精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

【自己愛】の彼岸:はあちゅう氏のセクハラ告発 

はあちゅう氏のセクハラ告発で

ツイッターがスゴいことになってます。

全部は到底フォローできないので、

どの様に論点がズレて行っているのかも

よく分かって居ませんが...

セクハラもレイプも、

女性対男性の力の差、

という部分に焦点が当たりがちですが、

私はコミュニケーションの崩壊

特に、「no」と言えなくなること

大きな要因だと思っています。

 

最初にお断りしておきますが

はあちゅう氏が自己愛性パーソナリティ障害

というお話では御座いません*1

 

この記事でも触れましたが、

性器なんか切ったって、性犯罪をするやつは犯す - 精神分析のススメ

性交に至る「同意」は

言葉でなされ得るモノではありません。

求め、求められる実感を通じて

綿々となされるモノです。

 

だから

 

最初は「良く」ても

途中で「やっぱ、ムリ」が、

男女の別なく

あるのが当然です。

 

友人の言葉ですが…

 

「男が力づくで女をレイプするなんて、

考えられない。

女性器が濡れてなけりゃ

男のティンだって痛いし、萎える」

 

アフリカ出身の彼は、

目の前で家族を惨殺され、

兵士になることを強要された

天涯孤独な若者達が

割れた瓶を女性の一番柔らかな部分に

突っ込んだりする

ハイパー暴力レイプが

近隣の国々で盛んに行われていることを

ガン無視しておりましたが…

 

戦時下でもない限り、

そこまでの暴力が「普通」に

行われたりはしません。

 

純真無垢(?)な彼の

「女が不快なら男だって不快」

 という確信は

「男が快楽を得るなら女も快楽を得ているはず」

という自己中心性を露呈するものでもあり…

 

「勃っているのだから

セックス『したい』ハズ」

という

女性が男性をレイプする

可能性を「否定」するものにも

繋がります

 

自我が自他の別を見失い

一体「誰が」「ナニを」欲しているのかが

「混乱」したり

「不快」と「快楽」が「混同」する

欲動の「倒錯」が

レイプの病理である

 

という事実を明るみに出すモノでもありましょう

 

自分の痛みを感受できない人は、

他者の痛みにも鈍感にならざるを得ない。

ということでもあります。

 

セクハラもレイプも、

最初は「良く」ても

「やっぱ、ムリ」

が受け入れられない、

「No」と言えない関係性が問題です

 

「No」が言えない関係性

=自他の区別がない

=分離不全の関係

とも言えましょう。

 

分離不全の病といえば、パーソナリティ障害です。

以下、パーソナリティ障害については、

wikiからの引用となります。

パーソナリティ障害 - Wikipedia

パーソナリティ障害と一口にいっても、

A群奇異型、C群不安型、等、

様々なタイプに分けられますが、

今回は、パワハラ、セクハラに焦点を当てて、

「ストレスに弱く、他人を巻き込む」

B群の自己愛性に

はあちゅう氏の描かれる岸勇希像が

どの様に当てはまるか

パワハラや、セクハラを

如何に自己愛性の「症状」と診なす事ができるか

について、書いてみます。

 

再度のお断りですが、

私は岸氏のことを全く存じ上げませんし、

読んだ文章も、noteの謝罪文とその前後の数記事だけです。

あくまで、はあちゅう氏の描写における岸勇希」の考察です。

 

リアル岸氏が自己愛性パーソナリティ障害である

という主旨ではありません。

 

専門医でもないトーシローが著名人に

無闇やたらと診断を下す事について、

懸念される良識深い方々は、

是非ともこちらを御参照ください。

免責事項 自己紹介に換えて - 精神分析のススメ

 

以下、引用はバズフィードの記事からです。

はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」

 

「深夜に『俺の家にこれから来い』と...

突然電話がかかってきて、

どこで何をしていようと、

寝ていても『今から来られないのか』と言われました。

『寝ていました』と言うと、

行かないでも許してくれることもありましたが、

翌日、『お前はこの会社には向いていない。

CDC(岸氏が所属していた部署)にきたら

深夜対応も当たり前だぞ』と言われました」

 

自己愛性の病は、孤独の病とも言えましょう。

下の記事でも触れた様に、

【資生堂のダルちゃん】 母親に否定されるということ - 精神分析のススメ

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

コフートの言う「自己愛」が欠如し、

「他者に賞賛を求め、自分が特別であろうと」する

彼等はウィニコットの言う「本当の自分」

が認証され「愛されている」

という実感なく生きてきました。

 

ともすると

傲慢な彼等は

表面的には自信に満ち溢れ、

多くの人の目には魅力的に映ることも

ままあります。

しかし

彼等はいくら周りに人が集まろうとも、

「誰も本当の自分の素晴らしさを分かっていない」

と、孤独感に苛まれます。

 

自己愛性な彼等は、寂しがりやです。

 

孤独感に耐えきれず、

見捨てられることに恐怖するあまり、

他者を自分につなぎ止める為に

威圧的、操作的(マニピュラティブ)な行動に出ます。

 

夜を共に過ごす事はムリ、

と断られた翌日に、

「深夜対応も当たり前」と、

「当たり前」のことを拒否した

はあちゅう氏をやんわり責める

というのは

次回は「no」と言えなくさせる

威圧的で操作的な行為

と言えるでしょう。

 

「自宅にいくと、黙って正座をさせられて、

彼が作業をしているのを延々と横で見させられるか、

彼の仕事の功績を聞いて、

それを褒め続けたり、

岸氏の嫌っている人を一緒にけなすなど

させられたりしました」

 

自己愛性の人々は、

他者に自分とは異なる、別人格を

認めることができません。

 

招いておいて、もてなすわけでもなく、

自慢話ばかりする。

 

自分の嫌いなモノを嫌悪し、

好きなモノを褒めちぎる事を強いる。

 

自他の区別がつかない彼等の特徴です。

 

