精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

【セリーナ】の甘え と 【自己愛】の闇

 

このツイートで言及した風刺画が、

黒人差別の表現だ

ということで、当地では物議を醸しています

 

何故か、大坂選手が金髪で白っぽく描かれている…

白人女性は理性的というステレオタイプを反映しているのではないか…

 

というコメントもあって…

それは、深読みしすぎw

となりましたが、風刺画の面白みが全く分からない私でもクスッとなってしまったので、

私も深読みしてみます。

 

実はこの

セリーナ・ウィリアムスのトラウマと大坂選手への母性愛 - 精神分析のススメ

前回の記事、納得できない出来でした。

 

というのも、セリーナ、見るからにパ障オーラが出ているので

そのことについて書こうと思ったのですが、

彼女の人となりについてちゃんとリサーチしたワケでもないし

そんな偏見がっつりな記事は怒られそうで…

何となく萎縮してしまったのですね。

 

上記のツイートについてる風刺画の審判の

Can you just let her win?

という言葉…

「勝たせてあげたら?」

って感じでしょうか…

 

これ、弟や妹がいるお姉ちゃんや、お兄ちゃんが良く聞く言葉じゃないでしょうか。

 

大坂選手なハズの痩せたポニーテール女性、

セリーナのお姉さん、ヴィーナスにも見えると思うのですが…

 

境界例や自己愛という所謂パーソナリティ障害B群の方の特徴の一つに

感情の浮き沈みが激しい*1

というのがあります

 

今回の、自分が負けそうになってコーチングを指摘されて

「あたしは何もしていないのにヒドイわ…!」と、悲劇のヒロインから

「人格を疑われた!謝れ!」

そして、最後には

「皆がやってる反則を私だけ何で!」

になるという流れには

私は絶対に正しい・清廉潔白なのに…な感受性と

正しい自分が正当に評価されない「不公平」に対する怒り

手を替えシナを替え、執拗に自己正当化をして行われる(言葉の)暴力

自己愛患者さん達のアレな感じによく似てます

 

スポーツ観てると、選手の力量や、技術は勿論勝敗を決定する要因ですが、

色々と「不公平」なことがあります

「運」といっても良いかもしれません

その「運」を手懐けられる程の実力を持ち

「不運」に左右されない不屈の精神力を持ち合わせることが

一流のスポーツマンには求められるのでは…

と切に感じます

 

セリーナ、強いけどはっきり言って、メンタル不安定すぎ。

単なる負けず嫌いが昂じた Brat(ワガママ)とか、

今回の事件でもよく言われてます

が、

彼女の情緒不安定さ、及び、以下の記事で説明した自慰力の欠如、

【性依存症】 カエデさん その2.メンヘラと自慰力の欠如 - 精神分析のススメ

がどこから来るか、というと

 

ここからは私の妄想ですが…

 

元々勝敗に拘る性格で、負けるのが猛烈に悔しい子供だった

というのと、

負けることのフラストレーションに寄り添ってくれる誰かが居なかったこと

ではないかと思うのです。

 

日本の親はとかく、

弟妹には優しく

お兄ちゃん、お姉ちゃんなんだから、我慢して

と言いますが…

アメリカン、あまり言わない印象です。

 

そりゃ、そーだわな

多様な人種構成の中、ガタイの全く違う子供達を

シビアに対戦させて勝敗をキメる人達だから

 

既に頭角を表す姉と対戦して負けて悔しがる妹に、

悔しかったらもっと上手になって勝て!

とスパルタに愛のムチは与えども

ヴィーナスに向かって

お姉ちゃんなんだから、妹に勝たせてあげなさい

なんて逆立ちしても絶対に言いそうにない…

 

年下のセリーナにしたら、子供心に

お姉ちゃん、年も上だし、大きいのにズルい…

となっても不思議はありません

 

その気持を親が汲んでくれない

というのが彼女のトラウマなのかもしれない…

とか、少し思ってしまいます

 

件の風刺画には

勝負の世界はシビアだから

経験がなくても、年が若くても

負けは負け

と無情に言われて癇癪を起こしているセリーナ(とストイックなヴィーナス)が描かれているようにも感じます。

 

幼少時に癇癪を起こしているセリーナに

勝たせて上げたら?

と、寄り添って甘やかしてくれる大人がいたら…

そして甘やかされるほど愛されることを心地良く感じながらも

恥入る気持ちを知ったなら

もしかしたら

彼女もこんな被害者意識が強く

感情のセーブが効かないオトナに育たなかったのかもしれません*2

*1:双極性障害の方も、感情の浮き沈みが激しく、故にパ障か、双極性か、判断するのが大変困難です。慢性的トラウマでパ障な方もストレスかかると幻聴幻覚出たりしますので…

*2:甘やかすのが「良い」とも思いませんが…

必要な時にちょっとだけ甘やかしてもらうことで、人は

「不公平な世界だけれども、弱くてズルい自分に優しい時もある」

という「信頼感」を抱けるのだと思います

セリーナの場合は(不正をしてでも)勝ちさえすれば

それこそ、カネもチカラも手に入るので

後は何でもワガママし放題という歪んだ厳しさが問題だったのでは…

と感じますが

セリーナ・ウィリアムスのトラウマと大坂なおみ選手への母性愛

USオープンも終わってしまいましたね。

 

ニシコリ選手も頑張っておられましたが。

 

ジョコビッチだろーなーと、思っていたらやっぱりジョコビッチでした。

 

女性は、どーせセリーナが勝ちそうだな…

とタカを括ってリアルタイムでは観てなかったのですが、

スゴイドラマの末、日本人が優勝した!

