精神分析のススメ

海外在住メンヘル専門家。ヒップな精神分析をめざしております。

フロイト教授 描いて頂きました(照)

ブログを始めた当初は、専門知識を一般民間人の皆様に分かり易く提供させて頂こう!(お前、なめとんか!全然分かり易くないやんか!と喝が入りそうですが…)

という心持ちで、交流とか全く期待していなかったのですが、ブコメで色々な方に絡み、ツイッターでも絡んでいるうちにヴァーチャルお友達にハマってしまった私。

 

はてなにはヴィジュアル系ブログも多く、皆仲良くアイコンやバナーを提供しあっていて、羨ましいな~と、横目で見ていたのですが…

 

愛内さんの、この記事で

cute.lovein-ainai.xyz

我慢できなくなってお願いしてしまいました。

 

描いて頂きました。

素敵なフロイト教授を。

若き才能がほとばしる、愛内さんに。

f:id:lovein-ainai:20180205184206j:plainhttps://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/l/lovein-ainai/20180205/20180205184206.jpg

 

 

愛内さんの絵と出会ったのは、この記事

cute.lovein-ainai.xyz

が初めて…だったかな?

 

 

こーゆー感じの、怖いのか、可愛いのか…

狙い所が全く分からない、インパクト最強のイラスト群に、第一印象でヤラれました。

 

速攻でフォロー致しました。

すると、こんな

 

f:id:lovein-ainai:20180122202127j:plain

 

写実も…

 

え?

あの…スライスしたピーマン、笑ってるんですけど。

右斜め下の、さりげに異形(グロテスク)なんですけど…

 

売れそうなピーマン

 

食べちゃったら、私達は、どうなってしまうのでしょうか。

ちょっとコワイ…

 

って感じに、一筋縄ではいかないアートな絵を描かれます。

 

ワイのイラスト、世間に評価されないっていうたって…

 

天才は、常に時代の先を突き進むので、大衆に評価されることを望んでは、不毛です。

 

以下、愛内さんは芸術家、という点について考察させて頂きますが、こんな事を芸術家本人にバラしてしまうと自意識過剰になって自由に創作できなくなってしまう恐れがあるので、愛内さんは読まないで下さいね。

 

 

 

 

 

フロイトは、「ミケランジェロのモーゼ」という論文の中で、芸術論を繰り広げました。

 

読んだのがもう随分と昔のことなのでうろ覚えですが、

 

芸術の真髄とは、人の心を動かすことにある

 

という趣旨だったようにムニャムニャムニャ…

 

芸術の本質は「その時代の皆」に「好かれる」ことではなく(好かれたり、売れたりしたら、ナリにやる気がでますが、常に作風を刷新する必要性も、自分の創りたいモノに向き合う必要性もなくなってしまい、凡庸になってしまうのではないでしょうか…)、時代を超えて、人間の心を動かす、普遍的な力を持つことなのではないでしょうか。

 

愛内さんの「絵」には、「心を動かす」力を感じます。

 

その原動力は何か、というと、

相対するモノの融合

なのではないでしょうか。

 

フロイト教授の絵を、じっくりと御覧ください。

 

ハゲて、髭に覆われた、威厳のある老人の表情に、初々しい恥じらいを感じるのは、私だけでしょうか…

 

パンをカジル女性の飢餓感は、背景を埋め尽くすパン(飢えた人に自分の顔を差し出すアンパンマンが、絶望感で白目になっていますね)との対比で、飽食と飢餓という、更に耐え難いモノとして、迫ってきます。

 

可愛い(?)けど、コワイ。

 

愛内さんの描く矛盾は、正に今、現代の日本に蔓延する「未成熟さの闇」を穿ち、私の心に破壊的な印象を与えます。

 

普段、何気なく目にする日常の景色に、非現実的な重みが加わる

 

その瞬間を捉えるのが、芸術家である

 

と、私は考えています。

 

当たり前の様に受け取る「現実」をもう一度じっくり見直す機会を与えてくれる。

 

そんな、視点を「絵」に捉えられる、愛内さんは、知名度はなくとも、立派にアートしてる、芸術家だと、私は確信しています。

 

因みに、フロイト教授が愛飲していたのは、実は葉巻でした。

ということに、事後、気が付いたのですが…

イメージの裏切り

と、いうことで。

パイプの方が断然絵になるし…

キチガイ の 効用

「風邪の効用」という整体の大家、野口晴哉の本にあやかったタイトルを付けてみました。

 