相手を自分のモノと看做す彼等に

自分の意見を率直に述べる事は危険です。

意見の相違を

「他人には自分とは異なる意見がある」

と素直に受け入れられず

自分自身の人格を否定されたかの様に感じる為、

理不尽な激昂を招く可能性があるからです。

 

「岸氏は私の友人と付き合っていたのですが、

『こうやってこの時間にお前が俺の家にいることを

言ったらどう思うかな。

お前が誘ってきたことにもできるからな』

などと言われました」

 

深夜に女性を自宅に招く事の不自然さを

どこかで感じておられたのでしょう。

交際相手の彼女にバレた時には、

「自分が悪くない」

という言い訳がちゃんと出来る事を

確認しておきたい。

という気持ちに加えて、

彼女に捨てられるのはコワイので、

はあちゅう氏がいらない事を言わない様に口止めしておく。

これも、又、「操作的」な行為です。

 

「『俺に気に入られる絶好のチャンスなのに

体も使えないわけ?

その程度の覚悟でうちの会社入ったの?

お前にそれだけの特技あるの?

お前の特技が何か言ってみろ』

と性的な関係を要求されました。」

 

これが、性的関係の要求かどうかというと、

まあ...微妙なトコロだとは思うのですが。

 

こんなに素晴らしい、

パワフルなオレ様に色目も使えないとは、

けしからん!

 

と、受け取れますが

...

本気ですかね?

ウケ狙っている様にも聞こえるのですが...

 

「特技は?」と詰め寄る所は、

パワハラモラハラ入っていますかねー。

ここも、微妙なトコロだと思います。

冗談のつもりでそーゆー事言う人、いますよね。

それが、皆、自己愛でハラスメントをしているか、

というと、究極的には、その言葉を受け止める側が、

「そーゆーことを冗談でも言われるのは不愉快

という意思表示をして、

ちゃんと聞き入れてもらえるのかどうか

という部分に掛かって来ると思います。

 

只、その後の、

「お前みたいな顔も体もタイプじゃない。

胸がない、色気がない。

俺のつきあってきた女に比べると、

お前の顔面は著しく劣っているが、

俺に気に入れられているだけで幸運だと思え」

 

これが、性的関係を強要する

セクハラかどうかは微妙なものの、

「胸」や「顔」に女性としての魅力がない、

という卑下の仕方は

「は?お前に言われる筋はないやろ?」

という、パワハラであることは明確です。

岸氏自身、「友達の様に」思っていた、

と言っているし

「タイプじゃない」という意思表示は

「深夜に呼出したりしたけど、襲ったりしないよ」

と…

はあちゅう氏に安心感を与えたいが故の言葉とも

受け取れます。

が…

「劣ってる」と相手を卑下した上で、

「俺に愛されて幸運だと思え」

というのは、はあちゅう氏に

「お前にそんなこと言われる筋はない」

とは言わせない

イビツな関係性を既に構築した上で、

相手を自分に繋ぎ止めておく為の

「操作的」なパワハラ行為です。

 

「岸氏からのハラスメントから

逃れたいと思ったはあちゅうさんは、

岸氏の要求通り数名の友人を紹介した。」

 

これについては、物議を醸している様ですが、

「仕方ないじゃーん」

と、私はゆるーく思います。

「こんなに独りで居られないウザい人なんだから、

もっと他に時間を共にできる人が出来たら

自分の事は放っておいてくれるかもしれない。

友達だって、岸さんと仲良く収まってくれたら一石二鳥!」

と、思ったトコロで彼女に罪はないのでは。

はあちゅう氏も、

以下の記事に書かれている様に、

出会った当初は岸氏のことを先生と呼び、

(混乱はあれども)敬愛もしていたのですから、

はあちゅう 公式ブログ - 劇的クリエイティブ講座とか岸さんのこととか。 - Powered by LINE

純粋に自分の利益の為に、

パワハラクソ野郎に友達を売ったというのは、

一面的な見方ではないでしょうか。

 

はあちゅう氏の置かれた状況ではムリでも、

異なる環境で、別の人とならば、

岸氏が相手の「嫌」なら「嫌」を

(いくら不本意でも)

受け入れざるを得ない関係を作る

可能性は常にあるのです。

はあちゅう氏がご友人に岸氏を紹介する時点で、

岸氏に「No」と言えないように

ご友人を「操作」したのであれば、

彼女にも罪はありましょうが、

それは、彼女の友人関係が歪んでいた、

ということで、

彼女が職権を乱用したわけではありません。

ご友人がはあちゅうさんの「友達」ではなく

「部下」だったら話は別ですが、

ハラスメントの文脈で外部の人間が

断罪するのは全くのオカド違いでしょう。

 

パワハラや、セクハラをする人が、

全て、誰彼構わず、言葉の暴力や、性的暴力を振るう

クズカス野郎ではありません。

 

自己愛の病と同じく、

ハラスメントも関係性の歪みが問題なので、

「してはいけない、言ってはイケナイことリスト」

を作って、個人を「悪者」にして裁くだけでは、

ハラスメントの問題は決して解決しないでしょう。

 

個人間の問題のみならず、

そのような歪んだ「愛情」や、

関係を「当たり前」と容認し続ける組織の問題

ひいてはその様な歪んだ組織を容認する社会全体の問題

とも言えるのです。(システム理論と言うヤツです。)

 

はあちゅうさんも言っておられる様に、

セクハラ危険語彙、行為が

セクハラになるかどうかは、

「誰が」「どのように」言い、行うか、

という文脈によって変わるものです。

 

そして、それは自分の言った「否」が相手からの暴力や、拒絶に繋がらず、

率直に受け入れられる関係性かどうか、

という部分に掛かってくるのです。

 

はあちゅう氏が離れた後の、

岸氏の激昂と怨恨は、

置いてけぼりにされる=愛されない

ことを恐れ、怒る、究極的に寂しがりやな

自己愛性の特徴と言えましょう。

 

