精神分析のススメ

1970年代のNYCで一世を風靡したヒップな精神分析の啓蒙をめざす狂気専門家のブログです。

牛乳石鹸で、「さ、洗い流そ。」では済まされない時。

ツイッターで、牛乳石鹸が炎上していますね。

 

http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/15/milk-sekken-arainagaso_n_17762350.html

 

https://joshi-spa.jp/745061

 

意味不明、不愉快、もう買わない。

 

こういった反応をする方々は、「分からない」のではなく、「分かりたくない」のです。

 

この宣伝のコンセプト、「さ、洗い流そ。」は、2013年くらいからあったそうです。

 

誰が考えているのか知りませんが、賢すぎ。牛乳石鹸、トンガッテますね。

 

過去の罪は全て「洗い流す」日本人には、ウケる筈。

 

なのですが、両義的な意味がぎっちりつまっているので、「分かりたくない」人々、「水に流せない」人々からは強烈な反応が来たのですね。

 

今まで炎上していないのが、不思議なくらい。

 

この罪を「洗い流す」って、原罪を背負って生きる西欧人には通用しないんですよね。

 

http://asanagi987.blog27.fc2.com/blog-entry-7065.html

 

洗っても洗っても落ちない血の生臭い匂いに悩まされるマクベス婦人は狂気に陥ります。

妄想を伴う強迫神経症です。

 

私は、罪悪感を背負って生きるのが「あるべきよう」だとは、決して思っておりません。

neofreudian.hatenablog.com

かと言って、水に流せば良いか、というと、又難しい所です。

私は変に合理主義的な所があるので、上の記事で書いた様に、コミュニケーションを含み、状況を変えていく原動力にならない情動(感情)は、クソだと思っております。

 

すみませんでは、本当に済まないことが世の中有り過ぎるので。

 

昨今の日本で、水に流せない大罪といえば、福島です。

 

日本は、放射能で汚染された水を太平洋に垂れ流し続けています。アラスカを巡り、米西海岸を洗い、もう、ハワイまで到達したのでしょうか。

 

https://matome.naver.jp/odai/2138012008909888501

 

https://mainichi.jp/articles/20170225/k00/00m/040/115000c

 

ちょっと古いのですが、2013年のカナダによる調査結果です。

http://earthsky.org/earth/tracking-fukushima-radiation-across-the-pacific

 

「原因不明」とされる壮年期の血液癌。原発の職員や被爆者の間では羅患率が高いことも、(原発を推進する)日米仏の公衆衛生や、医学サイトでは決して公言されません。

 

http://www2.clarku.edu/mtafund/prodlib/jsi/Multiple%20Myeloma_and_Exposure_to_Ionizing_Radiation.pdf

 

洗い流せない罪は、どの様に自分に降りかかってくるのか。如何に自分のあり方を改め、償い、誰に赦してもらうのか。

 

重たいテーマです。

 

牛乳石鹸買うの止めた位では、どうにもなりませんからね。

 

ちなみに、私は「それでも牛乳石鹸が好き」なハルオサンが大好きです。

 

www.keikubi.com

この記事には、一応続きがあります。「分かりたくない」人々は、思考型ではないのよね。って、まあ、分かりきったことなのですが、だからと言って、「頭悪い」というのはちょっと…ということが言いたくて、書きました。

neofreudian.hatenablog.com

 

それと、日本の父親について…

牛乳石鹸と、父親不在 - 精神分析のススメ

ブログのススメ

今日は、私がブログにハマってしまったワケを書いてみようと思います。

 

先日、毎日ブログを更新していた方が、

 

「沢山記事を書いて、楽しかったのはその10%くらい。というのも、毎日書くことだけを目標としてきたので、それが辛かった。そんな理由で、続けるくらいなら、他の事をもっと楽しみたい。」

 

と言う様な主旨で、

 

「今後は書きたいことを書きたいペースで更新したい」

 

という記事を書いておられました。

 

お気持ちは分かります

し、御自身の生活を大切にする決意を応援したい

のと同時に、

「ちょっと、がっかり…」

を禁じ得ませんでした。

 

私がブログを好きな理由は、著者の人となりが見えて来るからです。

 

臨床の事例(ケース)を読んでいるような気分にも、

しばしばなります。

書き手の 自己理解が深まる過程 が見えて来るからです。

 

頻繁に更新されている方は、特に、精神分析に近いと感じます。

 

精神分析が他の心理療法と違う一番分かりやすい特徴は、

(色々ありますが)頻度が高い

週1回通うのが、「普通」の心理療法

ですが、分析は、少なくとも週3回、理想は5回です。

 

何故そんなに頻繁に面接するかと言うと

自由連想」するためなのです。

 

例えば、認知行動療法では、

今の自分の考え方や

行動を如何に変えていくかに焦点を当てて治療を進めます。

結果、今の状況や、近い未来の目標について

話すことになります。

 大抵の被治療者の方は、悩みがあるから、

心理療法に通うので

週1で「悩み」や、「ストレス」について話すだけ

で面接が終わってしまっても、

とりあえず、ストレスへの対処法を変えることで、

現状が良い方向に変わり、悩みが軽減すれば万々歳です。

 