野口整体では風邪をひくことには、躰の重心の偏りを正す過程として、失われたバランスを取り戻す効用がある、といいます。

 

風邪を上手に経過すると、老廃物が排出され、スッキリ、風邪を引く前より健やかな状態になる、という考えです。

 

野口整体の考え方自体「体癖」という、無意識の躰の動きに注目し、調整をする。

なんて、ゲシュタルト療法*1に通じる所があるのでは…

と思ったりもして大変興味深いのですが、とりあえず、興味の在る方は、是非とも「風邪の効用」をじっくり読んでみて下さい。

 

今回の記事では、

整体で言われる「緊張」と「弛緩」のアンバランスは、心の病にも通じるのではないか。

という点に集中したいと思います。

 

精神を患った人はキチガイと言われます。

キチガイとは、周囲が理解できない行動や思考を提示する人のことを言います。

本人が、

 

周りの理解が得られない…自分はオカシイに違いない。

 

と、受診することもあれば、

 

周りがどーしてよいか分からないので、キチガイになった人を

「ちょっと、これ、どーにかしてよ」

と連れてくる

 

ということもあります。

 

例えば、統合失調の患者さんによく看られる迫害妄想。

 

アメリカには、退役軍人や、元諜報員が、ザラザラいます。

そーゆー方々は、決して漏洩してはならないと神に誓った国家機密とかご存知です。

 

時にはヒミツの重さにストレスを感じて、メンタルをやられることもあります。

し か し

スーパースパイ引退したからといって、

ハイパー殺し屋引退したからって、

自責の念でメンタルやられたからといったって、

ペラペラ喋れるワケはありません。

 

もしかしたら、自分は見張られているのかも…

 

と、アレな感じになってしまったりします。

 

そんな時に、

 

この方迫害妄想ガッツリなので、向精神剤処方!

 

と、あっさり行かないこともママあるのです。

もしかしたら、腕にチップが仕込まれていて、本当に一部始終監視、盗聴されているのかもしれませんからね(だからこそ、キチガイ対応で、ちゃんとお薬処方した方が良いのかもしれませんが…ああ、コワイコワイ)。

 

そんな時には、その人の話が現実か妄想か、という部分よりはむしろ、その方の日常生活がどれだけ乱されているか、という点に焦点を当ててお話を聞いていくワケです。

 

ヒミツを打ち明けられないので誰にも心を許せない(孤立感、孤独感)。

とか、

見張られていることで常にピリピリ緊張してしまう(不安)。

とか、

夜もゆっくり眠れない(不眠)。

とか、

家族にいつも見られていると訴えてはウザがられる(対人関係問題)

ナドナド…

 

結局、

監視されているかもしれないストレスと本人が如何に折り合いをつけて、日常生活を安寧におくれるか

という所が(本当に見張られているかどうか、という「現実」よりも)「精神病」の診断を下す上で、重要になってくるのです。

 

してみると、精神のバランスを失ってしまった人達というのは、

適当な場面で精神的緊張を解いて休めなかったり、自制心を弛緩させてはいけない場面でブッツリとキレてしまう人達

とも言えましょう。

 

それが、問題として浮き上がってこざるを得ない状況は、例え危機的に辛くとも、ストレスを解消するための、個人と環境とのバランスを取り戻す第一歩である、とも言えるのです。

 

いつもながら、前置きが長くなりました。

疲れてきたので、さくっと締めに入ります。

 

周囲が一個人を「キチガイ」として、問題視するだけでは、「キチガイ」な人達の孤立感は益々酷くなり、「病気」も益々酷くなります。

 

個人の病がこじれると、周りはもっと困惑し、適切な対処もどんどんできなくなります。

 

悪循環です。

 

皆が「同じ」規格に寄り添う、平和な社会

 

なんて、クソ退屈なだけではありません。

何か大変なコトが起こると皆で仲良く全滅します。(遺伝子の多様性が保たれないと、種としては環境の変化に対応できず、存続不可能。って、アレですわ。)

 

「不適応」な人達は、多様性の賜物です。

 

ゴッホだって、

Public domain

ゴーギャンとの?)失恋の痛手で耳切って、絵を描く社会不適合者の「キチガイ」でしたからね。

 

キチガイ」な人達がいなくなったら、世の中つまらないし、「豊か」さがなくなります。

 

物質的には豊かな現代。

 

色々と、キチガイじみた人達が、キチガイじみた事件を起こす昨今、「多様な」皆が生きやすく、適応ストレスを感じない様、精神的にも豊かで暖かい環境を作っていくことが必要なのではないでしょうか。

 

嗚呼….