この記事にも書きましたが、

思いやりのない困ったちゃんを育てる親 - 精神分析のススメ

子供が親から分離したモノであることを受け入れられない、

自己愛性な親は、

自己愛に欠け、倫理観や、思いやりのない

利己的な子供達を育てます。

 

というワケで、

親子関係で分離が出来なかった人達は、

相手の人格を尊重せず、自分のモノとして扱う、

ハラスメントな関係性にハマり易いのは自明の理、

とお分かり頂けたでしょうか。

 

ブコメで、岸氏だったか、

はあちゅう氏だったかの謝罪は

自己弁明に過ぎない。

本当に謝る気持ちがあれば「ごめんなさい」で止めとけ、

というのがありましたが、

そこで止まるのは問題だと思います。

 

「ごめんなさい」

しか聞きたくない時期、

というのは、傷が深ければ深い程長続きしますが、

お互いの言い分を受け入れ合う、

というのが真の謝罪、

そして、赦しの意味ではないですか?

 

そういう意味では、

岸氏の謝罪は、

彼自身の不全を乗り越えようとする、

至極全うなモノだった

と、私は感じます。

 

本格的に自己愛ガッツリな人は、

相手の痛みを否定し、自己正当化することしかできず、

「オレ様が絶対正しい!オレ様を非難するとは何事だ!

『ごめんなさい』なんて、死んでも言うものか!

お前の方こそ、オレ様の権威を失墜させたのだから、謝れ!」

とばかりに、逆ギレするか*2

「オレ様はもうダメだ」

と、自殺するのがオチです。

*1:ご入籍ご出産もされて

大変おめでたいことですが

私的には

5年以内にお二人共カミングアウトする

に1票入れておきたいトコロです

なんちて(妄想です

本気にしないで下さい

*2:はあちゅう氏のちょっと前に

話題になっていたレイプ告発案件の加害者が

正にそんな感じです。

自己愛性にはカリスマ的な人気者も

たまに居ますが

彼は…なんとも…まあ…貧相で

「お前本当にチンついてるか?」

って感じですね

思いやりのない困ったちゃんを育てる親

先日、正義感と思いやりについて、この記事を

正義感 と 思いやり - 精神分析のススメ

書いた後で、思いやりと正義感を育てる家族とはどんな家族?という学術論文を見つけました。

https://www.niph.go.jp/wadai/mhlw/1998/h1003007.pdf

研究者の方は、きっと思ったような結果が出なくてがっかりしているのだろうなー。(お気の毒に)

という感じなのですが、私的には

「おー!成る程!」

と思う結果が出ているので、書いてみました。

 

この研究は、保育施設での子供の行動を観察して、協調性ある行動と、利己的で集団の秩序を乱す行動を記録するという、手間ヒマ掛けて行われたモノです。

が、親子関係の親密さ(共有と分離)としつけの測定がアンケートという部分が、ちょっと

「んー。残念!」

でした。

 

親子関係を実地で観察して、親密さとしつけを測定+記録するって、(親も構えちゃいますし)かなり難しいので、まあ、仕方ないのですが...

せっかく、愛着とか持ち出すのなら、古典的愛着実験のストレンジシチュエーション(子供を親としばらく離してから、再会する時の子供と親の行動を観察する)くらいすれば良いのに...とも思ってしまいます。(したけど、使い物にならなかったのかもしれない...)

 

上記の研究結果は、

1.女の子

両親が「共感」すればするほど、譲ったり、我慢したりしないワガママちゃん(例:順番を守る、友達におもちゃを譲る、素直に注意を受け入れる)

2.男の子

父親が息子を理解出来なくて、母親がしつけに厳しいほど、利己的で秩序を乱す行動が多い困ったちゃん(例:人の嫌がる事をわざとする、見られていないとズルをする、衝動的)

 

という感じで、両親からの共感やしつけが、思いやりや正義感を助長するワケではない、という結論だったのですが...

 

この、「共感」を測定する項目が、微妙なんですよねー。

 

この研究では「共感」が、「共有」と「分離」に分けて測定されているのですが、

例えば「共有」を測定する項目は、 

 

子供と気持ちが一つになっていると感じた事がある

子供の喜んでいる様子を見て、自分までウキウキしてきた事がある

子供が悲しそうにしている時、なんとかしてあげたくなったことがある

 

分離を測定する項目は、

 

子供とのやりとりが面倒になったことがある

子供が泣いていた時、その気持ちを分かろうとしたが、何故泣く程に悲しいのか理解出来なかったことがある。

 

この質問項目に見られる、「共有」も、「分離」も、子供を持つ親御さんであれば、あるあるなのでは、と思います。

 

が、「共感」の有無は、「他者と一体感を感じる(又は感じられない)」というのとは、少し違うのではないか、と思うのです。

 

他者との一体感の根源は、母子の一体感、実現する事のない胎内回帰願望にある、と精神分析では言います。

 

従来精神医学では、自他の区別がなくなるという体験は、ヤバい、迫害妄想にもつながる病的なモノと捉えられていました。

 

え?!マジですか?

 

ってなりません?

 

そう思ったのは私だけではなかったようです。

 

フロイト後、自己愛の分析家ハインツ・コフートや、英国対象関係論のマイケル・バリントは、自他の融合に、他者との繋がりや、宗教的な経験、精神の安定を取り戻す肯定的な意味合いをも見出しました。

 

とはいえ、他者に「共感」するには、「自分と一緒」という、一体感を感じなくてはならないというだけではなく、自他の分離も必要です。

相手が「自分には分かり得ない他者」である、という「人格」の認知と、そこから生まれ得る「尊重」が必要だからです。

 

自己愛性の親とは、子供は「自分と一緒」=「自分と同じでなくてはならない」又は「自分のモノ」と感じる人達のことです。

 

例えば、遊園地に子供を連れて行ったものの、自分が楽しくなりすぎて、子供が疲れてもお腹が空いてもトイレに行きたくても、気遣えないばかりか、機嫌が悪くなってきた子供に逆ギレして、仕付けたつもりになる親御さん等は、がっつり自己愛性障害と言えましょう。

