牛乳石鹸と、父親不在

牛乳石鹸シリーズ、第3弾です。

この、宣伝ビデオ、父性の欠如という私にとって、思い入れのあるテーマが描かれているので、もう少し書いてみたいと思います。

 

www.youtube.com

 

さて、色々な解釈がありますが、ツイッターで、猫柳墓場さん(また、インパクトの強いお名前ですね)という方が、

 

「自分がどうしても日々やってしまう失敗や、愚かさ、抱えてしまう悩み、澱み、心の汚れに対し、肯定はしないけど『風呂でも入れ』と風呂場の石鹸として受容する。」

 

(すみません。ブログリテラシーないので、ツイート貼り付けることもできません。)と書かれていました。

 

「否定」に対する「肯定」は、父性原理の機能ですが、「拒絶」に対する「受容」は、母性原理の機能とも言えましょう。

 

更に、風呂の象徴するところは、母胎回帰願望。とも言えます。

 

父親である語り手が、「自己肯定」せず、一人(牛乳石鹸の力を借りて)「罪」を「洗い流す」というのは、私にとって大変興味深いイメージです。

 

精神分析発祥の地、西欧では、男性の「罪」は、「父親殺し」に象徴される、絶対的な父への「反抗」ですが、日本の男性の「罪」とは、「父親になれない=母親から分離できない罪」「与える存在=母(女)になり得ない罪」なのではないでしょうか。

 

父親として、一人の大人の男として、自立するということは、「自分の意思を以って行動する」ということが含まれます。

 

この宣伝では、「自分の意思を以って、与える者」が、理想の「父親像」としてあるようにも思えます。

 

父親は、母親に言われるままに、従順な子供のように、「はーい」と、返事をし、ケーキを買い、プレゼントを買いに行く。

「家族思いの優しいパパ。…でも、それって正しいのか。」

というナレーションにかぶる映像は、働きに出る父親の背中。それに続き、一人でボールを投げる少年の姿。

 

「それって正しいのか」という問いは、自分には存在しなかった「優しいパパ」になれるのだろうか。なってしまって本当に良いのだろうか。という問いなのではないでしょうか。

 

報告しなかったことを叱責される彼の部下は、遅くなることを妻に報告しないで責められる、後の彼自身の姿とも重なります。

 

部下を食事に連れて行き、慰めることで、自分も「おやじ」になろうとするも、家族からの電話を無視することで、妻の用意した食事を「享受できない状況」に自分を追い込んでしまう。

 

(少なくとも、この映像では)父親から与えられることのなかった少年が、父親の背中を流すシーンに、私は「沈黙のまなざし」というドキュメンタリーの、語り手の男性が痴呆症の父親を洗うシーンを思い起こします。私が、「慈しむ」とはこういうことなのかもしれない、と思ったシーンです。

 

自分は父親を慈しむ様に、息子を慈しんでいるのか。息子は自分を慈しんでくれるのだろうか。という問いかけが、そこにはあるのではないでしょうか。

 

もしかしたら「おやじ」の不在から芽生えたのかもしれない、「背中を流したい」「与えたい」と思う気持ち、それを息子は感じているのか。「与えたい」「愛したい」「慈しみたい」という気持ちを自主的に、自分は感じられているのか。

 

不在な父親を求め、迷う日本人男性の姿が浮かび上がってくるように思えてなりません。

 

余談ですが、ツイートで、「タイでは牛乳石鹸が石鹸市場を席捲している」みたいなのを見かけました。

36時間くらい経って、あ、席捲と、石鹸かあー!と、時間差で閃いた時には、もう誰がしたかは、分からなくなっていました。

ファボっとけば良かった。

冗談遺伝子に欠ける私には、何言ってるかすぐ分かりませんでした。哀しい。

 

映画沈黙のまなざし(ルック・オブ・サイレンス)の秀逸な批評はこちら。

DVDで見るなら、是非とも監督のコメントも聴いて欲しい映画です。

www.machikado-creative.jp

父親不在、男はつらいよ、テーマの記事はこちらです。

neofreudian.hatenablog.com

neofreudian.hatenablog.com

neofreudian.hatenablog.com

牛乳石鹸を嫌悪する人々は MBTI の F (感情型)なだけ?

