精神分析のススメ

海外在住メンヘル専門家。ヒップな精神分析をめざしております。

ラップは狂気?

以前、エミネムについて、「韻を踏んでなんぼのラップは狂気の歌謡」と書きましたが、今日はそのことについて、掘り下げてみようと思います。

 

日本人の統合障害の患者さんには、ないのかもしれません。日本語訳探したのですが、見つかりませんでした。

欧米では、統合失調、特に、両極性の躁状態にある患者さんに見受けられる、クラング・アソシエーション(Clang カーンと鳴る鐘の音、 Association 連想)という思考障害の症状があります。

 

これは、こちらに分かり易い解説ありますが、

連合弛緩、言葉のサラダ、言語新作のニュアンスの違い | えさきち。

観念奔脱(全力ダッシュ的に、次々とアイディアや話が出てくる)や、連合弛緩(因果関係の欠如)とかにも通じるのですが、クラングには、「音が似ている」連想(連合)、という特徴があります。

 

カンカン鐘を鳴らしながら、猛スピードで街を疾走するも、火事現場がどこか分かっていない、赤信号無視の消防車のような、躁状態の患者さんのイメージなのでしょうか。

 

私が、たまたまヒップホップ系のラジオを聴いている時に居合わせた同僚の精神科医(インド系)に言われました。

「あんた、こんな音楽聴いてるん?躁の音楽やな。黒人は、常に虐げられているから、ブレイクすると、大変なんやろね。信じられへんくらい、誇大妄想がどんどん膨らんで。」

みたいな事を。

 

そこで、

私: 「じゃあ、ボリウッド映画の躁全開なストーリー展開は?」

って返してみましたが、

彼女: 「それは文化遺産。」

と、華麗にスルーされてしまいました。

。。。。。。

確かに、そう言われてみると、ヒップホップやラップは、超早口多いし、(私達の黒人英語・文化理解の欠如のせいもありましょうが)ワケ分からんという、躁の症状に似通うものがあるかも…

 

エミネムも、

「オレンジは韻を踏まない言葉、という先入観はムカつく。どんな言葉でも韻を踏む。」

と言いますが…

www.youtube.com

storage booth     すとぉりぃぢ ぶぅーす

door hinge loose  どーぁりんぢ るぅーす

four inch screws  ふぉーぉりんち すくるぅーす

foreign tools     ふぉーぉりん とぅーうす

orange juice      おーぉりいんぢ じゅぅーす  

 

ってな具合に、リエゾンや音便変化を駆使して、かなりクレイジーにめちゃくちゃな韻を踏むんですよね。

 

ここまでやられてしまうと、確かに、言語新作(存在しない言葉を作ってしまう)という躁状態でも診られる思考障害ならぬ、韻新作(存在しない韻を作ってしまう)かい?って気もします。

精神障害をきたした患者さんの思考障害と、芸術家である、詩人の韻を踏んでの詩作は違う、とは言うものの、ここで全文訳されているエミネムのフリースタイルラップ

front-row.jp

とか見ていると、本当にノッてくるとペースが速まり、意味不明って訳ではないのですが、ゾッとすること、あります。それが、芸術作品に触れた感動なのか、自分には理解不可能なモノ(狂気)に対する恐怖なのか、よく分からなくもなります。

 

余談になりますが、このパロディ、めっちゃ笑えるし、政治的メッセージも、エミネムの一般論よりは深く、良いとこついている(自分達の信じる正義を支持しないお前等は、俺の敵、と言う対立を深めるだけのメッセージをばら撒くよりも、そんな対立を生み出すオカしいシステムを、どうにかしなきゃだろ?とかね。)と思うので、誰か日本語訳つけてくれませんかね。

www.youtube.com

も一つ余談ですが、最近DJバルボサという、ラジオパーソナリティ(?)にハマっていて、彼のミックスの仕方を聞いていると、ミクシングって、自由連想と似ている、と感じます。

 

「付いてこれるかい?この俺に。」

 

って感じで。

 

ミックスは、リズムとか、サウンドで何か共通項のある曲をどんどん被せていくので、曲と曲の繋ぎ目で、次に何が来るか大体予想が付くのですが、それが、もう、

「あー、これこれ!!!聴きたい気分が盛り上がってたんやー!」

ってな感じに、グッとくる繋ぎで、

「絶対この曲しかない!」

って選曲してきたり、時々、

「えっ?それでキたんかい?」

って言う驚きが混ざったり、そのバランスが凄くイケてると感じられるDJは、なかなかいません(個人的好みもあるのでしょうが)。

 

今私の中でホットなラテン系DJ ロイ・バルボサ、このステーションで、

DJ Roy Barboza - HOT 96.9 Boston 

現在アメリカ夏時間中は、日本時間、22:00-7:00(冬は、23-8時)月曜日から金曜日までヒップなミックスを提供しておられます。

 

しかし、DJで、この9時間ぶっ続け労働(流石に休憩、ちょくちょくしているようですが)って、どうなの?

 

日本のラジオ局ではありえないと思うのですが、アメリカのラジオパーソナリティは、

「サラリーマンかい?」

というくらい、朝から晩までくっちゃべってる人も多いです。アメリカのラジオ局はブラック企業か…

 

だから、クウォー!キター!って、当たりの日もあれば、んー、イマイチ、な日もあります。そりゃ、一日中やってたら、疲れちゃいますよね。

 

あ、でも、日本では聴けなかったりして…

使役動詞は悩ましい

先日は、早期英語教育と、発音について書きました

8歳になる前の英会話のススメ - 精神分析のススメ

が、今日は、構文(?)について書いてみます。

 

この方の記事に触発されました。

 

tsuputon7.hatenablog.com

はぁ。Asが最強ミームねー。確かに、日本語に翻訳すると、色々な意味になって厄介、と言うのには、

 

「ふーむ、成る程―。」

 

なのですが、個人的に、そんなに苦労した覚えが全くないんですよね。「一緒」ってことで、スルーできてたんだと思います。

 

だから、Alsoが語源って、ちょっと以外でした。私の頭の中では、As は、Together に限りなく近かったので。

 

そんなこんなで、今日は、私にとって、一番やっかいだった単語、Make と Have について、書いてみます。

 

これらの、Let系、使役動詞を使いこなせるようになれば、あなたも、ネイティブ(っぽい)英語を話せる!と、言いたくなる気持ちも分かる(何かの見出しにあった記憶があります…)くらい、それはもう、「やんごとなきポテンシャル」がぎっしり詰まっている。と、私的に感じております。

 

まずは、この3文を、御覧下さい。

 

He lets me play the piano.

