精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

カネはリビドーの象徴?

リビドーって性欲とか、エロス(愛欲)とかって印象が強いのでしょうが、私的には、「欲動」って訳すのが一番しっくり来ると思っています。

 

「欲」とは、「欲しい!」と感じること。「動」は、「突き動かされる衝動」ってことです。

そう考えると、お金が、「欲動、」リビドーの象徴って、成る程ー。です。

欲しいし、手に入れるためには、突き動かされてしまう。

カネを、上手く制御できないと、時に破壊、暴力をも生みます。

 

とは云うものの、カネとリビドーの繋がりは、初めて聞いた時、実は、「かなりこじつけ?」 と、思っていました。

カネは、糞 (自分が創造するモノ) の象徴、でもありますからね。

 

学生時代の話です。某ユング研究所の学生割引料金設定が高価すぎる、と文句をつけた所、かなり年配の熟練分析家の方に、

 

「お金というものは、リビドーのようなものです。望んで放出できないのであれば、死んでいるのと同じことです。リビドーと同じように、放出すれば、それに見合った悦びを得られるはずです。」

 

みたいなこと、言われました。

 

頑張って数ヶ月通いましたが、どうしても、

 

「コストパフォーマンスが良くないので。」

 

という理由で、終結致しました。

 

 

因みに、チューリッヒユング研究所では、

 

「アメリカの研究所はカネの亡者だ。」

 

と言われている、というまことしやかな噂を聞きました。

 

閑話休題

ここからが、本題です。理想論の展開なので、ウザいかもしれません。

 

脱サラして、フリーランスを楽しくやっている方達のブログを読んでいると、どうしても、気になることがあります。

 

不労所得の問題です。

 

会社で働けども働けども、安定感や、豊かな生活は得られない。投資に心惹かれるのも分かります。

 

社会福祉壊滅状態の、アメリカで、老後の安定を得ようとしたら、投資するしかありませんから。

 

投資を生活の安定の為にしていると、安全な投資をするようになります。ということは、大企業であればあるほど(倒産しない)、利潤の大きな企業であればあるほど(リターンが大きい)、好ましい。どんどん富の集約が進む。という大きな問題が生まれます。

 

エネルギー(石油、電気、ガス)を筆頭に、理不尽に利潤の大きな産業は、利益を上げるためには非人道的な手段を厭いません。労働者の福利、賃金は元より、環境への配慮など、規制がなければ毒を垂れ流すことにも良心の呵責を覚えません。

 

会社の倫理観が損なわれるのは、責任の所在が明らかではなくなったからだと思います。

 

例えば、ベトナム戦争枯葉剤を作ったモンサント社

今でも、枯葉剤をもじった、化学肥料や、除草剤、除虫剤で、世界を席巻するモンスター企業です。環境への悪影響を懸念して、抗議の声が上がりそうになると、各国政府や、学術研究機関に圧力をかけることなどお手の物。化学兵器開発に携わった歴史に鑑みて、死神の企業とまで言われています。

 

shinhakken-blog.seesaa.net

彼らが政治的影響力を誇れるのも、投資信託の御蔭様と言えましょう。モンサントの株主は、大銀行、証券会社で占められています。カネさえ儲ければ、それで良し。な金融に、牛耳られた会社に、倫理観など有り得ないのも当然です。

 

shinhakken-blog.seesaa.net

そして、銀行や証券は、顧客のカネさえ増やせれば、みんなを幸せにしているのですから、非社会的な運営を続ける大企業にカネをつぎ込むことも、「悪い」ことではなくなってしまうのです。

 

個人投資家も、ファンドと、一括りにされてしまうと、どの様な企業にカネを入れているのか分からないまま、将来の安定性に惹かれて無自覚なまま、富の集約、ひいては、貧富の格差拡大に貢献し続ける、という悪循環に嵌り込んでしまいます。

 

搾取されることに疲れて、金融市場に不労所得を求めると、搾取に貢献することになる(又は更なる搾取の犠牲となる)。虐待の負の連鎖と一緒です。

 

私は、カネ儲けの為に、軽々しい投資参入には懸念を覚えますが、投資の理念自体は「悪い」ことではないと思っています。

 

カネは、蓄積する物ではなく、回していく物。新しいことを始めたいのだけれど、資本がない人達に、希望を託す。という役割での投資には、決して反感を抱きません。

 

カネをリビドー(活きる力)の象徴とするのなら、投資も、単にカネ儲け(貯める)、という目的ではなく、自分が「良い」と信じる企業の、未来に「託す」気持ちで行ってこそ、金融市場に、社会に、健全なエネルギーを吹き込むことが出来るのではないでしょうか。

 

そして、その為には、投資先の企業の資本金額や、利益投影のみならず、労働者にいかに誠実に利益を還元しているか、福利厚生を行っているか、といったことをきちんと知ることが必要なのではないでしょうか。

 

因みに、VALUって、どうなんでしょうね。個人の可能性に投資する、という意味では好ましいとも思いますが、買った人が死んじゃったらどうなるんでしょう?癌とかで、闘病日記をVALU主だけに特別配信!とか、香典なしでもお通夜、告別式にいらして下さい!とか、形見分けにご優待!とかになったりするのも、えげつない気がするなあ。