と聞いて、再放送でみっちり観てしまいました。

 

セリーナ、デカイしコワイし、ワガママ放題

という印象が強くてはっきり言って苦手でした

が…

今回、授賞式での大坂選手へのフォローをみて

お母ちゃんにもなったことやし、ナカナカ情の深いエエ姐ちゃんやんか

と、生暖かい印象に変わりました。

 

こんなPVをニッキー・ミナージュと作っておられます*1

 

www.youtube.com

 

In fair ueens

a conflict sits

美しい女王達

(NYCのクイーンズは

USオープンの会場でもあるので

それに引っ掛けてるのでしょうね)にも葛藤がある

Beteen to sides, 

our hero splits

 相対する2つの側面が

オレ達の英雄を引き裂く

 

というポエムで始まるこの動画

表面的には

母親と運動選手という2つのアイデンティティの狭間で

引き裂かれるセリーナに

オカマ風なおばちゃんが

彼女にゃヤル事があるんだよ!

と罵声(?)を飛ばし

「女王」として君臨する

セリーナをご覧!

とニッキー・ミナージュが一喝する

スピード感あふれた

カオスなツクリになっておりますが…

 

まあ…

 

何と申しましょうか…

 

母親業とキャリアの間で引き裂かれるというよりは

漆黒の暴力性とケバピンクな女性性という

神経症的葛藤を

Yo, I got the money and the power now!

よう!オレたちにゃ、今や、カネとチカラがあるんだぜ!

の歌詞に露呈する

植民地奴隷支配から逃れる為には

白人からの経済的自立を目指すしかなかったアメリカ黒人独特の

カネの力で全てを解決!

な躁防衛(マニック)全開で

力技ガンガン攻めてる印象です。

 

正直言って

そんなんアリかぁ?

となりますが…

 

今回のUSオープンでのドラマの焦点になった、

黒人、及び女性差別への

わだかまりを象徴したPVのようにも思われ

 …

セリーナが自分の中にわだかまる

黒(破壊性)とピンク(女性性)を統合する為に

真のチカラと豊かさを得て「母」=「女王」の座に君臨できるのか…

興味深いトコロです

 

日米の報道の差について、女性差別、人種差別の文脈についてはこの方が上手にまとめておられます

mariyoshihara.blogspot.com

 

が、当ブログは、精神分析のススメで御座います。

トラウマの観点から、感じた事を書いてみようと思います。

 

上記の記事でも触れられていますが、セリーナ、

本当にあんた、女性か?

というくらいパワーに満ち溢れ、圧倒的な「強さ」を誇るワリには

スポーツウーマンとしての規律がイマイチ欠けているが故

才能は莫大ながらもメジャータイトルは思ったほど獲得できてない

という印象です

とはいえ、ウィリアムス姉妹への差別的扱いとしか思えないような

理不尽なラインコールが幾度となく繰り返され

過去、何回も勝利を逃しており、

めっちゃ可愛そう(T_T)

でもアリます。*2

 

自由の国と詠っておきながら、

人種差別が横行するアメリカでは、

黒人がちょっとでも暴力的な態度を取ると

他人種に比べて理不尽に厳しい罰則を課されます。

そのことは黒人(特に男性)の検挙率

及び警察から理不尽かつ過剰な暴力案件が

異様に高いことからも明白です。

 

セリーナが「不公平だ。謝れ」と執拗に審判に迫り、

結果的にゲーム剥奪されることで

更なる「不公平」を自らに課す姿には

黒人としてアメリカに生まれ育った彼女の

トラウマの追体験

を感じます。

 

試合中セリーナは

「私は不正などしていない。コーチングも受けていない。」

と主張していました。

が、試合後のインタビューでコーチ自身がコーチング疑惑を認めた途端に

「皆がやっていることなのに何故私だけ…」

とばかりに、恥ずかしげもなく言うことが大逆転する辺りは…

おいおい…それは、ちょっと…

となりますが…

それにしても

コーチングも審判に対する暴言も(白人)男性はやりたい放題やっても罰則を免れるのに何故私だけが…*3

と怒りに駆られるのは、分かります。

 

アメリカでは規則の適用が役人によって異なるどころか、

彼等の虫の居所に左右されるのは当たり前

というルーズさなので

そりゃ、まあ、コトあるごとに

人種差別だ!性差別だ!不公平だ!

