精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

炎上している 【新潮45】 について

モヤモヤするので書いてます

 

ツイッターランドでは

杉田水脈氏のLGBTは生産性ない発言を擁護する特集が酷すぎる

と盛り上がっています。

 

この記事、

『新潮45』批判を文芸書編集部が繰り返しリツイート 新潮社は「言論統制していない」とコメント

文芸書編集部さんのヒロイック(英雄的)なリツイートの流れは

読んでて私も涙がちょちょ切れて心は震えますが…

 

ウワサの固定ツイート…

 

「良心に背く出版…云々」が、

自分が「邪悪」と信じる言論は良心に背くので世に出せない

というのは出版社としてどうなの?

 

と感じるのは私だけなのでしょうか…

 

特集に寄稿して炎上している方達の論旨に私は決して賛同は致しません

 

が、

 

杉田氏の意見に同意し、擁護する人が居る

という(大変衝撃的な)事実は彼らを黙らさせても変わりません

 

杉田氏のモト記事への反論があまりにも暴力的だったからこそ

今回のようなヒドイ記事が世に出たのだと

私には思えます

 

アメリカでも、トランプ支持層を生み出したのは

オバマの勝利に酔い

「彼ら」を「正論」で沈黙に追いやったリベラルだった

というのが私の所感です

 

正義、正論を以て「彼ら」を「無知蒙昧」で「非人道的」と喝破し、

一時的には沈黙させることができたとしても

「彼ら」の「不満」は募り、暴力的な発露の機会を伺うのみです

 

フロイト教授も仰っております

押さえつけられた欲動は後に醜悪な形で私たちに襲いかかる

と…

相手の正気を疑い、耳を閉ざし、「クサいモノには蓋」をしても

「彼ら」の暴力を抑制することはできません

 

他社のアカウントさんも新潮文芸部さんに賛同の意を示しておられますが…

 

それでは「彼ら」の「見ているだけで不愉快だから見せるな」と同じことをしてしまっているのではないか…

 

とモヤモヤする私です

 

あなたの「殴られたのだから」殴り返したい気持ち、

「排斥されたのだから」排斥したい気持ち、

見たくない、聞きたくない気持ちの奥底には…

「自己正当化」の防御の影には…

一体、何が隠されていますか?

 

ソコに対峙しない限りは

きっと…

後に醜悪な暴力が私達に襲いかかることを避けることはできない

と私は懸念致します

 

追記:誰が「悪い」という話では決して御座いません。

只、殴りかかったのなら、相手も死に物狂いで殴り返してくる可能性は高くなるので…

どんなに「正当な」理由があっても暴力は不毛だ

と私は信じております

という話です。

じゃあ、どうすれば良いのか

というご質問が御座いました

 

精神分析的に申し上げますと…

 

内面に潜む「彼ら」との対話を試みます

コワイです

それくらいなら無視したくなります

破壊し尽くしたくなるような怒りを覚えるかもしれません

それでも面と向かい逢うのです

それを被分析家と一緒にヤルのが分析家でございます

【ダルちゃん】母親から離別するということ 

前回の記事

【資生堂のダルちゃん】 母親に否定されるということ - 精神分析のススメ

以来、しばらく、ダルちゃんネタ、お休みしていましたが…

 

実はタイトルを決めあぐねて…

「母親を破壊するということ」にしようか…

「母親が壊れるということ」にするべきか…

と、悩んでいるうちに、もう50話が更新されてしまいますね(もうされてるか…?)

 

はるなさんの人物、表情の描写がめちゃくちゃ上手いと、何回でも言いたい。

 

49話で、ヒロセさんは別れを決意したダルちゃんの顔を

「本当に素敵だと思う」

と言っています…

 

キツい様ですが…

流石は、男になり切れなかったママもどき君の台詞です。

 

ダルちゃんの必死にすがる顔に怯(ひる)み、

ウィニコット様の仰る様にがっつり「抱きしめる」包容力もない

ママもどき君は、

ダルちゃんがはしゃぐ姿*1を見るに耐えず

罪悪感を覚え、自己嫌悪します。

 

「優しい」と見せかけておいて

「弱い」だけのオトコの鉄板です。

 

「鬱」状態で別離の痛みを「感じる」ことを拒否するダルちゃんの顔を見て

「素敵」とは、ちゃんちゃら片腹イタイです。

 

