精神分析のススメ

海外在住メンヘル専門家。ヒップな精神分析をめざしております。

発達障害のメタファー 亜人

漫画も、若い頃は沢山(しかも同じのを何回も…)読んだのですが、日本を離れてから全く読めなくなってしまいました。ので、最近何が面白いのかさっぱり分からないのですが、ハマダさんのこの記事内のリンクを踏んで、

好きになるとは興味を持つこと - 遊びまくる!

 

潰してました。読書の秋の美しい半日を。外に出ることもなく。

 

歪んだ画面で、上下逆なページもありましたが、10巻まで、一気に読みました。こんなに集中して本(って、漫画ですが…)読んだの久しぶりで頭がクラクラします。

 

最初は、

 

平凡(?)な高校生(?)が不死の力(超人的力)を得て、自分と同じ(だけど、パワーアップした)能力を持つ悪者と戦う、という、

 

「なーんだ、寄生獣の焼きなおしかい?」

 

(全然違うって、怒らないで下さい。最近の漫画、知らないんです) と思ったのですが読んでいるうちに、何だかモヤモヤしてきてしまって。

 

ぶっちゃけて言うと、人物設定や、人間関係描写に説得力がない。とても希薄でちぐはぐな感触なのです。読んでいて、

何で、そんなにその人のこと好きなの?

何でそこで、そんなこと感じて、そんな極端な行動になるの?

え?

うっそー?

何で?

何で?

って、感じです。

 

だからといって、面白くなかった、というのでは決してありません。半日で一気に10巻読みきるくらい、緊張感もあったし、ストーリー展開にも充分惹きつけられましたので。大変おもしろう御座いました。

 

で、考えてみた結論が、

 

亜人で描かれる、人間関係の唐突さと、希薄さ、そして方向性のない破壊的衝動のあり方が、あまりにも、自閉症スペクトラムの方の内的経験に通じる物があり、それは又、現代に生きる日本人の内的経験に通じるものがあるのかも…

 

と感じてモヤる。というものでした。

他人と違うことが排除の理由になる日本では、亜人は、他人と違う能力(破壊性)を持つ主人公が人ではないモノ、として迫害される、迫害妄想に近い世界、という方向で分析もできますが、私的には今最も興味を持っている、父親不在、というテーマで攻めてみたいと思います。

 

ネタばれ注意…かな?あんまり、ちゃんとあらすじ紹介してませんが…

以下、がっつり私的、解釈です。

 

主人公の圭は、幼い頃から自分は周囲とは違う、と感じ、自分にしか見えない黒いお化けが妹を傷つけるのではないか、と怯えます。

 

黒いお化けとは、主人公の統合し得ない(方向性がなく、コントロールできない)暴力性、破壊性の象徴であることは、結構あからさまだとは思うのですが…

 

その脅威に、初めて気付くきっかけとなったエピソードに、親の愛情を奪い合う競争相手でもあり、親愛の対象でもある妹が介在していることには、うーん、成る程!と感じます。兄弟間には、殺してしまいたいけど、愛してもいる、という強い葛藤があるからです。

 

ユングフロイトに比べると日本では知名度の低い、メラニー・クラインという精神分析家は、生後まもない乳児が母親の乳を対象に、愛憎の葛藤劇を繰り広げる、という理論を提唱しました。

 

英国対象関係論の祖、とか言われておりますが、私は密かに、おっぱい理論のクライン、と呼んでいます。

 

クラインのおっぱい理論は深遠なので、ここで詳細に立ち入るのは止めておきますが、彼女の考えによると、人は皆、生後間もない頃から、おっぱいに対する欲望と破壊衝動に耐えがたい葛藤を抱きながら成長を続けます。

 

おっぱいに対する破壊衝動と言うと、

 

はあ?何で赤ちゃんがおっぱいに破壊的衝動なんて持つんですか?

 

ということになると思うのですが、これは、

  • 「食べつくしてしまいたい」という、「貪欲」による破壊衝動
  • 「お腹が痛くなるような不味いおっぱいなんか、いらんー」という自分に危害を為すモノに対する恐怖、怒りによる、攻撃衝動
  • 「どこにもおらんやんかー」という、一人きりで放置されることに対する恐怖、怒りによる、破壊衝動

 

という感じにざっくり分けられますが、赤ちゃんの内的経験ですので、無理やり言語化して、分けてみた、という感じでお願いします。

 

で、赤ちゃんの未分化な怒りとか、破壊衝動とかは、おっぱいの悦楽とも混ざっているんで、更に、もー訳分からんくなっています。その葛藤に折り合いをつける為の、原始的な防衛の一つに、「投影」というものがある、と、クラインは提唱します。

 

自分に内在する、赦せない感情や衝動を、他人に丸投げする精神的操作とでも言いましょうか。

 

亜人の吐き出す、黒い物質は、正に、自分ではどうしようもない、制御不可能な攻撃的衝動が物質として体外に投影されているように私には思われます。

 

いくら、体外に排出した攻撃性とは言え、直接、母親を相手にはできません。母子分離ができない日本人にとっては、虐待とか受けた恨みがない限り、母親に対して、こうした強い葛藤を抱いていることを意識化することは、絶対に無理…とは言わずも、大変難しいでしょう。どんなに酷い仕打ちを受けても、自分の親は良い親だった(=どんなに冷酷な仕打ちを他人にしても、自分は良い人間だった)と、信じたいのが人の常でもあります…

 