一応、先日の続きです。

この牛乳石鹸の記事、私には珍しく短時間で、勢い良く書きました。

neofreudian.hatenablog.com

 っても、余裕で1時間以上掛かってますが。(泣)

これ、書いた後で、色々な方の色々な解釈(と、それに対するコメント)を読みました。それで、気になったことが一つあります。

 

 映像に描かれた、男女のやりとりの理不尽さに囚われて、

 

「罪悪感を(牛乳石鹸で)洗い流して、癒されよう」

 

という、メッセージが、見えなくなってしまう人達がいます。

 

彼らは、父親の無責任な行動を不愉快に感ずるが為、宣伝の意図する所を理解する気もなくなってしまう。

それに対して「知性に欠ける」ニュアンスの批判が出ているように感じます。

 

牛乳石鹸のWebCMが読めない奴が多くて驚く

 

これには、マイヤーズブリッグスタイプ指標という性格診断(このサイト、ちょっと日本語訳が分かりにくいし、本当は100問以上の、同じ質問に何回答えられるでしょうか拷問テストをお手軽にしたバージョンです。正確かどうか、微妙な所ですが、気軽に楽しむには、中々イケてると思います。)

 

 http://www.personality-tests.info/jp/test.php

 

で使われている、指標の一つ、判断機能の違い(思考 又は 感情)が絡んでいるのではないでしょうか。

 

あるいは、整体でいう、好き嫌いが感受性の中心となる、左右型とか。

体癖 - Wikipedia

 

父親の行動を不愉快に感じ、宣伝の意図を汲み取れない人達は、思考することなく、好き嫌いという、感情に基づいて判断を下しているのです。

 

彼らは「そこまで思考することを要求する宣伝なんか、クソだ。」と批判的な意見を述べることで、「解釈もできない奴は馬鹿。」という反論を招いている、あるいは、逆に、「クソ」ということで、「読めない奴」と評価を下されることに反発しているのではないでしょうか。

 

知能のあるなし、というよりは、「答えがはっきり出ない問題についてあれこれ考えるのは好きではない」という、嗜好なだけなんですけどね。

 

私はがっつり思考型で、牛乳石鹸の宣伝も、それについて考えるのも好みです。

 

が、「クソだ」という感情型な方達の、嫌いな物事について一々考えるのは面倒、という気持ちも、分からなくはありません。

 

私自身、考えるの、大好きで楽しいモノの、考えすぎて疲れてしまい、ウザーってなってしまうこと、あるあるなので。

 

ユングも言っていたそうですが、思考と感情の、バランスを取れること(補償とも言います)が大切です。

思考偏重では、感情が希薄なロボット人間になってしまうし、感情に突き動かされてばかりでは、理性的に判断できませんからね。

 

この記事は、下の記事を書いていたら、派生したネタを分けてアップしました。私が本当に思い入れているのは、こちらです。が、まだまだ考え中なので、ちょっと分かり難いかもしれません。興味を持って頂けたら幸いです。

neofreudian.hatenablog.com

牛乳石鹸で、「さ、洗い流そ。」では済まされない時。

ツイッターで、牛乳石鹸が炎上していますね。

 

http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/15/milk-sekken-arainagaso_n_17762350.html

 

https://joshi-spa.jp/745061

 

意味不明、不愉快、もう買わない。

 

こういった反応をする方々は、「分からない」のではなく、「分かりたくない」のです。

 

この宣伝のコンセプト、「さ、洗い流そ。」は、2013年くらいからあったそうです。

 

誰が考えているのか知りませんが、賢すぎ。牛乳石鹸、トンガッテますね。

 

過去の罪は全て「洗い流す」日本人には、ウケる筈。

 

なのですが、両義的な意味がぎっちりつまっているので、「分かりたくない」人々、「水に流せない」人々からは強烈な反応が来たのですね。

 

今まで炎上していないのが、不思議なくらい。

 

この罪を「洗い流す」って、原罪を背負って生きる西欧人には通用しないんですよね。

 

http://asanagi987.blog27.fc2.com/blog-entry-7065.html

 

洗っても洗っても落ちない血の生臭い匂いに悩まされるマクベス婦人は狂気に陥ります。

妄想を伴う強迫神経症です。

 

私は、罪悪感を背負って生きるのが「あるべきよう」だとは、決して思っておりません。

neofreudian.hatenablog.com

かと言って、水に流せば良いか、というと、又難しい所です。

私は変に合理主義的な所があるので、上の記事で書いた様に、コミュニケーションを含み、状況を変えていく原動力にならない情動(感情)は、クソだと思っております。

 

すみませんでは、本当に済まないことが世の中有り過ぎるので。

 

昨今の日本で、水に流せない大罪といえば、福島です。

 