時間的にも、経済的にも、

週休2日で悠著に自由連想なんかしている余裕は、

多忙を極める現代人には

はっきり言って、ありません。

 

分析の需要は減る一方です。

つまらんです。

やりたい仕事ができないので。

 

ブログに毎日投稿する、

というのが、精神分析のプロセスに似ているのは、

「毎日書く」ということが、

「自分の頭に浮かんだことを全て言語化する」

という、自由連想に繫がってくるからではないか。

と、勝手に考えています。

 

毎日なので、ネタがなくて、夢の話とかも出てくるワケです。

 

めっちゃ、興味深いです。

かなり強烈な象徴が凝縮していますからね。

分析、したくてウズウズしてしまいます。

 

しませんよ。料金頂いてませんから(笑)。

 というのもあながち冗談ではありませんが…

 

相手が

「もっと知りたい」

と思ってもいないのに、勝手に分析するのは押し売りです。

人の心に土足で踏み込んだことになり、不愉快に思われるのがオチです。

 

多くの先輩分析家の方は、

「分析を受けるのは非常に辛く、怖いことだった」

と言われます。

 

自分の一番暗い幻想をも、言語化し、他人と共有しなければならないので、

まあ、そう言われるのも分かります。

 

私個人的には精神分析、するのも、されるのも、楽しみますが…

 

D・W・ウィニコットという分析家によると、

 

「分析家が被分析者に与える解釈*1というのは、

光り輝く、魅力的な対象として、

被分析者の欲動を掻き立てる(おしゃぶりの様な)モノである」

 

そうです。

http://yokopsy.com/2014/20140413setting.pdf

 

ブログという、自己表現の場が、書き手の

「表現したい」

という気持ちを掻き立てる読者からの反応(欲動の対象)を提供することで、

傷が癒されたり、自己実現ができるのであれば、それは素晴らしいことなのでは…

 

と、思いながら、今日も今日とて現実逃避して、

ブログを読み耽る私です。

 

因みに、ブコメにもハマっております。

ブコメのススメ - 精神分析のススメ

 

*1:あくまでも「解釈」であって「分析家」ではないところがミソです

【メーガン・トレイナー】 All about that bass 太っちょでもイイじゃん

気分的に疲れる記事が続いたので、

洋楽紹介です。

 

相変わらず、ちょっと古いのですが、

「私のぽちゃティブ宣言」 という、

まあ、気持ちは分かるが…

何とも言えない日本語タイトルも付いている、

大変ポップな この曲を、とりあえずお聞きください。

 

digitalcast.jp

 

前回のテイラースイフトと一緒に紹介しようとしたのですが、

neofreudian.hatenablog.com

長くなりそうだったので、また後程、と思っていた曲です。

 

しばらーく、

バダバダベス、バダバダベス、ノー トラブル、

って、一体何?

 

と思って聞いていました。

女性の身体イメージについて歌った

ポジティブメッセージだなー

くらいの生暖かい印象だったのですが…

PV観て、歌ってる人が

ぽっちゃりだったので

めちゃくちゃ説得力を感じました。

ビデオがちょっと、

これに似ている!!!!?

と思うのは私だけ?

 

www.youtube.com

 

またまた以下のサイト等 を参考に私訳してみました。

 

http://lyrics-jp.blogspot.com/2015/02/meghan-trainor-all-about-that-bass.html

 

"Because you know I'm all about that bass,
'Bout that bass, no treble
I'm all 'bout that bass, 'bout that bass, no treble
I'm all 'bout that bass, 'bout that bass, no treble
I'm all 'bout that bass, 'bout that bass"

分かってるとは思うけど、私は低音にハマってるの。
低音なんだから高音はダメよ。
重厚な低音だけで、キンキンした高音はダメ。 

(ベースとトレブル、重めと軽めってことで、体重の比喩だそうです)

"Yeah it's pretty clear, I ain't no size two
But I can shake it, shake it like I'm supposed to do
'Cause I got that boom boom that all the boys chase
All the right junk in all the right places

そうよ。一目瞭然ね。 私は“Sサイズ”じゃないの
でもね、フリフリできるわ。あったりまえじゃない
だって私にはボンボンって

男のコなら誰でも夢中で追いかけるお尻があって
あるべき場所に  

あるべきモノが付いてるの

"I see the magazines working that Photoshop
We know that shit ain't real
Come on now, make it stop
If you got beauty beauty just raise 'em up
'Cause every inch of you is perfect
From the bottom to the top

雑誌なんて、フォトショップでいじり放題
あんなクソな写真が本物なワケないって

私たちは知ってるわ
さぁ もう終わりにするの
美しいモノは、持ち掲げるだけでいいの
だって あなた達は 完璧だもの
爪先から頭のてっぺんまで どこもかしこも

  ( *2 )
"Yeah, my momma she told me don't worry about your size
She says, boys they like a little more booty to hold at night
You know I won't be no stick-figure, silicone Barbie doll
So, if that's what's you're into then go ahead and move along"

そうよ。ママが言っていたわ “サイズなんて気にしないで”
 “男のコってもんは、夜中に抱きしめられる戦利品は少しでも大きい方が好みなのよ”
線で描いた棒っ切れみたいなシリコンのバービー人形になんて絶対に ならないから
そんなのがお好みならば どこか他をお探しなさい