 

He makes me play the piano.

 

He has me play the piano.

 

という、

 

主語+使役動詞+目的語+原型動詞 という、ややこしい形で使われる、アレです。

 

どれも、

 

「彼は私にピアノを弾かせる。」

 

という日本語訳になりますが、この方の御説明の様に、

let、make、have、get~使役動詞を使いこなす | 真剣に学びたい人のための英会話学習サイト

意図(私が、ピアノを弾きたいかどうか)や、義務(誰かがピアノを弾かなければならないかどうか)、によるニュアンスの違いがあります。

 

でも…「誰かに何かをさせる」って、日本語で普通に言いますか?違和感ありません?

 

Letならば、「彼は私にピアノを弾かせてくれる」と訳したいところです。

Makeならば、「彼に言われて(命令されるからしぶしぶ)私はピアノを弾く」とか。

Haveならば、「彼に言われて、私がピアノを(そのパーツを誰かが弾かなければならないので)弾くことになった」とかいう感じでしょうか。

 

日本語に訳し難い、というのも悩ましい原因の一つではありますが、私が一番戸惑ったのは、よく見かけるわりに、自分で使役動詞を使うという発想がかなり長いこと沸かなかったことです。

 

使役動詞は頻繁に使われるので、意味は理解できるのですが、自分で使いこなすことができなかった、と、言った方が良いかもしれません。

 

Let くらいなら、相手が許可、同意してくれることを前提にしているので、命令形で、(お願いする時に)気軽に使えるのです。

 

Let me do it. (やらせてー!)

とか、

Let me know. (知らせてね)

 

は、私もかなり頻繁に使う表現です。

 

ところが、Make や Have には、誰かが誰かをコントロールしているニュアンスがあります。

 

この、強制的なニュアンスを使いこなすのが、難しい、と感じます。

 

 

アメリカに住み始めて、思ったのですが、英語で話す、ということは、自分の意思、要望を明確に伝えて、相手に納得してもらってなんぼ、という側面があります。

 

最初は、これがなかなかできなくて、大変でした。

 

I would like…

とか、

Will you…?

で、分かり易く何が欲しいか伝えるくらいは、まあまあ、できたのですが、

 

「これ、欲しい?」

と言われて、

「はい。有難う御座います!(Yes. Thank you!)」

と、答えて、「『結構です(No, thank you.)』ってこと?」と混乱されていました。

正しい答え方は、「はい、下さい。(Yes, please.)」ですね。

 

単に、「有難う」と申し出を受け入れるだけ(受身)では駄目なのです。それでは、

「お気持ちは有り難いけど、結構です」

になってしまうので。(Yes, thank you. でもちゃんと分かるよって言ってくれる人もたまにはいますが、私の知り合いだけかも...)

「お願いします。」と(能動的に)頼まなければ。

 

日本語(日本人)は、とかく受身だ、と言われますが、主体と客体を曖昧に伝える言語でもある、と言われております。

 

「甘えの構造」に関する論文(多分)で、土居健朗氏が書いておられました。

 

I love you.

を、日本語にすると、

「愛してる。」とか、「好き。」とか、「大好き。」

しかありえない。と。

 

これは、どーゆーことかと言いますと、

I love you. 

なんて言いたい気分になる時点で、既に二人はラブラブなんだから、

「私は、あなたを、愛してます。」

みたいに、人称代名詞なんかいちいち言ってらんねーよ!

「好き。」

だけで、誰が誰を好きか分かるだろー。

 

いちいち私とか、あなたとか言う必要があったら、信頼関係が出来上がっていない証拠だよ。

 

という考察をなされており、

 

自我の確立を重んじ、自分の意思を明確に伝えるプレッシャーがかかる英語では、

「私が、あなたを、愛してます!」

と、きっちり自分と相手を分けて愛情表現をしなければなりませんが、日本語では、

「私達、ラブラブよねー」

とばかりに、誰が誰を好きなのか、さっぱり分からない自他の区別を曖昧にする言語化(忖度ってヤツですね)で、信頼関係を確認します。

 

という日本語論を繰り広げられておりました(土居先生、こんなゆるい紹介の仕方に、お墓の中でお怒りにならないで下さい)。

 

話題がどんどんずれたので、やや強引に、使役動詞に戻ります。

 

Make や、Haveを使うと、

Aが、BにCさせる。

という文になり、曖昧な日本人の私にとっては、

「BがCする」

の、「Bが」の部分をはっきりさせるさせるだけで、すでに負荷が掛かっている(BがDをCする。とか、Dまで考慮せなあかんこともあるし)上に、更に

「『Aのせいで』というファクターを明確にせないかん!」

というプレッシャーが重なり、ウザッとなってしまうわけです。

 

「Bも、本当はそこまでCなんてしたくないんだろうけどさ…」

 

という、日本人同士であれば、なんとなく、で分かってもらえる気持ちを、

「AがBを強制している」

というニュアンスを加えることで表す、迫害妄想的構文だと(かなり個人的に)思っています。

 

この構文を、無生物主語でも、自由自在に使いこなせるようになれば、あなたもネイティブ(に近い)英語を話せる!

