精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

ラブホの上野さん と 性同一性:【ズートピア】は「勝つ」か「負ける」か…弱肉強食の世界? 

いつも、斬新な切り口で悩み相談をバシバシと片付ける、上野さんの文章、楽しく読んでいるのですが、このLGBTの方のご相談に対するお答えを、勝ち負けにからめておられることに、違和感を抱きました。

 

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結論的には上野さんと同じです。勝ち負けを軸に偏見を捉えるのも、御尤もですし、上野さんのニーチェの絡め方もグッとくるのですが、私的にはズートピアについては全く異なった見方をします。ということで、お読みください。

 

まず、私のアンポンな頭では、ニーチェは理解不可能なのですが、ズートピア見て、泣けました。子供騙しにちょろっとこまされて、大変お恥ずかしいのですが、大好きな映画のひとつでもあります。

 

ネオフロイディアン板ズートピアあらすじ

(上野さんの様に、すっきり短くできませんでした。)

 

肉食獣(=強者)のキツネは信用できない苛めっ子?

幼い頃、草食獣に虐められ、

偏見に傷つき詐欺で金儲けするようになったキツネ。

小さなウサギ(草食獣=弱者)は警官になれない?

獰猛なライオン(肉食=強)はヒツジ(=弱)をいじめる悪者権力者?

草食獣は肉食獣と相容れないのか?

そんなことない!

復讐心に燃えるヒツジが黒幕だったことを、

草食獣は肉食獣の協力を得て、暴いた!

一件落着、大団円。

(そして、怠け者は…やめとけって。自分で突っ込んでみました)

 

という展開で、弱肉強食というテーマは根底に流れてはいる物の、

大衆心理操作による偏見や、暴力だって、

個々人の繫がりを回復することで克服しちゃうぜ!

という大変アメリカンで、楽観的結末となっております。

(私が個人的に抱いているニーチェの印象とは、対照的でございます)

 

LGBTQ(最近では、クイアーという、ゲイと何がどうちゃうん?と、私にもちょっと解説不可能なグループが、私等も入れろ、と言うことで最後にQが付け足されるようになったそうです。)を、弱者と見る点も、文化的背景を考慮すると一面的だと感じました。

 

ゲイと芸の関わりは深く、

LGBTQは、ちょっと特殊な「憧れの人達」という立ち居地もあるからです。

アンディ・ウォーホル(ゲイ)や、フリーダ・カーロ(バイ)の御乱交、

宝塚や、ジャニーズ事務所にまつわる、まことしやかな噂などが、

最たる例で御座いましょう。

日本では得に、織田信長等、ゲイと権力者

という親和性も見逃す事ができません。

 

これを踏まえた上で、迷える若者が

「自分はもしかしたら、ゲイ?」

と思い込むのは、

「自分はもしかしたら特別?」

と思いたいことの現われとも捕らえる事ができましょう。

 

「私はゲイです」と宣言して、同姓愛者と恋愛関係になり、

実は異性にも惹かれる、と告白すると

「何だ、バイか」

と、拒絶されてしまう、

かといって堂々と、

「私はバイです」

と言っても、

「何だ、そんな中途半端な気持ちなのかよ」

と、門前払いを受けてしまう。

LGBTQ最先端を走るアメリカでも

中高年層の方々の間では、よく聞く話です。

 

話が逸れますが、

(私流の解釈ではコスモポリタンで中性的とでも言いましょうか)

メトロ(セクシャル)がヒップ(流行?)な若者世代では

異性愛と同性愛者の境が曖昧になってきている

という説も御座いますが、

これは、ごく一部の都会での話なのではないか、

というのが私の印象です。

 

アメリカでも田舎では特に、強弱、勝ち負けという、

権力構造が、ゲイや、有色人種といった

少数派に対する偏見に大きく関与していることは

トランプ大統領の支持率が高いことからも、明白な事実でしょう。

 

ご質問全文読ませて頂きました。

ご自身のセクシュアルオリエンテーションについて、

周囲の偏見について、

そして、何よりも

恋愛をしたい、親密な関係を作りたいのにそれが困難である、

といった、様々なお悩みが錯綜しておられると感じました。

 

最初の一文、

「私がご相談したいのは、私は何であると名乗ってこれからを過ごせば良いか、ということです。

自分がバイか、ゲイなのかが分からない、ゲイと公表しておかないと、ゲイの女性とのお付き合いができない。

ということですが、私にしてみれば、

「名乗る必要性は本当にあるのですか?」

とお伺いしたいところです。

悩み相談なのに、全く役に立たない返答で、

こんなことには向いていないのが、丸出しですね。

 