ところが、兄弟姉妹に対しては、憎しみに対するガードが断然下がります。ということで、黒いお化けから妹を守ろうとする、圭の努力は、母親に対する葛藤の代換でもある、と言えましょう。

 

最近の精神分析では、父親こそが、その攻撃衝動を制御し、方向付ける手助けをすることで比較的葛藤の少ない母親からの分離、つまりは自己実現の可能性が生まれる、とも言われております。

 

私にとって、亜人は、父親のいない主人公が自分の攻撃衝動を如何に手なずけ自己実現できるのか、という物語のように思われます。

 

ちょっと話は飛びますが、圭の母性薄い母親との関係性は、神戸連続殺傷事件の少年Aの母親を思わせます(根拠を突き詰めないで下さい。全て印象です)。

 

母親に対する葛藤が、思慕の対象であると同時に、同一化の対象でもある(自分の薄情で利己的な「ゲス」な性格の根源でもある)から、という大変大雑把な理由ですが、後に圭が逃走中に出会う、老婆への愛着も、少年Aの祖母への愛着に似通ったものの様に感じられます。

 

圭の父親は、優しく、情に溢れた母性的な存在という設定ですが、存在が希薄…というより、本当に存在したの?という印象を持ちます。

 

圭の父親は、患者に感情移入し過ぎて規律を破る等、西欧の規律や、理性といった父性的機能からは、かけ離れたイメージですが、死んでしまったのを良いことに、都合よく母性化(理想化)されている様に感じます。

 

自閉症スペクトラムなのかい?という感じに描写されている母親が、母性発揮しないので、父親が情緒的にどうにか補おう、とはするものの破綻する、という、前にも書きましたが、日本の父性欠如は、母性の機能不全に因る、という解釈に近い象徴的設定ではないでしょうか。

 

私的には、年長の男性キャラ(戸崎、佐藤、オグラ、佐藤対策班の男達)は、全て不在な父親を補う、父親的存在と、ざっくり括ってしまいたい所です(大雑把すぎ?)。

 

飽く事のない暴力と破壊の衝動を、ゲーム感覚で全開にする佐藤は、(歴史的に日本に大きな影響を及ぼした強国でもある)アメリカ人と中国人のハーフという設定ですが、実は、方向性を失った日本という国のあり方、現代日本の破綻した父親像(=破綻した男性像)なのではないかと思うと、背筋がぞっとします。

 

無軌道な破壊衝動の象徴でもある佐藤を排除することで、自らの暴力性をも収束し、乗り越える少年が男になるストーリーなのでしょうが、同一化できる父親のイメージが、あまりにも散漫なので、不安になります。更には、数ある父親的イメージとの繫がりも、突発的に発生しては、抹殺されてしまうので、飽和状態にある破壊衝動を如何に制御し、統合し得るのでしょう?と、疑問に感じます。

 

誰とでも仲良くできる、言わば理想の自分像でもある、カイや、中野との繫がりも、シンデレラの魔法使いに出してもらったんかい?と言いたくなるくらい、説得力に欠け、現実感がありません(すみません。前世紀の遺物の感受性です。「何言うてんねん!めっちゃ心に来るもんあるわ!」という若者の皆様とは感性が違うのかもしれません)。

 

他者との繫がりを切に求めはするものの、諦めや、恐怖の方が先に立ち、何回死んでも又すぐ始められる、暴力的なゲームに没頭する、人間関係の希薄な現代人の内的現実に即した物語なのかな、と考えると、哀しくも、恐ろしくも感じてしまいます。

みたことも無い映画のススメ

先日も書いた、エミネム

狂気 と 自己表現としての芸術 エミネム A.k.a スリムシェイディ - 精神分析のススメ

については、書きたいと思うことが沢山あったので、エディプスコンプレックスに引っ掛けて書こうとしたのですが、無理でした。

 

父親不在、暴力、性的虐待、と、どんどんとりとめがなくなってしまって。

 

頑張って、精神分析の論理を説明しようと思うと、ダメな私なのです。

書きたいことが整理できなくなって、自分でも

「何じゃ?こりゃ?」

な出来になっていく。ぐがー。

 

なので、先日読んだニューヨークタイムスの映画評論 

Making ‘Mother!,’ the Year’s Most Divisive Film - The New York Times

 について書いてみます。日本ではまだ封切りされていないばかりか、自分でも観ていません。が、興味が赴いてしまったので。

 

この記事 (諸事情により、只今非公開になっております)

neofreudian.hatenablog.com

の最後でさくっと紹介したダーレン・アロノフスキー監督の新作です。

 

封切り先行公開した、映画祭でのあんまりにも酷い評価と無理解に、監督の彼女でもあり、主演女優のジェニファー・ローレンスさんが、ネタバレ覚悟で映画の寓話的意味を明かします。という趣旨の記事でした。

 

以下、ニューヨークタイムスによると…

 

推定400億円(くらいか?3億ドルって。)の予算を費やした、パラマウント大博打。封切り1週間の興行収益はイマイチで、「大嫌い!」から、「素晴らしい!」と、評価が分かれる、2017年、一番ホットな会話の種になる映画、と評される心理サスペンスなのに、何故かワーナーブラザーズのホラー映画と比較されている…

 

表面的には、田舎の旧いお屋敷に住むカップルのお話。旦那は一発ヒット作を出したものの、スランプに陥る詩人。妻は、家の改修に余念がない。

 

彼等の平穏な生活は、ひっきりなしに訪れ、しかも去ろうとしない客人達によって乱される。というあらすじなのですが…

 