傷つけ、傷つけられることをオソレて

喪失のイタミを回避しようとするが故

人は欲しいモノに手を伸ばすことすらできず

「幸福」の萌芽を自ら破壊し、悲嘆し、絶望し、憤る

神経症」を患う

と、言ったのはフロイト教授です(と、少なくとも私は思っております)

 

噛めば噛むほど味わい深いスルメの様に

何度読んでも新しい発見があるフロイト教授の「喪とメランコリー」

(私が感受性だけで読むからなのでしょうが…)

素晴らしい要約をこの方がされておられます

d.hatena.ne.jp

この論文でフロイト教授は

「メランコリー(鬱病)」とは、

失ってしまったモノから自分自身を

解き放つことができない

「明けることのない喪」であることを示唆しています。*2

 

フロイト教授は「対象」を無価値なモノとして放棄することに

自立と鬱病寛解を見出そうとしましたが…

 

「大切な」ヒロセさん(=愛する「対象」)を「守る」為に

彼を「放棄」したダルちゃんの「喪」が明け、

真の創造性を発揮できる日は来るのでしょうか…

 

明日が待ち遠しいトコロです。

 

なんて言ってたら、

ダルちゃん、さくっと終わってしまいましたね…

寂しい…

【資生堂のダルちゃん】ダルダルな自分を受け入れるということ - 精神分析のススメ

*1:彼女のはしゃぐ顔も、又、上手いコト描いてはって…

又、オリを見て書きますが…

楽しいフリして大切なモノ(=自分)をガンガン消費し、破壊する

「躁防衛(マニック・ディフェンス)」な空っぽな笑顔な感じが出ていて…

ガチで双極性イケイケ躁状態な患者さん達は鬼気迫る眼光してるので

それとは又ちょっと違う感じが良く描かれていると思います…

*2:フロイト教授曰く、

患者は自分でも何を失ったのか分かっとらんので

「喪」に服すこともできんわな

と仰っておられます

日本人の【発達障害】及び【コミュ障】の印象がズレてない?という点について

ずっと気になっていたモヤモヤをぶつけてみます。

 

 

このツイートでも書きましたが、

発達障害、特にASD系の人達は

空気読めない

とか、初めて聞いた時には、

ふぁ?!

ってなりました

 

自閉症系の子供の意思伝達は

確かに顕著な問題ではありますが…

それは「話し方がヘン」であったり*1

感情表現ができない、及び、不適切である*2とか、

相手の目を見て話せない*3

とかであって、

相手の言ってることや、感じていることが分からない

という点はあまり重要視されていない印象です。*4

 

つまり、私の抱いている

「コミュ障」のイメージは、

 

自分の思っていることや

感じていることを適切に表現できない人達

 

であり、日本(のSNS)で言われる

 

空気が読めない(から自己表現できない)人達

 

ではないということです

 

これは、日本人にとってコミュニケーションで重要視されるのが

如何に相手を「正確」に、

(時には話し手より「正確」に)

先取りしてでも理解できるか

という点だからなのではないか。

と感じます。

 

私が渡米してから4−5年間

英語で文章を書くに当たって一番消耗したのは

ネイティブ英語話者(原住民)に添削してもらう度に、

「おまえはこの文章で、一体何が言いたいんか、さっぱり分からん」

と怒られまくったことです。

言われて説明すると

原住民:「それは、つまりこーゆーことなのか」

とばかり、ごっそり直されます。

それをされると、こっちとしては、

私:「うーん、そこまで言ってるわけではなくて…」

と、なり…

それを言うと、相手は相手で、

原住民:「そんなんだったら最初っからちゃんと言えや!」

と、更に不機嫌になる。

 

 

一事が万事、塞翁が馬

心の中では阿鼻叫喚…

もー、泣く寸前の修羅場でした。

 

相手も私が感じていた

「そこんとこは、分かれや!そこまできっちり、はっきり言いたくないんや!」

というオーラがビンビン伝わっただろうし

私も彼等の

「そんなこと言われても何がなんやら、さっぱりワケ分からん!」

というイラ立ちをガンガン感じ会っていたからでしょう。

 

日本人の行間を読み込む*5感覚が分からないヤツラは感性が鈍すぎる

と、悔し紛れに思ったりもしましたが…

 

この地獄体験を乗り越えて

出来上がった文章をみると

悔しいけど…

やはり…

「はっきり言い’たくないトコロだけど、何となく分かってくれや」

という感覚が「甘え」に過ぎないことを

がっつり見せつけられて

orz…

となる経験を繰り返す日々でした(遠い目

 

「文法だけ直して下さい」

 

と詰め寄る私に

 

「うーん。まあ。何が言いたいのか分かんないから

そこを詰めてから出直してきて。」

と門前払い(何回かされた)しないで

修羅なお直しに付き合って下さった

先生、同僚、友人諸氏には

感謝の気持ちで一杯です。

 

母親は言葉を話せない赤ちゃんの欲求を

「察して」充たします。

「母子関係に言葉は介在しない」

と言われる所以です。

 

私が感じた「ソコまで言わなくても、分かってや」は、

母親に対して求める受容と充足であり、

「言葉化して、相手に分かるように喋ってナンボ」

アメリカンにとっては

お前はアホか!赤ちゃんか?