  ( *1 repeat )


"I'm bringing booty back
Go ahead and tell them skinny bitches Hey
No, I'm just playing I know you think you're fat
But I'm here to tell you that
Every inch of you is perfect from the bottom to the top"

私は戦利品になるようなお尻を復活させるの
意地悪なガリガリビッチに ちょっと 言ってやってよ
なーんて。 ちょっとふざけただけ。

分かってる

みんな自分が太ってると 思いこんでるって
でもね、私がここにいるのは みんなに言うため
“あなたの 全てが完璧なのよ  爪先から頭のてっぺんまで”

 

もう、この歌詞訳だけでも良いかなー

とも思ったのですが

 

日本語訳バージョン探したのですが

見つからなかったこの記事によると、

 

http://www.rollingstone.com/music/features/how-meghan-trainor-became-2014s-most-unlikely-pop-star-20141027

 

メーガンは

自分が目を惹く容姿ではないから

音楽の才能はあっても 

歌手としてのデビューは無理

 

と思っていたそうです。

 

劣等感に苛まれ

ニキビをつぶす癖もあった彼女は

この歌がヒットして

一晩で自信を身につけなければならなかった。

 

と言っています。

 

「(ぽちゃティブ宣言の)

ビデオを初めて見たときには泣いたわ。

『こんなこと絶対にやりたくない。』

って思ったの、覚えてる。

 

それから、ダメ出ししまくったの。

違う映像にして。

顔が変だから違う角度からにして。

ってな感じで。

びっくりしたことに

スタッフがそれ

全部聞いて編集し直してくれて。

出来上がってきたのを見たら

『あら、私ってば、イケてる』

って思えたの。

作詞作曲家として契約した時は、

『私は、綺麗じゃないし

アーティストだなんて皆思うワケないわ』

と思っていて

まるっきり諦めていたの。

今では思うわ。

何でそんな事考えてたんだろうって。

私がするべきことは

歌うことだったのに…って。」

 

今ではメイクも髪の毛もバッチリキメて、

鏡を見ても

「決まってる」

って思えるようになったけど、

この曲が売れる前は

そんなことはなかった。

 

とも言っています。

 

メーガンは、

デビューしてから体重が減ったものの

ダイエットしたわけではなく

忙しすぎて痩せたそうです。

 

基本、

人は「そのまま」が一番綺麗だし、魅力的。

というのが、私のスタンスです。

が、

身だしなみ

というか

向上心は大切だと思います。

 

ので

彼女のビデオが

きゃりーぱみゅぱみゅのビデオに似ている

(と思うのは私だけかもしれませんが)のは、

大変興味深いと感じます。

 

太っちょな自分を受け入れよう

 

棒切れみたいなバービーなんて

いらない

 

というメッセージを発する

メーガンのビデオが

白(ピンク)塗り化粧に

バービーを頭に挿して

自分をデコりまくる

きゃりーのビデオを連想させるというのは、

一体どーゆーことなんでしょうか。*1

 

きゃりーのデコりも、

メーガンの「そのままの自分が綺麗」というメッセージも

「醜い」という固定観念に捕われている自分に

「そうじゃない」

と拮抗することで、

自分をより美しく、

魅力的にする努力を「自由に」出来るようになる。

ということを

私達に訴えかけているからなのでは…

と感じられます。

 

言っていること

やっていることは真逆のようですが

彼女達のビデオは、

いつしか自分で作ってしまった「醜い」という枠に

囚われない自分を発見しよう。

というメッセージを発しているのではないか、

と感じます。

 

家族は、冗談遺伝子全くない私を、*2

「あんたは、めっちゃ面白いことには、

『なんでそんなん面白いん?』

ってしつこく聞いて、

サムなるようなことするくせに、

全然たいしたことないこんなんが好きで

ワロてるんやな」

とバカにしますが、

私はこのパロディバージョンも好みです。

 

 

www.youtube.com

日本語訳が見つからないので、自分でざっと訳してみました。

 

(Meghan solo)

Yeah it’s that time of year

It’s 2016

And I’m making resolutions

Like you’ve never seen

‘cause I got these goals

that I want to achieve

it’s a new year and

it’s a new me

 

イエー!今年もキタわよ。新年明けて。

2016年

新年の誓いを立てるの。

いままで見たことないくらいにね。

だって、私には達成しなきゃならないゴールがあるのよ。

新しい年だし。

新しい私よ。

 

(James jumps in)

Yeah it’s pretty clear

I ain’t no size 2

But I just join a gym

Like I’m supposed to do

‘cause I got that boom boom

 walkin’ up the stairs

and all the wrong junk in all the wrong places

 

(コメディアン 

及び 

深夜番組パーソナリティのジェイムス乱入)

イエー!

