精神分析のススメ

海外在住メンヘル専門家。ヒップな精神分析をめざしております。

高機能自閉症と父親機能 「ザ・コンサルタント」 

発達障害と、制御不可能な破壊衝動について書いた

発達障害のメタファー 亜人 - 精神分析のススメ

直後に、寝不足で頭グルグルしながら、飛行機に10時間以上乗って、普段は観れない (ちょっと古い)映画を5-6本観る機会がありました。

 

高機能自閉症ベン・アフレック主演のハリウッド映画なので、こんな子供時代で高機能って、ありえないでしょう…みたいな、無粋なコメントは控えますね)の主人公が出てくる、「ザ・コンサルタント」も観たので、父親の機能や、破壊的衝動の描かれ方について、「亜人」と比較してみました。

 

原題は、「会計士(アカウンタント)」となっており、退屈で、冴えない、しみったれたイメージの会計士が、実はダークなスーパーヒーロー(?)という予想外の展開になるはずなのですが…「ザ・コンサルタント」だと、外来語効果でミステリアスになってしまって、意外性は狙えない気が...

 

ベン・アフレックも、「グッド・ウィル・ハンティング」とか、「ドグマ」でのマット・デーモンとの共演が、良い感じでしたが

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「あれ?いつの間に、殺しても殺しても死なないブルース・ウィリスみたいな役どころになっちゃったの?」

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って感じでびっくりしました。

 

助演女優のアナ・ケンドリックも、

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トロール」観てからは、

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「ポピーが何で?!」

としか思えなくなってしまったし…

 

まあ、そんなの、記事の趣旨に関係ないので、どうでも良いことなのですが。

 

半分寝ながら観たので、かなり、印象に頼って書いてます。こちらの詳しいあらすじを大変有難く、参照させて頂きました。

blog.imalive7799.com

映画を御覧にならなかった方は、このあらすじを読んでからでないと、「ワケ分からーん」ってなるかもしれません。

 

 

まず、「亜人」と似てるな、と思ったのが、主人公と父親(的存在)との繫がりや、物語のカギとなる自閉症の治療施設、ハーバー神経科学研究所との繫がりが掘り下げられておらず(「亜人」ほどではないにせよ)説得力がないこと。

最近多い気がします。人間関係の描写でツメの甘い物語。

 

まあ、アクションがウリのハリウッド映画なので、関係性をそこまで緻密に描く必要はないのかもしれません。

発達障害系は、人との繫がりを構築するのが苦手なのでその辺も、もしかしたら意図的に狙った効果なのかもしれませんが...

 

父親が自殺して、キャラクターの描写も「え?何でこの人がこんなこと言う(する)の?」という驚きでいっぱいな「亜人」と比較して印象的なのが、「ザ・コンサルタント」では、父親が、とにかく「強い」「厳しい」キャラであること。

父親のイメージが希薄で、散漫な「亜人」に対して、「ザ・コンサルタント」では、主人公は、「強く厳しい」父親的存在の指南の下、若かりし自分の無軌道な破壊衝動や、過敏な感受性に方向性を見出し、戦い、自己実現の道をたどります。

 

 

子供時代に、ハーバー神経科学研究所で自閉症の診断を受けた(ベン・アフレックが扮する)クリスチャンを施設に入れて治療することを拒否した父親は、子供達を肉体的に、精神的に鍛えることで、クリスチャンに障害を克服させようとします。

自分の身を守る術を身につける為とはいえ、

「虐待かい?」

というような厳しい訓練を課す父親にビシビシ鍛えられて育つ、ヒーロー。

クリスチャンの父親との関係には、ちゃぶ台ひっくり返す昭和の父、星一徹(「巨人の星」あまりはっきり覚えていないのですが、私にとって、熱血スポーツマンで愛情深い古典的父親像になっていると思います。)にも通じる、厳しい規律や、肉体的、精神的強靭さにより、破壊的衝動のコントロール、ひいては建設的な自己実現を図る、という、洋の東西を問わない普遍的父親像が描かれているとも感じます。

 

 

ちょっと

「おや?」

と思ったのは、父親が治療を拒否したにも拘らず、クリスチャンがハーバー神経科学研究所と深い繫がりを維持していることや、特殊な治療プログラムに従っていることです。

 

大人になったクリスチャンが就寝前に、タイマーをかけて服薬し、フラッシュライトを明滅させ、音楽を大音量でかけながら脚をマッサージする、というシーンは、彼が何らかの治療計画に沿っていることを示唆します。

 

自閉症児の中には、治療や訓練によって健常者に近い機能を回復する子供もいますが、自閉症はいかに高機能であっても、遺伝子の異常を伴う、不治の病です。

 

発達障害は私の専門外ですし、処方箋のラベルを読んだわけではないので確信はありませんが)クリスチャンは、おそらく集中力を維持するためのリタリンとか、神経の興奮を鎮めるリスパダールを服用しているのでしょう。

 

自閉症児には、光や音に過敏で、触られるのを嫌う子供が多いので、刺激に慣れる様、訓練することが薦められることがあります。こういった治療計画は、研究所に負うのでしょうが、そこが(研究所長の娘との関係も含めて)ごっそり物語から省かれていたので、私的には物足りなさを感じました。

 

が、脚本家にしてみれば、クリスチャンの、ともすれば行過ぎた自己防衛技術が、父親によって情け容赦なく訓練された結果もたらされた、という設定を強調する意図があったのかもしれません。

 

その為、クリスチャンの父親は、もろ、攻撃性の管理専門という印象です。

その一方で、精神分析、てか、西欧思想に於いて、重要な父性機能の一つとされております、理性や知性でクリスチャンの鋭敏な感受性に方向性をつけ、「会計士」を育てたのには、おそらく、ハーパー神経科学研究所の治療方針や、彼が獄中で出会うアブナイ会計士、フランシスの存在が大きいように感じます。