と言いたくもなるフラストレーションを

喚起したことと思われます(申し訳なさで一杯です…)。

 

日本には「父」が居ない

と言われるのも、

欧米で求められる話し手の切磋琢磨

(=「わかりやすい」コミュニケーション)

よりは寧ろ「忖度」という、

「言葉にはしないけれど、ちゃんと分かってるからね」的な

聞き手の感受性の洗練が強要される

点にも現れているのだと感じます。

 

言語化至上主義の権化

(と勝手に私が思っている)ラカン様的には

 

母子関係に「父」という「第三者」が介入すると

子供は要求を主張する必要を感じる。

 

ってことだそうです。

 

絶賛私主観のなんちゃってラカン様曰く、

父親の存在は言葉を必要としない母子関係に

「否」を突き付ける

のだそうです。

 

子供の(母親と永遠に繋がっていたいという)欲求に

「否」と言う=規制を与える

のが父親の役割であり

その「否」を突き付ける

絶対的他者(=父)に対して主張するという課題

が子供には与えられる

って感じですかね。

 

平たく云うと

ママンと一緒にねんねする〜

とゴネくり倒すワガママ放題な子供に

ママンはオレ様と一緒に寝るんだからダメ!

というパパの「否」が

自己規制と理性、及び言語化を促す

ってことらしい。

 

知らんけど。

 

理想は優しいパッパな日本人な

私は寧ろ

子供が母に突きつけた「否」を

父が受け止めることで

母子分離の方向性を与える

と言いたいトコロです。

 

ナンなら

子供の「否」とは

「母」から与えられる「乳」に対して発するモノで

「母」のチチを拒絶した子供が

追い求める「理想」たるモノが「父」である

と、コフート先生的なことも言ってみたい。

 

父性原理の強固な欧米では話し手の能力が、

母性原理の日本では聞き手の能力

コミュニケーションに要求されるということなのだろう…

とは思いますが…

コミュニケーションは通常伝達者がするモノ

とされているし、

コミュ障=空気読めない

はやっぱりないよなー

と思うのでした。

 

何だか、発達障害やコミュ障から、ずんずん話がそれて

頭もウニになってきたトコロで、

一周りしてムリクリ付けた結論でお粗末様ですが

終わりにしたいと思います。

 

因みに、この記事に触発されました。

「人の気持ちがわからない」ということについて - さよならドルバッキー

透明なゆりかご、よく聞くので興味はありますが…当地でも観れるのかな…

*1:例えば、抑揚がないとか、

繰り返しが多い

甲高い声、又は、低くて分かりにくい声、等

*2:通常ここに

「共感を示さない」

も含まれます

注意すべき点は、

「共感できない」

ではないことです。

あくまで、共感をコミュニケートしない、

ということが特徴とされています

*3:当地ではこれが自閉症、及びASD

奇異で最も「特徴的」とされてる印象です

*4:ジェスチャーを理解しない、とか

共感していることを表現しない、とは言われますが…

*5:因みに、英語でも言います。

Read between the lines. と。まんま「行間を読む」です。

日本人は【心身症】が多いというウワサ

 

心身症について、この記事を読んで思いを巡らせていたら

オートバランサー無しで二足歩行は難しい……双極性障害、抑うつ、日内変動 - 関内関外日記

上記のツイートを見つけて更に思うトコロがあったので、書いてみます。

 

過労で身体が動かなくなることがきっかけで鬱の診断を受ける人が多い

ということをツイッター始めて知ったのが…1−2年前でしょうか

 

仕事に関するストレスだけでなく夫婦関係の問題も

奥さんにキツイ事を言われた旦那さんが帰宅しようにも扉に触れない

等、動けなったり吐き気がするという身体的症状として現れる 

 

という話も、聞きました…

 