 

彼等は、子供に自分とは別の欲求や、感情があることを尊重出来ず、自分の延長として扱ってしまいがちです。

 

ダルちゃんの記事でも紹介しましたが、

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

ハインツ・コフートは、そんな「本当の自分」を見ようとしてくれない親に育てられた子供は、親の愛情を得る為に、受け入れられる為に、自分を偽り続け、自分を見失うことになると、言いました。*1

 

子供が、自分と違う可能性を秘めた、決定的に異なる「他者」であることに、悦びを見出し、「コイツはスゴい!」と思えない、自己愛性の親に育てられた子供は、親からの(主に母子)分離ができません

 

「本当の自分」を見出せない子供達は、「親の望む自分」「社会に受け入れられる自分」「人様の前で恥ずかしくない自分」等に自分を擬態するようになります。

 

現代の、「何が欲しいのか、やりたいのか、分からない」病は、分離不全の病、つまりは、別離を促す筈の父性不全の病といえましょう。

 

思いやりと正義から、思いっきり話がそれてしまいましたが、力ずくで引き戻します。

 

という訳で、上述の研究結果は、もしかしたら、自他の別を尊重出来ず、「自分と同じ」子供像を無批判に受け入れ、それが食い違うとしつけと称して理不尽に怒る自己愛性障害の親が、利己的な子供を育てる、とも解釈できるのではないでしょうか。

 

この記事でも紹介した、

「人が嫌がることはしてはいけない」では何が悪い? その 2. - 精神分析のススメ

私の大好きな、「口紅とトラック」の実験結果の様に、子供のプレゼントが全く自分の欲しいモノとは食い違っていても、「嬉しい!」と言えるママ、子供の自我や欲求を見出すことに純粋な悦びを感じられる母親が、思いやりや、共感できる大人を育てるのではないでしょうか。

 

上述の研究も、親の、「分離」に対する態度が肯定的か、否定的か、という尺度を加えたら、どのような結果が出るかが興味津々です。

 

*1:厳密には「本当の自分」は、コフートに影響を及ぼしたウィニコットという分析家のアイディアです

【ダルちゃん】トラウマ と デートレイプ

この記事でも書きましたが、

【資生堂のダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如 - 精神分析のススメ

資生堂のダルちゃんに、ハマってます。

 

8話の展開で、

これは…!

境界例ドロドロ、デートレイプの展開か?

と息を呑んだのですが、

そうではなかったようで、ほっとしました。

 

9話のスギタさんの顔が、

このまま強姦しちゃうヤツ

にも見えますが、

自己愛性の男性が、

暴力的になれるのは

相手を傷つけることで

自分が「力強く」「愉しく」感じるからです。

 

溶けてしまったダルちゃんに、

彼は力を誇示するどころか、

無能感を抱いた(萎えてしまった)のでしょう。

 

とても納得できる展開です。

 

ダルちゃんは、

只単に

ラッキーだった

のでしょうか... 

 

お話としての「必然性」

という観点からも

トラウマの観点からも

私は

そうではない

と思います。

 

ダルちゃんの闇が、

自分が破壊される

暴力ではなく

親の無関心(=愛情不足

に依るものだけだったからこそ、

彼女はレイプされずに済んだのだと、

私は診ます。

 

彼女の生育歴に、

身体的暴力や、性的ないたずら等、

何らかのトラウマがあったなら、

きっと…

スギタさんの

サディスティックな欲望に

火がつく展開になっていたのでしょうが。

 

流石に、お化粧品の資生堂サイトで、

そこまでドロドロメンヘラな展開では

ちょっと困りますよね。

 

はるな檸檬さんが、

スゴいなと思うのは、

11話の屋上のダルちゃんの何気ない描写です。

 

溶けてしまいたい彼女が、

人の気配を感じて

「サッ」

と気を張る瞬間が、痛すぎる。

 

日本に住んでいた時、

小学生の頃から、

この、「普通」のフリして

気を張っていたことを思い出して、

泣きたくなりました。

 

サトウさんという「対象」を通して、

ダルちゃんが如何に

「本当の」自分に「無関心」な母親

(つまりは自分でもあるのですが...)

との繋がりを回復できるのかに、

期待してます。

 

良い母親にも重ねられるサトウさんについて、続きも書きました。

【資生堂のダルちゃん】好きなモノ - 精神分析のススメ

全然入門になってない… フロイト入門編

id:hamarenさんに、フロイト精神分析入門を読んでもワケ分かりません、と言われてしまったので、私的、フロイト入門編に挑戦してみます。

 

とは言え...

フロイトをゴリゴリ読んだ時もありましたが、英語で読んだのでさっぱりワケ分からん。

フロイトの愛弟子、英国人ストレイチーの使命感に燃えた英語訳が…はっきり言って、評判悪すぎです。

フロイトゲーテ文学賞も貰ったくらいで、ドイツ語で読むと幻想的(?)で素晴らしいそうですが...

 

読後感は一言

ウザい(怒)!

 

し 

果敢に睡魔に立ち向かい、寝落ちしながらも へっぽこな英訳を 読みましたよ。

...とは思うのですが、詳細は忘却の彼方へ...