 

と言いたいくらい、使役動詞には、欧米文化ミームが詰まっているのではないかと、日々、感じております。

 

テイラー・スイフトの昔の曲を、以前、こちらで紹介しました (期間限定で公開しています)

軽薄な精神分析 2. Shake it off 不完全な自分のままで いいじゃん。 - 精神分析のススメ

が、彼女の新曲、

iflyer.tv 

Look what you made me do も、直訳すると

「あなた達が私にさせたことを、見ろ」

になります。が、雰囲気的には、

「私かて、好き好んでこんなことしてないんで!!みんなあんたらのせいやがな!」

って感じで、責任のなすり合いはしょっちゅうしてるアメリカ人にしても...まあ…メンがヘラっている(境界例状態な)歌詞とPV映像ですね。

 

私的には、(使役動詞とは全く関係ありませんが) サビが似てる?という噂の、90年代の笑える迷曲、I'm too sexy(ぼくちゃんってば、なやましすぎ)

 

www.youtube.com

の方が好みです。

8歳になる前の英会話のススメ

昨日、ぼっちさんの英語教育に関する記事を読んで言いたいことがでてきたので、書いてみます。

 

www.lonely-surfer.com

語学センスのあるなしって、やる気だけじゃなく、外国語習得に対する価値判断にも凄く関わってくると思います。

 

言いたいことが伝わらないと、フラストレーション溜まるし、へこみますよね。英語なんて話せなくても良い!ってなる人が多いのも、分かります。

 

ぼっちさんが、本気で、

 

「翻訳アプリがどんどん優秀になっていくこのご時世、役に立つかどうかも分からない、楽しくもない英語の勉強を子供に強要して、もっと有用なスキルをゲットするチャンスを逃すのはリスキーじゃない?!」

 

というお気持ちで書かれたのか、はたまた、話題を取るために極論展開されたのかは分かりませんが、言語オタクな私としては、

 

「幼少期から、外国語会話を楽しませよう!」

 

と、声を大にして主張したいところです。

 

人間は、書き言葉は教えられないと取得できないオプション仕様ですが、

 

話し言葉は本能で取得する

 

と言います。

 

赤ちゃんは、文法を教えられなくても、周囲の言語を聞くだけでしゃべり始めます。

 

生まれてから8歳くらいまでに言語に触れないと、一生言葉を話せなくなってしまう、という、言語獲得の限界期とか、クリティカル・ピリオドと言われる時期があります。

つまりは、母国語以外の言語も、周りにしゃべってくれる人がいれば8歳くらいまでは、勉強なんてしなくても理解できるようになるはずなのです。

 

最近の若い人達は、英語の発音が綺麗です。限界期以内の、早期教育のお陰様だと思います。羨ましい。

 

30代を超えた日本人にとって、英語学習の最大のネックは、

 

英語の発音ができない

=会話で分かってもらえない(相手が何言ってるかさっぱり分からん)

=不快感 (哀しい、悔しい、ムカつく、等々)

 

というのがあると思います。

 

英語の発音が上手にできないから英会話、嫌い、という方には外国語で会話する愉しさを味わうために、是非ともスペイン語をお試し頂きたく思います。理想的には、南米を御旅行されることをお勧めします。

限界期を逃してしまった私達でも、発音が似ているスペイン語なら、英語と違い、カタカナ表記の例文を棒読みするだけでも、ナリに分かってもらえる確率が高いからです(ちょっとソレらしい抑揚つけたら、もう、完璧!)。

 

8歳までは本能で言語獲得する、

 

というのには、音感が大きく関わっていると私は思います。赤ちゃんは、

1. 周りの言語を聞いて、

2. どんな音がどの様に区切られて言葉を成しているのかに注意を払い、

3. 軟語で練習し、

4. それに対する周りの反応を感じて、言語を習得します。

 

8歳以前に多くの言語に触れないと、聴かない、話されない音は習得されず、言葉として識別し、発声できる音の幅がぐっと狭くなってしまうのです。

 

だから、日本人にはRとLの区別ができなかったり、THの発音がどうしてもできなかったりするのですね。

 

大人になってからでも、努力を積むことで、イイ線行けますが、(例えば、Rは、舌を口の真ん中に置いて、Lは舌先を歯茎につけて、THは、舌先を噛んで、等)かなり意識的な努力を相当長いこと続けなければなりません。

 

8歳前に母国語以外の言語に触れる機会を作ることで、外国語習得の難度が、ぐっと下がり、少しの努力で、多国語取得できる語学センスが身に付く、とも言えるでしょう。

TOEICや、英検といった、資格取得の為の英語学習は、クソだとは思いますよ。

でも、私的には、8歳前に他国の人と触れ合い、語学センスを高める機会を子供達に与えることに、リスクなんて考えられません

 

 

翻訳アプリで会話を成立させられれば楽なのは分かりますが、自分の言葉を他人が分かってくれることの喜びを生で感じられるのは、めっちゃ楽しいです。

 

自分でも何言ってるか分からない、ほにゃらら語を、

「誰かが分かってくれたー!!!」

という赤ちゃん的興奮(=理解された!という共感原体験)を大人になってから追体験できるなんて、外国語を学ぶことなくしては、滅多にできることではありませんからね。

高機能自閉症と父親機能 「ザ・コンサルタント」 

発達障害と、制御不可能な破壊衝動について書いた

発達障害のメタファー 亜人 - 精神分析のススメ

直後に、飛行機に10時間以上乗って、普段は観れない (ちょっと古い)映画を5-6本観る機会がありました。

 

高機能自閉症ベン・アフレック主演のハリウッド映画なので、こんな子供時代で高機能って、ありえないでしょう…みたいな、無粋なコメントは控えますね)の主人公が出てくる、「ザ・コンサルタント」も観たので、父親の機能や、破壊的衝動の描かれ方について、「亜人」と比較してみました。

 

原題は、「会計士(アカウンタント)」となっており、退屈で、冴えない、しみったれたイメージの会計士が、実はダークなスーパーヒーロー(?)という予想外の展開になるはずなのですが…「ザ・コンサルタント」だと、外来語効果でミステリアスになってしまって、意外性は狙えない気が...