記者会見に遅刻して、主演女優に、

「ダーク・ロード(暗黒の主)に電話して」

と、スマホで呼び出されたアロノフスキー監督曰く、

「寓話的イメージに取り付かれ、自分には珍しく、速いペースで熱にうかされたように、5日間で書き上げた」

脚本で、自分の彼女を主役に抜擢。ワキも、ベテラン俳優で固めてあります(3億ドルはそれでかな?それとも、この記事に書いてあるように 

Darren Aronofsky on Shooting mother! on 16mm Film | Collider

こだわって16mmで撮影したは良いが、誰も編集できなくってクソ大変だったからかな?)。

 

ポスターは、こんな感じです。

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ぶっちゃけてしまうと、聖書のお話。だそうです。キリスト教信仰の欧米人にとっては、とてもキワドイです。

 

旦那が神様で、妻が母なる大地。ウザイ客人達は、神様の恩恵を授かりたい不躾な人間。家は地球。物語は人間による環境汚染、気候変化について、という感じです。

比喩に満ち満ちたイメージと音が、これでもか、これでもか、と出てくるそうです。

 

観たいけど、観るのが怖い…

 

きっと、グロテスクで暴力的なシーン満載でしょうから。妻が集団レイプとかされて、内臓とか引き出されたりするの、見るのはちょっと…(本当にそんなシーンあるかどうかは知りませんが、石油資源の枯渇とか、どう映像化するんだろう、と想像したら…)

 

しかも、自分の彼女にそんな役柄振るって、どんなSなの?(だから、ダークロードって愛称で呼ばれているんでしょうけど)

 

因みに、私がアロノフスキー監督に惹かれたきっかけとなった、レクイエム・フォー・ドリームは、(10年以上前に観たのでうろ覚えなのですが)じわじわ怖くて、えげつないけど、映像的にとっても私好みでした。ジェニファー・コネリーが助演女優で、イイ感じに郷愁感が漂っていて、絶望的で。

 

薬物依存の人達の、「求めて止まない何か」が、手の届かない母親的なイメージ(モノ)であること、ソレを追い求める有様が破壊的な現実逃避でしかないこと、が確立したスタイルでとってもオシャレな映像になっていた(なんちゅう日本語や...)、という印象です。

 

パイという、同アロノフスキー監督の映画も、同じくらい昔に観たのですが、一昔前の分裂病、今の用語では統合失調患者の内的経験が、やはり、スタイリスティックに描かれていたように思います。

 

どちらも、元々、

「アレ?ちょっとヤバイ?」

って感じの人達が、徐々にキチガイ全開、現実から逸脱するに至るまでの経過が淡々と(?)描かれたコワーい出来上がりだったと思います。

 

今回の Mother! は、批評を読んでいると、自己愛性パーソナリティ障害がテーマかな?という感じです。

 

神が、自分のファンである人間の欲を肥大化させ、母なる大地を蹂躙させることも厭わない自己愛性PDって、確かに成る程―、欧米人激オコでも仕方ないかな、って設定かもしれませんね。

 

観ていないので勝手な憶測です。観て面白かったら、再更新しますね(誰も興味ないかもしれませんが…)。

狂気 と 自己表現としての芸術 エミネム A.k.a スリムシェイディ

絵画でも、音楽でも、痛々しい作品を作る人って、たまにいます。

 

例えば、エゴン・シーレとか、

 

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闘う者 1913 48.8 x 32.2 cm 個人蔵

エゴン・シーレ (Egon Schiele) 画像と美術館のリンクから、イメージ取ってきました。

シーレのまとめは、この方のブログ

blog.livedoor.jp

が分かり易くて素晴らしいです。

 

ユニクロで、シャツにもなっている、バスキアット。

 

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無題(頭骨) 1981 Wikipedia


バスキアは、映画にもなってます。

 

が、今回は、痛い音楽。

 

エミネムに挑戦します。

 

 

まずは、この曲。(古いです)

 

 

www.youtube.com

 

ざっくり言うと、

 

テレビばっかり見て、オトナの吐く嘘を鵜呑みにしてたら(鵜呑みにできないと)、俺みないなキチガイになっちまうぜ。

 

って感じのメッセージでしょうか。

 

そして、

www.youtube.com

 

ニコルソン好演の「カッコウの巣の上で」を彷彿とさせる出来のビデオです。

 

あと、これは、閲覧注意にしたいくらい。音楽は(エミネムにしては)ポップで、軽いノリなのですが、このビデオ、吐きそーになりました。あまり見たくないビデオです。

 

www.youtube.com

 

が、これ見て、

「あ、この人、義父だけじゃなくて、母親にも性的虐待されてたな」

と感じました。

 

英語の歌詞を和訳すると、基本的に著作権に触れるそうなので、(てか、韻を踏んでなんぼの、狂気の歌謡、ラップを日本語にしても、意味ないし)今回はヴィジュアルからアプローチしてみます。

 

ということで、個人的に印象に残ったイメージについて、書いて見ます。

 

一番最初の、My name is で、テレビを見ている男女、私、めっちゃ怖いです。

 

彼の両親、家族のイメージではないか、と思うのですが、所謂、ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)と呼ばれる、白人経済下層の方々です。

 

白人貧困層は、トランプ政権を頑なに擁護し、人種差別的活動に勤しみますが、彼らこそが誰も擁護しようとはしない、隠れた被差別層であり、それ故に、解消し難い鬱憤が溜まっている、と言われております。

 