一目瞭然 分かってるだろ。

僕はSサイズなんかじゃないって。

でもジムに通うことにしたんだ。

みんなやってることだし

だって、僕にはボンボン 

でっかいお尻が

階段上がると 

付いて来る。

あるべきじゃない場所に 

あるべきじゃないモノばっかり 

付いているんだ。

 

M

After work I come home

And I have a glass of wine

And when I say a glass

I really mean 4 or 5

(she keep on drinking she keep on drinking)

but I’m gonna cut back

I swear to drink more water instead

‘cause I can’t afford to

drunk dial another ex

 

(メーガン)

仕事が終わって家に帰ると

ワインを一杯ひっかける

私の云う一杯は

実は4杯か5杯なんだけど

(飲んでばっかり)

でも、ちゃんと約束するわ。

お酒を少なく

代わりにお水を 

飲むってね。

だって 

酔っ払って電話した

元カレが増えるのは

もう沢山

 

J and M

Because you know that I’m all about that change

‘bout that change

this new year

 

(ジェイムスとメーガン コーラス)

だって分かってるでしょ

私は変わるのよ

今年こそは

変わるんだってば

 

M

one week and I’m alright

there hasn’t been a drink in sight

Nah, just playin’

I went out last night

And I’m here to tell you

That orange juice is good

It’s even better with champagne

 

(メーガン)

一週間が経って

私は上手いことやってるわ

一杯だって飲んでない

なーんちゃって。

昨晩 

外出したの。

みんなにいうために。

オレンジジュースって 

結構イケるね

シャンペンが入ると最高だけど

って

 

J

I haven’t gone to the gym

Or met with the trainer I hired

Can I pay someone to go and tell him

That he is fired

 

(ジェイムス)

ジムには一回も行ってないし

雇ったコーチにも会ってない

カネは払うからさ 

誰かコーチに

クビだって言って来て

 

Resolutions are worthless

We all know that’s why we’re here

I’ll be the same disappointment

I’ve been for the past 3 years

 

(コーラス)

新年の誓いなんて 

役立たず

みんな知ってるよね 

ここに居るんだから

どうせ過去3年と同じ

失敗に終わるんだから

 

Because you know that

We’re not about to change

‘bout to change

we’re quitting

 

だって分かってるでしょ

変わるワケないって

変わんないんだよ

もう、やーめた!

 

アルコールや薬物

食べ物に依存するのはともかくとして…

卑屈になるのはでなく

自分をありのままに見つめて

パロって笑えるって

最高に魅力的なことだと思います。

*1:太っちょダンサーの起用や、

レトロ調のプロップをパステル色でまとめてあって、

終わり方が似ている等、ヴィジュアル効果もありましょうが…

*2:因みに彼等はハイレベルユダヤ系冗談、私的にはイラつくだけで、何が可笑しいのか、さっぱり分からんウッディアレンとか、モンティ・パイソン系が好みです

カネはリビドーの象徴?

リビドーって性欲とか、エロス(愛欲)とかって印象が強いのでしょうが、私的には、「欲動」って訳すのが一番しっくり来ると思っています。

 

「欲」とは、「欲しい!」と感じること。「動」は、「突き動かされる衝動」ってことです。

そう考えると、お金が、「欲動、」リビドーの象徴って、成る程ー。です。

欲しいし、手に入れるためには、突き動かされてしまう。

カネを、上手く制御できないと、時に破壊、暴力をも生みます。

 

とは云うものの、カネとリビドーの繋がりは、初めて聞いた時、実は、「かなりこじつけ?」 と、思っていました。

カネは、糞 (自分が創造するモノ) の象徴、でもありますからね。

 

学生時代の話です。某ユング研究所の学生割引料金設定が高価すぎる、と文句をつけた所、かなり年配の熟練分析家の方に、

 

「お金というものは、リビドーのようなものです。望んで放出できないのであれば、死んでいるのと同じことです。リビドーと同じように、放出すれば、それに見合った悦びを得られるはずです。」

 

みたいなこと、言われました。

 

頑張って数ヶ月通いましたが、どうしても、

 

「コストパフォーマンスが良くないので。」

 

という理由で、終結致しました。

 

 

因みに、チューリッヒユング研究所では、

 

「アメリカの研究所はカネの亡者だ。」

 

と言われている、というまことしやかな噂を聞きました。

 

閑話休題

ここからが、本題です。理想論の展開なので、ウザいかもしれません。

 

脱サラして、フリーランスを楽しくやっている方達のブログを読んでいると、どうしても、気になることがあります。

 

不労所得の問題です。

 

会社で働けども働けども、安定感や、豊かな生活は得られない。投資に心惹かれるのも分かります。

 

社会福祉壊滅状態の、アメリカで、老後の安定を得ようとしたら、投資するしかありませんから。

 

投資を生活の安定の為にしていると、安全な投資をするようになります。ということは、大企業であればあるほど(倒産しない)、利潤の大きな企業であればあるほど(リターンが大きい)、好ましい。どんどん富の集約が進む。という大きな問題が生まれます。

 

エネルギー(石油、電気、ガス)を筆頭に、理不尽に利潤の大きな産業は、利益を上げるためには非人道的な手段を厭いません。労働者の福利、賃金は元より、環境への配慮など、規制がなければ毒を垂れ流すことにも良心の呵責を覚えません。

 

会社の倫理観が損なわれるのは、責任の所在が明らかではなくなったからだと思います。

 

例えば、ベトナム戦争枯葉剤を作ったモンサント社

今でも、枯葉剤をもじった、化学肥料や、除草剤、除虫剤で、世界を席巻するモンスター企業です。環境への悪影響を懸念して、抗議の声が上がりそうになると、各国政府や、学術研究機関に圧力をかけることなどお手の物。化学兵器開発に携わった歴史に鑑みて、死神の企業とまで言われています。