心身症というと、古典的にはヒステリー性(=性欲の抑圧)の咳、鼻炎、

現代では子供のアレルギー系の喘息や、アトピー性皮膚炎などが

母子分離不全を現す

くらいな印象だったのですが…

 

身体が動かない

 

とは、古典的ヒステリーでみられた失神にも通じる

葛藤の終着点でもある(と私が勝手に言っている)カタトニアをも想起させます。

 

ヒステリー性難聴、言語障害、及び視力の低下等は

1800年代が終わる頃の、抑圧された女性、

発言の自由が赦されなかった女性たちの病であり

全世紀の遺物

という印象だったのですが…

今の日本じゃ結構アルアルらしい…

結構衝撃的です

 

言葉にできない感情、昇華できない欲望が溜まりに溜まると身体に出る

という「解釈」が鉄板ですが…

少なくとも私が学んでいた90年代の精神分析では

心身症=エデイパス期以前の葛藤がネック→言語化出来ない→分析無理

みたいなことを言われていました。

 

最近ではそうでもないのかもしれませんが…

 

心の問題が体に出る人達の特徴として、

身体症状についてやたらと話したがる

というのは否めない事実です。

そりゃ、一番ツライ自覚症状が身体の不調なので仕方ないのですが…

それ話すのに30分かかると

「何が私を苦しめているのか」

という「本題」に入る時間がなくなるワケです。

(イケてない)分析家としては、

話(治療)が進まん。こいつら、ウザい

となるわけです。

 

更に、本題に入ろうとしようものなら、大抵は怒り始めます。

感じたくないことがあるから、気付きたくないことがあるから

身体症状に出しているのに

その感じたくないこと

について話を振られると「不愉快」なワケです。*1

イケてない治療者にしてみたら益々

こいつら、相手してられん

となるか、

不運な患者側からしてみると

こんなクッソ不愉快な「治療」に通ってられるかい!

となるわけです。

 

というワケで、90年代のアメリ東海岸では、

精神分析とは親和性がないという印象だった心身症

上記のツイートでも

「とにかく休め。とにかく寝ろ」

というリプが付きまくってて…

 

まあ、体力回復したらきっとどーにかこーにか身体は動くようになるのでしょうが…

 

不満に気付きたくない、プレッシャーに応じたくない自分とは

皆様、どの様に付き合っておられるのでしょうか…

 

大変興味深いトコロです

*1:ソコを上手いことどーにかこーにかなだめすかして「本題」を掘り下げていくトコロにイケてる分析家の力量が問われるワケですが…

【セリーナ】の甘え と 【自己愛】の闇

 

このツイートで言及した風刺画が、

黒人差別の表現だ

ということで、当地では物議を醸しています

 

何故か、大坂選手が金髪で白っぽく描かれている…

白人女性は理性的というステレオタイプを反映しているのではないか…

 

というコメントもあって…

それは、深読みしすぎw

となりましたが、風刺画の面白みが全く分からない私でもクスッとなってしまったので、

私も深読みしてみます。

 

実はこの

セリーナ・ウィリアムスのトラウマと大坂選手への母性愛 - 精神分析のススメ

前回の記事、納得できない出来でした。

 

というのも、セリーナ、見るからにパ障オーラが出ているので

そのことについて書こうと思ったのですが、

彼女の人となりについてちゃんとリサーチしたワケでもないし

そんな偏見がっつりな記事は怒られそうで…

何となく萎縮してしまったのですね。

 

上記のツイートについてる風刺画の審判の

Can you just let her win?

という言葉…

「勝たせてあげたら?」

って感じでしょうか…

 

これ、弟や妹がいるお姉ちゃんや、お兄ちゃんが良く聞く言葉じゃないでしょうか。

 

大坂選手なハズの痩せたポニーテール女性、

セリーナのお姉さん、ヴィーナスにも見えると思うのですが…

 

境界例や自己愛という所謂パーソナリティ障害B群の方の特徴の一つに

感情の浮き沈みが激しい*1

というのがあります

 

今回の、自分が負けそうになってコーチングを指摘されて

「あたしは何もしていないのにヒドイわ…!」と、悲劇のヒロインから

「人格を疑われた!謝れ!」

そして、最後には

「皆がやってる反則を私だけ何で!」

になるという流れには

私は絶対に正しい・清廉潔白なのに…な感受性と

正しい自分が正当に評価されない「不公平」に対する怒り

手を替えシナを替え、執拗に自己正当化をして行われる(言葉の)暴力

自己愛患者さん達のアレな感じによく似てます

 