白人として、(後述しますが)ゆかいなブレイディー家のような中流家庭を築けない人達は、社会の落伍者として、ある意味、黒人やヒスパニック等、被差別人種よりも、耐え難い苦痛を経験します。

 

白人の自分達が、不遇な有色人種よりも高学歴、高収入を得られるはず。それなのに、できない、ということが、彼らにとっては、耐え難い屈辱だからです。

 

有色人種の私としては、触らぬ神に祟りなし。なるべく距離を置きたい方々です。

 

My name is はスリム・シェイディが番組ホスト、という設定で始まります。

 

次に紹介するビデオにも出てくる、スリム・シェイディは、エミネムの3つの人格のうちの一つ、とも言われています。配役者の、マーシャル・マザーズは、エミネムの本名です。

 

この時点で、エミネムの多重人格性、芸能界で生きていくことのキチガイさが示唆されていると感じます。

 

スキンヘッドや、ネオナチに代表される、白人至上主義に流れがちな、白人貧困層出身のエミネムが正統派被差別層の黒人文化の粋である、ラップで名を成した、というのは、何とも皮肉で、彼の抱く、大きな矛盾を示唆していると思われます。

 

1:19辺りで出てくる画像は、「ゆかいなブレイディー家」という70年代アメリカの国民的コメディドラマのタイトル画のパロディ、「あやしいシェイディー家」となっています。本当なら、それぞれの枡に、家族の顔が現れるのですが、全てエミネムの顔で埋め尽くされます。

 

「ゆかいなブレイディー家」は、双方、子持ち再婚したカップルの、面白おかしい家族ドラマ番組です。絵に描いたような、中流の白人の家庭、「平均的(白い)アメリカの家族」を描いているとも、言えましょう。

 

エミネムの母親は、ドラッグに浸りっぱなし、父親は現在もどこで何をしているか、分からない。母親の再婚相手に性的虐待を受けて育った彼にとっては、家族とは、影闇(シェイディー)でしかない、ということでしょうか。

 

1:32で、ちらっと表れるスーツ姿の白人男性。

黒人ばかりのスラムのベンチで、横たわるエミネムの前を横切りますが、危ないお薬を買いに来たのでしょう。

 

幼い頃は、腹が減って死にそうだった。母さん、乳のないあんたに、俺を食わせることなんてできるはずねぇだろ。

 

人生の99パーセントは、嘘をつかれてきた。

 

学校では、落ちこぼれ。

唯一及第してきた英語(好きだったのでしょう。辞書を書き写して語彙を増やしていたそうです。)も高校の時には落とされた。

 

キモいおっさんに操られ、口をパクパクさせてる人形は、自分自身。

 

親父はどこにいるか知らねえが、児童ポルノ誌に載ったガキの頃の俺のケツでオナニーでもやってるんじゃあねえかな。

 

クリントンとモニカ・ルウィンスキーのスキャンダルで持ちきりだった頃を髣髴とさせる、ニュース速報。

 

クリントンさながら、スーツを着て、胸に手を当てて、名を名乗り、真実を誓うエミネムの講演台は、ズボンを半分下ろした彼の下半身と、女装した、もう一人のエミネムが、フェラチオに興じていたことを隠しとおすことはできません。

 

性的虐待を家族に受けて育つ子供達は、嘘に心を蝕まれ、真実を憎悪します。

 

The real slim shady も、又、精神病患者とレッテルを貼られる人々が、いかに、世の中の欺瞞と上手に付き合っていけないが為、キチガイになっていくか、が描写されているように感じます。

 

芸能界のシェイディーな噂についての歌詞と画像(元AV女優のパメラ・アンダーソンのDV夫や、クリスティーン・アギレラに二股かけた彼氏達が、どちらが先にフェラチオしてもらったかで喧嘩したり、子供向け番組で人気の出た良い子のブリットニー・スピアースや、NSYNC達と仲良くお歌なグラミーになんて出てらんねーや、って感じの映像になってます)で、名誉既存とかの訴訟も起こされました。

 

性的虐待を受けて育った彼にとって、セックスは、暴力的で汚いモノでしかありえません。

 

彼の歌詞は、放送禁止用語だらけなので、大衆の反感がっつり、グラミーだって無理じゃない、と言われていましたが、

「そんなん、クソっくらえだ」

と、公言することで、自分を芸能界のキチガイにしていく、エミネムの姿を描いているビデオなのではないでしょうか。

 

Just lose it は、児童ポルノ所持で捕まった、変態の定評あるピーウィーや、マイケル・ジャクソン、そして、クリスマスにサンタの扮装でショッピング・モールに現れ、子供を抱っこして願いを聞く男性、いずれも、変態的男児趣味と噂される成人男性を髣髴とさせる出来です。

 

ちょっと、この映像について語るのも気分悪いので、エミネムの薬物依存治療の映像がかぶる、このビデオで終わりにします。

www.youtube.com

エミネムの狂気からの回復の道のりが険しく、空虚で、絶望的な事を示唆するビデオですが…

 

洋楽や、曲中に使われる、英語の慣用句等に興味のある方には、軽薄な精神分析シリーズもあります。(現在非公開にしております。)

 

軽薄な精神分析 1. The Chainsmokers 大人になれない僕達 現代アメリカの若年層 ミレニアルの闇 - 精神分析のススメ

軽薄な精神分析 2. Shake it off 不完全な自分のままで いいじゃん。 - 精神分析のススメ

軽薄な精神分析 3. All about that bass 太っちょでもイイじゃん - 精神分析のススメ

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何分、趣味のブログなので、精神的にも、時間的にも余裕のない場合は、スルーさせて頂く事も御座いましょう。