 

ベン・アフレックも、「グッド・ウィル・ハンティング」とか、「ドグマ」でのマット・デーモンとの共演が、良い感じでしたが

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「あれ?いつの間に、殺しても殺しても死なないブルース・ウィリスみたいな役どころになっちゃったの?」

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って感じでびっくりしました。

 

助演女優のアナ・ケンドリックも、

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トロール」観てからは、

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「ポピーが何で?!」

としか思えなくなってしまったし…

 

まあ、そんなの、記事の趣旨に関係ないので、どうでも良いことなのですが。

 

半分寝ながら観たので、かなり、印象に頼って書いてます。こちらの詳しいあらすじを大変有難く、参照させて頂きました。

blog.imalive7799.com

映画を御覧にならなかった方は、このあらすじを読んでからでないと、「ワケ分からーん」ってなるかもしれません。

 

 

まず、「亜人」と似てるな、と思ったのが、主人公と父親(的存在)との繫がりや、物語のカギとなる自閉症の治療施設、ハーバー神経科学研究所との繫がりが掘り下げられておらず(「亜人」ほどではないにせよ)説得力がないこと。

 

まあ、アクションがウリのハリウッド映画なので、関係性をそこまで緻密に描く必要はないのかな、とも思ったのですが、発達障害系は、人との繫がりを構築するのが苦手なのでその辺も、もしかしたら意図的に狙った効果なのかもしれませんが...

 

父親が自殺して、キャラクターの描写も「え?何でこの人がこんなこと言う(する)の?」という驚きが一杯な「亜人」と比較して印象的なのが、「ザ・コンサルタント」では、父親が、明確な「強い」「厳しい」キャラであること。

とにかく父親のイメージが希薄で、散漫な「亜人」に対して、「ザ・コンサルタント」では、主人公は、「強い」父親的存在の指南の下、若かりし自分の無軌道な破壊衝動や、過敏な感受性に方向性を見出し、戦い、自己実現の道をたどります。

 

ベン・アフレックの扮するクリスチャンは、自分の身を守る術を身につける為に、

「虐待かい?」

というような厳しい訓練を課す父親に育てられます。

子供時代に、ハーバー神経科学研究所で自閉症の診断を受けたクリスチャンを施設に入れて治療することを拒否した父親は、子供達を肉体的に、精神的に鍛えることで、クリスチャンに障害を克服させようとします。

 

ちょっと

「おや?」

と思ったのは、父親が治療を拒否したにも拘らず、クリスチャンがハーバー神経科学研究所と深い繫がりを維持していることや、特殊な治療プログラムに従っていることです。

 

大人になったクリスチャンが就寝前に、タイマーをかけて服薬し、フラッシュライトを明滅させ、音楽を大音量でかけながら脚をマッサージする、というシーンは、彼が何らかの治療計画に沿っていることを示唆します。

 

自閉症児の中には、治療や訓練によって健常者に近い機能を回復する子供もいますが、自閉症はいかに高機能であっても、遺伝子の異常を伴う、不治の病です。

 

発達障害は私の専門外ですし、処方箋のラベルを読んだわけではないので確信はありませんが)クリスチャンは、おそらく集中力を維持するためのリタリンとか、神経の興奮を鎮めるリスパダールを服用しているのでしょう。

 

自閉症児には、光や音に過敏で、触られるのを嫌う子供が多いので、刺激に慣れる様、訓練することが薦められることがあります。こういった治療計画は、研究所に負うのでしょうが、そこが(研究所長の娘との関係も含めて)ごっそり物語から省かれていたので、私的には物足りなさを感じました。

 

が、脚本家にしてみれば、クリスチャンの、ともすれば行過ぎた自己防衛技術が、父親によって情け容赦なく訓練された結果もたらされた、という設定を強調する意図があったのかもしれません。

 

クリスチャンの父親との関係を見ていると、昭和の星一徹(「巨人の星」あまり観ていないのですが、私にとって、ちゃぶ台ひっくり返す、スポーツに情熱的で愛情深い父親像の原点です)にも通じる、厳しい規律や、肉体的、精神的強靭さにより、破壊的衝動のコントロール、ひいては建設的な自己実現を図る、という、洋の東西を問わない普遍的父親像が描かれているとも感じます。

 

只、クリスチャンの父親は、もろ、攻撃性の管理専門という感じで、クリスチャンの鋭敏な感受性に、理性や知性で方向性をつけ(精神分析では、父性機能の’一つとされています)、会計士としてのクリスチャンを育てたのには、神経科学研究所の治療方針や、獄中で出会ったアブナイ会計士フランシスの存在が大きいように感じます。

 

亜人」と比較(日本とアメリカの比較とも言えますが)して面白いのは、圭の父親は、規律に反して社会的生命を失い、自殺するのに対して、クリスチャンの父親や、会計士としてのノウハウを伝授したフランシスが殺害されることです。

この辺り、日本の父親は、物分り良く自分から死んでくれますが、欧米の父親は(エディプス・コンプレックスの根強さが窺えると思うのですが)、殺害されなければならないのかなー、とか、思ってしまいます。

 

死にはしませんが、退職を目前に、商務省局長として、クリスチャンを追う(司法に則る善玉の)レイも、倫理観や、善悪の判断の課題をクリスチャンに課す、もう一人の父親的存在と言えましょう。

クリスチャンが、レイを殺すことを思い留まった理由が、彼が「自分は完璧ではないが、良い父親である」と命請いをした、ということからも、「悪者を捕まえる」レイが、息子の求める「良い父親」「正しい父親」の役割を果たすべく、物語に組み込まれていることが分かります。

 

「良い父親」がレイならば、クリスチャンを殺そうとするリヴィング・ロボティクス社のラマーは、殺害し、排除すべき「悪い父親」である、とも言えましょう。「亜人」の悪役、佐藤に比べると、ラマーの極悪さは、金銭欲に駆られていると言う点で至極明確な方向性を持っており、理解可能、手に負える様に感じられます。