と言いたくなる気持ちも分かります。

 

只、セリーナが感情のコントロールを失い、

自分を「更なる不公平」に追い込む瞬間が

勝利を決める大事な局面で度々発生するのには、

アメリカ黒人女性であるセリーナの

迫害のトラウマの反復衝動

が働いているように

私には思われてなりません。

 

大衆をまとめ上げるカリスマ性をもちながら

凶弾に倒れ

システムの邪悪に打ち勝てなかった

アメリカ黒人の悲劇のヒーローである

キング牧師が社会的不正と果敢に戦って負けてしまったという

トラウマとも重なるのではないでしょうか。

 

今までのセリーナには、

常にどこかで

システムの不正の為、相手に勝てなかった

という気持ちがあり、

感情に翻弄される自分の弱さを受け入れられない

という印象がありましたが

今回の大坂選手への賛辞には

彼女の言動に通常観測される「被害者意識」が

あまり感じられませんでした。

 

そりゃ、20歳という若さで

あれだけの精神力と、身体的能力と緻密な戦略を見せつけた大坂選手が

涙ポロポロ流しながら

 

こんな終わりを迎えるなんて残念です

セリーナ大好き

憧れのあなたと闘うのが私の子供の頃からの夢でした

 

なんて言ったら、(セリーナがメジャーデヴューしたのが1999年、大坂選手が1歳半の時だそうです…ひぇーやっぱ、バケモノってなりますね)

子供もできたばかりのセリーナの母性本能が刺激されて

こいつ、かわいーやっちゃなー

と、メロメロになるのも分かる。

 

あとは、セリーナ、切磋琢磨してキレることがなくなれば*4

真のロールモデル(模範的スター)になれると思うので

ベッドの下のモンスターと頑張って戦って下さい*5

と切に感じます。

 

セリーナの性格障害オーラについて掘り下がってない💢

と、納得がいかなかったので

リベンジしてみました

【セリーナ】の甘え と 【自己愛】の闇 - 精神分析のススメ

*1:PVじゃなくて、ヘッドホンの宣伝です

*2:最近では2009年のUSオープンでのフットフォルトがあります。

セリーナだけではなくヴィーナスも第一ラウンドで7回反則になってます

*3:黒人男性の米ブレイク選手が自分はもっとヒドイ暴言を吐いても警告だけで済んだとツイートし、セリーナに同意を示したそうです…

*4:マッケンローとか、ナスターシとか、

キレまくってもエンタメ要素高いってことで赦されてた感じがして…

テニス選手、強けりゃ何でも許されるんかいな

スポーツマンシップは何処?

という印象でしたが…

*5:エミネムのモンスターに因んで…

【エミネム】やっぱり痛々しい River - 精神分析のススメ

【ダルちゃん】 母親に否定されるということ

「ダルちゃん」第41話 | ダルちゃん | 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂

 

読みました。

 

数日前だったのですが…

 

久し振りにグッときました。

 

はるな檸檬さん、ダルちゃんの表情の描写がスゴイ…

 

ダルちゃんの感想、色々な方が書いておられますが、読んでいると、

「なーんだ、不全感を抱く女子をシアワセにするのは結局オトコなのか…

(つまらん、又はがっかり)」

みたいなのがタマにあります。

 

何度も書いてますが

ヒロセさんはオトコかもしれませんが、実は「ママ」もどきだ

と私は思っています。

 

ダルちゃんの「やめて」のすがり顔が…

 

母親にすがりつく子供の顔です。

 

胸が苦しくなります。

 

この記事で書き始めた

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

「偽りの自分」のトラウマの反復衝動が

ヒロセさんとの関係性でガンガン再起動してる。

 

というカンジを

胸に詰まる切迫感をもって描けるはるなさん

凄すぎる。

 

というワケで、

上記事ではがっつりコフート先生の概念とこんがらがっていた

ウィニコット様の「偽の自分」について、書いてみます。

 

「偽りの自分」とは

ウィニコット様の言う「本当の自分」が

周囲の心無い反応によって歪められたモノ

と言ってよろしいかと思います

 

「本当の自分」とは

キャッキャとはしゃぎ「興奮する赤ちゃん」が

愛情深く「暖かく見守る母」に受け入れられた

と感じる「内的経験」に根ざすモノ

であります。

 

ウィニコットにとって、「生きる実感」とは

息が上がって、心臓がドキドキする

まあ、

アドレナリンがガンガン出てサイコ~!*1

って感じですかね…

 

その身体的感覚が「母」なるモノに

「受容」されていると感じること

 

つまりは

「一緒に興奮してくれる対象」(=一緒に喜んでくれる母親)

が傍に居ることが必要なのだそうです。

 

ベアトリス・ビーブという

(少なくとも90年代のNYの)精神分析界隈では

神様級に崇め奉られていた研究者がおります。

 

こんなおされなPVまで作ってはりますねー

Mother-Infant Communication: The Research of Dr. Beatrice Beebe Promo - YouTube

びっくり。

 