 

亜人」と比較(日本とアメリカの比較とも言えますが)して面白いのは、圭の父親は、規律に反して社会的生命を失い、自殺するのに対して、クリスチャンの父親や、会計士としてのノウハウを伝授したフランシスは、殺害されることです。

この辺りに、エディプス・コンプレックスの根強さが窺えると思うのですが、欧米の父親は運命と戦い、暴力的に排除されるのに相対して、日本の父親は、物分り良く自分から死んで、若者に活躍の場をあっさり引き渡してくれる(無責任とも言う)のかなー、とか、考えてしまいます。

 

ここで、もう一人の父親的存在とも言える、司法に則る善玉のレイが、退職を目前に、商務省局長として、クリスチャンを追いながらも、排除されず生き残ることが興味深いと思います。

まあ、ハリウッドなので正義が勝って当然ですが。

って書いてたら、

これまた古い映画ですみませんが、

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン - Wikipedia

でもトムハンクスがそーゆー父親像を演ってたなー、と思い出してしまいました。

「キャッチミー」でも「コンサルタント」でも、駄目(不十分)な父親を持った(放蕩)息子が、排除する必要を感じる事なく求め得る、「良い父親」「正しい父親」として、「悪者を捕まえる正義のヒーロー」的キャラクターが、物語に組み込まれている様に思われます。

「キャッチミー」も「コンサルタント」も主人公(息子)が司法(父親)に逆らい、追われながらも、自分のやりたい事(正義?)を貫くお話とも言えましょう。

父なるモノへの反逆と言えば、実際、「コンサルタント」には、(父親的)レイが、(見捨てられた息子である)クリスチャンに殺されかける場面があります。さあ、殺られるか、という瞬間、クリスチャンはレイに話しかけます。レイは「自分は完璧ではないが、良い父親である」と応じて、見逃してもらいます。

このシーンが、レイの回想で語られることにも、意味があると私は思います。

父親殺しには堪え難い罪悪感や不安が伴います。

父なるモノとの対決の物語は、無軌道な暴力を赦し、収束させ得た、生き延びる事ができた父親の視点からでないと、語り得ないのも当然のことでしょう。

 

「良い父親」がレイならば、クリスチャンを殺そうとするリヴィング・ロボティクス社のラマーは、殺害し、排除すべき「悪い父親」でありましょう。

亜人」の悪役、佐藤に比べると、ラマーの極悪さは、金銭欲に駆られていると言う点で至極明確な方向性を持っており、理解可能、手に負える様に感じられます。

 

このように分析すると、「コンサルタント」は、「亜人」の、自分が人と違うだけで排除される、理不尽な社会に受け入れられる為に、(自分の内面の)悪と戦う、という、「司法」とか、「規律」という厳然たる正義の欠如した世界とは全く趣が異なります。

欧米の、男性(man=人間)は、母親との一体感を、父親の「否」という言葉(知性や、規律の象徴)で切断されて男(人間)として成長する、みたいなことを言う、とってもラカンな解釈は、「亜人」の世界では通用しませんね。

 

何だか取りとめがなくなってしまいましたが、最後に、クリスチャンの弟との関係について、男が大人になる意味が含まれているように感じたので、ちょっと書かせて頂きます。

 

亜人」に描かれる、圭と同位置にある友人達との関係性は、かなり一方的な気がしました。

 

亜人」の圭は、対立を回避し、友達を一方的に切り捨て(お話の最後にはもっと深みが出るのかもしれませんが)ますが、「コンサルタント」のクリスチャンと、弟のブラクストンは、映画の終盤で殴り合いの兄弟喧嘩を始めます。

 

ブラクストンにとって、クリスチャンは、障害を持つ兄です。父親に、家族はお互いを庇い合うものだ、と教え込まれたブラクストンは、クリスチャンを疎ましく思いながらも、自分が面倒を見てやらなければならない、守らなければならない、という責任感を負って育ちました。

が、映画の終盤で、守るはずの兄、クリスチャンに、逆に守られ、救われるという、関係の逆転が生じます。

この様な、面倒を見る者と見られる者との関係性の逆転というのは、本来

守られ、与えられる存在であった子供が成人して親の面倒を見るようになる

という形で親子の間に経ち現れる瞬間でもある様に思われます。

それと同時に、自分を救ってくれた研究所に対する経済的支援をする為には、法に背き、殺人も厭わないという、自分なりの正義を貫くヒーローでもあるクリスチャンが、父親に培われた「力」を駆使して闇の世界の住人となってしまったブラクストンと和解する瞬間でもあります。

 

ハリウッド映画と漫画という全く違うメディアで比べるのには無理がありますが、「亜人」に比べると、より深みの在る関係性が描かれている様に思われます。 

亜人」に描かれている(ように私には思える)発達障害者の「どうしてよいか分からない、行き場のない破壊衝動」との終わりなき戦いが、「ザ・コンサルタント」では、強い父親、良い父親のお陰で、何とか治まりがついている為、自閉症患者の「親密になりたい気持ちはあるのだけれど、どうして良いか分からない」内的経験にもっと焦点が当てられて、深みのある作品に仕上がっている様に感じました。

 

因みに、高機能…ではありませんが、自閉症と言えば、かなり古いのですが「レイン・マン」の方が、現実味あるかな…って、会計士が闇のヒーローな「ザ・コンサルタント」に現実味がないのは、当たり前ですね。てへ。

 

崩壊した日本語での、とりとめもないお話にお付き合いくださり、最後まで読んで頂いた皆様には、感謝の念で一杯です。