又説教臭くなってしまった…(反省)

*1:グループでパワフルな効果を発揮するテクニックです。例えば、腕組みをしている人に、「あなたの腕は何をいいたいのでしょうか」とか聞くと、突然泣き出してしまったり、無意識に働きかけるポテンシャル膨大です。

分析的解釈 と 精神分析

最近、遅ればせながらツイッターにハマって更新が滞っておりました。

 

調子に乗って、ブコメツイッターでは、かなりフロイディアン(クレイジー)なインタープリテーション(分析的解釈)をかましたりもしていますが、ブログでは良識的(というか、最後まで読むのがウザい?)な私。

 

誤解が深まる前に、精神分析的治療と、精神分析的解釈の違いについて、説明しておこうかな、と思います。

 

ヤノユウさんに、大根

第16話 クラゲ人間化計画の不審な行動 - クラゲ化計画

のメタファーについて、ご質問を頂いたので、図に乗って以下の回答をさせて頂きました。

 

 

 

まあ、こーゆークレイジーな解釈が冗談ではなく、ガチに心理療法の臨床現場でまかり通っていた時代もありましたが、そんなん、フロイト教授や、ミセスクラインが現役バリバリでやってた古き良き時代の話です。

今は精神分析も流石にそこまで尖っていません。

もーちょっと良識的です。

 

とは言うものの、強迫神経症の患者さんに

「あなたの強迫観念の芯には死の恐怖が在ります」

とか言ってしまって、例え患者さんが

「そーだったのか!」

と納得されたとしても、症状が軽減することはまずありません。

 

逆に、死の恐怖が増大して症状が悪化してしまう可能性の方がアルアルかも…

 

ってな感じです。

 

精神分析家も、クレイジーなだけではありません。

 

良識的で、賢い方々も沢山おられます。

 

分析的解釈ががっつり「当たり」でも、患者が良くならないなら、精神分析的治療は如何にあるべきか。

 

という問題について(私も)日々、真摯に向かい会っておられます。色々と小難しい理論も沢山あります。

 

が、まずは、原点に立ち戻り、リビドー(欲動)と精神病の治療について、書いてみたいと思います。

 

フロイト

精神病は、ワイは催眠療法の才能がからっきしやったので 自由連想を通してリビドーの(病的)固着を解き明かし、解消することで治療できる

みたいなことを主張しました。

 

これは、どーゆーことかというと(この辺、がっつり私的な読みですが…)

 

何か嫌(不快)なことを克服できないと、そのことで(無意識の)こだわりが生まれてしまう。

そーなると、後々大変なことになりますよ。

どーゆーふーに大変かと言うと、他人どころか、自分でも理解できない様な病的(クレイジー)な行動に表れてしまいますよ。

自分ではどうすることもできないクレイジーな思考や行動を解消するには、今のクレイジーな行動の原点にある不快感を覚えた出来事についてお話しましょう。

元々の不快な経験が何だったのかが分かれば、今の理不尽(クレイジー)な行動を取る必要がなくなります。

 

って感じですかね。

 

元々の不快な経験が何だったか分かったところで、それで今の病的な志向が失くなるなら、

例えば

毒親のせいで私には自己肯定感がない

と「当たり」な解釈を自分で得て、毒親とは縁をきっちゃった人達は、

 

例えば、自由ネコさんの記事

自己肯定感が低く、生きづらさを抱えている人が最初に取り組むべき事 - 自由ネコ

に書かれているように、

 

子供の頃に親に肯定されなかった分を、今からでも取り戻してください。

自分で自分を肯定しまくって下さい。

何度でも何度でも。

自然に自己を肯定できるようになるまで。

 

って感じに頑張れば(あ、頑張っちゃイケナイのよね)健全に生きていける筈。

 

なのですが、そーは問屋がおろさない。(いや、自己分析でガンガン自分を変えていけるスゴイ人達も沢山いますよ)

 

自己分析もソコソコいけますが、精神分析の本領はやはり、分析家と密に詰めていく過程で発揮されるモノだと思います。

 

坂爪さんの記事

1日1回、自分が恐れていることをやりなさい。 -

を読んで思ったのですが、自分が恐れていることにたった独りで向き合うなんて、コワイじゃないですか。

楽しくないとできません。

自分の一番コワイ、見たくない部分を一緒に覗く「誰か」になるのが、精神分析家だと、私は思っています。

 

坂爪さんの「裸になる」メタファーについては、まだまだ書きたいことがあるのですが、ここまでで、もう既に3時間くらい掛かってます。

オーマイガー!どんだけ書くのに時間がかかってるんや!やってらんね~!