 

フロイト読破するためにドイツ語習得するヤル気も根性もない私がネオ・フロイディアンと名乗るのも、アレなので…

本当は、日本人なら皆が大好きなおっぱいに関する深遠な理論を提唱したミセス・クラインに因んで、ネオ・クライニアンにしようかな…

と思っていたのですが、余りにも知名度がないのでフロイト教授にあやかりました。

まるで、いい加減です。

てへ。

 

というワケで、私のフロイト教授に関わる個人的な経験(会った事はありません)について、つらつらと書いてみます。

 

私がフロイトの考えに

「ガッテン!」

と感じたのは多分小学生高学年か、中学1−2年生の頃でした。

 

エディプスコンプレックスについて、一体、何がどうなって学んだのかはもう覚えていませんが、(おそらくマンガでしょう)

 

子供は父親を排除し、母親を独占したいという願望を持っている、

 

というアレに、いたく感銘したことを覚えています。

 

母親に対して性欲を募らせていたワケでは決してありません(本当です!信じて下さい!)が、父親に甲斐甲斐しくつくす母親を見ては、

「アイツの面倒みるなら、もっと自分*1の面倒を見てくれやー」

くらいは常に感じていたので。

 

母性本能の塊みたいな母は、父のみならず、私にも甲斐甲斐しく尽くしていたし、オトナになった今にして思えば、

 

私(子供)が本当に欲する所は、父親を排除することではなく、両親が対等に愛し合い、自分が父親にも愛されていると実感できる、仲良い家族。

 

という、ギリシャ悲劇の主人公に照らし合わせてみると、なんとも陳腐な欲望だったのですが。

 

当時は、

「エディプスコンプレックス、すげー。フロイト、やるじゃーん」

と、思ってました。

 

それに加えて、幼少時から、私は自分の感情の理不尽さがもどかしくて、自分というモノが理解できない、と悩むコジレタ子供だった私には、無意識という概念はとても魅力的なモノでした。

 

で、時間を早送りして10余年後、フロイトをガッツリ読まされましたが...

 

どちらかといえば好印象が残っている

(=ウロ覚えながらも、何が書いてあったか何となーく覚えてる)

論文は、3つだけ。

 

一つ目は、鬱に関する古典的考察、

「喪とメランコリー」

 神経症(=精神病)としての「メランコリー=鬱」と、「喪」に服す人の悲哀の違いは何ぞや。

 

という論文で、失った対象への怒りや、破壊的衝動が自分に向けられた時、人は自己批判や罪悪感に苛まれ「メランコリー(鬱)」になる、という主旨ですが、

「何でそんなに、裏表ひっくり返して、上下も逆にする様なことにならなイカンねーん!!」

と、読んでる間は超ウザかったー。

ストレイチー英語だったからかもしれませんが(…と、自分の英語力、及び読解力は棚上げ)。

 

二つ目は、私の一番のお気に入り

「快楽原則の彼岸」

という論文。ここに分かり易く、素晴らしい解説がありますが、

s-office-k.com

フロイト『快感原則の彼岸』を解読する | Philosophy Guides

 

やはり、

「失う」ということ

と、

それにまつわる不安 

がテーマです(ホンマか?)。

 

楽観的で、欲望重視なアメリカンには

「ボケ始めた頃の論文なので支離滅裂」

とか云うくらい

ウケが良くありません。

 

三つ目は、彼の芸術評論

ミケランジェロのモーゼ像」

です。

 

人々の心に訴えかける芸術作品は

何かが起こる直前の緊張状態、精神の高揚を伝えるモノなのであ〜る

という分析が、成る程ー。

でした。

 

フロイトの芸術評論というと、

 

長いモノはちん、丸いモノは子宮の象徴

 

ってヤツかと思いきや

(嘘。思っていませんでしたよ。そんなこと。)

全然そんなんではありませんでした。

 

フロイトと言いますと、

人間の欲望と、それにまつわる葛藤の根源は

母親へのエロス(性欲)

と、

父親への対抗心(破壊衝動)

みたいな印象(ん?そんなことない?)ですが…

 

実は、

愛するモノ(母親)を失う喪失感や

欲しいモノを手に入れてしまうことへのオノノキ

を、切実に探求した人なのではないでしょうか。

 

って、定かでない記憶を頼りに書いたゆるーい紹介で、全くフロイト入門になってませんね。

 

ハマダさん、役立たずで申し訳ありません。

 

いつもながら、ワケの分からん話に最後までお付き合い頂、ありがとうございました。

*1:読み直して、思ったのですが、何のことか分かりませんね。自分=母とも読めます。実は、自分=私を意図して書きました。が、こーゆー曖昧さや、言い間違いから新しい意味を発見をしていくのが、精神分析の醍醐味です。なので、このままにしておきます。

正義感 と 思いやり

ツイッターで、こんなんが流れて来て

 

公共トイレで先頭になった時、入って来た泣きそうな女児とその親が長い列を見て絶望的な顔になったので 『お先にどうぞ』 と譲ったら三つくらい後ろの女が 『勝手に譲るな、後ろの人のことも考えろ』 と言うので 『じゃ私が列の一番後ろに行くわ、これで貴女の順番は元通りね』 と言って並び直した→

ら、あたしの後ろの二人も次々と並び直してその女はめでたく先頭になった ブツブツ言いながら彼女は個室に入っていったけど、いつか子供連れでトイレに並んだときに、この時のことを思い出してくれたらなと思う

 

これに対して、

子連れというだけで、

勝手に順番を譲ったぽんちーなさんの方が、

後ろの人達の事を考えられない、無神経なヤツ

みたいなツイートがガンガンついてて、

もやっとしたので、書いてみます。

 

彼女自身、

大人げない私の返しを後ろに並んだ方が救ってくれた感じです(笑)

とも言っているので、

「貴女の順番は元通りね」が、

「大人げない」攻撃的な返しだったことも

自覚しておられるのでしょう。

 

更には、

私も子連れの時に譲ってもらった事があるし、自分が子供の時に恥ずかしながら間に合わなくて出先でおもらしして母親を困らせてしまったこともあるし、静かに並んで待ってる大人だって密かに切羽詰まってたりもするかもなのでその女性を批判するわけではないんだけど、思わず言い返してしまった(;´д`

 

ぽんちーなさんは、

後ろの人がもしかしたら切羽詰まっていたのかもしれない、

という想像力を持ち合わせた上で、

「後ろの人の事も考えろ」

という正論を振りかざした女性について、

 

結果的に彼女は多分すごく恥をかいた気分になってしまったと思うので、ベストな選択だったとは思えないけれど、私の後ろに並んでくれた人のおかげで『そんな風に思う人ばかりじゃない、貴女に賛同する人もいるんだよ』って言ってもらえた気がしてちょっとほっとしました