 

shinhakken-blog.seesaa.net

彼らが政治的影響力を誇れるのも、投資信託の御蔭様と言えましょう。モンサントの株主は、大銀行、証券会社で占められています。カネさえ儲ければ、それで良し。な金融に、牛耳られた会社に、倫理観など有り得ないのも当然です。

 

shinhakken-blog.seesaa.net

そして、銀行や証券は、顧客のカネさえ増やせれば、みんなを幸せにしているのですから、非社会的な運営を続ける大企業にカネをつぎ込むことも、「悪い」ことではなくなってしまうのです。

 

個人投資家も、ファンドと、一括りにされてしまうと、どの様な企業にカネを入れているのか分からないまま、将来の安定性に惹かれて無自覚なまま、富の集約、ひいては、貧富の格差拡大に貢献し続ける、という悪循環に嵌り込んでしまいます。

 

搾取されることに疲れて、金融市場に不労所得を求めると、搾取に貢献することになる(又は更なる搾取の犠牲となる)。虐待の負の連鎖と一緒です。

 

私は、カネ儲けの為に、軽々しい投資参入には懸念を覚えますが、投資の理念自体は「悪い」ことではないと思っています。

 

カネは、蓄積する物ではなく、回していく物。新しいことを始めたいのだけれど、資本がない人達に、希望を託す。という役割での投資には、決して反感を抱きません。

 

カネをリビドー(活きる力)の象徴とするのなら、投資も、単にカネ儲け(貯める)、という目的ではなく、自分が「良い」と信じる企業の、未来に「託す」気持ちで行ってこそ、金融市場に、社会に、健全なエネルギーを吹き込むことが出来るのではないでしょうか。

 

そして、その為には、投資先の企業の資本金額や、利益投影のみならず、労働者にいかに誠実に利益を還元しているか、福利厚生を行っているか、といったことをきちんと知ることが必要なのではないでしょうか。

 

因みに、VALUって、どうなんでしょうね。個人の可能性に投資する、という意味では好ましいとも思いますが、買った人が死んじゃったらどうなるんでしょう?癌とかで、闘病日記をVALU主だけに特別配信!とか、香典なしでもお通夜、告別式にいらして下さい!とか、形見分けにご優待!とかになったりするのも、えげつない気がするなあ。

拒絶しあう男女 ラブドールとセックスレス

少し前になりますが、こんな記事が、ツイッターで流れてきました。

 

http://www.afpbb.com/articles/-/3135749?pid=19156788&page=3

 

めっちゃ怖い。というのが、当初の感想でした。

 

人形に耽る男性も、その男性が抱いている女性像も。

 

ピグマリオン幻想と、照らし合わせる方もおられましたが、

 

d.hatena.ne.jp

真逆だと思います。

 

ピグマリオン

彫刻家が労働に没頭し

作品に精魂を込めたことに愛の女神が感動し

無生物に命が吹き込まれる「お話」です。

 

故に…

教師が素晴らしい生徒を育て上げ(恋におち)る

派生物語が生まれます。

 

私的解釈ですが

受身の愛(母親からの愛情)に幻滅した少年が

仕事を通じて、与え、創造することのヨロコビを知り

能動的に愛することを知る

という、男性の成長過程を描く物語であり

労働と愛の融合の物語でもあると言えましょう。

 

ところが…

ラブドール」の「お話」は

元々は生身の女性(母親)を

無生物にしてしまった「悲劇」です。

 

愛着理論

というのがあります。

 

母親を乳飲み子が求めるのは

おっぱいを飲むためだけではない。

「愛着欲求」を充たすためだ。

 

という、ハリー・ハーローのアカゲザル

2体の代理母人形を使った研究結果に端を発する理論です。

 

以下の2サイトのまとめが分かり易いです。

 

簡単なまとめ

(子供にはスキンシップが必要。どんどんじゃれあいましょう)

https://conobie.jp/article/1286

 

詳しいまとめ

(愛着がきちんと形成されないと

ACな大人になってしまい、人付き合いも困難です)*1

http://www.urraca.jp/archives/910

 

興味のアル方は上のまとめを

じっくり読んで頂くとよろしいのですが

丸投げするのもあんまりなので

ざっくり説明させて頂きます。

 

母親のいない赤ちゃん猿を

2つの代理母猿人形と一緒に小屋で育てます。

一体は、ぬくぬく布でできています。

もう一体は針金で作られており、哺乳瓶が付いています。

赤ちゃん猿は、針金のお母さんの哺乳瓶からミルクを飲みますが

一日の大半を布のお母さんにしがみついてすごしました。

 

すなわち、

子猿は接触欲求を充たすことで

安心感を得ます。

安心を希求する接触欲求は

性欲や、食欲に匹敵する

生理的、本能的欲求なのだ。

という結論になっております。

 

人はパンのみにて生きるにあらず。

 

とは、キリスト教で信仰の必要性を説く言葉ですが、

 

赤ちゃんはミルクのみにて生きるにあらず。

 

が、愛着理論を表していると、言えましょう。

 