彼女の研究は、赤ちゃんとママのやり取りをビデオで分析するという

クソ退屈…もとい観察に基づいた科学的、実証実験で

 

幼児の情動発達を周囲の大人が如何にサポートできるか

 

ということを明らかにしておられました。*2

 

中でも皆が

「スンバラシイ!」

とベタ褒めだったのは

 

赤ちゃんの真似を「上手に」できるママは

赤ちゃんが興奮して「ウッキー」となってきたとしても

なだめ、落ち着かせることができる

 

という研究結果です。

 

まあ、

 

赤ちゃんと対面した大人が

赤ちゃんが口を開けるタイミングで自分も口を開けると

赤ちゃんヨロコブ

 

みたいなのは70年代からずっとやってたのですが…

 

ビーブさんの研究は一言で言うと

 

赤ちゃんを上手にあやすのはどんなママ?

 

みたいなヤツで…

 

ママが赤ちゃんと一緒に声の抑揚を「コントロール(調節)」することで

赤ちゃんを「必要以上に」興奮させることなく

落ち着かせることができる

 

みたいなことをビデオを分析して証明されております。

 

「欲動」の「対象」が、如何に「自我」を「コントロール(制御)」し得るのか…

 

みたいな精神分析的理論を考えている人達には非常にウケてるワケです。

 

心臓バクバク、息はハアハア、アドレナリン、サイコー

な、お子様達は一見すると楽しさ全開ですが

放っておくとモノ壊したり、自分を壊したりして

ギャン泣き、サイテー状態と紙一重な危機的状態でも御座います。

 

この様な「危機的状態」にある、赤ちゃんが

「破滅」を経験することなく、たとえ自滅してギャン泣きになっても

その「興奮」状態から自分をなだめる能力を

Self-regulation(自己調整) とか 

Self-soothing ability(自慰能力)

とか言うので

この記事でも書きましたが

【性依存症】 カエデさん その2.メンヘラと自慰力の欠如 - 精神分析のススメ

私は「自慰力」と呼ぶことにしています。

 

ママが一緒に興奮して

一緒に落ち着く

 

その経験がないと自慰力も発達せず

人は「欲動」のコントロールができず

「本当の自分」が破壊される恐怖に慄きます。

 

 

「偽の自分」について書くと言っておきながら思い切り話が逸れてしまいました

が、

 

興奮して生き生きしてる「本当の自分」がママに

「うるさいわね!」

とか

「あーもー鬱陶しいなー」

等と言われたり

冷たくガン無視されたりすると

さり気にトラウマになってしまい

常にイライラして(=他人をイライラさせる)

落ち着きのない

自慰力に欠けた

ADDなお子様達や

生きる力に欠けた(=退屈な)

ダルダル無気力なお子様達を

創り出してしまう

というのは何となくお分かり頂けましたでしょうか…

 

ダルちゃんの、

生まれたばかりの赤ちゃんの様に無邪気な

「私の言葉が、私の声が、ちゃんと皆に届いたの!嬉しい!」

という気持ちが

ヒロセさんの

「ごめん。その声はちょっと大きすぎで恥ずかしいから止めて」

という拒絶に逢う…

 

そして、その瞬間のダルちゃんの

「あなた(=ママ)に嫌われるくらいなら絶対に静かにするから…

もう、声なんか出さないから…」

という必死の懇願の表情が…

 

ああ…

 

突き刺さり過ぎて胸が苦しくなります。

 

ダルちゃん、自慰力が勝ち過ぎて「本当の自分」を殺してまで

ママを守ろうとずっとしてきたから

「生きてる実感」がないままダルダルだったのに…

 

今更、ダルダルに戻ろうとしても…

M男のヒロセさんと一緒なら、きっと般若化しちゃうと思うのですが…

 

それともママもどきヒロセさんを切り捨てて

女性性もかなぐり捨てて、自己表現の道を歩むのでしょうか…

 

「理想の父」と「愛する母」を再発見し愛し愛され…

「生産的」に*3創造性を発揮する可能性は

日本人女性には残されているのでしょうか…

 

次回は「母親を傷つけるということ」にしようか、

「母親が壊れるということ」にしようか、かなり悩みましたが、

これに落ち着きました…

【資生堂のダルちゃん】母親から離別するということ - 精神分析のススメ

 

書きたいことは沢山あったのですが…言葉がナカナカ出てきませんでした

離別のイタミはそんなに簡単に言語化できるよーなもんではないのかもしれません

 

怒りに狂う般若面の代わりに

感情を殺して能面をつけてしまうダルちゃん…

さあ、どうなってしまうのか…?

というお話でございます

 

ダルちゃんが終わってしまって哀しい…

【資生堂のダルちゃん】ダルダルな自分を受け入れるということ - 精神分析のススメ

*1:ウィニコット様は、決して

共依存アドレナリンジャンキー支持者では御座いません。

「独りでいられる能力」についても考察しておられます

*2:今でもやっておられる様です…

*3:日本のサラ・パリンとも言いたい某女性議員

の発言で燃えてる言葉ですが…

【精神分析】はイカガワシイ…?