ってなりますよ。

ええ。

ですから、きっとツイートの方が向いていますね。

 

疲れたので、唐突ですが、今日はこの辺でお終いにしようと思います。

 

とりあえず、精神分析的治療を受けても、

「ふーむ…ということは、5歳の時のその経験から、去勢願望が強迫観念として植え付けられたのですね」

みたいな、クレイジーなことは(真性フロイディアンとか、クライニアンならアリかも…)言われませんから、ご安心の上、是非ともご査証下さい。

ということが言いたくて、この記事を書きました。

 

精神分析で自分の闇を廻間見るのも、ナカナカ、素っ裸になる興奮を伴って、エキサイティングですよ。

世界文明 と 欲動の鬱憤

今朝、ラジオを聴いていたら「文明への不満」というフロイトの論文タイトルを連想する出来事がありました。

 

4人でくだらないトークをする典型的アメリカンの朝ラジオ番組の、パーソナリティの一人、インド出身のガンディーさんが、インドに里帰りしたは良いけれど、空港で足止めを食らって帰って来れなくなった、という話をしておりました。

印カースト最下層出身者ら、ヒンズー至上主義に抗議デモ 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

この事件に巻き込まれて、12時間ムンバイのホテルから出られなくて、落ち着いた隙をぬってバスで空港へ向かおうとしたら、暴動で道路が封鎖されているため、空港にやっとこさ辿り着いたものの飛行機に乗り遅れた、という話を電話でされていました。

ガンディーさん曰く、

「バスに乗っていたら、石を投げられた」

そうで、それに対して、スタジオの相棒が、

「観光客が何したっていうのさ。何で石投げて来るんだ」

ってな質問をしたのに、ガンディーさんが

「200年前にあった(イギリスの支援を受けた)不可触民対(ヒンズーの)上流階級の武士の戦いが理由」

という、まあ、ワケの分かる様な、分からん様な応答をし、それに対して、スタジオのアホ気な相棒が、

「そんな大昔のことを根に持って暴動が起こったりするから、俺はインドなんか絶対行かないよ。休暇はメキシコのビーチでリゾートしに行くのが一番」

みたいなコト言ってて...

 

聴いてた私は、

「ダメだこりゃ。こいつら、911があったのに、ナンも学んでないわあー」

と絶望してしまったワケです。

 

滅茶苦茶単純にすると、インドの暴動も911も、「持てる者達」に対する「持てない者達」の鬱憤が爆発したテロ事件、と言えましょう。

 

「持てない者」が暴力に訴えることが「仕方ない」とは決して思えません。

 

が、911事件で、アメリカンの

「何の罪もない人達が、邪悪なイスラム教徒のせいで沢山死んだ」

という見方は

「ちょっと違うやろ」

と思ってしまいます。

 

ニューヨークの世界貿易ビル(日本語にしてみると、つくづく思いますが、エゲツナイ名前ですねー)は所謂後進国といわれる国々の安価な労働力や資源を搾取して儲けたカネを更に転がして増やす、貧富の格差をガンガン拡げる資本主義の歪みの象徴でもありましょう。

(しかも、アノ崩れ落ち方、どー見ても飛行機が燃えて熱くなったからって不自然すぎ。民間人は入れない基地のど真ん中で飛行機が落ちたアレも、ごく普通に考えたら、あんたらが撃ち落としたに決まっとるやんけ!って思うんですけどね。自己欺瞞の闇は底しれない)

 

フロイトの理論には、

人間は「欲しい」という「欲動」に突き動かされて生きている。

という大前提があります。

 

「欲動」を規制するモノには、自分の肉体的限界や確固たる自然の驚異に加えて、文化や集団社会がある。

文明発展の為には個人の利己的な「欲動」の暴走を制限し、歯止めをかけることが必要なので、文明は常に自我の不満のタネである。

というのが彼の「文明への不満」の出発点でもあります。

 

全ての欲求を満足させると罰せられる為、

「幸福」=「欲動の充足」

になり得ず、葛藤が生まれる。

 

というのですが、まあ、フロイト的には欲求充足の原型が、

父を殺して母を娶る

なので、欲求充足したら罰せられるのも当然で...