日本は、放射能で汚染された水を太平洋に垂れ流し続けています。アラスカを巡り、米西海岸を洗い、もう、ハワイまで到達したのでしょうか。

 

https://matome.naver.jp/odai/2138012008909888501

 

https://mainichi.jp/articles/20170225/k00/00m/040/115000c

 

ちょっと古いのですが、2013年のカナダによる調査結果です。

http://earthsky.org/earth/tracking-fukushima-radiation-across-the-pacific

 

洗い流せない罪は、どの様に自分に降りかかってくるのか。如何に自分のあり方を改め、償い、誰に赦してもらうのか。

 

重たいテーマです。

 

牛乳石鹸買うの止めた位では、どうにもなりませんからね。

 

ちなみに、私は「それでも牛乳石鹸が好き」なハルオサンが大好きです。

 

www.keikubi.com

この記事には、一応続きがあります。「分かりたくない」人々は、思考型ではないのよね。って、まあ、分かりきったことなのですが、だからと言って、「頭悪い」というのはちょっと…ということが言いたくて、書きました。

neofreudian.hatenablog.com

ブログのススメ

今日は、私がブログにハマってしまったワケを書いてみようと思います。

 

先日、こんな記事を読みました。

www.katsuolog.com

 フォロ-していた方なのですが、

 

「沢山記事を書いて、楽しかったのはその10%くらい。というのも、毎日書くことだけを目標としてきたので、それが辛かった。そんな理由で、続けるくらいなら、他の事をもっと楽しみたい。」

 

と言う様な主旨で、

 

「今後は書きたいことを書きたいペースで更新したい」

 

みたいな事をおっしゃっていました。

 

お気持ちは分かりますし、御自身の生活を大切にする決意を応援したいのと同時に、ちょっと、がっかりです。

 

私がブログを好きな理由は、著者の人となりが見えて来るからです。

 

しばしば、臨床の事例を読んでいるような気分にも、なります。書き手の、自己理解が深まる過程が見えて来るからです。

 

頻繁に更新されている方は、特に、精神分析の事例に近いと感じます。

 

精神分析が他の心理療法と違う一番分かりやすい特徴は、(色々ありますが)頻度が高い。週1回通うのが、「普通」の心理療法。ですが、分析は、少なくとも週3回、理想は5回です。

 

何故そんなに頻繁に面接するかと言うと、「自由連想」するためなのです。

 

例えば、認知行動療法では、今の自分の考え方や、行動を如何に変えていくかに焦点を当てて治療を進めます。結果、今の状況や、近い未来の目標について話すことになります。

 

大抵の被治療者の方は、悩みがあるから、心理療法に通うので、週1で、「悩み」や、「ストレス」について話すだけで面接が終わってしまっても、とりあえず、ストレスへの対処法を変えることで、現状が良い方向に変わり、悩みが軽減すれば万々歳です。

 

時間的にも、経済的にも、週休2日で悠著に自由連想なんかしている余裕は、忙しい現代人には、はっきり言って、ありません。

 

分析の需要は減る一方です。つまらないです。私。自分がやりたい仕事ができていないので。

 

ブログに毎日投稿する、というのが、精神分析のプロセスに似ているのは、毎日書く、ということが、自分の頭に浮かんだことを全て言語化する、という、自由連想に繫がってくるからではないか。と、勝手に考えています。

 

毎日なので、ネタがなくて、苦し紛れに夢の話とかも出てくるワケです。

 

めっちゃ、興味深いです。かなり強烈な象徴が凝縮していますからね。分析、したくてウズウズしてしまいます。

 

しませんよ。料金頂いてませんから(笑)。

 

てか、相手が「もっと知りたい」って思ってもいないのに、勝手に分析するのは押し売りですから。人の心に土足で踏み込んだことになり、不愉快に思われるのがオチです。

 

多くの分析家の方は、「分析を受けるのは非常に辛く、怖いことだった」と言われます。

 

自分の一番暗い幻想をも、言語化し、他人と共有しなければならないので、まあ、そう言われるのも分かります。

 

でも、ウィニコットという分析家によると、分析家が被治療者に与える解釈というのは、光り輝く、魅力的な対象として、被治療者の欲動を掻き立てる(おしゃぶりの様な)モノである。とも言われております。

http://yokopsy.com/2014/20140413setting.pdf

 

ブログという、自己表現の場が、書き手の「表現したい」という気持ちを掻き立てる読者からの反応(欲動の対象)を提供することで、傷が癒されたり、自己実現ができるのであれば、それは素晴らしいことなのでは。