 

とも書いておられます。

  

私にとって、彼女が素敵だと思える部分は、

「子連れの親子を思いやった」所ではなく、

 

「後ろの人のことを考えろ」と、正論で攻撃してきた女性に対して

「恥をかかせた」と思いやれる所 

 と

「ベストな選択は他にあったのでは」

と自省できる柔軟性です。

 

前頭葉がどんどん破壊されている私だったら

「手前の事しか考えられねぇケツの穴の小せぇクソババァ」

くらい言いそうです

 

後ろの彼女が本当に切羽詰まっていたのであれば、

「順番を守れ、後ろの人のことを考えろ」と

ぽんちーなさんの好意が「まちがった」こと

(で、自分が「正しい」の)だと主張するのではなく、

「体調が悪いので、待ち時間が増えると非常に困ります」

と言えば済む事です。

それが素直にできず、

「そっちを思いやるくらいなら、

従順に規則を守って待っている、

こっちをちゃんと思いやれ」

という思考回路は

「正しい(良い)自分はいつも損している

(悪者にされてしまう)」

という、恨みツラミから解放されない人の、心の問題です。

 

規則を守る自分が、「正しく」「良い」と信じる人達は

「ちゃんと」規則を守って大量虐殺の一端を担った

ドイツ人と同じです。

「規則」や、「上官」が悪かったので、

加害者である責任感は全くなく、

良心の呵責はおろか、

自分は常に状況の被害者です。

 

コールバーグの説く様に、

ローレンス・コールバーグ - Wikipedia

本当の思いやりや、

成熟した倫理観とは、状況に応じて、

理不尽な規則はクソッ食らえと思える強い信念

規則を破る状況を見極められる柔軟性があってこそ、

獲得できる、道徳性発達の最終段階なのです。

 

生理的欲求と運動会の場所取りは別問題な気もしますが、

子供が絡むと特に、こーゆー事にもなるので、

  

素晴らしい対応ですね。 後ろの女性の発言も正しいのと考えてるので、貴方の対応に目から鱗でした。昔、息子の幼稚園の運動会の観覧の為に並んでいたら、近所のお母様達が、"◯◯さーん、こっちに入りなさいな"と言う行動を見た時の事を思い出しました。

 

「正しい自分は損してる」気持ちを鬱散できない人達が

マナーや、ルールといった、

正論を持ち出して攻撃的になる気持ちも良く分かりますけどね。

 

ルールを守らない人は、本当に「悪者」ですか?

 

自分の心の奥底を探って見て下さい。

 

あなたが思いやる事を拒む「悪者」の中には

必ず

寄り添われる事なく「傷ついた自分」がいるはずです。

 

フロイト教授は、

「正当化」とは、

自我が傷つき、変化しない為の

強固な「防御」(=思考停止の言い訳)の一つである、

と言いました。

 

【ダルちゃん】 擬態 と 自己愛の欠如

 昨日、この方の、この記事の、ここを読んで、

11月29日の話 - さよならドルバッキー

〇もやっとしたのが資生堂のダルちゃん。ダルちゃんは発達障害のメタファーかなんていうのもあったけど、多分違ってて異様に自己肯定感の低い人なんだと思う。ダルダルな自分を愛せないから、普通に生活していくことを「擬態」なんて思ってしまう。それにみんな一皮むけばダルダルなんだからダルダルを隠していることに嫌悪感を持つ必要なんてない。もしダルダルであることを攻撃してくる人間がいるとするなら、それは同じダルちゃんと同じダルダル星人が「私も必死で擬態しているのにあなただけズルい!」ってことなんだと思う。サトウさんはそんなダルちゃんに「擬態する必要はない」って言う立場なんだろうとは思うけど……。

 

(当時)資生堂のサイトで連載されていたダルちゃん第9話を読んで、

まとめのコメント読んで、

ドルバッキーさん同様、

「ちょっと流行ってるからって

何でもかんでもADD(注意欠陥障害)

にするんじゃねー!」

と、思ったので書きます!

 

基本的には、ドルさんの、

ダルちゃんは

「異様に自己肯定感の低い人」

に同意します

…が、

その異様に低い自己肯定感が

如何に育まれてしまったか、

という点に注目して、

ウィニコットの「偽りの自分」と、

コフートの「自己対象の欠如」

の概念を紹介させて頂きます。

 

コフートについては、この記事でも

【性依存症】 カエデさん その5.依存からの脱却 充足と共感 - 精神分析のススメ

さくっと触れました。

が、今読んでびっくり。酷い(笑)。

ちゃんと説明しているサイトさんに

思いっきり丸投げしました。

笑っている場合ではないので、

今回は、もーちょっと、気合い入れます。

 

アメリカが誇る精神分析の大家

ハインツ・コフートについて

好き勝手な事言うと

「まーた、お前は何も分かっておらんのか!」

と、怒られるので、

文句言われる事のない

日本語で好き勝手に書いてます

 

小難しいので

以下、がっつり、私的解釈です。

 

当ブログ初心者様には

使用上の御注意をどうぞ。

 

neofreudian.hatenablog.com

 

 

コフート先生は、

自己愛専門の精神分析家 

感情の混乱が激しくストレスに脆弱な

パーソナリティ障害B群の*1

自己愛性の病理と治療法

確立した大先生です。

 

自分を卑下し、他者を立てる謙遜が

美徳な日本人にとっては、

自己愛というと

傲慢とか

自己チューとか

他者と相容れない

等、悪い印象を持たれる方も

多いかもしれません

 

 

コフート先生曰く、

自分を愛する事は、

「健全」な自我にとって必要不可欠です

 

とかくセルフエスティーム

(自己肯定感‥.?かな?)を重んじ、

常に

「自分はスゴい!」

と自己顕示欲の強い

いかにもアメリカンな考え方ですね。

 