 

何だか取りとめがなくなってしまいましたが、最後に、クリスチャンの弟との関係について、ちょっと書かせて頂きます。

 

亜人」に描かれる、圭と同位置にある友人達との関係性は、かなり一方的な気がします。

 

亜人」の圭は、対立を回避し、友達を一方的に切り捨て(お話の最後にはもっと深みが出るのかもしれませんが)ますが、「コンサルタント」のクリスチャンと、弟のブラクストンは、映画の終盤で殴り合いの兄弟喧嘩を始めます。

 

ブラクストンにとって、クリスチャンは、障害を持つ兄です。父親に、家族はお互いを庇い合うものだ、と教え込まれたブラクストンは、クリスチャンを疎ましく思いながらも、自分が面倒を見てやらなければならない、守らなければならない、という責任感を負って育ちました。が、映画の終盤で、守るはずのクリスチャンに、逆に守られ、救われるという、関係の逆転が生じます。

持ちつ持たれつという程ではないかもしれませんが、「亜人」に比べると、より対等な関係性の様に思われます。 

 

ハリウッド映画と漫画という全く違うメディアで比べるのには無理がありますが、「亜人」に描かれている(ように私には思える)発達障害者の「どうしてよいか分からない、行き場のない破壊衝動」との終わりなき戦いが、「ザ・コンサルタント」では、強い父親、良い父親のお陰で、何とか治まりがついている為、自閉症患者の「親密になりたい気持ちはあるのだけれど、どうして良いか分からない」内的経験にもっと焦点が当てられて、深みのある作品に仕上がっている様に感じました。

 

因みに、高機能…ではありませんが、自閉症と言えば、かなり古いのですが「レイン・マン」の方が、現実味あるかな…って、会計士が闇のヒーローな「ザ・コンサルタント」に現実味がないのは、当たり前ですね。てへ。

発達障害のメタファー 「亜人」

 

漫画も、若い頃は沢山(しかも同じのを何回も…)読んだのですが、日本を離れてから全く読めなくなってしまいました。ので、最近何が面白いのかさっぱり分からないのですが、ハマダさんのこの記事内のリンクを踏んで、

好きになるとは興味を持つこと - 遊びまくる!

 

潰してました。読書の秋の美しい半日を。外に出ることもなく。

 

歪んだ画面で、上下逆なページもありましたが、10巻まで、一気に読みました。こんなに集中して本(って、漫画ですが…)読んだの久しぶりで頭がクラクラします。

 

最初は、

 

平凡(?)な高校生(?)が不死の力(超人的力)を得て、自分と同じ(だけど、パワーアップした)能力を持つ悪者と戦う、という、

 

「なーんだ、寄生獣の焼きなおしかい?」

 

(全然違うって、怒らないで下さい。最近の漫画、知らないんです) と思ったのですが読んでいるうちに、何だかモヤモヤしてきてしまって。

 

ぶっちゃけて言うと、人物設定や、人間関係描写に説得力がない。とても希薄でちぐはぐな感触なのです。読んでいて、

何で、そんなにその人のこと好きなの?

何でそこで、そんなこと感じて、そんな極端な行動になるの?

え?

うっそー?

何で?

何で?

って、感じです。

 

だからといって、面白くなかった、というのでは決してありません。半日で一気に10巻読みきるくらい、緊張感もあったし、ストーリー展開にも充分惹きつけられましたので。大変おもしろう御座いました。

 

で、考えてみた結論が、

 

亜人で描かれる、人間関係の唐突さと、希薄さ、そして方向性のない破壊的衝動のあり方が、あまりにも、自閉症スペクトラムの方の内的経験に通じる物があり、それは又、現代に生きる日本人の内的経験に通じるものがあるのかも…

 

と感じてモヤる。というものでした。

他人と違うことが排除の理由になる日本では、亜人は、他人と違う能力(破壊性)を持つ主人公が人ではないモノ、として迫害される、迫害妄想に近い世界、という方向で分析もできますが、私的には今最も興味を持っている、父親不在、というテーマで攻めてみたいと思います。

 

ネタばれ注意…かな?あんまり、ちゃんとあらすじ紹介してませんが…

以下、がっつり私的、解釈です。

 

主人公の圭は、幼い頃から自分は周囲とは違う、と感じ、自分にしか見えない黒いお化けが妹を傷つけるのではないか、と怯えます。

 

黒いお化けとは、主人公の統合し得ない(方向性がなく、コントロールできない)暴力性、破壊性の象徴であることは、結構あからさまだとは思うのですが…

 

その脅威に、初めて気付くきっかけとなったエピソードに、親の愛情を奪い合う競争相手でもあり、親愛の対象でもある妹が介在していることには、うーん、成る程!と感じます。兄弟間には、殺してしまいたいけど、愛してもいる、という強い葛藤があるからです。

 

ユングフロイトに比べると日本では知名度の低い、メラニー・クラインという精神分析家は、生後まもない乳児が母親の乳を対象に、愛憎の葛藤劇を繰り広げる、という理論を提唱しました。

 

英国対象関係論の祖、とか言われておりますが、私は密かに、おっぱい理論のクライン、と呼んでいます。

 

クラインのおっぱい理論は深遠なので、ここで詳細に立ち入るのは止めておきますが、彼女の考えによると、人は皆、生後間もない頃から、おっぱいに対する欲望と破壊衝動に耐えがたい葛藤を抱きながら成長を続けます。

 

おっぱいに対する破壊衝動と言うと、

 

はあ?何で赤ちゃんがおっぱいに破壊的衝動なんて持つんですか?