先日

 

子供を育てる不安以前に

「自分の遺伝子がこの世に残ることが耐えられない」

 

という内容のツイートに

 

自己否定感が強すぎると、

自分の遺伝子はクソ

子供にナニも「良い」モノを与えられない

と絶望するのは当然です

…が、それを踏まえた上で

精神分析は「大好き」な自分を無意識の片隅に発見し

尊厳を回復しようとする試みです

 

というコメントをしてRTしました

 

このコメントは

「対象(=ママやパパ)」が

「大好き」な「自分」は同時に

「自分」も「大好き」という

自己肯定感のテンプレであり

「自分の(=親の)遺伝子クソ」

という痛烈な自己否定感と親への恨みツラミを

抱えた人にとっては

程遠い感触でしょうが…

 

かつて「誰か」を「大好き」だった自分は

いたはずで

今は見失ってしまっているだけで

無意識の何処かにきっとある!

と信じて一緒に自由連想していくのが

精神分析というビジネスで御座います

という意味を込めた

私的にはかなり力の入ったモノだったのですが

まあ、分からんやろな…

と思いながら寝に入って

翌朝、すっかり忘れていた

20余年前

初めて分析を受けていた時の経験を

ナマナマしく思い出してしまったので

書いてみます。

 

精神分析はけしからん

 

という人達は

アメリカの大学機関には結構沢山います。

文学、哲学系では

それ程顕著ではなさそうですが…

心理学部の教授、特に臨床の先生方には

精神分析を憎んでいる方もいる

と言ってよい程です。

 

多種多様なご批判がありますが、

根底にあるのは

イカガワシイ」

だと私は思っております。]

 

「転移」という専門用語が御座います。

 

精神分析をしていると

患者さんが医師に

あたかも恋をするかのような

情熱的な感情を抱く

という現象が起こります。

 

精神分析ではそれを「転移」と呼び

「技法」として「確立」しています。

 

患者の疑似恋愛的情熱は

親子関係における原初的な葛藤と切望が

医師との関係に「転移」されたモノである

 

とされ「自由連想」や「夢」と等しく

幻想への入り口として

自己探求を深める手段

として「使われ」ます。

 

フロイト教授のお友達の

非モテな)既婚のおっさん医師が

自由連想法を用いてみたトコロ

魅力的な若い女性患者に言い寄られて

びっくり仰天

治療を中断して

奥さんと第二の蜜月旅行に行ってしまった

などは…

分析を(フロイト教授に)丸投げした

という点においては

絶賛無責任ですが、

まだ「良い」方です。

 

患者と不倫の仲に陥る不道徳な分析家が続出し

問題になりました。*1

 

セラピストや医師が患者と、教師が教え子と

力関係が歪な恋愛するのは

アリがちな「不道徳」ですが、

その「情愛」を「技巧」の一端として

推奨するのは「精神分析」のみ

と言えましょう。

 

イカガワシイ」と思われてしまう所以はそこにある

と私は思っております。

 

 理論的には

原初的欲動(=性愛の萌芽)は

親子関係に立ち現れるので

恋愛のテンプレートは親子関系にある

といえます。

 

厳密に言えば「恋愛」自体

原初的欲動の「転移」であり、

「妄想」にしかすぎない

 

くらいなことを、どっかで

フロイト教授は言ってた気がします。*2

 

ただね、びっくりするんですよ。

こっちも。

分析受け始めて、2−3週間位でよ。

そもそも自分の性的嗜好と全く噛み合わない

精神分析家という肩書以外はナニも知らない

どこの誰かも分からんしょぼいおっさんによ。*3

いつもの自分のおかず幻想とは

全く関連性のない性的妄想が

何の脈絡もなく*4

浮かんでしまうと

こっちとしては

とうとう気が狂ったか?!

と思うわけですわ。

理論上はそーゆーことが

あっても当然とは「理解」すれども…

「一体全体、何でこんなことが?」

って混乱するし、

クッソ恥ずかしくて

過呼吸になりそーになりながらも

「カクカク云々こんなん出てきてしもたんですけど…」

と、言ってみたトコロ

彼は

「そんな強烈なんが

こんな初期段階で出て来るのは

ちょっとヤバイですな…」

みたいなことを

モゴモゴ言わはるし…

 

今となっては分かるんですよ。

信頼関係が出来上がってもいないのに

性的幻想を抱いたって

言ってしまうとか…

境界例的な露出傾向で

「ヤバイ」言わはるのも納得ですわ。

自分でも

「いくらなんでも、この幻想はヤバイ」

とは思いましたよ。

 

けど、それと同時に

「教科書通りの展開で、自由連想的に

性的な妄想を分析家に抱いてしもただけのことやのに

何がヤバイねんや!