同性愛なんて気持ち悪い、

と幼少時は思っておられた、ということですが

実はゲイの方にもゲイに対する偏見や、嫌悪感を抱く人は

めずらしくありません。

「同性愛など気持ち悪い」

と連呼される御両親をお持ちなら、尚更です。

 

思春期以降、20代までは、アイデンティティーの確立、

それから40代までは親密な関係を築くこと

が発達過程上での課題になると、

エリクソンは心理社会的発達論で述べております。

 

まだ20代前半の相談者様が、

御自分の性的嗜好(セクシュアルオリエンテーション)に迷いを感じ、

そのことで、自己同一性(アイデンティティー)が揺るがされていることも、

発達過程上、妥当な年齢であると思われます。

だからこそ、

「同じ悩みを抱える人達と心境を分かち合いたい」

と言う気持ちを抱くも至極当然でしょう。

 

「私が異(同?)性愛者かもしれない、という話題は男性にとても受けます。

ということですが、

女性が性に関するトピックをオープンに話すということは、

男性にしてみれば、

「私をオンナとして意識しないでね。

あんたなんか、欲情の対象にはならんからね」

といわれるようなもので、心地よい距離がとれる、

又は、真摯に対応しなくても良い、

ということではないでしょうか。

 

発言者の性別に関わらず、

「あなたに欲情する可能性があります」

と言われて、嬉しい女性はあまりいないように思われます。

どちらかといえば、恐怖感を抱く

可能性の方が高いのではないでしょうか。

どちらにしても、女性と親密な関係を持ちたいのであれば、

公言するメリットはあまりないような気がします。

 

不安や、焦りも感じられているのかもしれませんが、

「恋愛をしたい」というのであれば、

自分がゲイかバイかということに固執するよりは、

御自分の「この人が好き」という気持ちを大切に、

相手と心地よく一緒に過ごせる時間を作ることが

最重要のように思われます。

 

迷いを抱く御質問者様に、

「男でもいけるかもしれないのに、私を選んでくれたことが嬉しい」

と思えず、

「男でもいけるってこと?…ちょっと無理」

と、拒絶する彼女もアレですが、

御質問者様自身も、何故そんな彼女と親密になられたのでしょうか。

「パイ」であることが分かったから

拒絶されてしまう様な関係性は

所詮その程度のものだったのではないでしょうか。

 

恋愛とは、拒絶されてしまうことなど恐れていてはできません。

ゲイ、バイ、異性愛と分けてみたところで、

恋愛関係において、

お互いを求め、

想いあい、

労わり合える関係を造り出すことに於いては、

何ら変わりは御座いません。

 

ご質問者様が、同性愛者の女性に魅力を感じるのであれば、

彼女達が集まりそうな場所、イベントに参加するなど、

「私も同性愛者です」

と名乗りを上げなくても

出会いを求めることは可能ではないでしょうか。

常識に縛られず、独創性の強い、芸人な方々と

交友を深めるのもありでしょう。

 

異性愛者の方が、異性と交際する際に、

「自分は、異性愛者です。」

と名乗る必要が無いように、相談者様も

「自分は…です。」と、カミングアウトする必要性は、

親密な関係を造るという上では重要ではないはずです。

 

ご質問者様の悩みは、

恋愛相手を探すのに苦労する、

と言う趣旨だけではなく、

真剣に聞いてくれる相談相手を見つけるのにも苦労する、

と言うことでしたが、

(ちょっと楽観的ですが)ズートピアの流れで行くと、

本当に仲良くなってしまえば、

愛し合ってしまえば、

相手がバイであろうが、ゲイであろうが

偏見に囚われない信頼関係を持てるはずです。

 

ネットや、講義では同性愛に好意的でも、

リアでは引かれるのが辛い、

というのであれば、

尚更、親しくもない相手に

「自分はゲイかもしれない」

と公言することは避けられた方が無難です。

親身になって話を聞いてくれる友人が見つけられない、

というのは、ゲイ、バイという、

セクシュアルオリエンテーションというよりは、

むしろ、ご自身の人間関係に於ける距離のとり方、

自己承認欲、自己顕示欲のあり方に問題があるのではないでしょうか。

 

カミングアウトしたくらいで、

ドン引きするような人達に傷つくというのなら、

そんな人達とお付き合いしなければ良いのです。

「そんな器量の狭い奴ら、浅薄な奴らはこちらから、願い下げ」

と思えず、どうしても疎外感に悩まされる、

どうしても(理解の無い大多数に)受け入れられたい、

というのであれば、大人しく、大衆に紛れて

異性愛者として生きていく選択をなされることをお勧めします。

 

と言う感じで、結論的には

「安易に他人から受け入れられることを期待してはいけません。

御自分のやりたい、欲しい、という気持ちを貫くには

相応のリスク、対価を伴います。

御自分の選択に責任をお持ちください。」

という上野さんのご意見に全く同感です。