 

ということになると思うのですが、これは、

  • 「食べつくしてしまいたい」という、「貪欲」による破壊衝動
  • 「お腹が痛くなるような不味いおっぱいなんか、いらんー」という自分に危害を為すモノに対する恐怖、怒りによる、攻撃衝動
  • 「どこにもおらんやんかー」という、一人きりで放置されることに対する恐怖、怒りによる、破壊衝動

 

という感じにざっくり分けられますが、赤ちゃんの内的経験ですので、無理やり言語化して、分けてみた、という感じでお願いします。

 

で、赤ちゃんの未分化な怒りとか、破壊衝動とかは、おっぱいの悦楽とも混ざっているんで、更に、もー訳分からんくなっています。その葛藤に折り合いをつける為の、原始的な防衛の一つに、「投影」というものがある、と、クラインは提唱します。

 

自分に内在する、赦せない感情や衝動を、他人に丸投げする精神的操作とでも言いましょうか。

 

亜人の吐き出す、黒い物質は、正に、自分ではどうしようもない、制御不可能な攻撃的衝動が物質として体外に投影されているように私には思われます。

 

いくら、体外に排出した攻撃性とは言え、直接、母親を相手にはできません。母子分離ができない日本人にとっては、虐待とか受けた恨みがない限り、母親に対して、こうした強い葛藤を抱いていることを意識化することは、絶対に無理…とは言わずも、大変難しいでしょう。どんなに酷い仕打ちを受けても、自分の親は良い親だった(=どんなに冷酷な仕打ちを他人にしても、自分は良い人間だった)と、信じたいのが人の常でもあります…

 

ところが、兄弟姉妹に対しては、憎しみに対するガードが断然下がります。ということで、黒いお化けから妹を守ろうとする、圭の努力は、母親に対する葛藤の代換でもある、と言えましょう。

 

最近の精神分析では、父親こそが、その攻撃衝動を制御し、方向付ける手助けをすることで比較的葛藤の少ない母親からの分離、つまりは自己実現の可能性が生まれる、とも言われております。

 

私にとって、亜人は、父親のいない主人公が自分の攻撃衝動を如何に手なずけ自己実現できるのか、という物語のように思われます。

 

ちょっと話は飛びますが、圭の母性薄い母親との関係性は、神戸連続殺傷事件の少年Aの母親を思わせます(根拠を突き詰めないで下さい。全て印象です)。

 

母親に対する葛藤が、思慕の対象であると同時に、同一化の対象でもある(自分の薄情で利己的な「ゲス」な性格の根源でもある)から、という大変大雑把な理由ですが、後に圭が逃走中に出会う、老婆への愛着も、少年Aの祖母への愛着に似通ったものの様に感じられます。

 

圭の父親は、優しく、情に溢れた母性的な存在という設定ですが、存在が希薄…というより、本当に存在したの?という印象を持ちます。

 

圭の父親は、患者に感情移入し過ぎて規律を破る等、西欧の規律や、理性といった父性的機能からは、かけ離れたイメージですが、死んでしまったのを良いことに、都合よく母性化(理想化)されている様に感じます。

 

自閉症スペクトラムなのかい?という感じに描写されている母親が、母性発揮しないので、父親が情緒的にどうにか補おう、とはするものの破綻する、という、前にも書きましたが、日本の父性欠如は、母性の機能不全に因る、という解釈に近い象徴的設定ではないでしょうか。

 

私的には、年長の男性キャラ(戸崎、佐藤、オグラ、佐藤対策班の男達)は、全て不在な父親を補う、父親的存在と、ざっくり括ってしまいたい所です(大雑把すぎ?)。

 

飽く事のない暴力と破壊の衝動を、ゲーム感覚で全開にする佐藤は、(歴史的に日本に大きな影響を及ぼした強国でもある)アメリカ人と中国人のハーフという設定ですが、実は、方向性を失った日本という国のあり方、現代日本の破綻した父親像(=破綻した男性像)なのではないかと思うと、背筋がぞっとします。

 

無軌道な破壊衝動の象徴でもある佐藤を排除することで、自らの暴力性をも収束し、乗り越える少年が男になるストーリーなのでしょうが、同一化できる父親のイメージが、あまりにも散漫なので、不安になります。更には、数ある父親的イメージとの繫がりも、突発的に発生しては、抹殺されてしまうので、飽和状態にある破壊衝動を如何に制御し、統合し得るのでしょう?と、疑問に感じます。

 

誰とでも仲良くできる、言わば理想の自分像でもある、カイや、中野との繫がりも、シンデレラの魔法使いに出してもらったんかい?と言いたくなるくらい、説得力に欠け、現実感がありません(すみません。前世紀の遺物の感受性です。「何言うてんねん!めっちゃ心に来るもんあるわ!」という若者の皆様とは感性が違うのかもしれません)。

 

他者との繫がりを切に求めはするものの、諦めや、恐怖の方が先に立ち、何回死んでも又すぐ始められる、暴力的なゲームに没頭する、人間関係の希薄な現代人の内的現実に即した物語なのかな、と考えると、哀しくも、恐ろしくも感じてしまいます。

みたことも無い映画のススメ

先日も書いた、エミネム

狂気 と 自己表現としての芸術 エミネム A.k.a スリムシェイディ - 精神分析のススメ

については、書きたいと思うことが沢山あったので、エディプスコンプレックスに引っ掛けて書こうとしたのですが、無理でした。

 

父親不在、暴力、性的虐待、と、どんどんとりとめがなくなってしまって。

 

頑張って、精神分析の論理を説明しようと思うと、ダメな私なのです。

書きたいことが整理できなくなって、自分でも

「何じゃ?こりゃ?」

な出来になっていく。ぐがー。

 

なので、先日読んだニューヨークタイムスの映画評論 

Making ‘Mother!,’ the Year’s Most Divisive Film - The New York Times

 について書いてみます。日本ではまだ封切りされていないばかりか、自分でも観ていません。が、興味が赴いてしまったので。

 

この記事 (諸事情により、只今非公開になっております)

neofreudian.hatenablog.com

の最後でさくっと紹介したダーレン・アロノフスキー監督の新作です。

 