 

悲劇的なフロイトは、

「幸福」=「欲動の妥協」

コースで落ち着いたようです。

が。

 私的には、

利己的な欲動は、「充ち足りる」ということを知らない。

のみならず、他者をないがしろにしがちなので、罪悪感をどーにかせんならん。

ということに尽きるのではないかと思います。

 

だから、(フロイトもホノメカしていますが)「愛する」ことを、自分が傷ついたり、損したりするのではないか、という不安や、恐怖抜きで思いっきりできるようになれば、万々歳なのではないでしょうか。

 

「文明への不満」は、利己的にカネ儲けの欲動に突き動かされ、無自覚に貧富の格差に貢献し、世界文明の終焉に拍車をかける現代人の鬱憤とも言えましょう。

 

過剰消費に歯止めをかける、「充足」は如何に得られるのか。

「持てない者達」の鬱憤は如何に暴発を避けられるのか。

如何に人は、必要ないモノは潔く諦め、欲しいモノを惜しみなく愛することができるのか。

 

(そして、ガンディーさんは、無事アメリカにたどり着いたのでしょうか。

インド並みに貧富の差が激しく政情不安定なメキシコでリゾートしたい、アホンだれな同僚と仲良く朝のラジオ番組に戻れるのでしょうか。

気になります。

が。)

 

(今の所)平和な日本にお住まいの皆様には、日々の充足を得、世界の平穏を守る為に、精神分析などは、如何でしょうか?

 

種子法廃止 と 世界文明の終焉 - 精神分析のススメ

欲望の暴走(過剰消費)と乖離(貧富の格差)に折り合いをつける為にも。

種子法廃止 と 世界文明の終焉

農業も、経済も私には専門外のことなので、手をつけるのが億劫でくすぶっておりました。

この方の記事みたいに

大変なことになります。|山田正彦 オフィシャルブログ Powered by Ameba

クソ分かり難くなるかもしれません。

 

が、頑張ってみようと思います。

 

ブコメにもあった様に、こちらの方がまだ分かります。

種子法廃止「附帯決議」は気休めにもならない|コラム|JAcom 農業協同組合新聞

何で種子法廃止が最悪の事態なのか。

 

タネをまけば農作物が採れる。

お米を全部食べずに次の年まで取っておけば、又稲を育てられる。

そのお米を友達に分ければ友達も稲を育てられる。

 

近い将来、そんな「当たり前」なことができなくなるかもしれません

(もう既に、前年取っておいた種を蒔いても、食べて美味しい作物が育たないように品種「改良」されてますけどね)。

 

ということは、モンサントの様なモンスター種苗会社が世界の食料を独占する時代が遠くはない、ということです。

 

欧米ではもう既に、モンサント社登録商標をしたトウモロコシと米しか栽培できなくなっています。

 

モンサント社の開発したGMO製品しか作付けできない状況です。

 

うろ覚えなので、詳細は分かりませんが、在来種を育てる中小農家はモンサント社に摘発され、賠償金を払って廃業か、モンサントの種苗を買って農業を続けるかを選択しなければならない。隣の大農場で育てるモンサント種との交配が進むため、「在来種」が「モンサント種」になってしまうから。

というコワいドキュメンタリーがありました。

 

アメリカで検索しても、モンサント反対運動や、種子法の分かり易い説明は上がってきません。

 

アメリカの原住民は、イギリス人を受け入れた時、土地の所有という概念を持たなかった、と言います。

 

日本の地方自治体が開発したタネの所有権を企業が持つ、というのは誰のモノでもなかったアメリカ原住民の土地を奪い、彼等を排斥した植民地政策に通じるモノがあるのではないでしょうか。

 

種子法廃止で、日本の開発した技術がもう既に、モンサント(だけではないようですが)にだだ漏れになっています。

 

倫理にも論理にも欠けると世界中で批判を浴びるトランプ政権に寄り添う日本に、アメリカ企業による合法的経済植民地化の流れを止める事はできないでしょう。

 

トランプ政権移行期に、消費者がトランプ製品を扱う小売店をポイコットする不買運動が起こりました。

 

株価にも影響を及ぼすインパクトを、消費者はまだ持っています。

 

購買力は政治力です。

 

今、日本人が、モンサント社ラウンドアップを使わないで作った野菜や米しか買わない、という声を上げ、農家の方々がそれに応じれば、きっとどうにかなるのでは。

 

種子法の問題は、モンサント社だけにカネが集まる、という単純なモノではありません。

モンサントに投資する、証券、銀行、更には、安価な小麦でジャンクを売るマクドナルドやネスレナビスコ(モンデリーズ)への富の集中の一端をも担っています。

 

GM種は、農産物が流通に耐え、長持ちするための改良でもあります。

 

ポストハーベストという言葉を聞いたことがありますか?