悪意あってのことでは御座いません。

ご了承下さい。

あくまでも、「興味深いお話・一つの意見」としてお楽しみ頂けないのであれば、閲覧をお控え頂くことも御考慮頂きたく存じ上げます。

悪しからず。

自己愛性パーソナリティ障害とネットの闇 御在所岳の炎上 

使用上のご注意 

以下、ウザいと感じる方もおられるかと思います。

本文に跳んで頂いて結構です。このブログをお読みになられることで、身の危険を感じる方のみ、お読み下さい。

メンタルヘルスのプロが、面接や、問診なしに大統領に診断名を与えることは、倫理的にどうなの?という議論が、トランプ政権下のアメリカでホットです。

それを、踏まえてか、id:ss-vt さんから、「ネット上での安易な診断はお控えください」との、ご要望が御座いました。

全く、同感で御座います。

ありていに申し上げるならば、「安易な診断」そのものは、ネットに限らず、リアルでこそ、お控え頂きたく存じ上げます。

「診断」の目的は、「治療方針」を定める為に、行われるものであり、「治療」の有効性、予後を想定する為にも欠かせません。

誤診が重篤な結果に至る可能性は治療が行われるリアルでこそ高いといえましょう。

当ブログ主は、メンヘル専門家とはいえ、精神分析家という、アヤシイ肩書きを名乗る者で御座います。

公的人物の名誉毀損など、大それた危害を加えることも、してみたいのは、山々ですが、オーソリティに欠ける為、到底できっこない、と存じ上げます。

本記事に限らず、当ブログは、診断や治療が目的では御座いません。

 

私達と同様に、安易な診断に懸念を覚えられる方は、この記事を読み進められる前に、こちらをどうぞ。

neofreudian.hatenablog.com

 

以下、本文です。

 

 

フミコさん id:Delete_All  が、こんなツイートをなさったので、

 

「『御在所岳でまさかの遭難』というギャグ記事を読んでメチャクチャ笑ってしまった。ツッコミどころしかないw」

 

読んでしまいました。件の炎上記事を。

 

元の記事は削除されたのか、ブログ主さんはアカウントに鍵をおかけになられたようです。

 

でも、ブコメは残っているようです。凄絶でした。

 

ブログ主さんの迫害恐怖に慄く、内面世界を反映した内容であった。と私は解釈しております。

 

私のおぼろげな記憶を頼って書くので、誤謬もあるかもしれません。ご指摘頂ければ幸いです。

 

個人的な印象を述べさせて頂きますと、ブログ主さんは、概ね、自己愛性、もしかしたら、境界性パーソナリティ障害であろう、と思われます。

 

炎上記事からは、尊大で傲慢な行動共感の欠如、という、診断基準が見受けられますが、自己愛性に特徴的な、権力志向や、嫉妬に関する妄想が明らかではなかったように思われます。(id:Nightwings さん曰く、彼女の「クソバイス」記事中に、『てゆうか、何様?なんなの?私のことが嫌いなの?もしくは、私が幸せそうだから嫉妬してるの?。』 という記述があったそうです。はい。この様な発言は、がっつり、自己愛性の特徴と言えましょう。)

 

 多くの方が彼女のことを、中年男性だと思い違いをしていた、というのは大変興味深い点です。

 

境界性の方は、孤独を恐れ、親密な関係性を他者に求められている、と実感することで、承認欲求を充たそうとします。40代前の女性に多く診断されます。

 

自己愛性の方は、権力、成功、自己の魅力を感じることで、承認欲求を充たそうとします。男性に多く診断されます。

 

境界性と、自己愛に共通するのは、強力な劣等感、および、決して愛されないという感覚に対する防衛(境界例の方では、恋愛対象となる異性への執着。自己愛の方では、非現実的なレベルのプライド)が病的に強固である。ということです。

 

どちらにしても、ダメな自分を絶望的に感じるがため、そこからの脱却が「病的に強固」になりえざるを得ないのです。

 

自己愛性の「素晴らしい自分」が、往々にして、短期間は周囲に受け入れられても、すぐに剥がれてしまう「薄いメッキ」と、称されるのは、その対極である「糞な自分」が芯にある為なのです。彼らには、「ダメなところはあるけれど、改善しようする自分」、という、グレーゾーンが存在しません。

 

自己イメージが、この様に引き裂かれている(分裂症の迫害妄想にも繫がる概念で、スプリッティングと、業界用語では言います)自己愛性の方々には、他者のイメージも「素晴らしい」か、「糞」にしかなりえません。

 

ブコメからの情報ですが、FBには激励コメントも付いていたのに、ツイートとブコメは大炎上。

 

記事上ではロープウェイの職員の方はベタ褒めで、警察官の方は、若造呼ばわり。

 

このような、非現実的な「分裂(スプリッティング)」が、日常茶飯に起こる、些細なことから、同人物が「素晴らしい」から、「糞」に転落するのが、自己愛性と、境界例に見られる波乱万丈な人間関係の原因でもあります。

 

PD(パーソナリティ障害)な方々に、少しでも批判的な意見を述べることは、無意味です。

 

絶望的な劣等感に苛まれ、自殺願望が生じるか、暴力的に攻撃してくるかのどちらかだからです。

 

ブログ主さんが、炎上のストレスで、2歳の息子さんにイライラがつのり、暴力的になったり、自殺したりしていないかが、懸念されます。

 