封切り先行公開した、映画祭でのあんまりにも酷い評価と無理解に、監督の彼女でもあり、主演女優のジェニファー・ローレンスさんが、ネタバレ覚悟で映画の寓話的意味を明かします。という趣旨の記事でした。

 

以下、ニューヨークタイムスによると…

 

推定400億円(くらいか?3億ドルって。)の予算を費やした、パラマウント大博打。封切り1週間の興行収益はイマイチで、「大嫌い!」から、「素晴らしい!」と、評価が分かれる、2017年、一番ホットな会話の種になる映画、と評される心理サスペンスなのに、何故かワーナーブラザーズのホラー映画と比較されている…

 

表面的には、田舎の旧いお屋敷に住むカップルのお話。旦那は一発ヒット作を出したものの、スランプに陥る詩人。妻は、家の改修に余念がない。

 

彼等の平穏な生活は、ひっきりなしに訪れ、しかも去ろうとしない客人達によって乱される。というあらすじなのですが…

 

記者会見に遅刻して、主演女優に、

「ダーク・ロード(暗黒の主)に電話して」

と、スマホで呼び出されたアロノフスキー監督曰く、

「寓話的イメージに取り付かれ、自分には珍しく、速いペースで熱にうかされたように、5日間で書き上げた」

脚本で、自分の彼女を主役に抜擢。ワキも、ベテラン俳優で固めてあります(3億ドルはそれでかな?それとも、この記事に書いてあるように 

Darren Aronofsky on Shooting mother! on 16mm Film | Collider

こだわって16mmで撮影したは良いが、誰も編集できなくってクソ大変だったからかな?)。

 

ポスターは、こんな感じです。

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ぶっちゃけてしまうと、聖書のお話。だそうです。キリスト教信仰の欧米人にとっては、とてもキワドイです。

 

旦那が神様で、妻が母なる大地。ウザイ客人達は、神様の恩恵を授かりたい不躾な人間。家は地球。物語は人間による環境汚染、気候変化について、という感じです。

比喩に満ち満ちたイメージと音が、これでもか、これでもか、と出てくるそうです。

 

観たいけど、観るのが怖い…

 

きっと、グロテスクで暴力的なシーン満載でしょうから。妻が集団レイプとかされて、内臓とか引き出されたりするの、見るのはちょっと…(本当にそんなシーンあるかどうかは知りませんが、石油資源の枯渇とか、どう映像化するんだろう、と想像したら…)

 

しかも、自分の彼女にそんな役柄振るって、どんなSなの?(だから、ダークロードって愛称で呼ばれているんでしょうけど)

 

因みに、私がアロノフスキー監督に惹かれたきっかけとなった、レクイエム・フォー・ドリームは、(10年以上前に観たのでうろ覚えなのですが)じわじわ怖くて、えげつないけど、映像的にとっても私好みでした。ジェニファー・コネリーが助演女優で、イイ感じに郷愁感が漂っていて、絶望的で。

 

薬物依存の人達の、「求めて止まない何か」が、手の届かない母親的なイメージ(モノ)であること、ソレを追い求める有様が破壊的な現実逃避でしかないこと、が確立したスタイルでとってもオシャレな映像になっていた(なんちゅう日本語や...)、という印象です。

 

パイという、同アロノフスキー監督の映画も、同じくらい昔に観たのですが、一昔前の分裂病、今の用語では統合失調患者の内的経験が、やはり、スタイリスティックに描かれていたように思います。

 

どちらも、元々、

「アレ?ちょっとヤバイ?」

って感じの人達が、徐々にキチガイ全開、現実から逸脱するに至るまでの経過が淡々と(?)描かれたコワーい出来上がりだったと思います。

 

今回の Mother! は、批評を読んでいると、自己愛性パーソナリティ障害がテーマかな?という感じです。

 

神が、自分のファンである人間の欲を肥大化させ、母なる大地を蹂躙させることも厭わない自己愛性PDって、確かに成る程―、欧米人激オコでも仕方ないかな、って設定かもしれませんね。

 

観ていないので勝手な憶測です。観て面白かったら、再更新しますね(誰も興味ないかもしれませんが…)。

狂気 と 自己表現としての芸術 エミネム A.k.a スリムシェイディ

絵画でも、音楽でも、痛々しい作品を作る人って、たまにいます。

 

例えば、エゴン・シーレとか、

 

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闘う者 1913 48.8 x 32.2 cm 個人蔵

エゴン・シーレ (Egon Schiele) 画像と美術館のリンクから、イメージ取ってきました。

シーレのまとめは、この方のブログ

blog.livedoor.jp

が分かり易くて素晴らしいです。

 

ユニクロで、シャツにもなっている、バスキアット。

 

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無題(頭骨) 1981 Wikipedia


バスキアは、映画にもなってます。

 

が、今回は、痛い音楽。

 

エミネムに挑戦します。

 

 

まずは、この曲。(古いです)

 

 

www.youtube.com

 

ざっくり言うと、

 

テレビばっかり見て、オトナの吐く嘘を鵜呑みにしてたら(鵜呑みにできないと)、俺みないなキチガイになっちまうぜ。

 

って感じのメッセージでしょうか。

 

そして、

www.youtube.com

 

ニコルソン好演の「カッコウの巣の上で」を彷彿とさせる出来のビデオです。

 

あと、これは、閲覧注意にしたいくらい。音楽は(エミネムにしては)ポップで、軽いノリなのですが、このビデオ、吐きそーになりました。あまり見たくないビデオです。

 

www.youtube.com

 

が、これ見て、

「あ、この人、義父だけじゃなくて、母親にも性的虐待されてたな」

と感じました。

 

英語の歌詞を和訳すると、基本的に著作権に触れるそうなので、(てか、韻を踏んでなんぼの、狂気の歌謡、ラップを日本語にしても、意味ないし)今回はヴィジュアルからアプローチしてみます。

 

ということで、個人的に印象に残ったイメージについて、書いて見ます。

 

一番最初の、My name is で、テレビを見ている男女、私、めっちゃ怖いです。

 