詳しいまとめを読んで頂くとお分かり頂けますが

安定した愛着を形成できた人は

不安なく、他人と親しい関係を持ちたい

と素直に感じ、相手に心地よく受け入れられる愛情表現ができます。

 

愛着に問題があると

人付き合いを回避したり(拒絶回避型)

過度に依存したり(不安型)

波乱万丈なツンデレ(混乱型)になってしまいます。

 

この、ラブドールに真実の愛を見つけた男達にとって

生身の女性は針金の母親でしかありません。

 

食事、洗濯はしてくれても

わがままで、冷たい。

 

安心して癒しを求めることができない相手なのです…

 

ドールは、文句を言わないし、裏切らない。

 

ということは

生身の女性は文句を言い、怒り、裏切る。

ということです。

 

この記事は、ドールを愛する男性の妻

りほさんの言葉で終わっています。

 

「冒頭の尾崎さんの妻、りほ(Riho)さんにとっては、夫の寝室から無言でりほさんをあざわらうドールの存在を振り払う日々がまだ続く。

『主婦の仕事をきちんとしている。ご飯の支度や掃除、洗濯も』と、りほさんはもう諦めたように言う。『セックスより寝る方を選ぶ』」

 

「セックスより寝る方を選ぶ」と

「諦めたよう」な妻が

「無言であざわられている」というのは、

筆者の欧米的感性なのでは?

と思われますが…

 

妻の

「主婦の仕事をきちんとしている。」

という言葉には

募る不満が読み取れます。

 

以前、

日本には父親がいない

と言う話を鈴木晶氏と内田樹氏が

対談本でしておられました。

(大人は愉しい ちくま文庫

ということを書きました。

http://neofreudian.hatenablog.com/entry/2017/05/30/184946

お二方は

現代日本の社会問題は

父親不在の問題ではなく母親機能不全の問題だ

ということで、一致されておられました。

 

日本に限らず

現代社会で女性は疲弊しています。

毎日ご飯を作って、掃除、洗濯、子育てをして。

仕事をしていない女性は、引け目を感じ

自分の時間を欲するも

「充たされる」ことを知らない。

外に出る仕事なら、

金銭という、代償を期待できますが

主婦は家内で孤立し

行き場のない承認欲求を充たすこともままならず…

仕事に出れば、

家事と仕事の両立を期待される。

不平不満を解消できず

義務感で家事を続けると

愛情が欠落し、針金の母親になってしまうのも…

当然でしょう。

 

世話をする

ということが

愛情から分断されてしまうからです。

 

「母」の「怒り」は世代を超えて

受け継がれ続けてきたものでもあるのではないでしょうか。

 

現代の女性は、母親が

家のことは何もしない父親の面倒を見続けることに

理不尽さを感じながら育ち…

母親の母親も、父親の暴力や

いつでもそこに居るのが当然という扱いをされる

母親を見て育ってきたのではないでしょうか。

 

大戦のトラウマを抱える男達の

時に暴力的な怒りを受け止めることで

女性も苦しんできたはずです。

 

日本は被爆したことに

トラウマを集約してしまったが故に

戦後、帰還兵のトラウマを認識できず

暴力的に振舞う父親を美化し

男らしい、強い父親と勘違いしてしまったのではないでしょうか…

 

それが、現在の日本の悲劇に繋がっているように思われてなりません。

 

そのツケが、

現代の親密になれない若者世代を生んでしまったのではないでしょうか。

 

この記事の、セックスレスな若者の様に。

http://news.livedoor.com/article/detail/13344258/

母親が、父親を穢い物のように扱うのを見て育った男性は

女性を怖がり、不能感(ED)に悩まされる。

 

大きな赤ちゃんの様な父親の面倒を

甲斐甲斐しく見る母親を見て育った女性は

男性からの愛情を負担にこそ感じはすれども

悦びを見出せない。

 

女に傷つけられることを恐れる男達の脆弱さや

男に気遣うことを面倒くさがる女達の冷酷さは

戦後の日本社会の歪みや

世代を超えて繰り返されてきた

父親の母親放置

ひいては、母親の父親に対する不満が凝縮したモノの様に思われます。

 

このように考え始めると、

初めは只、ひたすら怖かったラブドールの「お話」は

耐え難く、辛く、哀しいものとして、

私の心に圧し掛かってくる様になったのです。

 

という、限りなくどよーんとした結末もナンですので、

お口直しにジャスティン・ティンバーレイクのおされ(?)で

ダーティーなドールのビデオ

https://www.youtube.com/watch?v=gA-NDZb29I4

 

及び、和訳歌詞リンク、貼っときます。

kumaa-wayaku.blogspot.com

 

怒れる母

関連記事です。

母が壊れる時 - 精神分析のススメ

 

日本の男は辛いよ

関連に興味のある方は、こちらもどうぞ。

EDと、父親不在と、村上春樹 - 精神分析のススメ

 

ハゲもヒゲも駄目ってどういうことよ? - 精神分析のススメ

 

父(男)とは、かくあるべき!