と、思いながら、今日も現実逃避して、ブログを読み耽る私です。

軽薄な精神分析 3. All about that bass 太っちょでもイイじゃん

気分的に疲れる記事が続いたので、軽薄シリーズです。

 

相変わらず、ちょっと古いのですが、「私のぽちゃティブ宣言」 という、まあ、気持ちは分かるが…何とも言えない日本語タイトルも付いている、大変ポップな この曲、とりあえずお聞きください。

 

digitalcast.jp

 

前回のテイラースイフトと一緒に紹介しようとしたのですが、

neofreudian.hatenablog.com

長くなりそうだったので、また後程、と思っていた曲です。

 

しばらーく、バダバダベス、バダバダベス、ノー トラブル、って、何じゃい?

 

と、思って聞いていました。

女性の身体イメージについて歌ったポジティブメッセージだなー、くらいだったのですが、歌ってる人が、ぽっちゃりだったのに説得力を感じました。

ビデオがちょっと、これに似ている!と思うのは私だけ?

 

www.youtube.com

 

またまた以下のサイト等 を参考に私訳してみました。

 

http://lyrics-jp.blogspot.com/2015/02/meghan-trainor-all-about-that-bass.html

 

"Because you know I'm all about that bass,
'Bout that bass, no treble
I'm all 'bout that bass, 'bout that bass, no treble
I'm all 'bout that bass, 'bout that bass, no treble
I'm all 'bout that bass, 'bout that bass"

だって分かってるでしょ? 私 は低音にハマってるって。
低音だってば。高音なんてダメよ。
重厚な低音にハマってるの。キンキンした高音はダメ。 

(ベースとトレブル、重めと軽めってことで、体重の比喩だそうです)

"Yeah it's pretty clear, I ain't no size two
But I can shake it, shake it like I'm supposed to do
'Cause I got that boom boom that all the boys chase
All the right junk in all the right places

そうよ。一目瞭然。 私は“Sサイズ”じゃないの
でもね、みんなに負けずに、フリフリできるわ。
だって私にはボンボンって。男のコなら誰でも追いかけずにはいられないお尻があって
あるべき場所に  あるべきモノが ちゃんと付いてるんだもの

"I see the magazines working that Photoshop
We know that shit ain't real
Come on now, make it stop
If you got beauty beauty just raise 'em up
'Cause every inch of you is perfect
From the bottom to the top

雑誌なんて、フォトショップでいじり放題
あんなクソ写真が本物なワケないって 私たちは知ってるわ
さぁ もう終わりにしましょ
美しいモノは、持ち掲げるだけでいいの
だって  みんな 完璧だもの
爪先から頭のてっぺんまで どこもかしこも

  ( *2 )
"Yeah, my momma she told me don't worry about your size
She says, boys they like a little more booty to hold at night
You know I won't be no stick-figure, silicone Barbie doll
So, if that's what's you're into then go ahead and move along"

そうよ。私のママが言っていたわ “サイズなんて気にしないで”
 “男のコは夜、もう少しギュッと掴めるお尻が好きなのよ”
私は棒みたいなシリコンのバービー人形になんて絶対に ならないから
そんなのがお好みだったら どっかに行っちゃって


  ( *1 repeat )


"I'm bringing booty back
Go ahead and tell them skinny bitches Hey
No, I'm just playing I know you think you're fat
But I'm here to tell you that
Every inch of you is perfect from the bottom to the top"

私がお尻の良さを取り戻すのよ
意地悪なガリガリビッチに ちょっと 言ってやったらどう
なーんて。 ちょっとふざけただけ。 分かってるわ。みんな自分が太ってるって 思ってるって
でもね、私がここにいるのは みんなに言うため
“あなたの 全てが完璧なのよ  爪先から頭のてっぺんまで”

 

もう、この歌詞訳だけでも良いかな、とも思ったのですが。

 

日本語訳バージョンありそうなのに、見つからなかったこの記事によると、

 

http://www.rollingstone.com/music/features/how-meghan-trainor-became-2014s-most-unlikely-pop-star-20141027

 

メーガンは、自分が目立つ容姿ではないから、音楽の才能はあっても 歌手としてのデビューは無理と思っていたそうです。劣等感に悩まされ、ニキビをつぶす癖があったメーガンは、この歌がヒットして、一晩で自信を持たなければならなかった。と言っています。

 

「(ぽちゃティブ宣言の)ビデオを初めて見たときには泣いたわ。

『もう、こんなことやりたくない。』

って。思ったの、覚えてる。

 

