精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

トラウマ

について

フロイトの「快楽原理の彼岸」という論文があります。

 

フロイトが、「タナトス」という

「リビドー」に相対する衝動を

初めて打ち出した論文なのですが…

当地のメンヘル業界内では、

「臨床に生かせない」

「ザル(お野菜なんか洗う時に使うやつです)な論理や」*1

と、めっちゃ評判が悪いこの論文

私は大好きなのですが

それについて書こうとしたら

もう、さっぱり訳わかめになりました。

 

ので、あきらめて。

 

元々上野さんの良記事に触発されたので、

「トラウマが消えなくて困っている。」

という問題に集中してみようと思います。

ueno.link

 

まず、トラウマというのは

消えない傷だからトラウマなのです。

 

車をお持ちの方ならご存知でしょうが

一度事故や盗難にあうと、保険金が上がります。

交通違反とかなら分かるけど

不可抗力*2なのに理不尽です。

が、

事故や盗難に一回遭うと、

同じ様なことが起こる確立が

(無事故な人に比べると)上がるそうです。

 

不注意だから。

 

という理由付けをするのかもしれません

が、

私は、「トラウマ」の理論だと思っております。

 

不運に遭った人は、それを

「克服できた(=傷が癒えた)」

という実感がない限り

その記憶を

「完結」した物語として

「オサメる」ことが出来ない限りは

同じく「理不尽」な不運を惧(おそ)れ、

繰り返すことになるからである

と理解しております。

 

では、その「克服できた」という実感は

如何に得られるのか。

 

「繰り返そうとする衝動」を

どうしたら解消できるか。

ということを様々な心理療法

精神分析や、トラウマ専門の治療では

試みるのです。

 

ということで…

下手に素人が名前なんか付けてしまうと

にっちもさっちも行かなくなってしまう

という上野さんのご意見

全くもって、御尤もで御座います。

 

以下、精神分析的トラウマ対処を

ざっくり説明させて頂きます。

 

「如何にトラウマを克服し得るか」

 

に焦点を当てているので、楽観的です。

 

トラウマ その2.も

是非とも併せてお読み下さい。

 

とある分析家が講義で、

PTSD(トラウマ後のストレス障害)の原因となった

『現実』の出来事以前には

必ず個人的な妄想や、幻想があったはず。

その幻想こそが一次的要因で

『現実』の出来事はPTSDを患う

きっかけにすぎない」

というよーなことを言っていました。

 

「成る程ー」

とは思ったものの、彼女の言わんとするところが本当に

「分かった!」

と感じるまで、実はかなり時間が掛かりました。

 

例えば…

「死ぬのが怖い」

と思って戦場に臨んだ兵士が砲撃にあって生き残る

すると、それがトラウマになります。

 

「撃たれても生き残った」

という現実を陵駕する

「撃たれたら死ぬ」

という恐怖や、幻想がそれ以前に強くあると

「撃たれたのに生き残った」

という現実が入り込む余地がない

ということなのかな…

と、

(もしかしたら全く異なる

意図での発言だったのかも

しれませんが)

かなり後になって実感しました。

 

故に、「撃たれたら死ぬ」恐怖を繰り返す。

 

「生き残った」実感が得られず、

「撃たれる(攻撃される)のが怖い」

又は、

「自分はあの時死ぬべきだった」

という気持ちに固執してしまう。

 

その無意識的(又は意識的)

「繰り返しの衝動」が

トラウマを形成するのです。

 

「死ぬのが怖い」

なんて、全ての人が抱くものだ。

といわれるかもしれません。

が、個人的に抱く「死の恐怖幻想」は、様々です。

 

個々人の持って生まれた性質に加えて、

生後間もない幼児期の体験によって色づけ、

形付けがなされるものだからです。

 

トラウマと言う言葉が

元々は、帰還兵の生死に関わる恐怖体験を

意味するものだったにも関わらず、

対人関係のトラウマにも

当てはめられるようになったのには、

精神分析の理論に因る所でありましょう。

 

というのも…

精神分析では、幼児期の

「おっぱいが口の中にない!」

という体験を、

「どうしよう!死んじゃうー!」(絶望)

とか、

「生きてられへんやんか!どうにかせー!」(憤怒)

という

生死に関わる幻想の根源

としているからです。

 

子供を見ていると時々、

「なんでこんなくだらないこと

(ぬいぐるみがふとんからおっこったとか、

擦りむいてちょっと血が滲んだとか)

で生きるか死ぬかみたいな迫力で怒ったり、

怖がったりするんだろう?」

って、思うことありませんか?

 

オトナにとっては、些細なことでも

子供達にとっては生死に関わる一大事なのです。

 

子供達の「生死に関わる一大事」を

「コワかったね」

「痛かったね」

「でも、もう大丈夫」

 

 

回復の過程を「共有」してくれる

「誰か」を心に抱くことで

私たちは

危機を乗り越えて生き延びる確信

メンタルの強靭さ

を獲得出来るのです。

 

「一大事」に直面した時…

「あら、そんなの大したことないじゃない」

とか

「そんなことで泣くなんてみっともない」

と言ってしまう「誰か」を心に抱える人は

「一大事」に直面しても

誰も「分かってくれない」

「1人でどうにかしなければならない」

不安や恐怖や憤りを抱えることになります。

 

トラウマの種類にもよりますが

オトナになっても

トラウマ的に苦しい状況を繰り返される皆様には

イキナリ精神分析はオススメできません。

 

「認知行動アプローチ(DBTがオススメです)で、

トラウマ対処法を身につけた上で

興味がおありでしたら是非とも精神分析をお試しください。」

と言いたいところです。

 

古き良きフロイト教授の時代とは異なり、

「無意識の衝動」を、意識化するだけでは

「衝動」に打ち勝つことは難しいことが

明らかにされてしまいましたからね。

 

「トラウマに精神分析は効かない」

という批判は横においといても、

いきなり自由連想法

トラウマ眩想にアタックしていくのは

大きな危険を伴います。

 

自身の不安や恐怖の根源にある幻想に

立ち向かおうとすると

じっとしていられないくらい

掻き立てられ、

信じられない程

強烈な感情が湧き上ってきたりして

どうしようもなくなってしまうことも

ままあります。

 

まずは、それを

「一緒に乗り越えてくれる」

という信頼感を抱ける相手

(治療者に限ったことではありませんが)

をじっくりお探しください。

 

又は、そのような信頼関係を

作り出そうと試みることです。

その過程そのものが、

トラウマ解消への第一歩になり得ます。

 

それから、次にトラウマ的出来事に遭遇なされた時には、

ここがチャンス、正念場

と心構え

「克服感」を抱くためには、

トラウマという「繰り返しの衝動」から抜け出す為には

ご自身がどの様に振舞えばよいのか…

どの様な「結末」をトラウマという「終わりのない幻想」に

与えなければならないのかを

じっくりお考えになっては如何でしょうか。

 

そして、誰かに

「トラウマに苦しんでいるの」

と告白されたら、

「そんな辛いことがあったんだ、大変だったね」

だけでなく、

「どうやって乗り越えて生きてきたの?」

「どこからそんな強さが出たの?」

と、彼等が「繰り返しの衝動」を乗り越えるべく、

「克服の幻想」の可能性をより大きく膨らませる過程に

寄添ってみては如何でしょうか。

 

トラウマは、消すことはできませんが、癒すことはできるのです。

neofreudian.hatenablog.com

*1:しっかし、そんなん言い始めたら、彼の理論全部ザルちゃうか?

と、正直なところ、私は思ってしまうのですが

*2:「悪い」相手がいると保険金は相手が払うので、話は別ですが