 

昔、オレンジの輸入が解禁になった時、アメリカの輸出用オレンジはどうせ日本人が食べるからと、発がん性のあるワックスや防腐剤をガンガン使っている。という噂が流れました。

 

日本人が食べるから、ではありません。

 

アメリカには、新鮮な野菜はありません。

 

私がアメリカに来て、気がついたのは、野菜や果物が日本のモノよりも、はるかに長持ちすることです。オランダや、南米から輸送され、食卓に並ぶまで、何日かかるのかわかりませんが、ピンピンしています。冷蔵庫で1週間とか、平気でもちます。下手すると、ブロッコリーがひと月もちます。

 

そして、突然とけます。

 

トランプ政権に移行してから、傷みやすかったベリーが全然腐らなくなりました。

アメリカでは、収穫後(ポストハーベスト)に使う、防腐剤、防カビ剤の規制がありません。

みかんの袋に、「よく洗ってから、食べること」みたいな但し書きがついています。

見かけはきれいなのに、かび臭かったり、中心から腐っている野菜や果物も、増えたように感じます。

とても怖いです。

 

長持ちするということは、廃棄しなければならない可能性が減るということです。

古いものでも見かけがきれいなら、いつまでも売れますからね。

 

このままでは、きっと、見かけはきれいでも、カビ臭い野菜や果物が日本のスーパーや、コンビニにも並ぶことでしょう。

 

国民の健康と安全を守るハズの政府は、大企業の利益を守ることを優先し、機能不全に陥っています。

 

資本主義と民主主義は両立しないことを、アメリカの現状は如実に表しています。

 

消費者が目先の損得や、(いつまでも腐らない食べ物の)利便に惑わされず、生産者に適正な価格を支払うことを念頭にモノを買えば、NASAのレポートにもある

やっぱり人類は滅亡することがNASA出資の調査で判明。資源浪費と貧富二極化で | ギズモード・ジャパン

世界文明の破滅の2大要因、貧富の格差と資源の枯渇に歯止めを掛けることもできるのではないでしょうか。

 

ちなみに、モンサント社は、ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤を作ってボロ儲けした会社が前身となっており、欧米では死神の企業と呼ばれています。

 

モンサントの製造するラウンドアップという除草剤は、各国で販売禁止を求める運動がおこりましたが、ことごとく潰されました。

 

消費者が一致団結して

「少し不便でも買わない。」

「少し高価でも生産者に還元する」

と決断しない限り、環境汚染も貧富の差も進むばかりでしょう。

 

モンサントについては、この記事でもちょっと触れました。

カネはリビドーの象徴? - 精神分析のススメ

 

欲望の充足と富の再分配の文脈で、精神分析のススメもしてみました。

世界文明 と 欲動の鬱憤 - 精神分析のススメ

 

Manu Chao 好みな私です。最近、お年を召されたなーと、感じますが、この

Fuera Monsanto! ライブ収録、サイコー。

www.youtube.com

【資生堂のダルちゃん】好きなモノ 追記

前回の記事

【資生堂のダルちゃん】好きなモノ - 精神分析のススメ

の締めで、12話ではサトウさんが「悪い」母親から「良い」母親に移行する、と書きました。

 

ので、今日は(neofreudianがもう既にいたので、替わりに私のツイッターユーザー名にもさせて頂いた)メラニー・クラインのおっぱい理論に挑戦します。

 

人は無意識に「良い」母親と、「悪い」母親を宿す。

という概念を追求した、メラニー・クラインは、フロイトの娘、アンナと同時期にイギリスで活躍した精神分析家です。

 

本格的な子供の精神分析は、エディプスコンプレックスを克服する5歳以降でなければ無理。

という純正フロイト派の主張を覆し、従来の父子関係や男根に重点を置いた分析に加えて、母子関係、おっぱいの分析を可能にする理論を展開し、英国対象関係理論の礎となったのがクラインです。

「遊びを分析すれば良いので、言語化できない赤ちゃんの精神分析だってできる!」

と主張したかどうかは定かではありませんが(本格的に自閉の子供や赤ちゃん分析してたマーガレット・マーラーの主張かも...)アンナ・フロイトとの壮絶な女同士の戦いが繰り広げた、と言い伝えられています。