それから、ダメ出し しまくったの。違う角度からの映像にして。顔が変だから。ってな感じで。びっくりしたことに、それ、全部聞いて編集し直してくれたの。出来上がってきたら、私ってば、ポップスターみたいに見えるじゃない。って。思えたの。

作詞作曲家として契約した時は、

『私は、綺麗じゃないしアーティストだなんて皆思うワケないわ』

って思っていて、まるっきり諦めていたの。

今では思うわ。何でそんな事考えてたんだろうって。これこそ私がするべきことだったのに。って。」

 

今ではメイクも髪の毛もバッチリキメて、鏡を見ても「決まってる」って思えるようになったけど、この曲が売れる前はそんなことはなかった。

 

とも言っています。

 

メーガンは、デビューしてから体重が減ったものの、ダイエットしたわけではなく、忙しすぎて痩せたそうです。

 

基本、人は「そのまま」が一番綺麗だし、魅力的。というのが、私のスタンスです。

が、身だしなみ、というか、向上心は大切だと思います。

 

ので、彼女のビデオが、きゃりーぱみゅぱみゅのビデオに似ている(と思うのは私だけかもしれませんが)のは、大変興味深いと感じます。

 

大きなお尻を受け入れよう、棒切れみたいなバービーなんて、いらない。というメッセージを発するメーガンのビデオが、白(ピンク)塗り化粧、バービーを頭に挿して、自分をデコりまくるきゃりーのビデオを連想させるというのは、彼女達の発するメッセージが全く反対だから。というのは、単純ではないでしょうか。(太っちょダンサーの起用、レトロ調のプロップをパステル色でまとめてあって、終わり方が似ている等、ヴィジュアル効果もありますが)

 

「醜い」という固定観念に捕われている自分を、「そうではない」と否定することで、自分をより美しく、魅力的にする努力が自由に出来るようになる。いつしか自分で作ってしまった枠に囚われない自分を発見する。ということに繫がるのではないか、と思うのです。

 

家族は、冗談遺伝子全くない私を、(因みに彼等はハイレベルユダヤ系冗談、私にはイラつくだけで、何がヒューモラスか、さっぱり分からん、ウディ・アレン好みです)

「あんたは、めっちゃ面白いことには、『なんでそんなん面白いん?』ってしつこく聞いて、サムなるようなことするくせに、全然たいしたことないこんなんが好きでワロてるんやな」

と嘲笑いますが、私はこのパロディバージョンも大好きです。www

 

 

www.youtube.com

日本語訳が見つからないので、自分でざっと訳してみました。

 

(Meghan solo)

Yeah it’s that time of year

It’s 2016

And I’m making resolutions

Like you’ve never seen

‘cause I got these goals

that I want to achieve

it’s a new year and

it’s a new me

 

イエー!今年もキタわよ。新年明けて。

2016年

新年の誓いを立てるの。

いままで見たことないくらいにね。

だって、私には達成しなきゃならないゴールがあるのよ。

新しい年だし。

新しい私よ。

 

(James jumps in)

Yeah it’s pretty clear

I ain’t no size 2

But I just join a gym

Like I’m supposed to do

‘cause I got that boom boom

 walkin’ up the stairs

and all the wrong junk in all the wrong places

 

(コメディアン 及び 深夜番組パーソナリティのジェイムス跳び入る)

イエー!一目瞭然 分かってるだろ。

僕はSサイズなんかじゃないって。

でもジムに通うことにしたんだ。

みんなやってることだし

だって、僕にはボンボンって でっかいお尻が

階段を上がると 付いて来る

あるべきじゃない場所に あるべきじゃないモノばっかり 付いているんだ。

 

M

After work I come home

And I have a glass of wine

And when I say a glass

I really mean 4 or 5

(she keep on drinking she keep on drinking)

but I’m gonna cut back

I swear to drink more water instead

‘cause I can’t afford to

drunk dial another ex

 

(メーガン)

仕事が終わって帰って来ると

ワインを一杯

一杯って言うのは

本当は4杯か5杯なんだけど

(飲んでばっかり)

でも、ちゃんと約束するわ。

お酒を少なく

代わりに もっとお水を 飲むって

だって 酔っ払って 電話した元カレが 増えるのは

もう 沢山

 

J and M

Because you know that I’m all about that change

‘bout that change

this new year

 

(ジェイムスとメーガン コーラス)

だって分かってるでしょ

私は変わるのよ

今年こそは

変わるんだってば

 