みたいな男性論(?)に興味のある方には

こんなんもあります。

バカボンのパパなのだー の ススメ - 精神分析のススメ

*1:因みに、ACと書いてしまうと、

電気の交流ですとか、エアコンみたいですが、

アダルトチルドレンの略です

息子に泣くのは...やっぱり、良いです

一応、前回の続きです。

 

neofreudian.hatenablog.com

子育てに、御意見申す!っていう感じの記事には、コメントつくんですね。

30記事書いて、初めて反応があったので、とても嬉しいです。

 

でも、ちょっと誤解を生んだかな、と思ったので、リベンジします。

 

私は基本的には、こうしたら良い、こうしましょう、みたいに、具体的な示唆はしないようにしよう、と意識しながら、ブログを書いてます。

が、にじみ出てしまうのでしょう。

私だったら、こうありたい。理想はこうあるべきだ。って、抽象論をかまし続けるのにも、限界がありますからね。

 

仕方ありませんね。大きな課題です。

 

「患者相手に正解を提示してはいけない。」

というのは、分析家の座右の銘とも言えます。それどころか、何を聞かれても、

「応えるな!まず、詮索しろ。」

と、特訓されます。

 

何故そのことが、その瞬間、聞きたくなったのか。そのことを知ることが、相手や、自分にとってどんな意味を持っているのか。何故、重要なのか。質問にまつわる幻想を、徹底的に詮索していると、応えることが無意味だったり、患者自身の自己探求の妨げにしかならないことが明らかになってしまうことが、儘、あるからです。

余談ですが、これって、性格によるのでしょうが、初心者時の私にはとても難しかったんです。「聞かれちゃったんだから、応えないかん!」って、強迫観念が拭えなくて。

 

やっちゃいけないって、分かっちゃいるけど、聞いてばかりでは、御意見、言いたくなってしまうんです。困ったもので、大きな口を開いてしまうのです。

 

前回の記事では、私の、

「情動を上手く制御できない子供には、このような対応をしなければならない」

という、欧米バイアスがっつりの意見が滲み出てしまったな。という意味で、残念な仕上がりだったと、ブコメを読んで感じました。

 

お話としては、素晴らしいと思うんですよ。我侭坊主だと思っていた息子が実は、妹思いの良いお兄ちゃん。息子君の、そんな自分を理解してくれない、応えてくれない周囲に対するやるせない気持ち。お父様も、本当に御自分の御子様達を良く見ておられます。(結局、それが一番大切な気がします。子育てって。)自分の息子のことを、あんまり褒めるのも恥ずかしいから、「叱ってやろう」と言ってみたり、匿名で発表される、という、奥ゆかしさに、皆様が好感を抱くのも、分かります。

 

ブコメで、あんまりにも、「良い話」って、コメント付いていたので、捻くれ者の私は、少し引っ掛かったことにこだわって、「何だとお?これが良い話ってどゆことや?」って、気分になってしまったのですね。

 

只、強調したいのは、「何かが、すごく、今すぐ、欲しい!絶対!じゃなきゃ、死んじゃう!」くらい、強烈な子供の欲動。(まあ、「どっちでも良いよー。何でも良いよー」って、やり易い子もいますが…)これに、付き合うことは、体力、気力、共々に大変消耗することであります。

 

自分が、心の底から、「よっしゃー!かなえてやろうじゃないか!」って、思えないのに、子供の怒りや、悲しみに耐えられない不安で、安易に子供の欲に応じてしまう親御さん、多い気がします。

 

人は、失うこと抜きに、今在るモノを愛し、慈しむことを学べません。悔しかったり、悲しかったりした時に、気持ちを分かち合う相手が居ることで、失敗や、喪失はトラウマになって残らず、強さになり得ます。

 

恥ずかしいと思いながらも、息子さんと、一緒に大泣きできる御家族の皆さん、実は、私も「かなり、イケてるじゃん、」と、思ってます。

ですから、私的には基本、「息子に泣くのは良い」 のです。前回の記事は、捻くれ者な私の、裏の気持ちを表現したモノ、として、「温かく」 受け取って頂ければ幸いに存じ上げます。

息子に泣くのは良いのですが…

匿名ダイアリーで、こんな記事を読みました。

https://anond.hatelabo.jp/20170727102351

 

この記事に対するブコメを読んで、あまりにも、「良い話」という感想が多かったので、びっくりしました。

 

確かに、周りを省みずに猛アピールしてた男の子が、自分の為ではなく、妹の為にプレゼントを獲得したかったのに、貰えなくて大泣きした、というのは分かり易い美談だし、子供の悔しさ、悲しさに共感する人が多いというのは分かります。

 

が、この「お話」の書き方にひっかかるものを感じてしまいました。以下、記事からの引用です。

 

「6歳の息子は物怖じしない性格でぐいぐいと最前列に出て猛アピールを続ける。

3歳の娘は場の空気に圧倒されてしまったのか、少し離れた位置で参加したい気持ちと葛藤した様子でイベントを眺めている。

息子のあまりの食いつきっぷりにパフォーマーさんも少し持て余す様子。」

観察力、表現力共に優れた、自分の子供を客観的に見ている描写である、とは思います。

が、私にとっては、「親として、自分が子供を持て余している」 ということを、舞台の上の 「パフォーマーさん」 に丸投げして (こういった、本当は自分が感じていることを他人に投げる、という心理的操作を専門用語では「投影」と言います) いる様に感じられます。

 