スポーツ観てると、選手の力量や、技術は勿論勝敗を決定する要因ですが、

色々と「不公平」なことがあります

「運」といっても良いかもしれません

その「運」を手懐けられる程の実力を持ち

「不運」に左右されない不屈の精神力を持ち合わせることが

一流のスポーツマンには求められるのでは…

と切に感じます

 

セリーナ、強いけどはっきり言って、メンタル不安定すぎ。

単なる負けず嫌いが昂じた Brat(ワガママ)とか、

今回の事件でもよく言われてます

が、

彼女の情緒不安定さ、及び、以下の記事で説明した自慰力の欠如、

【性依存症】 カエデさん その2.メンヘラと自慰力の欠如 - 精神分析のススメ

がどこから来るか、というと

 

ここからは私の妄想ですが…

 

元々勝敗に拘る性格で、負けるのが猛烈に悔しい子供だった

というのと、

負けることのフラストレーションに寄り添ってくれる誰かが居なかったこと

ではないかと思うのです。

 

日本の親はとかく、

弟妹には優しく

お兄ちゃん、お姉ちゃんなんだから、我慢して

と言いますが…

アメリカン、あまり言わない印象です。

 

そりゃ、そーだわな

多様な人種構成の中、ガタイの全く違う子供達を

シビアに対戦させて勝敗をキメる人達だから

 

既に頭角を表す姉と対戦して負けて悔しがる妹に、

悔しかったらもっと上手になって勝て!

とスパルタに愛のムチは与えども

ヴィーナスに向かって

お姉ちゃんなんだから、妹に勝たせてあげなさい

なんて逆立ちしても絶対に言いそうにない…

 

年下のセリーナにしたら、子供心に

お姉ちゃん、年も上だし、大きいのにズルい…

となっても不思議はありません

 

その気持を親が汲んでくれない

というのが彼女のトラウマなのかもしれない…

とか、少し思ってしまいます

 

件の風刺画には

勝負の世界はシビアだから

経験がなくても、年が若くても

負けは負け

と無情に言われて癇癪を起こしているセリーナ(とストイックなヴィーナス)が描かれているようにも感じます。

 

幼少時に癇癪を起こしているセリーナに

勝たせて上げたら?

と、寄り添って甘やかしてくれる大人がいたら…

そして甘やかされるほど愛されることを心地良く感じながらも

恥入る気持ちを知ったなら

もしかしたら

彼女もこんな被害者意識が強く

感情のセーブが効かないオトナに育たなかったのかもしれません*2

*1:双極性障害の方も、感情の浮き沈みが激しく、故にパ障か、双極性か、判断するのが大変困難です。慢性的トラウマでパ障な方もストレスかかると幻聴幻覚出たりしますので…

*2:甘やかすのが「良い」とも思いませんが…

必要な時にちょっとだけ甘やかしてもらうことで、人は

「不公平な世界だけれども、弱くてズルい自分に優しい時もある」

という「信頼感」を抱けるのだと思います

セリーナの場合は(不正をしてでも)勝ちさえすれば

それこそ、カネもチカラも手に入るので

後は何でもワガママし放題という歪んだ厳しさが問題だったのでは…

と感じますが

セリーナ・ウィリアムスのトラウマと大坂なおみ選手への母性愛

USオープンも終わってしまいましたね。

 

ニシコリ選手も頑張っておられましたが。

 

ジョコビッチだろーなーと、思っていたらやっぱりジョコビッチでした。

 

女性は、どーせセリーナが勝ちそうだな…

とタカを括ってリアルタイムでは観てなかったのですが、

スゴイドラマの末、日本人が優勝した!

と聞いて、再放送でみっちり観てしまいました。

 

セリーナ、デカイしコワイし、ワガママ放題

という印象が強くてはっきり言って苦手でした

が…

今回、授賞式での大坂選手へのフォローをみて

お母ちゃんにもなったことやし、ナカナカ情の深いエエ姐ちゃんやんか

と、生暖かい印象に変わりました。

 

こんなPVをニッキー・ミナージュと作っておられます*1

 

www.youtube.com

 

In fair ueens

a conflict sits

美しい女王達

(NYCのクイーンズは

USオープンの会場でもあるので

それに引っ掛けてるのでしょうね)にも葛藤がある

Beteen to sides, 

our hero splits

 相対する2つの側面が

オレ達の英雄を引き裂く

 

というポエムで始まるこの動画

表面的には

母親と運動選手という2つのアイデンティティの狭間で

引き裂かれるセリーナに

オカマ風なおばちゃんが

彼女にゃヤル事があるんだよ!