彼の両親、家族のイメージではないか、と思うのですが、所謂、ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)と呼ばれる、白人経済下層の方々です。

 

白人貧困層は、トランプ政権を頑なに擁護し、人種差別的活動に勤しみますが、彼らこそが誰も擁護しようとはしない、隠れた被差別層であり、それ故に、解消し難い鬱憤が溜まっている、と言われております。

 

白人として、(後述しますが)ゆかいなブレイディー家のような中流家庭を築けない人達は、社会の落伍者として、ある意味、黒人やヒスパニック等、被差別人種よりも、耐え難い苦痛を経験します。

 

白人の自分達が、不遇な有色人種よりも高学歴、高収入を得られるはず。それなのに、できない、ということが、彼らにとっては、耐え難い屈辱だからです。

 

有色人種の私としては、触らぬ神に祟りなし。なるべく距離を置きたい方々です。

 

My name is はスリム・シェイディが番組ホスト、という設定で始まります。

 

次に紹介するビデオにも出てくる、スリム・シェイディは、エミネムの3つの人格のうちの一つ、とも言われています。配役者の、マーシャル・マザーズは、エミネムの本名です。

 

この時点で、エミネムの多重人格性、芸能界で生きていくことのキチガイさが示唆されていると感じます。

 

スキンヘッドや、ネオナチに代表される、白人至上主義に流れがちな、白人貧困層出身のエミネムが正統派被差別層の黒人文化の粋である、ラップで名を成した、というのは、何とも皮肉で、彼の抱く、大きな矛盾を示唆していると思われます。

 

1:19辺りで出てくる画像は、「ゆかいなブレイディー家」という70年代アメリカの国民的コメディドラマのタイトル画のパロディ、「あやしいシェイディー家」となっています。本当なら、それぞれの枡に、家族の顔が現れるのですが、全てエミネムの顔で埋め尽くされます。

 

「ゆかいなブレイディー家」は、双方、子持ち再婚したカップルの、面白おかしい家族ドラマ番組です。絵に描いたような、中流の白人の家庭、「平均的(白い)アメリカの家族」を描いているとも、言えましょう。

 

エミネムの母親は、ドラッグに浸りっぱなし、父親は現在もどこで何をしているか、分からない。母親の再婚相手に性的虐待を受けて育った彼にとっては、家族とは、影闇(シェイディー)でしかない、ということでしょうか。

 

1:32で、ちらっと表れるスーツ姿の白人男性。

黒人ばかりのスラムのベンチで、横たわるエミネムの前を横切りますが、危ないお薬を買いに来たのでしょう。

 

幼い頃は、腹が減って死にそうだった。母さん、乳のないあんたに、俺を食わせることなんてできるはずねぇだろ。

 

人生の99パーセントは、嘘をつかれてきた。

 

学校では、落ちこぼれ。

唯一及第してきた英語(好きだったのでしょう。辞書を書き写して語彙を増やしていたそうです。)も高校の時には落とされた。

 

キモいおっさんに操られ、口をパクパクさせてる人形は、自分自身。

 

親父はどこにいるか知らねえが、児童ポルノ誌に載ったガキの頃の俺のケツでオナニーでもやってるんじゃあねえかな。

 

クリントンとモニカ・ルウィンスキーのスキャンダルで持ちきりだった頃を髣髴とさせる、ニュース速報。

 

クリントンさながら、スーツを着て、胸に手を当てて、名を名乗り、真実を誓うエミネムの講演台は、ズボンを半分下ろした彼の下半身と、女装した、もう一人のエミネムが、フェラチオに興じていたことを隠しとおすことはできません。

 

性的虐待を家族に受けて育つ子供達は、嘘に心を蝕まれ、真実を憎悪します。

 

The real slim shady も、又、精神病患者とレッテルを貼られる人々が、いかに、世の中の欺瞞と上手に付き合っていけないが為、キチガイになっていくか、が描写されているように感じます。

 

芸能界のシェイディーな噂についての歌詞と画像(元AV女優のパメラ・アンダーソンのDV夫や、クリスティーン・アギレラに二股かけられた彼氏達が、どちらが先にフェラチオしてもらったかで喧嘩したり、子供向け番組で人気の出た良い子のブリットニー・スピアースや、お子様バンドのNSYNC達と仲良くお歌なグラミーになんて出てらんねーや、って感じの映像になってます)で、名誉既存とかの訴訟も起こされました。

 

性的虐待を受けて育った彼にとって、セックスは、暴力的で汚いモノでしかありえません。

 

彼の歌詞は、放送禁止用語だらけなので、大衆の反感がっつり、グラミーだって無理じゃない、と言われていましたが、

「そんなん、クソっくらえだ」

と、公言することで、自分を芸能界のキチガイにしていく、エミネムの姿を描いているビデオなのではないでしょうか。

 

Just lose it は、児童ポルノ所持で捕まった、変態の定評あるピーウィーや、マイケル・ジャクソン、そして、クリスマスにサンタの扮装でショッピング・モールに現れ、子供を抱っこして願いを聞く男性、いずれも、変態的男児趣味と噂される成人男性を髣髴とさせる出来です。

 

ちょっと、この映像について語るのも気分悪いので、エミネムの薬物依存治療の映像がかぶる、このビデオで終わりにします。

www.youtube.com

エミネムの狂気からの回復の道のりが険しく、空虚で、絶望的な事を示唆するビデオですが…

 

洋楽や、曲中に使われる、英語の慣用句等に興味のある方には、軽薄な精神分析シリーズもあります。(現在 Shake it off のみ公開中。)

 

軽薄な精神分析 1. The Chainsmokers 大人になれない僕達 現代アメリカの若年層 ミレニアルの闇 - 精神分析のススメ

軽薄な精神分析 2. Shake it off 不完全な自分のままで いいじゃん。 - 精神分析のススメ

軽薄な精神分析 3. All about that bass 太っちょでもイイじゃん - 精神分析のススメ