再び、記事からの引用です。

「一向に作品をもらえない息子だが、一生懸命アピールすれば報われるわけではないことを知る良い機会だと温かく見守っていた。

しかし息子氏、よっぽどもらいたかったのか女子向けの作品にすら小さな女児を差し置いて猛烈にアピールし始める。

いや、むしろ女子向けのほうが激しくアピールしているほどだ。

そこは流石に空気を読む必要があることを教えねばと、戻ってきたら言い聞かそうと思っていた。」

 

私には、どこが「温かく見守って」いるのか分かりません。「放置」しているの方がしっくりきます。

私は、「放置」したことに対して、親御さんを責めるつもりはありません。

子供の感情は大人に比べて、強烈です。長時間、一緒に過ごしていれば、愛する子供でも、辟易してしまうのも当然です。自分が言って聞かせてもどうにもならんし、誰かに、がつんと言ってもらって、治めてもらいたい、という気持ちにもなります。自分では制御できない者を、放っておくしかない、という気持ちになってしまうのは、暴力的になる可能性に比較すると、無害ともいえるでしょう。

「温かく見守る」というのは、失敗の可能性を認めながらも、成功する可能性に賭け、距離を置き、失敗してしまっても、「大丈夫」と思い得る状況で、初めて成立します。

「戻って来たら言い聞かせよう」 とは違います。失敗するのが分かっていて、みすみす放置しているだけだからです。決して「守って」なんかあげていないからです。

きちんと躾けなければいけない、と焦るのであれば、日常生活の中で、暴走状態になる状況を把握し、そうなりそうな時に、「暴走しそうだね」「落ち着いて」「他の子も欲しいんだから、順番を守ろうね」「今、小さい子を押したよ。あやまろうね。」等、その場で声を掛けるなり、状況から一旦身を引かせるなり、衝動を抑え、自分を落ち着かせる方法を教えてあげておくことが必要です。失敗して、悔しくて、悲しくて、大泣きしている時に、叱られるのでは、子どもに、メッセージなんて入りません。

泣いて戻ってきたら、抱きしめて、受け止めて上げる気持ちでいられてこそ、「温かく見守る」と言えます。

 

再び、引用です。

「作品をもらえた子どもたちに肩身が狭い思いをさせるのも申し訳ないと、『だらしがない!』と叱りつけようとした」

 

「肩身が狭い」のは、一体どなたでしょうか?

子供は素直です。空気もちゃんと読んでいます。「作品を貰えた子供達」が、本当に「肩身狭く」感じたら、「僕の、あげるよ」と、自然に言うはずです。

子供が素直に「欲しい」という思いを持つだけで、「肩身が狭い」と思わせているのは、大人達です。

「肩身が狭く、申し訳ない」のは、「大泣きとかどんだけだよ」と、子供や、自分を、恥ずかしく思っておられるお父様だけではないですか?

「すごく欲しかったのに貰えなくて(できなくて)、悔しい(哀しい)」と思った(幼い日の)自分を受け止め、克服できていない、ご自身を赦すことができない親御さんが、「すごく欲しい」という衝動に翻弄される子供さんを、持て余してしまうのは当然です。

子供を持て余して、どうして良いか分からない状態を、「温かく見守る」という言葉で美化し、自己欺瞞に甘えていては、子供は混乱するし、可愛そうです。という気持ちで、ブコメさせて戴きました。

 

もう一つ、ブコメを読んでいて気になったのは、パフォーマーさんに対する批判の声です。

「子供がそんなに欲しがっているんだから、あげれば良いのに。」

という御意見。

 

それは、してはいけないでしょう。

 

「欲しがる子供にはとりあえず与えて、静かにさせろ」では、あっというまに、阿鼻叫喚の無法地帯になることが、確実だからです。

 

パフォーマーさんが、そこまで猛アピールしてくる子供にプレゼントしなかった、ということは、おそらく、「何や、この押しの強いクソガキは。」と、思われたからではないでしょうか。そのことに対して、「子供相手の商売なんだから、そんな無慈悲なことをしては(思っては)可哀想」という感受性自体には、私は問題を覚えません。

大人が、応えられない、又は応えたくないからといって、子供の要求を無視しては、子供の不満はつのり、傍若無人さは、エスカレートします。

そのような時、子供だから仕方ない、といって、無法状態を放置しておかれては困ります。

アピールが過ぎる子供がいて、他の子供や、自分にとって迷惑になりそうなら、「皆、1メートル離れて、静かにしてね。手を挙げて、ちゃんと待ってる良い子には、順番で作ってあげるからね。」等、どのように、自分の「欲しい」という気持ちを表現すれば、大人を含む、他者に、「こんなに欲しがっているのだから、上げたい」という気持ちになってもられるのか、プレゼントが貰える確立が高くなるのか、集団のルールに従った上での自己表現の仕方をきちんと伝えてあげて欲しい物です。

 

只、いつも思うのは、子供って強いです。

お父様が、その瞬間、叱ることを思い留まり、妹思いの息子さんに「成長したね」と、素直に感激の念を表せるのであれば、今は自分の衝動を持て余し、周囲にウザがられても、将来、情熱的に他者を思いやれる優しい男性に成長される可能性は存分にありましょう。

 

なんて、書きましたが…実は…続きです。

息子に泣くのは...やっぱり、良いです - 精神分析のススメ