と罵声(?)を飛ばし

「女王」として君臨する

セリーナをご覧!

とニッキー・ミナージュが一喝する

スピード感あふれた

カオスなツクリになっておりますが…

 

まあ…

 

何と申しましょうか…

 

母親業とキャリアの間で引き裂かれるというよりは

漆黒の暴力性とケバピンクな女性性という

神経症的葛藤を

Yo, I got the money and the power now!

よう!オレたちにゃ、今や、カネとチカラがあるんだぜ!

の歌詞に露呈する

植民地奴隷支配から逃れる為には

白人からの経済的自立を目指すしかなかったアメリカ黒人独特の

カネの力で全てを解決!

な躁防衛(マニック)全開で

力技ガンガン攻めてる印象です。

 

正直言って

そんなんアリかぁ?

となりますが…

 

今回のUSオープンでのドラマの焦点になった、

黒人、及び女性差別への

わだかまりを象徴したPVのようにも思われ

 …

セリーナが自分の中にわだかまる

黒(破壊性)とピンク(女性性)を統合する為に

真のチカラと豊かさを得て「母」=「女王」の座に君臨できるのか…

興味深いトコロです

 

日米の報道の差について、女性差別、人種差別の文脈についてはこの方が上手にまとめておられます

mariyoshihara.blogspot.com

 

が、当ブログは、精神分析のススメで御座います。

トラウマの観点から、感じた事を書いてみようと思います。

 

上記の記事でも触れられていますが、セリーナ、

本当にあんた、女性か?

というくらいパワーに満ち溢れ、圧倒的な「強さ」を誇るワリには

スポーツウーマンとしての規律がイマイチ欠けているが故

才能は莫大ながらもメジャータイトルは思ったほど獲得できてない

という印象です

とはいえ、ウィリアムス姉妹への差別的扱いとしか思えないような

理不尽なラインコールが幾度となく繰り返され

過去、何回も勝利を逃しており、

めっちゃ可愛そう(T_T)

でもアリます。*2

 

自由の国と詠っておきながら、

人種差別が横行するアメリカでは、

黒人がちょっとでも暴力的な態度を取ると

他人種に比べて理不尽に厳しい罰則を課されます。

そのことは黒人(特に男性)の検挙率

及び警察から理不尽かつ過剰な暴力案件が

異様に高いことからも明白です。

 

セリーナが「不公平だ。謝れ」と執拗に審判に迫り、

結果的にゲーム剥奪されることで

更なる「不公平」を自らに課す姿には

黒人としてアメリカに生まれ育った彼女の

トラウマの追体験

を感じます。

 

試合中セリーナは

「私は不正などしていない。コーチングも受けていない。」

と主張していました。

が、試合後のインタビューでコーチ自身がコーチング疑惑を認めた途端に

「皆がやっていることなのに何故私だけ…」

とばかりに、恥ずかしげもなく言うことが大逆転する辺りは…

おいおい…それは、ちょっと…

となりますが…

それにしても

コーチングも審判に対する暴言も(白人)男性はやりたい放題やっても罰則を免れるのに何故私だけが…*3

と怒りに駆られるのは、分かります。

 

アメリカでは規則の適用が役人によって異なるどころか、

彼等の虫の居所に左右されるのは当たり前

というルーズさなので

そりゃ、まあ、コトあるごとに

人種差別だ!性差別だ!不公平だ!

と言いたくなる気持ちも分かります。

 

只、セリーナが感情のコントロールを失い、

自分を「更なる不公平」に追い込む瞬間が

勝利を決める大事な局面で度々発生するのには、

アメリカ黒人女性であるセリーナの

迫害のトラウマの反復衝動

が働いているように

私には思われてなりません。

 

大衆をまとめ上げるカリスマ性をもちながら

凶弾に倒れ

システムの邪悪に打ち勝てなかった

アメリカ黒人の悲劇のヒーローである

キング牧師が社会的不正と果敢に戦って負けてしまったという

トラウマとも重なるのではないでしょうか。

 

今までのセリーナには、

常にどこかで

システムの不正の為、相手に勝てなかった

という気持ちがあり、

感情に翻弄される自分の弱さを受け入れられない

という印象がありましたが

今回の大坂選手への賛辞には

彼女の言動に通常観測される「被害者意識」が

あまり感じられませんでした。

 

そりゃ、20歳という若さで

あれだけの精神力と、身体的能力と緻密な戦略を見せつけた大坂選手が

涙ポロポロ流しながら

 

