを「売った」点が炎上した所以

という分析に感激したので、貼っておきます

mistclast.hatenablog.com

 

卒牛式で…就職先ならぬ、就牛先が…

如何にもヤンキーな若牛は闘牛場に…

真面目そうな男牛も食肉産業に…

 

生き残れる牛は「エンターテイナー」でしかない…

 

究極的には

モノを生み、創り出すこと=(資本家に)搾取されること

にしかならない「資本主義」経済の歪みを

如実に描いていると感じます…

 

ブレンディのえげつない宣伝は

ユーチューバーになりたい

昨今の子供達の

ディストピアな世界観を

表現しているのではないでしょうか…

 

子供時代を卒業することで

男は食いつぶされ、女は性的に搾取される

という日本社会の歪みを風刺するモノだとしても…

凄惨なイメージがあまりにも生々しく想起されて…

最後の校長先生の好々爺オーラと相まって

もー、えげつない…としか言いようがない… 

 

牛乳石鹸も、ブレンディも…制作者の

ブランドのイメージを刷新し

商品を「売り込む」という表向きの意図は

失敗したけれど…

日本の近代化に伴う欺瞞*2や歪*3如実に…鋭く浮き彫りにした

「芸術作品」としては

ナイキの「わかりやすい正義」のプロパガンダに匹敵する

完成度の高いモノだと

私には感じられます 

*1:社畜って、この宣伝の後に流行った言葉なのでしょうか…

*2:罪は水に流してしまえば、OK!

それがダメならハラキリの美学がある!

的な…

原罪の重責に耐え忍ぶ欧米人にしてみたら理解不可能な

日本人独特な「倫理観の欠如」に対する受容的態度

*3:性愛も食もカネで買えるモノでしかなく

資本主義経済という冷酷なシステムに組み込まれた

「個人」は家畜と変わりない

汚い「父」なるモノへの失望 と 大人になれない僕ちゃん達【レペゼン地球のDJ社長】

 

 僕ちゃん達、ポップティーンのモデルになる!

というレペゼン地球の「夢」について書いたは良いものの...

【レペゼン地球】とDJ社長の夢 - 精神分析のススメ

余りにもワケ分からないのでリベンジしたり…

【DJ社長】の傷:汚い大人は嘘をつく - 精神分析のススメ

なにかとレペゼン地球のDJ社長が気になる私です

【レペゼン地球のDJ社長】と アラーキー - 精神分析のススメ

【レペゼン地球のDJ社長】と ポール・ゴーギャン と ブルーノ・マーズ - 精神分析のススメ

 

ちょっと前の話題になりますが…

 

7月くらいに、彼等のYoutubeのチャンネルがBANされて

もーどの動画見たのかもわからなくなっているので

ざっくりとした印象ですが…

 

BANされても最速でチャンネル登録者数が増えてる、

やったー

みたいなお目出度いニュースが流れてきた後、

プレゼント企画をやっておられました

アヤシすぎる…

お金は一体どこから出てるんだろ…

と思ってたら、

今度は幕張メッセでイベントだそーです

彼、騙されて借金してるって話でしたよね…

トラウマの反復衝動にハマってそーで…

大丈夫…?

又、誰かに上手いこと騙されてない?

ってなります

 

彼の昔のチャンネルで、

女の子にお化粧をしてあげる

という動画があって

見るからに

虐待の闇がにじみ出てる女の子の顔を

おもちゃにしてる画像が

はっきり言って、めちゃくちゃ怖かった

自分の顔をめちゃくちゃにされて

只ひたすらニコニコ笑ってる

女の子も含めて

ホラーだと感じました

DJ社長が実際に犯罪者予備軍だとは思いませんが

コンクリート詰め殺人事件の犯人が

暴行事件を起こしたニュースを

ちょっと前に見ました

 

あの事件を起こした子供達も

きっとこのノリで被害者をおもちゃにして

エスカレートしていったのだろーな

と思ったら

彼の動画を無批判に楽しく閲覧できる人が

沢山(イイね千超えてたと思います…)いるという事実が

めちゃくちゃコワくなりました

 

DJ社長の底抜けの明るさと

子供じみた大盤振る舞いには

痛烈な自己否定感と残虐な暴力性

が潜みます

 

自分でもきっと分かってはいるのでしょうが

それにしても酒飲み過ぎ…

 

理不尽で残酷に子供達を欺く社会に盾付き

規範を「否定」して笑い飛ばすだけでは

真の自由は得られません

 

好きなコトして生きていく責任と覚悟を説く反面

周囲から「期待される」ことを重荷に感じ

皆に「がっかり」されるのが当然

と、あえて「信頼」や「期待」を裏切る行動を取り*1

「所詮俺たちは子供だから…」

と笑う彼等を見ていると…

 

期待してやまない「父」なるモノに理想を裏切られ

見放されたトラウマを克服できず

強がる子供達の悲劇を目の当たりにしているようで

やりきれません

 

幕張メッセ、皆で楽しんで

採算が取れて借金も返せると良いのですが…

大丈夫なのでしょうか…

 

まあ、DJ社長なら、騙されようが、盛大にスベろうが

次は絶対上手くいく!