1400近く付いたブコメの多くは、「生きて帰れて、良かったね」という比較的クールであったり、「クレイマークライマー」的、ウィットに富んだメッセージなのですが、かなり攻撃的な内容(「死ねば?」等)も3割くらい(...かな?)見受けられました(炎上の定義でもありますが…)。でも、1000もブコメつくと、3割でも、300個は、言葉の暴力。

しかも、彼女には、比較的非暴力的コメント全てが、「私なんか死んで当然」という、絶対に聞きたくない、けれど、常に頭の中にある、言葉として感受されるのです。

激励メッセージしか、受けとめられないのです。

 

PDな方々は、内面の荒廃を外界に投影し、理不尽な(キチガイじみた、と言っても良いです)暴力を他者に振るうと同時に、等しく理不尽な暴力が自分に振るわれる状況にも陥りがちです。

 

ネットコミュニティが批判的に、炎上主を追い詰めることは、個々人の鬱屈の現れ、ひいては社会の荒廃の表れでもありましょう。

 

個人個人が自制心を持ってコメントすることは、炎上主を甘やかし、学びの機会を与えない、というワケでは決してありません。

 

ムカつくからといって、無闇に「死ね!」と、言葉の暴力を吐くのではなく、一呼吸おいて、共感に欠ける彼らが、いかに、他者からの共感を享受することなく、荒廃した人生を歩んできたのかに思いを馳せて頂けたら、ネットももっと安全な、楽しい場所になるのでは。

という願いを込めて、もう読むことはかなわない、炎上記事について、書いてみました。

あ、氷太さんみたいに、

ブログが炎上したらどうするべきなのか - もう勝負ついてるから。

自我が確立した、オトナなブログ主だと、炎上しても、消火活動がきちんとできるので、過激に批判的なコメントは、相手をみて、つけましょうね。

あんまりポリコレ、みんな仲良しになると、闇大好きな私も楽しくないし。

 

かく言う私も、アドラー心理学のセミナーに行ったブログ主に、

「興味沸きました!でも、難しすぎて、私には無理かな?」

みたいな軽い記事を書かれると、

「学べや、おらぁ!」

って、思っちゃいました。てへっ。

 

「その解釈は、(刺さりすぎて)発狂するから、止めとけ」

と、スーパーバイザーに、言葉で羽交い絞めされた、(自分的には)青い正義感に燃える、(患者目線では)Sな心理療法士やってた時期もありましたからねー。

「本当に今は違うの?」という鋭い突っ込みは、華麗にスルーさせて頂きます。

ブコメのススメ

ぼっちさん曰く、化け物ブログ運営者、弁護士の三浦氏も、不思議がっておられた、ぼっちさんの読者数増加の謎が明かされて、

 

surftrip.hatenablog.com

物議を醸していますね。

 

私は、目的を達するために手段を選ばない人って、卑怯といわれようが、何といおうが、基本的に結果が(まあ、その結果が大量虐殺とかだと、怖いけど)がっつり出たら、凄いなあー。ってなります。

 

正直に、「素晴らしい」って、コメントしてしまったのですが、「間違ってるって言ってあげないと」ってコメントしておられる方もいて。

 

まあ、ぼっちさん自身が自戒の念も込めて書かれた記事なので、そこまで言わなくっても。と思うと同時に、お気持ちは分かります。

 

問題点は2点あると思うのです。(三浦氏のマネっこしてみました)

 

1.直球勝負してない。(もっと言ってしまうと、弱小ブログ主の承認欲求につけ込んだ)

 

2.営業スターをつけられたことで、不快に感じられた方がいらっしゃった。

 

ぼっちさんも、分かっておられると思います。「読者登録するのに、遠慮」を感じる繊細さも、持っておられる方なので。

 

かく言う私も、ぼっちさんの第一印象は、「なんだ、こいつ?」でした。

 

始めた当初は、読者を余り意識せず、ブログを始めるに当たって思ったことからつらつら書いていました。

 

精神分析のススメという明確なゴールがありながら、いきなりどっぷりメンヘルするのに抵抗があったんですね。

 

なので、自分的にはクズ記事(明確に読者を意識していない記事)に、

「スターつけて行った人、誰?」

 

ってのが、第一印象でした。

 

でも、嬉しかったんです。

 

あ、こんなしょもない文章でも読んでくれる人がいる。って。

 

研究してた時なんか、3年掛かった研究について、3ヶ月とか掛かって推敲しまくって、発表するワケです(人文系にスピードなんて、いらない)。

いざ、発表会場に出向くと、私みたいなペーペーの所に来てくれるのは(指導教官が有名所でなかったこともありますが)、疲れて座る場所がとりあえず欲しい人含めて、酷い時には10人前後とか、多くても、200-300人(私だけの発表を聞きに来る訳ではありません)です。質疑応答も、スッカスカです。

 

1時間そこそこで書いた、読者意識してない記事で、5PVとか、もう理解不可能(最後まで読まれていないのでしょうが)。でも、嬉しい。

 

スターなんか、ついてると、激嬉しい。(コメントないのが、哀しいのですが)

 

で、ぼっちさんのブログ、見に行ったんです。めっちゃ、読者いる。何で?(3桁=沢山。が、当時の私の感覚でした)

 

「海外でサーフィンか、楽しそう。でも、読者登録するほど興味ないし。何でこんなキラキラ、盛況なブログ主が、ちんたら書いてる私のとこに、スター付けていったんだろ?」

 