 

「悪い」おっぱい=「悪い」母 とは、どーゆーことかは、この記事の中程で、さくっと触れましたが、

発達障害のメタファー 「亜人」 - 精神分析のススメ

(無理矢理分けると)2種類あります。

 

お腹をこわすような、不味い、腐ったおっぱい=危害を加えるおっぱい

お腹がへっているのに、口の中にない、どこにもいないおっぱい=不在なおっぱい

 

「良い」おっぱい=「良い」母は、まあ、分かりますよね。

美味しい、ぬくい、お腹いっぱい、幸せ感をくれるおっぱい。

悪いおっぱいに対応させて(無理矢理)分けると、

 

危害から自分を守る、安心感を与えるおっぱい

求めたら、すぐ口に入ってきてくれる、実現するおっぱい

 

って感じですかね。不在なおっぱいは、飢餓感と攻撃衝動を、実現するおっぱいは、充足感と希求や欲望を人間にもたらしめる、とも言えましょう。

 

私の個人的見解ですが、精神分析は、欲望の彼岸に喪失感を見据えて発展した学問といえましょう。

 

クラインの理論は、

乳児のおっぱいに吸い付く至福感と、おっぱいを求め泣き叫ぶ絶望感と怒りを、根源的ファンタシー(妄想)として対比し、それを如何に統合し、人格の整合性を保ち得るか、という問題を提起したとも言えます。

 

ダルちゃんの内的世界には、コフート言語で言うと、母なるモノ(自己対象)が欠けていると言えましょうが、クライン言語で言うと、12話までのダルちゃんの内面には、批判的で「害をなす」母=「不在」な母=「悪い」母が座していた、とも言えましょう。

 

クラインの偉大さは、人の内的世界を流動的なモノと捉えた所にある、とも言われています。

人の心は、常に「良い」モノ(対象)と「悪い」モノ、そしてそれらに対峙する自己の狭間で揺れ動いている、とでも言いましょうか。

 

常に何でも与えてくれる「良い」母親と居ると、自我は甘やかされ(スポイル=甘やかす、という意味もありますが、通常「腐った」と訳します)ダメになってしまう。

迫害する「悪い」母親が居ると、理不尽な暴力を恐怖し、オノノく自我は非力ではあるものの、無害で純粋無垢な「良い」モノでもありえるのです(私は何も悪いコトしてないのに何故世界は非情なの...?ってヤツです)。

 

クラインの元々の理論では、乳児の脆弱な自我は、呼んでもこないおっぱいに対して感じる無力感や絶望感を否定する為に、「原始的な防衛」とも言われている、誇大妄想を抱く。としています。

自我の攻撃衝動が「良い」おっぱいを壊滅してしまったせいで、おっぱいはもう戻ってこない。

「どうしよう!さっきまで怒りに任せて泣き叫んでおっぱい駆逐しちゃったけど、とんでもなく『悪い』ことしちゃった!」

(と、本当に生まれたてホヤホヤの赤ちゃんが後悔するかどうかは、議論の余地がありましょうが、喩えです。根源的幻想の世界のことなので、深く追求するのは不毛です。突っ込まないで下さい。)

 

そこで、生じる「罪悪感」と「悲哀」の感情と共に、脆弱な自我は「良い」おっぱいは「悪い」おっぱいと一緒だ、という「現実」を認識し「良い」モノと「悪い」モノの「統合」に至るべく「修復」の妄想をめぐらせる、と言うのです。

 

怒りにまかせた壊滅的破壊と、壊滅した世界を俯瞰する罪悪感と悲哀の狭間で、人は「復興」という創造的活動にイソシム、という、第二次世界大戦直後の世界を反映した根源的幻想である、とも言えましょう。

 

チナミに、後に、ポストクライニアンと言われる人達は、「良い」母と「悪い」自己の統合への道のりは、「感謝」が必要である、という理論を発展させております。

 

深入りすると、どんどんややこしくなって、読者を失いそうなので(もう遅いか?)ダルちゃんとサトウさんに話を戻します。

 

12話では、「悪い」サトウさんが「良い」サトウさんに移行する瞬間、サトウさんは、「さびしいときに読む」詩集を読んでいる。

というのが、「くぅー、ヤルなあ!」です。

 

ダルちゃんは批判的な「悪い」サトウさんを拒絶することで、偽りの「全能感」に浸ります。

が、スギタさんに拒絶反応を抱き、サトウさんが「正しい」ことを思い知ります。

 