こんな終わりを迎えるなんて残念です

セリーナ大好き

憧れのあなたと闘うのが私の子供の頃からの夢でした

 

なんて言ったら、(セリーナがメジャーデヴューしたのが1999年、大坂選手が1歳半の時だそうです…ひぇーやっぱ、バケモノってなりますね)

子供もできたばかりのセリーナの母性本能が刺激されて

こいつ、かわいーやっちゃなー

と、メロメロになるのも分かる。

 

あとは、セリーナ、切磋琢磨してキレることがなくなれば*4

真のロールモデル(模範的スター)になれると思うので

ベッドの下のモンスターと頑張って戦って下さい*5

と切に感じます。

 

セリーナの性格障害オーラについて掘り下がってない💢

と、納得がいかなかったので

リベンジしてみました

【セリーナ】の甘え と 【自己愛】の闇 - 精神分析のススメ

*1:PVじゃなくて、ヘッドホンの宣伝です

*2:最近では2009年のUSオープンでのフットフォルトがあります。

セリーナだけではなくヴィーナスも第一ラウンドで7回反則になってます

*3:黒人男性の米ブレイク選手が自分はもっとヒドイ暴言を吐いても警告だけで済んだとツイートし、セリーナに同意を示したそうです…

*4:マッケンローとか、ナスターシとか、

キレまくってもエンタメ要素高いってことで赦されてた感じがして…

テニス選手、強けりゃ何でも許されるんかいな

スポーツマンシップは何処?

という印象でしたが…

*5:エミネムのモンスターに因んで…

【エミネム】やっぱり痛々しい River - 精神分析のススメ

【ダルちゃん】 母親に否定されるということ

「ダルちゃん」第41話 | ダルちゃん | 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂

 

読みました。

 

数日前だったのですが…

 

久し振りにグッときました。

 

はるな檸檬さん、ダルちゃんの表情の描写がスゴイ…

 

ダルちゃんの感想、色々な方が書いておられますが、読んでいると、

「なーんだ、不全感を抱く女子をシアワセにするのは結局オトコなのか…

(つまらん、又はがっかり)」

みたいなのがタマにあります。

 

何度も書いてますが

ヒロセさんはオトコかもしれませんが、実は「ママ」もどきだ

と私は思っています。

 

ダルちゃんの「やめて」のすがり顔が…

 

母親にすがりつく子供の顔です。

 

胸が苦しくなります。

 

この記事で書き始めた

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

「偽りの自分」のトラウマの反復衝動が

ヒロセさんとの関係性でガンガン再起動してる。

 

というカンジを

胸に詰まる切迫感をもって描けるはるなさん

凄すぎる。

 

というワケで、

上記事ではがっつりコフート先生の概念とこんがらがっていた

ウィニコット様の「偽の自分」について、書いてみます。

 

「偽りの自分」とは

ウィニコット様の言う「本当の自分」が

周囲の心無い反応によって歪められたモノ

と言ってよろしいかと思います

 

「本当の自分」とは

キャッキャとはしゃぎ「興奮する赤ちゃん」が

愛情深く「暖かく見守る母」に受け入れられた

と感じる「内的経験」に根ざすモノ

であります。

 

ウィニコットにとって、「生きる実感」とは

息が上がって、心臓がドキドキする

まあ、

アドレナリンがガンガン出てサイコ~!*1

って感じですかね…

 

その身体的感覚が「母」なるモノに

「受容」されていると感じること

 

つまりは

「一緒に興奮してくれる対象」(=一緒に喜んでくれる母親)

が傍に居ることが必要なのだそうです。

 

ベアトリス・ビーブという

(少なくとも90年代のNYの)精神分析界隈では

神様級に崇め奉られていた研究者がおります。

 

こんなおされなPVまで作ってはりますねー

Mother-Infant Communication: The Research of Dr. Beatrice Beebe Promo - YouTube

びっくり。

 

彼女の研究は、赤ちゃんとママのやり取りをビデオで分析するという

クソ退屈…もとい観察に基づいた科学的、実証実験で

 

幼児の情動発達を周囲の大人が如何にサポートできるか

 

ということを明らかにしておられました。*2

 

中でも皆が

「スンバラシイ!」

とベタ褒めだったのは

 

赤ちゃんの真似を「上手に」できるママは

赤ちゃんが興奮して「ウッキー」となってきたとしても

なだめ、落ち着かせることができる

 

という研究結果です。

 

まあ、

 

赤ちゃんと対面した大人が

赤ちゃんが口を開けるタイミングで自分も口を開けると

赤ちゃんヨロコブ

 

みたいなのは70年代からずっとやってたのですが…

 

ビーブさんの研究は一言で言うと

 

赤ちゃんを上手にあやすのはどんなママ?