自分を受け入れて「大好き」になれないと、

他人を受け入れたり「愛」したりできません

ってことでもあります

 

フロイト教授的には

本能(性欲)vs 罪悪感(社会性)の狭間で

人間は精神を病む

= 自分は(ママと)ヤリたいけど、

(パパのせいで)できない

という、*2

能動的な自我の欲望に対する社会的抑圧

神経症の原点でしたが、

コフートは、

愛されないと、人間は病む

= 素直に自分をさらけ出してしまうと、

誰も(ママも、パパも、兄弟友達さえも)

僕ちゃんのことを愛してくれない

という、

日本人的には至極全うな

受動的な自我の欲望にまつわる葛藤

について論じました。

 

が為、

フロイトの娘のアンナに

裏切り者呼ばわりされてしまったそうです。

 

フロイト派(ヨーロッパ)の皆さんに

受け入れられようと、

遥か大西洋の向こう側で邁進されていた

コフート先生にとっては、

ショックだったらしい

 

可哀想に…

 

というのはさておき、

 

自己愛性のパーソナリティー障害の特徴は、

一見、魅力的ではありますが

虚栄心や自己欺瞞

承認欲求が強く

他者をコントロールしようとする

DV男、というのが典型例です。*3

 

が、コフートは、そんな

自信に満ち溢れ

魅力的でありながら

傲慢で鼻持ちならない側面もある彼等が

愛情に飢え、自己否定感に苛まれる哀れな存在である、

と分析しました。

 

本当の自分を理解されない事に憤り、絶望する彼等には、

ナルシシスティック サプライ

(直訳すると、自己愛の供給源 とか?

承認欲求を充たすモノと言っても良いかもしれません)

を与える、自己対象(自分の一部として取り込める他者)

が欠けている

みたいなことをおっしゃいました。*4

 

自己対象には、

以下の3種類があります。

 

1. 鏡(Mirroring Object)

自分が褒めて欲しい所を認めて褒めてくれる、

(必要なモノ=愛情 を与えてくれる)

母親的モノ(対象)

 

2. 理想化(Idealized Object)

自分が崇め奉れる、

何でもできる(守り、導いてくれる)

父親的モノ

 

3.双子(Twin Object)

自分と同じなのだ、

と感じることができる

(喜怒哀楽を共に分かち合える)

友達的モノ

 

ダルちゃんには、

「本当の自分」を認めて、

「そのままのあなたで、大丈夫」

と感じさせてくれる、

母も、父も、友達もいません。*5

 

「誰も素の自分なんか分かってくれない」

という怒りを表現できる人は、

所謂、自己愛性の障害である、

DV男や、モンスターママみたいになります。

が、怒りを感じ、表現すると、

見捨てられてしまう、

生きて行けない、

という恐怖にオノノク人は、

とりあえず「偽の自分」で、

カスカスの(偽の)容認や、

理想や、共感で、その場をしのぎます

 

カスカスのサプライ(供給)なので、

全く満足出来ません。

無気力になります。

栄養失調みたいなものですからね。

 

こうして、

自己愛の不足がダルちゃんを生み出します*6

 

とても説得力ある人物描写で、

ドキドキします。

ダルちゃんが、如何に

「本当の自分」を回復できるのか

それともどんどん自分を追い詰めるのか…

とても気になります。

 

という事で、牛乳石鹸さんも、

牛乳石鹸と、父親不在 - 精神分析のススメ

資生堂さんも、

モヤモヤしちゃう現代人の病みをついてくる

プロモーションのかけ方

尖っているなー

と 感心します。

 

11話まで読んだ感想も、書きました。どんどんハマってます。

【資生堂のダルちゃん】トラウマ と デートレイプ - 精神分析のススメ

 

31話の感想です。

【ダルちゃん】 愛し 愛される幸せの 奇跡 - 精神分析のススメ

 

余談です。

実は、私が初めてはてなに出会ったのは、この方のこの記事でした。

Twitterのメンヘラ神が死んだ件について思ったこと - まつたけのブログ

メンヘラについて、調べていて。

それで、この記事読んで、スゴいと思ってズルズルと、ブログの世界に引き込まれてしまいました。

人生の9割が親で決まるんだったら僕は今すぐ自殺する - まつたけのブログ

 

お元気でおられるのでしょうか。遠くからですが、応援してます。

どえらい間違いも

しでかしたし

手直しちょこちょこ入れるとは思いますが

いつもながら

ワケの分からん話にお付き合い下さり

誠にありがとうございました。

 

*1:因みに、古典的(?)メンヘラとも言える境界例もパ障B群です

*2:ママとパパは、あくまで象徴です。

ガチにとられると

性的虐待のトラウマ=大変クレイジー

なことになってしまいます

*3:この記事で書いた

neofreudian.hatenablog.com

炎上主の様に女性でも沢山おられますけどね。

*4:コフート先生の文章は

スーパー難解なので

完全に私の「意訳」です

*5:因みに「本当の自分」

「偽りの自分」は、

ウィニコットの概念です。

子供の「素の自分」に

無関心で反応を見せない母親は、

自分の子供に対する期待や要望で、

子供の「本当の自分」を歪め

「生きている実感」すら損なわせる。

結果、他人の反応や期待にしか応じられない

「偽りの自分」が子供に形成される。

という、正にダルちゃんに象徴される、

多くの日本人の闇を描写しています。

*6:厳密にはコフートの言う自己対象、

及び自己愛の不足は、

ニンフォマニアのカエデさんの記事

【性依存症】 カエデさん その2.メンヘラと自慰力の欠如 - 精神分析のススメ

【性依存症】 カエデさん その3.不安と性欲の混同 - 精神分析のススメ

にも書いた、

自慰力の欠如→自我の崩壊、に繋がります。

が、パーソナリティ障害には、

無気力、イライラ等、気分障害の症状がつきもの。

自己愛不足=無気力

なんてのも、アリかなー。

なんて。てへ。

厳密にはウィニコット様に

言及するべきでした。

コフートはスーパー難解なのに、

野心が燃えすぎたな、

と反省致しております。

ラップは狂気?