ちゃっちゃと『解釈』して

カタ付けてくれへんねんか!」

という、不満も出てきてしまったんですね。

 

「大体、あんたらかて、

『現実』では性的妄想を若い子らに*5

抱いてもらうような

大層な見てくれではないんやから

本当はめっちゃ嬉しいんちゃうんかいな!?」

という、まあ、被害妄想的と言えば

被害妄想的なコトまで思ってしまったり。*6

 

今となっては分かるんですよ。

 

性的幻想に限らず

他者が自分に抱く妄想について

深く探求していくことは

時に

エキサイティングで

背徳感を伴うヨロコビを

分析家にもたらすと同時に

恐怖や不安を掻き立てる

オソロシいモノでもあり得る

ということも。

 

なる程!

と、うならずを得ないような

穿った「解釈」をしてくれるだろう

という期待に反して

ふんふん聞くだけの

分析家に「幻滅」してた

 

ということも。

 

「自我」を貫き通す(男根的な)「解釈」を

期待していたのに

劇的な展開もなく

「退屈」するのがコワかった

 

ということも。

 

そしてその「幻滅」も「退屈」も

自分の父親との関係性の追体験だった

 

ということも…

 

今となっては「分かる」のです。

 

当時私にとって人生一大の「危機的」

な状況で受けた

初めての分析は

 

劇的な展開で問題解決!

 

には至りませんでした

が…

分析の中盤…

始めてから1年程経った頃でしょうか…

 

「さよなら」も言えないまま

父親がいつの間にか

何処かへ行ってしまって

とても寂しく

がっかりした夢をみて

 

失望感と怒りとフラストレーションで

すっかり見失っていた*7

父親が「大好き」だった「その時」の自分を

思い出させてくれました。

 

ということで、

精神分析イカガワシイ

と思われてしまっても

仕方がない

キワドいビジネスですが

そんじょそこらの

チープな恋愛(=妄想)なんかより

「愛し愛される」可能性を探求する

余程エキサイティングで

心愉しい過程でもある

ということが

お分かり頂けたら良いなー

と願い、

恥をしのんで

書いてみました。

*1:いや、今でもちょくちょくありますがね…

ついこないだも

スーパー著名なベテラン分析家が

患者を手篭めにするという

スキャンダルが明るみに出て

問題になりましたわ。

自己愛オーラがガッツリ出ていたので

個人的には大嫌いでしたが

年齢を重ねてから懲戒処分されて

仕事干されて、家族も失って

流石にちょっと可哀想でした。

雑魚がやってもそこまで晒されないのに

有名所がやると皆に叩かれるというのは

仕方がないとはいえ…

*2:すみません。

どの論文かは覚えてません…

ロイディアン失格なので

*3:因みに私はゲイではありません

*4:何かきっかけはあったはずなのでしょうが覚えてません

*5:私も当時は自分が「若い」と思っていました

*6:彼もゲイではなかったと思うし…

私のゲイダー(=ゲイ・レイダー=ゲイ探知能力)は

精密さに欠けているというウワサです

…が、某著名ブロガーさんと、某有名AV男優さんの結婚話

彼女がゲイで彼がバイなのを隠蔽する為じゃないか、

と思っています

*7:「昔はお父さん大好き」だった「事実」は覚えていたのですが…

【ダルちゃん】 自己表現の厳しさ

ダルちゃん40話、読みました。

 

ああ、ヒロセさんのダメ男さは、ここでしたかぁー…

と思う展開でした。

 

ヒロセさんは、ダルちゃんの自己表現を

彼女の「創作」と受け取れず

「自分」を切り売りされた

と感じてしまいます。

 

そこには

自分の声で自由に自己表現をし始めた

ダルちゃんへの「妬み」も

もしかしたら

あるのかもしれません。

 

「男」として

社会に迎合し

会社で生き延びる為に…

日本人男性に、

自分の声を上げる「自由」は

ありません。

 

ダルちゃんとヒロセさんの

ほのぼのした関係性とは

全く趣が異なりますが、

白人貧困層のトラウマを謳うラッパー、

エミネムの奥さん、キムの反応を

ちょっと思い出しました。

 

この記事でもさくっと触れましたが

【エミネム】やっぱり痛々しい River - 精神分析のススメ

エミネムとキムは暴力的な愛情炸裂、

境界例ガッツリな関係性を修復しきれず

離婚、再婚を繰り返していますが

彼女は自分とエミネムの関係で立ち上がる

数々の問題を

彼に詠われることに耐えらなかった

とインタビューで独白しています。

 

芸術家のパートナーとして

彼等の作品に取り込まれることは

「本当の自分」が「芸術家」の目を通して

歪めて描かれることへの恐怖と

耐え難い羞恥心を

時に伴います。

 

彼等の「作品」を

完全に受容し

盲目的に愛することなく

お付き合いできるモノではない。

 

ということでもありましょう。

 

ダルちゃんの「怒り」や「攻撃性」を

報復することなく

「優しく」受け止めた(どMな)ヒロセさんが

【資生堂のダルちゃん】ヒロセさんが Mな件 - 精神分析のススメ

彼女の「攻撃性の昇華」である

自己表現=詩作

に耐え難い屈辱を感じてしまうのは

彼の「男」としての脆弱さを*1

哀しい程

冷徹に描いたエピソードだと

私には思われました。

 