M

one week and I’m alright

there hasn’t been a drink in sight

Nah, just playin’

I went out last night

And I’m here to tell you

That orange juice is good

It’s even better with champagne

 

(メーガン)

一週間が経って

私は 上手いこと やってるわ

一杯だって 飲んでない

なーんちゃって。

昨晩 外出したの

みんなにこれをいうために

オレンジジュースって 結構イケるわ

シャンペンが入ると最高だけど

 

J

I haven’t gone to the gym

Or met with the trainer I hired

Can I pay someone to go and tell him

That he is fired

 

(ジェイムス)

ジムには一回も行ってないし

雇ったコーチにも会ってない

カネは 払うからさ 誰か

コーチに クビだって 言って来てくれないかな

 

Resolutions are worthless

We all know that’s why we’re here

I’ll be the same disappointment

I’ve been for the past 3 years

 

(コーラス)

新年の誓いなんて 役立たず

みんな知ってるよね ここに居るんだから

どうせ 過去3年と同じ

失敗に終わるんだから

 

Because you know that

We’re not about to change

‘bout to change

we’re quitting

 

だって分かってるでしょ

変わるワケないって

変わんないんだよ

もう、やーめた!

 

 自分を卑下するのでなく、そのまま見つめて、パロって笑えるって、最高に魅力的なことだと思います。

カネはリビドーの象徴?

リビドーって性欲とか、エロス(愛欲)とかって印象が強いのでしょうが、私的には、「欲動」って訳すのが一番しっくり来ると思っています。

 

「欲」とは、「欲しい!」と感じること。「動」は、「突き動かされる衝動」ってことです。

そう考えると、お金が、「欲動、」リビドーの象徴って、成る程ー。です。

欲しいし、手に入れるためには、突き動かされてしまう。

カネを、上手く制御できないと、時に破壊、暴力をも生みます。

 

とは云うものの、カネとリビドーの繋がりは、初めて聞いた時、実は、「かなりこじつけ?」 と、思っていました。

カネは、糞 (自分が創造するモノ) の象徴、でもありますからね。

 

学生時代の話です。某ユング研究所の学生割引料金設定が高価すぎる、と文句をつけた所、かなり年配の熟練分析家の方に、

 

「お金というものは、リビドーのようなものです。望んで放出できないのであれば、死んでいるのと同じことです。リビドーと同じように、放出すれば、それに見合った悦びを得られるはずです。」

 

みたいなこと、言われました。

 

頑張って数ヶ月通いましたが、どうしても、

 

「コストパフォーマンスが良くないので。」

 

という理由で、終結致しました。

 

 

因みに、チューリッヒユング研究所では、

 

「アメリカの研究所はカネの亡者だ。」

 

と言われている、というまことしやかな噂を聞きました。

 

閑話休題

ここからが、本題です。理想論の展開なので、ウザいかもしれません。

 

脱サラして、フリーランスを楽しくやっている方達のブログを読んでいると、どうしても、気になることがあります。

 

不労所得の問題です。

 

会社で働けども働けども、安定感や、豊かな生活は得られない。投資に心惹かれるのも分かります。

 

社会福祉壊滅状態の、アメリカで、老後の安定を得ようとしたら、投資するしかありませんから。

 

投資を生活の安定の為にしていると、安全な投資をするようになります。ということは、大企業であればあるほど(倒産しない)、利潤の大きな企業であればあるほど(リターンが大きい)、好ましい。どんどん富の集約が進む。という大きな問題が生まれます。

 

エネルギー(石油、電気、ガス)を筆頭に、理不尽に利潤の大きな産業は、利益を上げるためには非人道的な手段を厭いません。労働者の福利、賃金は元より、環境への配慮など、規制がなければ毒を垂れ流すことにも良心の呵責を覚えません。

 

会社の倫理観が損なわれるのは、責任の所在が明らかではなくなったからだと思います。

 

例えば、ベトナム戦争枯葉剤を作ったモンサント社

今でも、枯葉剤をもじった、化学肥料や、除草剤、除虫剤で、世界を席巻するモンスター企業です。環境への悪影響を懸念して、抗議の声が上がりそうになると、各国政府や、学術研究機関に圧力をかけることなどお手の物。化学兵器開発に携わった歴史に鑑みて、死神の企業とまで言われています。

 

shinhakken-blog.seesaa.net

彼らが政治的影響力を誇れるのも、投資信託の御蔭様と言えましょう。モンサントの株主は、大銀行、証券会社で占められています。カネさえ儲ければ、それで良し。な金融に、牛耳られた会社に、倫理観など有り得ないのも当然です。