と常に刷新されるトラウマに

新しい結末を付けることを思い描いて

前向きに突き進むのでしょうが…

 

彼が汚いオトナの嘘と

裏切りのトラウマの「負の連鎖」にハマり、

子供達を騙す汚いオトナに成り下がってしまうのか

裏切りと失望の物語に「終わり」を付け

「愛」を深め

創造性を発揮できるのか…

ちょっと…いや、スゴく楽しみです

 

追記:4月2日に活動休止のお知らせがツイッター上でありましたね

https://twitter.com/neokleinian/status/1113242190166335488

闇を克服して…「偉人」になれるのだろうか…

ゴーギャンみたいにヤクづけになって孤独死のパターンな気もする

 

そうなる前に是非とも

精神分析をお試し頂きたい…

 

*1:彼等のYoutube動画には、まだ「見せる」工夫が凝らしてあるけど…

はっきり言って、音楽は恥ずかしい…

聴いてるだけで…

あんたら、本当にカネ取って客集めて聴かせられると思ってるんかい?

ってなると同時に…

「他人を笑わせたい」

きゃりーぱみゅぱみゅみたいになりたい!」

と、ゆー素直さに、

うんうん。お客さん沢山、来てくれて、楽しい時が過ごせると良いね

という気持ちにもなります…

炎上している 【新潮45】 について

モヤモヤするので書いてます

 

ツイッターランドでは

杉田水脈氏のLGBTは生産性ない発言を擁護する特集が酷すぎる

と盛り上がっています。

 

この記事、

『新潮45』批判を文芸書編集部が繰り返しリツイート 新潮社は「言論統制していない」とコメント

文芸書編集部さんのヒロイック(英雄的)なリツイートの流れは

読んでて私も涙がちょちょ切れて心は震えますが…

 

ウワサの固定ツイート…

 

「良心に背く出版…云々」が、

自分が「邪悪」と信じる言論は良心に背くので世に出せない

というのは出版社としてどうなの?

 

と感じるのは私だけなのでしょうか…

 

特集に寄稿して炎上している方達の論旨に私は決して賛同は致しません

 

が、

 

杉田氏の意見に同意し、擁護する人が居る

という(大変衝撃的な)事実は彼らを黙らさせても変わりません

 

杉田氏のモト記事への反論があまりにも暴力的だったからこそ

今回のようなヒドイ記事が世に出たのだと

私には思えます

 

アメリカでも、トランプ支持層を生み出したのは

オバマの勝利に酔い

「彼ら」を「正論」で沈黙に追いやったリベラルだった

というのが私の所感です

 

正義、正論を以て「彼ら」を「無知蒙昧」で「非人道的」と喝破し、

一時的には沈黙させることができたとしても

「彼ら」の「不満」は募り、暴力的な発露の機会を伺うのみです

 

フロイト教授も仰っております

押さえつけられた欲動は後に醜悪な形で私たちに襲いかかる

と…

相手の正気を疑い、耳を閉ざし、「クサいモノには蓋」をしても

「彼ら」の暴力を抑制することはできません

 

他社のアカウントさんも新潮文芸部さんに賛同の意を示しておられますが…

 

それでは「彼ら」の「見ているだけで不愉快だから見せるな」と同じことをしてしまっているのではないか…

 

とモヤモヤする私です

 

あなたの「殴られたのだから」殴り返したい気持ち、

「排斥されたのだから」排斥したい気持ち、

見たくない、聞きたくない気持ちの奥底には…

「自己正当化」の防御の影には…

一体、何が隠されていますか?

 

ソコに対峙しない限りは

きっと…

後に醜悪な暴力が私達に襲いかかることを避けることはできない

と私は懸念致します

 

追記:誰が「悪い」という話では決して御座いません。

只、殴りかかったのなら、相手も死に物狂いで殴り返してくる可能性は高くなるので…

どんなに「正当な」理由があっても暴力は不毛だ

と私は信じております

という話です。

じゃあ、どうすれば良いのか

というご質問が御座いました

 

精神分析的に申し上げますと…

 

内面に潜む「彼ら」との対話を試みます

コワイです

それくらいなら無視したくなります

破壊し尽くしたくなるような怒りを覚えるかもしれません

それでも面と向かい逢うのです

それを被分析家と一緒にヤルのが分析家でございます