ダルちゃんがダルダル星人に戻れる屋上で、さみしい二人が出会います。

 

サトウさんはダルちゃんには干渉せず、座って本を読み始めます。そんなサトウさんに、ダルちゃんは自分から話しかけます。(受け身じゃないトコロがポイントですね)

 

「なんですか。それ。」(あなたのことが知りたい)

 

サトウさんは顔を上げず、

「さびしいときに読むの」(私は寂しい)

 

「じゃあ、読みたいです」(私も寂しい)

 

サトウさんは微笑んで、布ばりの詩集を差し出します。

 

ダルちゃんは、独りでサトウさんに借りた本を読み、「わけがわからない」けど、「さびしくてやさしい」と感じます。

 

母なるモノは時に「ワケがわからない」し、「さびしい」気持ちにさせられる。けれども「やさしい」。

 

詩集が布ばりなのも、ラブドールの記事

拒絶しあう男女 ラブドールとセックスレス - 精神分析のススメ

で紹介した、愛着理論の針金と布の代理母を思い起こします。

 

近しくなりたくても、傍に寄り過ぎるのはコワい、現代の若い人達の葛藤に訴えかける描写が切なく、胸に詰まります。

【資生堂のダルちゃん】好きなモノ

「ダルちゃん」第12話 | ダルちゃん | 花椿 HANATSUBAKI | 資生堂

 

ダルちゃん12話、読みました。

 

両手を挙げて降参です。

 

他人の心に訴えかけることのできる物語を紡げる人達というのは、精神医学や心理学で武装し、傷つき、病んでいる人の心を「癒そう」とするヤカラよりも、ずっとか「人の心」の機微をワカっておられるものなのだ、ということを思い知らされる描写力。

ヤラレました。

 

11話で、サトウさんからは、ダルちゃんに話しかけない、というのにもヤルなあ、と思っていましたが。

 

全くカンケーないかもしれませんが、ヴィゴッツキー(教育心理学とかではきっと名前がしられていそうなピアジェに並ぶ、ロシアの天才心理学者)のゾーン・オブ・プロクシマル・ディヴェロップメント(発達近範疇...とかかな?)という概念を思い起こすエピソードです。

 

ヴィゴッツキーは、37歳で早世する直前に、自己中心的言語の問題への取り組みとして書かれた、「思考と言語」という著書で有名です。

言語が、意思伝達(コミュニケーション)の為に発達したのだとすれば、子供の自己中心的な言語が大人になっても継続するのは何故か(それどころか、年とるにつれてどんどん酷くなる...)。

という、流石は、誰も話を聞かず、自分の言いたい事を大声で話すだけ、という印象のある饒舌なユダヤ人家庭で育った人の発想です。

そんな自己中心的な自我が、周囲に興味関心を持ち、新しい物事に取り組もうとする時には、自分の「可能性の範疇」にはあるものの、「ちょっと足りない」「ちょっと難しい」という課題が必要である。という考えが、ゾーン(範疇)です。

 

可能性の範疇に留まっている時間が長引くと、退屈です。

可能性の範疇から離れすぎるのは、不安です。やる気スイッチも入らないし、フラストレーションの原因にもなります。

 

屋上のサトウさんは、ダルチャンのゾーン(範疇)に入ってきた、やる気スイッチです。

 

押し付けられるのは、イヤだけど、イヤと言えない自分に自己嫌悪を感じているダルちゃんが「自分」を取り戻すには、(父親的機能とされる)建設的に「イヤ」と自己主張する以前に、それとなくゾーンに入り、

「欲しかったら上げるけど...」

的に、ダルちゃんの「好き」とか、「欲しい」とか、「知りたい」を優しく刺激してくれる誰かが必要だったのです。

 

4話では、一生懸命「頑張って」擬態しているダルちゃん。

そんな必死なダルちゃんに自分の良しとする(女性としての?)あり方を「勝手に押し付け」、「頑張る」ダルちゃんを「否定」する、邪魔で「悪い」母親的存在だったサトウさんが、12話では、ダルちゃんの世界の扉をそっと開けてくれる、「良い」母親に移行する瞬間が繊細なタッチで描かれていて、心が温まりました。

 

続きも書きました。

人は「良い」母と「悪い」母を根源的幻想に宿す、というメラニー・クラインのおっぱい理論について、ダルダルな私が気合い入れて書いてみました。

【資生堂のダルちゃん】好きなモノ 追記 - 精神分析のススメ