 

shinhakken-blog.seesaa.net

そして、銀行や証券は、顧客のカネさえ増やせれば、みんなを幸せにしているのですから、非社会的な運営を続ける大企業にカネをつぎ込むことも、「悪い」ことではなくなってしまうのです。

 

個人投資家も、ファンドと、一括りにされてしまうと、どの様な企業にカネを入れているのか分からないまま、将来の安定性に惹かれて無自覚なまま、富の集約、ひいては、貧富の格差拡大に貢献し続ける、という悪循環に嵌り込んでしまいます。

 

搾取されることに疲れて、金融市場に不労所得を求めると、搾取に貢献することになる(又は更なる搾取の犠牲となる)。虐待の負の連鎖と一緒です。

 

私は、カネ儲けの為に、軽々しい投資参入には懸念を覚えますが、投資の理念自体は「悪い」ことではないと思っています。

 

カネは、蓄積する物ではなく、回していく物。新しいことを始めたいのだけれど、資本がない人達に、希望を託す。という役割での投資には、決して反感を抱きません。

 

カネをリビドー(活きる力)の象徴とするのなら、投資も、単にカネ儲け(貯める)、という目的ではなく、自分が「良い」と信じる企業の、未来に「託す」気持ちで行ってこそ、金融市場に、社会に、健全なエネルギーを吹き込むことが出来るのではないでしょうか。

 

そして、その為には、投資先の企業の資本金額や、利益投影のみならず、労働者にいかに誠実に利益を還元しているか、福利厚生を行っているか、といったことをきちんと知ることが必要なのではないでしょうか。

 

因みに、VALUって、どうなんでしょうね。個人の可能性に投資する、という意味では好ましいとも思いますが、買った人が死んじゃったらどうなるんでしょう?癌とかで、闘病日記をVALU主だけに特別配信!とか、香典なしでもお通夜、告別式にいらして下さい!とか、形見分けにご優待!とかになったりするのも、えげつない気がするなあ。

拒絶しあう男女 ラブドールとセックスレス

少し前になりますが、こんな記事が、ツイッターで流れてきました。

 

http://www.afpbb.com/articles/-/3135749?pid=19156788&page=3

 

めっちゃ怖い。というのが、当初の感想でした。

 

人形に耽る男性も、その男性が抱いている女性像も。

 

ピグマリオン幻想と、照らし合わせる方もおられましたが、

 

d.hatena.ne.jp

真逆だと思います。

 

ピグマリオンは、彫刻家が労働に没頭し、作品に精魂を込めたことに、愛の女神が感動し、無生物に、命が吹き込まれる 「お話」 です。

 

故に、教師が素晴らしい生徒を育て上げ(恋におち)る派生物語が生まれます。

 

私的解釈ですが、受身の愛(母親からの愛情)に、幻滅した少年が、仕事を通じて、与え、創造することで、能動的に愛することを知る、という、男性の成長過程を描く物語であり、労働と愛の融合の物語でもあると言えましょう。

 

ところが、ラブドールは、元々は生身の女性(母親)を、無生物にしてしまった 「お話」 です。

 

愛着理論、というのがあります。

 

母親を乳飲み子が求めるのは、おっぱいを飲むためだけではない。「愛着欲求」を充たすためだ。

 

という、ハリー・ハーローのアカゲザルと、2体の代理母人形を使った研究結果に端を発する理論です。

 

以下の2サイトのまとめが分かり易かったのですが、

 

簡単なまとめ(子供にはスキンシップが必要。どんどんじゃれあいましょう)

https://conobie.jp/article/1286

 

詳しいまとめ(愛着がきちんと形成されないと、ACな大人になってしまい、人付き合いも困難です。因みに、ACと書いてしまうと、電気の交流とか、エアコンみたいですが、アダルトチルドレンの略です。)

http://www.urraca.jp/archives/910

 

丸投げするのもあんまりなので、ざっくり説明させて頂きます。

 

母親のいない赤ちゃん猿を、2つの代理母猿人形と一緒に小屋で育てます。一体は、ぬくぬく布でできています。もう一体は針金で作られており、哺乳瓶が付いています。赤ちゃん猿は、針金のお母さんの哺乳瓶からミルクを飲みますが、一日の大半を布のお母さんにしがみついてすごしました。

 