ママもどきヒロセさんを愛したダルちゃんの悲劇について…

続きはこちらです

【資生堂のダルちゃん】 母親に否定されるということ - 精神分析のススメ

*1:「父性」とは「攻撃性」をコントロール

「昇華」するモノである

と私は考えています。

ヒロセさんはその観点からも

父性が欠如した、

オンナの攻撃性を受け止める(=どMな)だけの

なりそこないの「オトコ」である

と言えましょう。

【死刑】とトラウマ:【アンダーグラウンド】を読んで

神戸の震災、そして地下鉄サリン事件が起こった1995年、私は丁度、東京に住んでいました。

 

とはいえ、事件のあった都心からは離れた場所で

家にはテレビもなく、

ああ、そんな事件があったのか…

という「他人事」な印象しかありませんでした。

 

少し前に起きた神戸の震災もサリン事件も、

しばらくは被害の甚大さも把握できなかったし

実感もわかなかったことをぼんやりと覚えています。

 

911の同時テロの時にも

NYCで学生をしていましたが

学校が休みになったことしか

事件の実感がないまま

テレビのない家に引き篭り

プエルトリコの旗があちこちに翻る

スパニッシュハーレムと呼ばれる

ご近所一帯が

一夜明けたら

星条旗を掲げているのを

「他人事」ながら

「何かがオカシイ」という違和感と

そこはかとない恐怖を覚えて見ていた感じに

少し似ているかもしれません。

 

重大な事態に面して

どうやら私は

「ウソみたい」と非現実感や

「自分には関係ない…」と疎外感で

反応する傾向が有るようです。

 

オウムについてはバラエティ番組で興味をソソる

集団として取り上げられていたようですが

家にテレビがなかったので

ほとんど何も知りませんでした。

 

サリン事件のちょっと前、

スーパー高学歴なお友達一家と

連絡が取れなくなった親が

「あそこの家族はハイスペックだから

オウムに拉致されたんじゃないか…」

と、おちゃめな心配をしていたことから

オウム=優秀な民間人を拉致する白い服着た不気味な団体

という印象はあった様に思います。

 

1995年の夏に渡米する予定だった私は

オウム事件に無関心なまま

日本を去りました。

 

が、去年の12月頃でしょうか

図書館で

村上春樹の「アンダーグラウンド」を見つけて

読了した3月頃にこの記事を読みました

麻原彰晃死刑囚の三女・"アーチャリー"松本麗華さんが父の治療を訴え続ける理由 | AbemaTIMES

 

麻原彰晃心神喪失状態で裁判が行われ

刑事責任を問われたこと

 

呼びかけに反応せず、排泄物垂れ流し状態で

被告人質問があったこと

 

日本は法治国家ではない

と私は思いました。

 

精神科で入院の決め手になるのは

「自分、又は他人に害を及ぼす危険性があるかどうか」

です。

 

言い換えれば、自殺も殺人も「精神疾患」の症状の一つである。

ということです。

 

「犯罪」はトラウマです。

「腑に落ちる」「真実」の究明がなされないままでは

「暴力」を乗り越えた実感がないままでは

「反復」の衝動に駆られ

同じトラウマが繰り返されます。

 

犯罪者が如何に罪を犯すに至ったのかを

「理解」する努力を怠り

罪人を「倫理観の欠如したキチガイ」として処刑することは

新たなる「キチガイ」を生み出すことにしか

繋がりません。

 

「気持ち悪い」オウムの事件に無関心だった私は

日本の「気持ち悪い」部分から逃げ出すことで

トラウマの反復に貢献する

一員となったのです。

 

前置きが長くなりましたが、ここからが感想文(?)になります。

 

アンダーグラウンド」の序文を村上氏は

夫がサリン事件の後遺症で職を失った妻の手紙

との邂逅で始めています。

 

彼はその手紙の文章を

「どちらかといえば物静かで、むしろ『愚痴っぽい』…かもしれない」

と感じつつ、疑問を抱きます。

 

「不運にもサリン事件に遭遇した純粋な『被害者』が、事件そのものによる痛みだけでは足りず、何故そのような酷い『二次災害』まで(それは言い換えれば、私達のまわりのどこにでもある平常な社会が生み出す暴力だ)受けなくてはならないのか?」

という疑問は彼の頭に消し去ることの出来ない「大きなクエスチョンマーク」を残し、

「かくのごとき二重の激しい傷を生み出す我々の社会の成り立ちについて、より深く知りたいと思うように」なります。

 

トラウマ=傷 を理解する為に村上氏は被害者へのインタビューを決心します。

 

サリン事件は『キチガイ』の犯行であった」

という「解説」で片付け

オウムの幹部を処刑することでは

「傷」が癒やされないことを

彼は知っています。

 

彼のインタビューは、各々は短いながらも62人という多人数に及び、

インタビュイーの描写といい、質問の仕方といい、

あたかもトラウマに対処するメンヘル職人の様な緻密さを

呈します。

 