以前、エミネムについて、「韻を踏んでなんぼのラップは狂気の歌謡」と書きましたが、

狂気 と 自己表現としての芸術 エミネム A.k.a スリムシェイディ - 精神分析のススメ

今日はそのことについて、掘り下げてみようと思います。

 

日本人の統合障害の患者さんには、ないのかもしれません。日本語訳探したのですが、見つかりませんでした。

欧米では、統合失調、特に、両極性の躁状態にある患者さんに見受けられる、クラング・アソシエーション(Clang カーンと鳴る鐘の音、 Association 連想)という思考障害の症状があります。

 

これは、こちらに分かり易い解説ありますが、

連合弛緩、言葉のサラダ、言語新作のニュアンスの違い | えさきち。

観念奔脱(全力ダッシュ的に、次々とアイディアや話が出てくる)や、連合弛緩(因果関係の欠如)とかにも通じるのですが、クラングには、「音が似ている」連想(連合)、という特徴があります。

 

カンカン鐘を鳴らしながら、猛スピードで街を疾走するも、火事現場がどこか分かっていない、赤信号無視の消防車のような、躁状態の患者さんのイメージなのでしょうか。

 

私が、たまたまヒップホップ系のラジオを聴いている時に居合わせた同僚の精神科医(インド系)に言われました。

「あんた、こんな音楽聴いてるん?完全に躁状態な音楽やな。黒人は、常に虐げられているから、ブレイクすると、大変なんやろね。信じられへんくらい、誇大妄想がどんどん膨らんで。」

みたいな事を。

 

そこで、

私: 「じゃあ、ボリウッド映画の躁全開なストーリー展開は?」

って返してみましたが、

彼女: 「それは文化遺産。」

と、華麗にスルーされてしまいました。

。。。。。。

確かに、そう言われてみると、ヒップホップやラップは、超早口多いし、(私達の黒人英語・文化理解の欠如のせいもありましょうが)ワケ分からんという、躁の症状に似通うものがあるかも…

 

エミネムも、

「オレンジは韻を踏まない言葉、という先入観はムカつく。どんな言葉でも韻を踏む。」

と言いますが…

www.youtube.com

storage booth     すとぉりぃぢ ぶぅーす

door hinge loose  どーぁりんぢ るぅーす

four inch screws  ふぉーぉりんち すくるぅーす

foreign tools     ふぉーぉりん とぅーうす

orange juice      おーぉりいんぢ じゅぅーす  

 

ってな具合に、リエゾンや音便変化を駆使して、かなりクレイジーにめちゃくちゃな韻を踏むんですよね。

 

ここまでやられてしまうと、確かに、言語新作(存在しない言葉を作ってしまう)という躁状態でも診られる思考障害ならぬ、韻新作(存在しない韻を作ってしまう)かい?って気もします。

精神障害をきたした患者さんの思考障害と、芸術家である、詩人の韻を踏んでの詩作は違う、とは言うものの、ここで全文訳されているエミネムのフリースタイルラップ

front-row.jp

とか見ていると、本当にノッてくるとペースが速まり、意味不明って訳ではないのですが、ゾッとすること、あります。それが、芸術作品に触れた感動なのか、自分には理解不可能なモノ(狂気)に対する恐怖なのか、よく分からなくもなります。

 

余談になりますが、このパロディ、めっちゃ笑えるし、政治的メッセージも、エミネムの一般論よりは深く、良いとこついている(自分達の信じる正義を支持しないお前等は、俺の敵、と言う対立を深めるだけのメッセージをばら撒くよりも、そんな対立を生み出すオカしいシステムを、どうにかしなきゃだろ?とかね。)と思うので、誰か日本語訳つけてくれませんかね。

www.youtube.com

も一つ余談ですが、最近DJバルボサという、ラジオパーソナリティ(?)にハマっていて、彼のミックスの仕方を聞いていると、ミクシングって、自由連想と似ている、と感じます。

 

「付いてこれるかい?この俺に。」

 

って感じで。

 

ミックスは、リズムとか、サウンドで何か共通項のある曲をどんどん被せていくので、曲と曲の繋ぎ目で、次に何が来るか大体予想が付くのですが、それが、もう、

「あー、これこれ!!!聴きたい気分が盛り上がってたんやー!」

ってな感じに、グッとくる繋ぎで、

「絶対この曲しかない!」

って選曲してきたり、時々、

「えっ?それでキたんかい?」

って言う驚きが混ざったり、そのバランスが凄くイケてると感じられるDJは、なかなかいません(個人的好みもあるのでしょうが)。

 

今私の中でホットなラテン系DJ ロイ・バルボサ、このステーションで、

DJ Roy Barboza - HOT 96.9 Boston 

現在アメリカ夏時間中は、日本時間、22:00-7:00

(もう冬時間なので23-8時までですね。)

月曜日から金曜日までヒップなミックスを提供しておられます。

 

しかし、DJで、この9時間ぶっ続け労働(流石にちょくちょく休憩しているようですが)って、どうなの?

 

日本のラジオ局ではありえないと思うのですが、アメリカのラジオパーソナリティは、

「サラリーマンかい?」

というくらい、朝から晩までくっちゃべってる人も多いです。

アメリカ人ならば、皆が家族と一緒にご飯を食べる感謝祭当日(日本で言うならば、盆、暮れ、正月クラスの祝日です)でも、一日中頑張って

「すろーばっく(throwback; 昔を懐かしむ音楽を流しまくるって感じ?)」

しておられた様です。

アメリカのラジオ局はブラック企業か…

 

だから、クウォー!キター!って、当たりの日もあれば、んー、イマイチ、な日もあります(商業ベースでプロモーション中の新しい曲が沢山入るセグメントとかね)。

そりゃ、週休二日とはいえ、年中毎日朝から晩までやってたら、疲れるでしょうし。

 

あ、でも、日本では聴けなかったりして…