 

みたいなヤツで…

 

ママが赤ちゃんと一緒に声の抑揚を「コントロール(調節)」することで

赤ちゃんを「必要以上に」興奮させることなく

落ち着かせることができる

 

みたいなことをビデオを分析して証明されております。

 

「欲動」の「対象」が、如何に「自我」を「コントロール(制御)」し得るのか…

 

みたいな精神分析的理論を考えている人達には非常にウケてるワケです。

 

心臓バクバク、息はハアハア、アドレナリン、サイコー

な、お子様達は一見すると楽しさ全開ですが

放っておくとモノ壊したり、自分を壊したりして

ギャン泣き、サイテー状態と紙一重な危機的状態でも御座います。

 

この様な「危機的状態」にある、赤ちゃんが

「破滅」を経験することなく、たとえ自滅してギャン泣きになっても

その「興奮」状態から自分をなだめる能力を

Self-regulation(自己調整) とか 

Self-soothing ability(自慰能力)

とか言うので

この記事でも書きましたが

【性依存症】 カエデさん その2.メンヘラと自慰力の欠如 - 精神分析のススメ

私は「自慰力」と呼ぶことにしています。

 

ママが一緒に興奮して

一緒に落ち着く

 

その経験がないと自慰力も発達せず

人は「欲動」のコントロールができず

「本当の自分」が破壊される恐怖に慄きます。

 

 

「偽の自分」について書くと言っておきながら思い切り話が逸れてしまいました

が、

 

興奮して生き生きしてる「本当の自分」がママに

「うるさいわね!」

とか

「あーもー鬱陶しいなー」

等と言われたり

冷たくガン無視されたりすると

さり気にトラウマになってしまい

常にイライラして(=他人をイライラさせる)

落ち着きのない

自慰力に欠けた

ADDなお子様達や

生きる力に欠けた(=退屈な)

ダルダル無気力なお子様達を

創り出してしまう

というのは何となくお分かり頂けましたでしょうか…

 

ダルちゃんの、

生まれたばかりの赤ちゃんの様に無邪気な

「私の言葉が、私の声が、ちゃんと皆に届いたの!嬉しい!」

という気持ちが

ヒロセさんの

「ごめん。その声はちょっと大きすぎで恥ずかしいから止めて」

という拒絶に逢う…

 

そして、その瞬間のダルちゃんの

「あなた(=ママ)に嫌われるくらいなら絶対に静かにするから…

もう、声なんか出さないから…」

という必死の懇願の表情が…

 

ああ…

 

突き刺さり過ぎて胸が苦しくなります。

 

ダルちゃん、自慰力が勝ち過ぎて「本当の自分」を殺してまで

ママを守ろうとずっとしてきたから

「生きてる実感」がないままダルダルだったのに…

 

今更、ダルダルに戻ろうとしても…

M男のヒロセさんと一緒なら、きっと般若化しちゃうと思うのですが…

 

それともママもどきヒロセさんを切り捨てて

女性性もかなぐり捨てて、自己表現の道を歩むのでしょうか…

 

「理想の父」と「愛する母」を再発見し愛し愛され…

「生産的」に*3創造性を発揮する可能性は

日本人女性には残されているのでしょうか…

 

次回は「母親を傷つけるということ」にしようか、

「母親が壊れるということ」にしようか、かなり悩みましたが、

これに落ち着きました…

【資生堂のダルちゃん】母親から離別するということ - 精神分析のススメ

 

書きたいことは沢山あったのですが…言葉がナカナカ出てきませんでした

離別のイタミはそんなに簡単に言語化できるよーなもんではないのかもしれません

 

怒りに狂う般若面の代わりに

感情を殺して能面をつけてしまうダルちゃん…

さあ、どうなってしまうのか…?

というお話でございます

 

ダルちゃんが終わってしまって哀しい…

【資生堂のダルちゃん】ダルダルな自分を受け入れるということ - 精神分析のススメ

*1:ウィニコット様は、決して

共依存アドレナリンジャンキー支持者では御座いません。

「独りでいられる能力」についても考察しておられます

*2:今でもやっておられる様です…

*3:日本のサラ・パリンとも言いたい某女性議員

の発言で燃えてる言葉ですが…