すなわち、子猿は接触欲求を充たすことで、安心感を得、それは食欲と等しく生理的、本能的欲求なのだ。という結論になっております。

 

人はパンのみにて生きるにあらず。

 

とは、キリスト教で信仰の必要性を説く言葉ですが、

 

赤ちゃんはミルクのみにて生きるにあらず。

 

は、愛着理論を表していると、言えましょう。

 

詳しいまとめを読んで頂くとお分かり頂けますが、安定した愛着を形成できた人は、不安なく、他人と親しい関係を持ちたい、と素直に感じ、相手が心地よく受け入れられる愛情表現ができます。

 

愛着に問題があると、人付き合いを回避したり(拒絶回避型)、過度に依存したり(不安型)、波乱万丈なツンデレ(混乱型)になってしまいます。

 

この、ラブドールに真実の愛を見つけた男達にとって、生身の女性は針金の母親でしかありません。食事、洗濯はしてくれても、わがままで、冷たい。安心して癒しを求めることができない相手になってしまったのです。

 

ドールは、文句を言わないし、裏切らない。

 

ということは、生身の女性は文句を言い、怒り、裏切る。ということです。

 

この記事は、ドールを愛する男性の妻の言葉で終わっています。

 

「冒頭の尾崎さんの妻、りほ(Riho)さんにとっては、夫の寝室から無言でりほさんをあざわらうドールの存在を振り払う日々がまだ続く。

『主婦の仕事をきちんとしている。ご飯の支度や掃除、洗濯も』と、りほさんはもう諦めたように言う。『セックスより寝る方を選ぶ』」

 

「セックスより寝る方を選ぶ」と、「諦めたよう」なりほさんが「無言であざわられている」というのは、この記事の筆者の欧米的感性なのでは? 

と思われますが、

「主婦の仕事をきちんとしている。」

という言葉には、確かに、募る不満が読み取れます。

 

以前、日本には父親がいない、と言う話を鈴木晶氏と内田樹氏が、対談本でしておられました。(大人は愉しい ちくま文庫)ということを書きました。

http://neofreudian.hatenablog.com/entry/2017/05/30/184946

お二方は、現代日本の社会問題は、父親不在の問題ではなく、母親機能不全の問題だ、ということで、一致されておられました。

日本に限らず、現代社会で女性は疲弊しています。毎日ご飯を作って、掃除、洗濯、子育てをして。仕事をしていない女性は、引け目を感じ、自分の時間を欲するも、自分を充たすことを知らない。外に出る仕事なら、金銭という、見返りを期待できますが、主婦は家内で孤立し、承認欲求を充たすこともままならず。仕事に出れば、家事と仕事の両立を期待される。不平不満を解消できず、義務感で家事を続けると、愛情はどんどん欠落し、針金の母親になってしまうのも、当然でしょう。

世話をする、ということが、愛情から分断されてしまうからです。

女性の怒りは、世代を超えて受け継がれ続けてきたものでもあるのではないでしょうか。

現代の女性は、母親が、家のことは何もしない父親の面倒を見続けることに理不尽さを感じながら育ち、母親の母親も、父親の暴力や、いつでもそこに居るのが当然という、扱いをされる母親を見て育ってきたのではないでしょうか。

大戦のトラウマを抱える男達の、時に暴力的な怒りを受け止めることで、女性も苦しんできたはずです。

日本は、被爆したことに、トラウマを集約してしまったのではないでしょうか。戦後、帰還兵のトラウマを認識できず、暴力的に振舞う父親を、美化し、男らしい、強い父親と勘違いしてしまったのが、日本の悲劇に思われてなりません。そのツケが、現代の親密になれない若者世代を生んでしまったのではないでしょうか。

この、セックスレスな若者の様に。

http://news.livedoor.com/article/detail/13344258/

母親が、父親を穢い物のように扱うのを見て育った男性は、女性を怖がり、不能感(ED)に悩まされる。大きな赤ちゃんの様な父親の面倒を、甲斐甲斐しく見る母親を見て育った女性は、男性からの愛情を負担にこそ感じはすれども、悦びを見出せない。

 

女に傷つけられることを恐れる男達の脆弱さや、男に気遣うことを面倒くさがる女達の冷酷さは、戦後の歪みや、世代を超えて繰り返されてきた、父親の母親放置、ひいては、母親の父親に対する不満が凝縮したものの様に思われます。

このように考え始めると、初めは只、ひたすら怖かったラブドールの 「お話」 は、耐え難く、辛く、哀しいものとして、私の心に圧し掛かってくる様になったのです。