当時の私は、心の闇を吐露したブログの過去記事を漁って、不気味がられ、ブロックされたりもしてました(笑)。闇のない、楽しい系には興味なかったんです。

 

で、本気で書き始めたら、ぼっちさん、いなくなっちゃったんですよね。

 

ちょっと、がっかり。てか、

 

「なんや、こいつぅ?」

 

って感じでした。粘着質は、可愛さあまると、憎さ百倍ですから。

(ちょっと、ちょっと。本気にしないで下さいよ。盛ってるんですってばっ。メンヘラ診断テストの結果を引きずってるだけなんですってば。)

neofreudian.hatenablog.com

だから、分かるんです。

 

「スターつけてくるんだったら、一生続ける覚悟しろ」って、言う方の気持ちも。

 

「売名スターなら、いらないよ」って思う気持ちも。

 

でも、それを本気で実行してしまうと、みんな楽しくなくなってしまうとも、思うのです。

 

読者登録が義理になってしまうように、スターも義理になってしまうと、読むこと自体が、楽しくなくなりますよね?

 

お互いに、遠慮しすぎて「読んでるからね。ちゃんと分かってるからね。」って、素直に言えなくなってしまうのは、哀しくないですか?

 

ここからが、本題です。(前置き、長すぎ)

 

私は、最近ブコメにハマってます。

 

はてなさん、FBみたいに、ブコメにコメントつけさせて。って感じ。

 

粘着質なので(しつこいな)、フォローすると、過去記事も読みたいタイプです。しかも、読んだ記事についたコメントも読みたい。ってなると、沢山の記事を読めません。が、読んだ記事は、何らかの形で「受け取った」って印をつけたくて、自分の反応をネットの大海に投げかけたくて、コメント書くようにしています。ツイッターも、そういう感じで、使ってます。

 

最近、とみにブコメ経由でPVが増えてる気もします。

 

人様のブコメって、「自分が興味ある記事にコメントしてる」って、だけで、意見は違っても、感情的には「良しっ。」ってなれる所があって。共通項が既に出来上がっているだけで、連帯感を持てるような気がします。

 

しかも、短い!

 

なので、一つの記事に対する色々な反応が見える、ブコメが大好き。で、スターをつけたくなるのです。

 

ブコメのスターは、それほど営業効果なさそうだし。

 

あ、でも、お怒りの方、いたらすみません。悪気はないんです。営業意識も低いです。一応、専門知識(どこが?ってなってますが…)を活かした検索流入狙っているので。(しっかし、日本のグーグル、性的言語規制がキツすぎでムカつくぞ。私の所にはまだ何も言ってきませんが。)

 

因みに、検索で一番読まれている記事2つは、両方とも性格診断テストについてなので…どこが、精神分析かって、言われると辛い。まあ、読んでもらえるってだけで有難いんですけどね。

  

それと、何故か、ブコメだと、ブログ記事よりも精神分析の売込みがしやすいんですよ。

何故か。

短く書くから、しつこくないかな?って、考え込まなくって良いのかも。

ブコメの方が、かえって、自由に「精神分析のススメ」してる気がしてきたなあ。うーん。

本当に伝えたいことを伝えるって大変すぎ。それをちゃんと受け止めてもらえるのは、もっと大変です。

ブログ関係の過去記事も、宜しければどうぞ。

neofreudian.hatenablog.com

双極性障害と貧乏性 ジーザスクライスト(なんてこったい)!な坂爪圭吾さん

先日、坂爪圭吾さんという方のジーザスクライストスーパースターみたいなブログを発見してしまいました。(読者が4300人近くいるので、ご存知の方も多いのでしょうが)

 

ibaya.hatenablog.com 

この記事のブコメ精神科医通いを勝手に止めるのはヤバイ。という意見が多く、まあ、お気持ちは分かるのですが。結局坂爪さんに対する「羨ましい」という気持ちに流されている方が多いように感じました。

bokuiki-reiji.com

れいじさんも、「嫉妬で狂いそうになる」(程面白い、楽しいことやってる)とおっしゃっていますし。

 

過去記事まだ、読み始めたばかりないので、やめとこうかな、とも思ったのですが、今、書きたいと思ったので、書いちゃいます。

 

id:Apps さんに、どの記事がお勧め?というご質問を、ブコメで頂きましたが、今まで読んだ限りでは、どの記事も、穿った自己啓発メッセージが練りこまれた、クレイジーなご活躍を綴っておられ、どれも等しくヤバすぎで御座います。としか、言い様がありません。

 

私の直感でいくと、この方、「神様の声」が聞こえているんだと思います。

 

活動も、大変ロックで、ジーザスクライストみたいだし(なんて言うと、キリスト教の方に怒られそうですが)。

 

それを、双極性障害のせい、精神病のせい、としてしまえば良いのか、というと、うーん。どうなんでしょうね。

「自分や、近しい他人が精神的苦痛を味わう」というのが私的、精神病の定義なので。

 

双極性障害の方の治療は困難を極めます。

 

生涯治らない。

 

というか、一回診断されてしまうと、将来、又、どえらい躁状態になって、人生を棒に振る危険を避けるために、お薬を一生のみ続ける方も多いです。

 

が、気分安定剤みたいな

「お薬飲んで躁状態の素晴らしい気分を味わえないくらいなら、生きている意味なんかないやろ!」

と、治療を拒否される方も多いのが、双極性。

 

はっきり言って、御家族の方達が、困られるんですよね。

 