この記事にあるように

「他人のトラウマ」で相撲をとるということ (4/5) | プレジデントオンライン

「被害者にあくまで寄り添いながら、ひとりひとりの人間性の可能性と限界を非情なまでに浮き彫りに」

しており、読むのに大変時間がかかりました。

 

村上氏はあとがきで

サリン事件時の行政の混乱と過失の原因を

「閉塞的、責任回避型の社会体質」にあるとし

戦時中の帝国陸軍のあり方に重ね合わせて

無意味な愚行と悲劇が歴史の中でむなしく看過されてしまう原因

としています。

 

それと同時に、彼は

サリン事件が投げかける後味の悪い黒い影」を

地底の深い闇に住みつく、おぞましく邪悪な生き物から逃れる「物語」になぞらえ、

解き放ってはいけない邪悪なモノ=許容不可能な暴力性

としています。

 

ここ2−3日のツイッターを見ていると

(私のTLは恐らく「日本」の反応とは言い難いのでしょうが…)

「後味の悪い黒い影」は

村上氏が思うような

私達に内在する許容不可能な暴力性というよりは

その存在に対する私達の恐怖と嫌悪感なのではないか

と切に感じます。

 

オウムを生み出したのも

被害者への二重の暴力を振るっているのも

社会不適合な「キチガイ」を排斥し、

恐怖し

嫌悪し、

放置する

不寛容な私達なのではないでしょうか…

 

オウム信者が如何に

麻原の「粗暴で滑稽な物語」に執心し

心を歪めざるを得なかったのかを

「理解」しえないまま

死刑が執行されてしまった今

「めじるしのない悪夢」から抜け出す為にも

各々が、喪失を受け止め

失われたモノの存在意義を確かめ

「喪」に服すことで

「赦し」と「再生」が得られることを

祈るしかできないのでしょう

【マザー!】観ました…

しばらく前になりますが

【マザー!】みたことも無い映画のススメ - 精神分析のススメ

観てもいない映画をオススメしてみました

(無責任…)。

 

今更ですが…

観ました。

ので、感想を書いてみます。

 

見どころは何と言っても

詩人(神様)のハビエル・バルデム

監督の恋人だった母(なる大地)役のジェニファー・ローレンス

そして(アダムとイブの)

エド・ハリスミシェル・ファイファー

迫真の演技だったと思います。

 

映像も象徴満載で大変興味深いです…

 

が…全体的には

「んー…微妙…」

でしたね

 

ダロノフスキー監督と言えば

統合失調症の「パイ」

薬物依存の「レクイエム・フォー・ドリーム

強迫観念→統合失調?な「ブラック・スワン

からの流れで

「元々ちょっとアブない人が

徐々に精神のバランスを失う過程を

緻密に耽美に描く」

のかと期待していたら

あれ?

ってちょっと拍子抜けました…

 

マザー!」は私が期待していた

自己愛性人格障害の描写というよりは

聖書を下敷きにした寓話色が濃くて

お話の意図を理解したり

楽しもうとすると

聖書を「読解」しようとするくらい

頭がウニになります

 

寓話的な作品というと

ピーター・グリーナウェイ

英国式庭園殺人事件 - Wikipediaとか、

セルゲイ・パラジャーノフ - Wikipediaの「ざくろの色」とか

ヴェラ・ヒティロヴァのひなぎく (映画) - Wikipedia

等はお話ワケわかめでも

映像が私の好みにハマるので

是非とも映画館で観たい!

となるのですが…

 

マザー!」は…まあ…

こだわって作ったのはスゴく伝わってきて

好きな人は好き

かな?くらいで、

映像美を堪能するために

2000+円払ってまで劇場で観たい!

って感じではなかったので、

日本では劇場公開しなかったのも

まあ…分かる

 

聖書と、西欧思想にがっつり食い込む「原罪」

に親しみのない日本人としては

絶賛、理解不可能

になるに違いない

と思いました

 

聖書に馴染みある欧米人にも

キツイ内容ですからね…

 

ざっくり言うと

全知全能の神は

アダムとイブがエデンの園を追われた様に

人間が罪を犯すことを

止もしないし

寧ろ容認するくせにキビシク罰する

ワケ分からんヤツ

という聖書の解釈を

環境汚染、資源の枯渇、血みどろの紛争に

罪悪感を抱きながらも

地球という生活圏を追われるべく

目の前の快楽、欲望に抗えない

現代人の姿に

重ね合わせている

ということで

そんなウザい(=見たくもない)「真実」を

カネ払ってまで誰も観たくはないだろうなー

というのが、私の率直な感想です

 

それにしても

しつこく言いますが

アロノフスキー監督「狂気」を描くのが

めちゃ上手いと思います。

 

マザー!」と一緒に

ブラック・スワン」も借りて観たのですが

強迫神経症(→境界例?)→統合失調

へと「悪化」する過程の描写が

「ピアニスト」とか、「ビューティフルマインド」より

(私にとっては)断然、説得力ありましたねー。