テンパってくると、何言っても聞かないし、勝手にお金はじゃんじゃん使うし、クレイジーな事を誰彼かまわず、まくしたてて、信用を失ったりもするので、もう、目が離せません。

 

躁状態から下りてくると、ドン底です。躁状態の時にやってしまったことを思い起こすと、自己嫌悪で死にたくなる。ってのもあるあるです。

 

しかし、別名、創造の病、とも言われるほどに、クリエイティブな方々に多い双極性障害

美術、文学、音楽等、多分野に渡って活動的な方々には、双極性罹患率が高いのが特徴です。

 

躁状態(比較的稀ですが、鬱状態でも)の時には統合失調の症状が出たりもします。

 

他人には見えていないモノが見えたり、聞こえたりしちゃう、アレです。

 

表現力のある方は、妄想に形を与えることができるので、芸術家として名を上げることができるのでしょう。

 

躁になると、

「自分は何でもできる」 

という、自己肥大感、俗に言う、誇大妄想に駆られます。

 

アメリカの都市部では路上によくいらっしゃる、

「自分は救世主であーるー」

とか、言っているおじさま達が、そうですね。彼らは、純正の双極性なのか、ヤクの影響でそうなっているのか、はたまた怪しい新興宗教開祖なのか、プロ(医師)でも判断に苦しむそうですが…

 

宗教家の方々も、躁状態時に聞こえる「神のお声」を言語化し、伝えているとも解釈できます。

 

コミュ力さえあれば、カリスマ的に、同調者を集めることが可能ですから。

 

双極性障害=才能である、と勘違いされては困るので、明確にしたいのですが、クレイジーな妄想に、他者からの共感を得られる形を与え、伝達する、という作業には大変な自制心と不断の努力を伴います。

 

坂爪さんの例でいくと、持ち前の「貧乏性」で、病がもたらす「自己肥大」に打ち勝つべく、不断の努力をなされておられる、ということなのではないか、と思います。

 

坂爪さんは、面白おかしく、端的に「貧乏性」と要約されておりますが、病と看做されるほどに、絶大な破壊力を誇る、躁状態における浪費衝動に拮抗するには、並大抵ではない努力を払って、自己肥大感と、それに伴う奢りや、自己嫌悪感を克服し、自制心を働かせなければならないのだと思います。

 

その努力故に、楽しい事をどんどんやれるし、発信力も偉大で、人がどんどん彼の周りに集まるのではないでしょうか。

 

ジーザスクライストの様に、嫉みに駆られる大衆に磔にされて、壮絶な死を遂げられないことを、心からお祈り致します。

 

なんて、過激なことを書いてしまって、誤解されると困るのですが、坂爪さんの自己啓発メッセージも、楽しいご活躍も、素晴らしいと感銘致します。

が、メラニー・クライン曰く、人の最も破壊的な衝動は、愛するモノ、良きモノを滅茶苦茶に破壊したくなってしまう、ネタミであります。

坂爪さんは、そういった、残虐な破壊衝動の対象になり得るほどに、羨望を集めてしまうのではないか、と危惧する私はワナビー楽観、実は悲観論者です。

 

以下、蛇足です。

とりあえず、当サイトの誤使用による結果については、責任を負いません。と、お断りさせていただきます。

免責事項 自己紹介に換えて - 精神分析のススメ

 

因みに、私が交流のあるアメリカの、トラウマ専門精神科医の間では、パキシルを含む、セロトニン系のお薬を、躁状態になったことがある患者さんにいきなり処方することは禁忌とされております。セロトニンで鬱を緩和すると、一気に躁状態に移行する危険性があるので。

 

双極性の傾向が疑われる欝の患者さんには、まず、ウェルビュートリン等の、非セロトニン系のお薬から、処方するのが常套手段となっております。

 

効き目や、副作用を考慮した上で、後々、セロトニン系を試すことはあっても、双極性障害の診断を下した患者にいきなりパキシルをどんどん処方増してくる医者は、そこだけでも、完全にヤブでしょう。

しかも、気分安定剤の代名詞、リシアム処方されていない(恐怖)…なので、通うの止めて大正解だと思います。

 

それと、パキシルは短期間で効き、即効性があるのですが、いきなりやめるとインフルエンザに罹ったような禁断症状があらわれることがあります。そんなことになりたくなかったら、徐々に減らせばよいだけのことですし、急に止めても、命に関わる重大事には中々なりません。

 

っでか、お薬止めたいって思うような患者さんは往々にして、飲み忘れたりしているので、急に止めたとしても、実はそんなに急ではないことの方が多いですしね。

 

加えていえば、一般論でいくと、お薬は、急に止めるよりは、過剰服薬の方が、よっぽど命に関わる危険性は高いそうです。なので、ブコメの反発も、ちょっと、アレじゃない?と思います。

 

信頼できる医師を見付けるのはとても大切ですが、気分安定剤を一生飲み続けることだけが双極性障害への対応ではないとも考えられています。分析家と2足の草鞋を履く精神科医には、特に顕著ですが、昨今のお薬屋さんと化してしまった精神医学に不満を抱えておられる方も多いはずですから。

「せっかく処方してやっている薬を飲みたくないのなら、もう来なくて良い」

とか言ったり、態度で示したりせずに、副作用の症状をきちんと把握し、患者の

「お薬を止めたい」

という要望に真摯に対応してくれる、良医と出会いたいものです。

 

詰まる所、自己理解を深め、病的になり始めた時点で、気付いてくれるなり、話会える相手(良医や、家族)との信頼関係を築くことが一番重要だと知り合いの精神科医も言っておられます。